第125話 月ノ瀬玲は可憐に微笑む
――帰りの道中にて。
「さーてと? それじゃ、勝者からのお願いを聞いてもらおうかなぁ??」
「げっ……完全に忘れてたわ……」
「ハハハ! そうだろう! だからこのタイミングまで取っておいたわけだ!」
高笑いをする一方、月ノ瀬はげんなりと嫌そうな顔をしている。
俺はちゃんと覚えていたぞ。
このためだけに本気で月ノ瀬に勝とうとしたわけだからな!
「……分かったわよ。言い出したのは私だし、大人しくアンタの言うことを一つ聞くわ」
「へへ……へへへへ……」
「あ、ちょっと待ってくれる? 念のために交番の場所を把握しておくから」
「おい。お前俺をなんだと思ってるんだよ」
「……人間?」
「そうだけど!?」
むしろ人間じゃなかったらなんなんですか俺は。
会長さんは昆虫とか言ってたけどさ!
ひょっとして俺、人によって姿が変わって見えてたりする? そんなファンタジーでちょっとホラー的な感じだったりする?
どうしよう。一人で戦々恐々かもあたし。
「……冗談はいいとして。それで……アンタは私になにを望むわけ?」
「んー、俺がお前に要求することは最初から決まってるんだわ」
「な、なによ……?」
「お前さ――」
そんじゃあ……勝者の権利、ここで使わせてもらうぜ!
俺は前を向きながら、隣を歩く月ノ瀬に告げた。
「蓮見たちに遠慮するのはやめろ」
立ち止まる月ノ瀬。
「え……?」
二、三歩ほど先に進んだところで俺も足を止めた。
振り返ると、月ノ瀬が驚いた顔でこちらを見ている。
なんで――と。
言葉にはしなくても、表情がそう物語っている。
俺が聞いた二つの質問には、たいして反応を見せなかったのにな……。
そういうこと……か。
月ノ瀬の反応を見て、俺は確信を得た。
「気付いてないとでも思ったか?」
距離を離したまま、俺は疑問に答えてやる。
月ノ瀬に関わるようになってから、俺の中で芽生えた一つの疑惑。
それは。
「お前、蓮見や日向たちに遠慮してんだろ。自分は転校生で後から来た人間だから……ってな」
「……な、なんのことかしら」
突然の言葉に、月ノ瀬は明らかに動揺していた。
分かりやすく視線を逸らされたが、それでも俺は言葉を止めない。
「司への接し方に決まってんだろ。いや、分かりやすくアピール……って言ったほうがいいか?」
「っ……」
息を呑んだ。
当たり前ではあるが、司に想いを寄せているのはコイツだけではない。
蓮見や日向、ほかにもいる。
その彼女たちと比較して、月ノ瀬だけは司への接し方がどこか違っているように感じた。
アピールめいたことはしているし、ときにはズバッと司に自分の思いを告げているのだが……。
肝心な一歩は踏み出さず、基本的には蓮見たちの後ろから司の様子を伺っているように見えたのだ。
それはやはり……月ノ瀬なりの『遠慮』だったのかもしれない。
「たしかに蓮見たちは、お前より司と多くの時間を共に過ごしている。その分、アイツを想っている期間が長いことは事実だ」
「……」
「そしてお前は本来、人付き合いが上手いタイプじゃない。だから前の学校では元々孤立してたんだろ?」
「なんで……アンタにそんなことが分かるのよ」
「お前が俺をちょっとだけ分かるように、俺もお前のことがちょっとだけ分かるんだよ」
現在の月ノ瀬の高校生活は、決して自分一人の力で得たものじゃない。
司や蓮見、渚……ほかの連中の支えがあってこそだ。特に蓮見の存在はかなり大きいだろう。
そんな環境に身を置くにつれて、きっとコイツは初めて『居場所』という感覚を知ることができたのだろう。
だからこそ。
自分を受け入れてくれた『彼女たち』に遠慮をしているのだと思う。
「前にお前、蓮見に言ってたよな」
思い返すのは、生徒会室での一件の日。
「『好きだから悩む、好きだから躊躇する、アンタが想っているそれは……全部、好きだからなんじゃないの?』――ってな」
ハッと、その目が見開かれる。
いい言葉だと思った。
俺もそれには同意見だったから。
ただ。
「一つ、付け加えてやる」
人差し指を立て、戸惑う月ノ瀬に続けて言った。
「好きだから遠慮するんじゃねぇ。好きならとことん突き進めよ。負けず嫌いのお前らしくねぇだろうが」
「私は……」
胸に手を当て、月ノ瀬は息を吐いた。
「私は……私を受け入れてくれた晴香たちも好きだから。仮に司が晴香とそうなったとしても……それで──」
「うるせぇな。思ってもねぇこと言ってんじゃねぇよ」
不快な感覚が胸の中で疼いた。
「はっ……?」
月ノ瀬のこういう姿を見ているとイライラしてくる。
恐らく心のどこかで思っているのかもしれない。
自分と似ている、と。
……バカな話だ。本当に。
「お前なりに支えたいなら……お前なりにもっとそばに寄れよ。お前らしく隣に立とうとしろよ。隣でアイツを支えようとしろよ」
「隣で……」
「なによりそれを――蓮見たちが望んでるんじゃねぇのか? お前と対等な場所に立って……正々堂々戦いたいんじゃねぇのか?」
変に遠慮して、その結果蓮見が……日向が望むものを手に入れられたとしたら。
アイツらはどう思う?
心の底から……喜べるのか?
答えはきっと――否だ。
「アンタは……それほど司のことが大切なのね」
呟かれた言葉には返事をせず。
自分の答えを探すように小さく呼吸を繰り返す月ノ瀬を、ただ黙って見ていた。
「……いいの?」
ギュッと、胸元を握りしめて。
震える声で……言った。
「アンタたちを騙していた私が……まだ会ったばかりの私が……そこに並ぼうとしてもいいの……?」
──そこがすべてなのだろう。
どんなに普段から勝気に振る舞っていても、月ノ瀬は一度深く傷ついた少女なのだ。
追い込まれ、裏切られ……人間関係というものに対し、トラウマのようなものを背負ってしまった少女なのだ。
いくら暖かい場所に辿り着いたとしても。
いくら優しく手を握られたとしても。
怖いものは──怖い。
自分が原因で壊してしまうんじゃないか。
彼を、彼女たちを今度は自分が傷つけてしまうんじゃないか。
そう……心の奥底で感じたのかもしれない。
手に入れたものを失いたくないというのは、人間としては当たり前の感覚だろう?
なにもおかしくはない、当然の感情だ。
そんな月ノ瀬に対する俺の答えは……決まっている。
「いいに決まってんだろ」
考えるまでもなく、言葉にした。
そうだ。
いいんだ。
「俺たちを騙していた? まだ知り合ってたったの数ヶ月? ――んなこと知らねぇよ」
「し、知らないって……なによそれ……」
「いいか? これまで朝陽司という人間をずっと近くで見てきた俺が――断言してやる」
「昴……」
「全力でいけ。呆れるくらい負けず嫌いなお前らしく……正面からぶつかれ。遠慮なんていらねぇ。アイツを支えたいのならそこに向かって走れ」
お前にはその資格があるのだから。
「肝心の司も……お前がいる日常を気に入っていると思うぜ。じゃなければ……アイツはお前を気にかけてねぇよ」
「司が……私を?」
「そうだ」
司は特定の女子と距離を縮めるようなことはしない。
正しくは――できない。
そんな司が……月ノ瀬のことは特別気にかけていたんだ。転校してきたあの日から……きっと今も。
秘密を知ってしまった義務感や、責任感。
月ノ瀬を放っておけないという……アイツの優しさ。
さまざまな気持ちが含まれているのだろうが……。
月ノ瀬との出会いはきっと……司にとって運命的なものだったのだと。
それだけは確かだと俺は思うのだ。
「最後に……これは『お願い』じゃねぇぞ。勝者から敗者に対する『命令』だ。拒否権はない」
これが――月ノ瀬玲に対する俺の要求だ。
…………。
いやー、勝てて良かったわマジで。
万が一負けてたらどうしようかと。
なにを要求されるか怖くて眠れませんよもう。
「……ふふ」
小さな笑い声。
「やっぱり……アンタってそういうヤツなのね」
声の震えはなくなっていた。
戸惑いはどこかへ消え去っていた。
「普段はふざけてばかりなのに、司のことになると真剣になるんだから」
「なに言ってんだ。いつも真剣で真面目で誠実でしょうが俺は」
「本当に……ほんっっっっっと面倒くさいヤツだけど、ある意味真っ直ぐで純粋なのかもしれないわね。アンタって男は」
「おい」
「そんなアンタだから……あの子たちは……なるほどね」
ブツブツとなにかを呟いて……最後に。
「分かったわ」
力強く……頷いた。
そこに立っているのはもう、俺が知る――いつもの月ノ瀬だった。
そうそう。
お前にはそっちの顔のほうが合ってるよ。
「アンタの要求……しっかり聞き届けたわよ」
それなら話は終わりだ。
偉そうなことを言ったが……伝わったのなら良かった。
お前が普段なにを思おうがどうだっていい。お前が負い目を感じていようが……俺にはなにも関係ない。
ただ、その先にアイツが関係する以上……半端なことをさせるつもりはない。
降りるなら降りろ。
走るなら走れ。
――最も、月ノ瀬はここで降りる人間ではないことは分かっているがな。
「それなら私は……もう遠慮しないわ。晴香たちと対等な場所に立ってみせる」
「ああ。期待してるぜ、玲ちゃん?」
「……ひょっとしてアンタ。学習強化合宿のときも、こんな風に晴香のことを励ましたわけ?」
「……そんな昔のことはもう忘れた」
そんなこともあったな、と。
思うことはそれだけである。
「つい最近の話よね……まぁいいわ」
結局、最終的には『呆れ』の声音で。
「私はアンタに負けたんだもの。言うことを聞かないといけないわよね、うん」
「お? なら別の要求にしてもいいんだぜ?」
「無理よ。一回のみ有効だから」
「初耳なんだが?」
「ふふっ」
楽し気に笑うと、月ノ瀬は歩き出す。
俺の横を通り過ぎ――
一歩。
二歩。
三歩。
四歩ほど先を歩いたところで、クルっとこちらを振り返った。
「昴」
俺の名前を呼び――
そして。
「ありがとっ」
それは――夏の青空にも負けないくらいの。
今日一番、満天の笑顔。
いつか見た……『綺麗』な微笑みではない。
あぁ――やっぱり。
月ノ瀬玲は可憐に微笑む。
× × ×
おまけ!
「全然話変わるけど、せっかく夏休みなんだし……司とデートでも行って来いよ。連絡は取り合ってるんだろ?」
「え、ええ……まぁ……ほどほどに」
「おぉ? なんだよそれっぽいことしてんじゃねぇか!! なになに? 寝るまでメッセージのやり取りとか? おやすみ電話とか?」
「う、うるさいわね! ただちょっと話してるだけよ……!」
ふーん。それなりの形でアピールはしているわけか。
だったら……うん。
最後にもう一個だけ、お節介でもしてやろうかね。
「来週くらいかな」
「いきなりなによ?」
「たしか来週くらいから上映が始まる映画なんだが……司が好きな本が原作なんだよ」
「あ、そうなのね」
「ああ。だから誘って行って来い」
「へぇ……え?」
いろいろ答えてくれた礼だ。これくらいのサポートはしてやるぜ。
玲だけに礼……つって。面白い! ……面白いって言え。
「か、考えておくわ」
「おうおう。考えておけ。そういえばこれも話変わるんだけど……」
「アンタどれだけ話題あるのよ……」
トークは男の嗜みだからね!
どんな状況でも対応できる話題を持っておかないと、男たるもの大事な場面で困っちゃうからね。
よい子のみんなは覚えておくように!
俺はわざとらしく咳払いをし、声のトーンを落とした。
「ある日、都会から田舎に帰った男は道端で――」
「待ってその話って……!?」
「あぁいや……それよりさ」
「気になるからいい加減ちゃんと話して!? お願いだからー!!」
こうして月ノ瀬は最後まで話の続きを聞くことができず、寝るまで悶々とした気持ちを抱えて過ごしましたとさ。
終わり!