第122話 月ノ瀬玲は発散したい
「ちょっと私に付き合いなさい」
……。
…………。
はぇ????
「え、なに告白? お前いつの間に司から俺に乗り換えて――!」
「そんなわけないでしょ」
そんなわけなかったようです。はい。
「じゃあなんなんだよ。なにに付き合えばいいんすか?」
「それは……決まってるでしょ?」
「はん……?」
月ノ瀬は人差し指を顎に当て、なにかを考えるように視線を上に向ける。
いったい俺をなにに付き合わせようってんだ?
なんだろう。ここは姉御らしくカチコミかな。カチコミだったら怖いから物陰に隠れて応援していよう。
ヒヤヒヤした思いを抱えて続きの言葉を待っていると、夜叉様はふっと笑みをこぼして俺に顔を向けた。
そして――
「運動、よ」
あーなるほどなるほど……。
運動ね。はいはい……。
……。
…………。
はぇ???
× × ×
「ふっ……!」
「いやいやアレを打ち返すとかどんな運動神経してんだよっ……!」
「よしっ! 私のポイントね!」
そんなわけで。
俺は月ノ瀬に連れられて五月ぶりにスポーツパークこと通称スポパにやって来ていた。
文字通り、バッチリ『運動』に付き合わされているわけである。
それで現在はバドミントンコートで、一対一のガチ勝負を行っている最中だった。
完璧に決まったと思ったスマッシュを華麗に打ち返され、自コートに転がったシャトルを拾う。
相変わらずの運動神経の良さに呆れながら、俺はネット越しに月ノ瀬を見た。
「――まったく、運動に付き合えってなにかと思ったら……ここかよ」
「ん?」
ご希望通り、運動が出来て上機嫌な様子の月ノ瀬が首をかしげる。
「そうよ? 私、アンタともう一回ちゃんと勝負したかったのよね。バドミントン」
「ちゃんと……って。五月のときもだいぶ勝負しただろ?」
基本ボコボコにされてたけど。
勝ったのは実質最初の一回目だけだったけど。
「それはそうだけど……あのときは本当の私じゃなかったっていうか……」
気まずそうに視線を逸らす月ノ瀬に、俺はニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。
「あー、たしかにあんときはなんちゃってお嬢様だったよな。可愛いかったなぁうんうん」
「だからそのなんちゃってお嬢様はやめなさいって!」
今はもうすっかり夜叉様モードが板についているため、お嬢様モードの月ノ瀬を思い出すと懐かしい気持ちになる。
あの頃の穏やかさやお淑やかさはどこへ行ってしまったのだろうか。
俺を『青葉さん』と呼び、優しく笑顔を向けてくれた月ノ瀬はどこへ行ってしまったのだろうか。
「でもお前、あのときちょっと素が出てたよな」
「えっ、本当?」
「気付いてなかったのかよ」
当時は特に気にすることなくサラッと流しちゃってたけど……。
「蓮見に応援されたときの返事とか、試合中の表情とか……結構素だったよな」
「全然意識してなかったわ……」
試合が始まる少し前までは柔らかい雰囲気だったが、直前になって鋭くなったというか……それこそ今の月ノ瀬のような雰囲気を纏ったような気がする。
勝負というものを前にして、内なる夜叉様が顔を出したのだろうか。
「それに、あの負けず嫌いっぷりもなかなか面白かったぜ? もう一回です~! しか言わなかったよな」
「そ、そんな変な言い方してなかったでしょ!?」
「まさかお前があんな負けず嫌いとはなぁ。ま、今となっちゃ納得だけど」
「し、仕方ないじゃない。本当にアレは悔しかったんだから……」
ここまで俺に散々言われたことで、月ノ瀬の頬は僅かに赤く染まっていた。
身体を動かしたことで火照ったわけではなく、純粋に当時を思い出して恥ずかしくなったと見える。
とはいえ、決してバカにしているわけではない。
負けず嫌いということは悪いことじゃないし、むしろ勝ちに対して貪欲なのは良いことだと言える。
――さて。
「――で、実際のところ理由はなんなんだよ」
思い出話はここまでにして、そろそろ本題を聞くとしよう。
「なんの理由よ?」
「わざわざ俺を誘ってここに来た理由だっての。ただ身体を動かしたいからってだけじゃねぇんだろ?」
シャトルリフティングをしながら、俺は軽い調子で尋ねる。
別に運動がしたいだけであれば一人でも出来るわけで……。
俺を誘ってまでスポパに来た理由がなにかあるのではないか――と。
ただそう思っただけである。
「理由ねぇ……。もちろんあるわよ」
やっぱりそうか。
仮に、月ノ瀬がわざわざ俺と同じ時間を過ごしてまで聞きたいことがあるのだとしたら――
それはきっと。
「司のことについて聞きたいんだったら、別にこんなところじゃなくても……」
「は? どうしてここで司の名前が出てくるのよ?」
「え?」
ポトリと、ラケットの脇を通過してシャトルが床に落下する。
司関連で話があったんじゃないのか……?
月ノ瀬はジト目を俺に向けながら、ため息交じりに言葉を続けた。
っておい。なんでジト目を向けるんだ。
「まず、運動がしたかったのは本当よ」
「ほうほう」
「でもそれ以上に……昴」
月ノ瀬は俺を呼ぶと、ラケットの先を俺に向けた。
「私はアンタに一回仕返しがしたかったの」
まるで剣の切っ先を敵に向ける騎士のように。
凛々しい顔、そしてよく通る声で……俺に堂々と告げた。
仕返し……?
しかし当然、俺には月ノ瀬の言っていることがピンとこない。
なにも言わずにただ眉をひそめる俺を見て、月ノ瀬はその目をスッと細めた。
「強化合宿のときや、この間の夏祭り……勝手に変なことをしていたわよね?」
「はて、なんの話かな。全然分からんぞ」
肩を竦め、適当に言葉を返す。
変なこと、とは失礼な。
アレは俺からしたらなにも変なことではない。
俺が、俺の意思で決めた……必要なことだ。
「へぇ、そう。正直そのあたりのことはあの子たちもいるし、私はあれこれ言うつもりはなかったのだけど――」
あの子たち――というのが誰かなど考えるまでもない。
渚留衣、そして朝陽志乃
その二人を指しているのだろう。
夏祭りのあの日、月ノ瀬は今と似たようなことを言っていたから。
――『もちろん聞きたいことはたくさんあるわよ』
――『どうせ、すでにいろいろ聞かれたんでしょ?』
そして月ノ瀬は……真剣な表情から一変し、ニコッと微笑みを浮かべた。
しかし、その微笑みのなかには……明らかに『怒り』の感情が含まれていた。
「どうせなら私も――一度くらいはやっていいんじゃないかって思っていたのよね」
殺って、じゃないですよね?
そう、真っ先に思ってしまうほど……月ノ瀬様が纏っているオーラが恐ろしかった。
「だから昴、付き合いなさい?」
「な、なににですかね……」
「なに――って」
俺は思わず一歩退く。
微笑みを絶やすことなく、穏やかに。
まるで、どこぞの妹さんかのように『ゴゴゴゴ』と背後に威圧感を醸し出しながらも月ノ瀬玲は――明るい声音で言った。
「――ストレス発散よ」
おぉう……。
これはたしかに……俺じゃないとダメですね。はい。
それにしても、ストレス……ね。
話の流れから考えて、ストレスの原因は俺なのだろう。
で、その発散相手として他でもない本人を選んだと。
うーむ……。
なかなか理にかなっているじゃないの。
「なるほどなぁ」
司のことは一切関係なく……ただ俺にストレスをぶつけるため、か。
とことん月ノ瀬らしい言動でむしろ安心感すら覚える。
「そういうの、俺は嫌いじゃないぜ」
変に遠回しで言われるより、よっぽど理解しやすい。
「ふふ、そうだと思ったわ。だからここに連れてきたわけだし、私もこういう形のほうが性に合ってるのよね」
「あーそれはたしかに」
「は? どういう意味よ?」
「自分で言ったんですよね???」
あー怖い怖い……。
このままラケットで殴りかかってくるんじゃねぇかって思うわ。
「だけどな」
床に落ちたシャトルを再び拾いあげる。
「俺も大人しくサンドバックになる気はないぜ?」
司が関係しないのなら変に気を遣う必要もない。
そもそも必要以上にコイツと関わる道理もない。
……が、ここは一つ俺も付き合ってやるとしよう。
「あら、むしろそうして欲しいわね? 弱いヤツを相手してもつまらないもの」
「おうおう、言ってくれんじゃねぇか。だったら手加減はしねぇぞ?」
「奇遇ね。私も手を抜いていたのよね。本気出すとアンタが泣いちゃうのかと思って」
「果たして泣くのはどっちかな?」
「……ふぅん。なら、負けた方は言うことを一つ聞くっていうのはどうかしら?」
え。
それってなんでもですか。なんでもですか!?
へへへ……へへへへ……。
「アンタ今最低なこと考えてたでしょ」
「いやいやいやいや。……じゅるり」
「これだから昴は……」
失礼な。
なにも言ってないのに!
「……冗談は置いておいて、俺はそれでもいいぜ。なにをお願いするのか考えておかないとな」
「もう勝った気でいるの? 私を舐めすぎじゃない?」
「ああ、そりゃ勝つからな」
「……上等よ。かかって来なさい」
五月のときは、女子が相手だからって多少は手加減してやっていたが……。
ここらで俺様の本気を見せてやるとしよう。
敗者は勝者の言うことを一つ聞く――ね。
改めて、俺と月ノ瀬によるバトミントンガチバトルが幕を開けたのだった。