第116話 青葉昴は元気娘の試合を観に行く
「あっちぃな……こんなん溶けるぜ……」
「夏だからなぁ……仕方ないよ……」
「でも本当に暑いね……なにもしてなくても汗かいてきちゃう……」
八月一週目、週末。昼頃。
俺、司、志乃ちゃんのお馴染み三兄妹はとある目的のために外出していた。
え? お前は兄じゃないだろって? いやいやいや……なに言ってるかちょっと分かんねっす。
――それは置いておいて。
最寄り駅から電車に乗って三つほど先の場所で降りた俺たちは、外に出ると同時に……三人揃ってウッと顔をしかめた。
その理由は言うまでもなく『暑さ』である。
太陽様からの突き刺さるような暑さ。
東京特有のアスファルトから昇ってくる気持ちの悪い熱気。
ミンミン求愛行動に命をかける男子……じゃなくて、セミ。
思わずこのまま引き返したくなってくるが、そこはグッと堪える。偉いぞ俺……!
「志乃、体調は大丈夫か?」
汗をぬぐいながら、司が志乃ちゃんに声をかけている。
俺と司の間に立っている志乃ちゃんは、暑そうにしながらも首を振った。
「大丈夫だよ。ありがとう兄さん」
嘘は……言っている様子はないな。ホントに大丈夫そうだ。
「ヤバかったら言うんだぜ? 昴兄さんがおんぶしてやっから!」
「そ、それはちょっと恥ずかしいです……」
太陽様に負けない輝かしい笑顔を浮かべて言うと、志乃ちゃんは恥ずかしそうに俯いた。可愛い。つまり可愛い。
「じゃあ俺がおんぶしてあげるからな、志乃」
「それもちょっと……恥ずかしい、かな……」
「なら俺と司どっちがいいのよ志乃ちゃん! どっちにおんぶされたいのよ!?」
「それは俺もお兄ちゃんとして気になるな。どっちなんだ志乃!」
「も、もう……! し、知らない……!」
ジーっと見つめる俺たちから、志乃ちゃんは顔を赤くしてぷいっと顔を逸らした。
どんなに暑い夏であっても時間は平等に過ぎていく。そして志乃ちゃんは変わらず可愛い。
――ここテストに出るから覚えておくように。
なんて、ふざけたことを言っているが……実際志乃ちゃんが倒れたら大変だからね。
俺と司のダブルお兄ちゃんでしっかり見ておかなければ……!
「えーっと? 場所はここから少し歩いたところだっけ?」
「あ、はい。歩いて数分程の距離だったはずです」
例え数分だとしても、目的地に着くころには汗ダラダラだろうなぁ……。
――というわけで。
なぜ俺たち三人が電車を使ってこんなところに来たのか。
なぜ夏休み中だというのに学校の制服を着ているのか。
それは――
「んじゃ、行くとしますかね。総合体育館とやらに!」
「そうだな」
「はい! 日向のかっこいい姿を観にいきましょう!」
可愛い可愛い元気ツインテール娘……もとい、川咲日向の練習試合を観に来たからである。
× × ×
駅から数分ほど歩き、辿り着いた市立の総合体育館。
ここは、バスケットボールやバレーボール、水泳、フットサルなどなど……さまざまなスポーツで使われている施設らしい。
今日のような練習試合のほかに、それこそ公式大会でも利用されているようだ。
総合体育館のメインアリーナの観客席に来た俺たちは、試合をよく観られるように前方位置に座っていた。
観客席にはバスケ部の補欠部員や保護者、彼女たちの友人といった観客もチラホラと見受けられる。
バスケコート内では我らが汐里高等学校のメンバーと、対戦相手の『清晶女子高等学校』のメンバーがそれぞれ試合前の調整を行っていた。
相手は女子高かぁ……。
女子高のバスケ部ってなんか強そうだな。知らんけど。
アリーナ内はガヤガヤと賑わいを見せており、スポーツ会場という感じがしてワクワクしてくる。
「公式大会じゃないのに立派な会場ですね……すごい……」
志乃ちゃんが辺りをグルッと見回して感嘆の声をあげた。
「ああ、そうだな。俺が試合をするわけじゃないのに、なんだかワクワクしてくるよ」
同じようなことを言ってやがる。
「んで? 肝心の日向のヤツはっと……」
「観客席にはいないですし……つまり……」
観客席に日向の姿がないことを確認すると、次にコート内へと視線を向けた。
「あ、いました!」
嬉しそうな志乃ちゃんの声に合わせて、俺と司がその方向へと顔を向ける。
そこには、ベンチで水分補給をしている我らがツインテールガールの姿があった。
青色のユニフォームを着用した日向の姿は、まさにバスケット女子といった感じで……お世辞抜きでよく似合っている。
アイツには制服より、こっちの格好のほうが合ってるな。
それに、補欠じゃなくて早速ベンチ入りしてるのかよ……なかなかやるじゃねぇか。
水筒を飲んでいた日向は「ぷはー! おいしー!」と一人で表情を明るくさせている。
そして、視線を感じたのか……こちらへと顔を向けた。
目が合う――俺たち。
「あっっ!!! 志乃! それに司先輩も!」
俺たちの存在に気が付いた日向は笑顔を浮かべると、観客席近くまで小走りでやってくる。
席に座っている俺たちを見上げて、ブンブンと手を振った。
子犬みてぇなヤツだなぁ……。
――ん? あれ? ちょっと待って?
「みんな! ちゃんと来てくれたんですね!」
「うん、来たよ日向! 今日は頑張ってね!」
「がんばる! ちょーがんばる!」
胸の前でギュッと手を握り、『ふんす!』と意気込む日向。
「日向の試合を観るのは久々だからな。みんなで応援してるよ」
「司先輩が来てくれたらもう元気百倍! いや千倍です!」
愛しの司に声をかけられたことで、今度は『でへへ』とだらしなく表情を緩ませる。
変幻自在の表情変化っぷりは相変わらずだ。
志乃ちゃん、司と来て……次に日向は俺に顔を向けた。
そしてしばらくボケーっと俺を見たあと……。
こてん、と首をかしげる。
「あれ、昴先輩いたんですか?」
「いたわっ! 爽やかイケメンオーラを纏ってる愛しの昴先輩がいたでしょ!」
「あ、はいどうもこんにちは」
「あ、どうもこんにちは」
俺たちはお互いにぺこりと頭を下げる。
――なんだこのシュールな絵面は。
その後、頭を上げた日向が……「へへっ!」と元気に笑った。
「冗談ですよ! 昴先輩も見に来てくれて嬉しいです!」
「ったく……初めからそう言えっつの」
日向のくせに可愛い笑顔を見せやがって……。
今回だけはその雑な扱いを許してやろう。今回だけな!
俺はため息をついて、ジト目で日向を見下ろした。
……まぁ先輩としてね。一言くらいは声をかけてやらねば。
「活躍するんだぞ日向。ダメダメだったら俺と交代な」
「え、先輩男じゃないですか」
「女バスのユニフォーム着て出場しちゃう! 昴ちゃんの出番よ!」
「気持ち悪いので帰ってもらっていいですか?」
「おいさっきの嬉しい気持ちはどこに行った!?」
バレないって!
ちょっと背が高くて筋肉質なだけで普通の昴ちゃんだから!
普通の昴ちゃんってなんだ?
日向はあからさまにドン引きしている表情で「これだから昴先輩は……」とため息をついていた。
おうおうおう。
やっぱりこれはガツンと言ってやらんとダメか?
日向に向かって文句を言いかけたとき。
キュ――っと。
突然、Yシャツの袖を誰かに引っ張られた。
……んぇ? なに?
掴まれたのは右側……。
俺が右を向くと、そこにはどこか不満げな様子で俺のYシャツの袖を掴む志乃ちゃんの姿があった。
「……志乃ちゃん?」
声をかけると、志乃ちゃんはハッとして袖から手を離した。
「あっ、ご、ごめんなさい……! つい……」
志乃ちゃんは顔を赤らめて俯いた。
え、よく分からんけど……なんで俺の袖を掴んだんだ? いや可愛いけど。可愛いからまったく問題ないんだけど……理由が分からん。
つい、で掴んじゃうものなの?
うむむ……と頭を悩ませていると。
「――おい昴、志乃になにした?」
志乃ちゃん越しに、ニコニコと笑ってらっしゃる司お兄様が話しかけてきた。
「え。ちょ、待て! むしろ俺が聞きたいっていうか……!」
「志乃が悪いって言うのか!?」
「いや言ってねぇよ!?」
もうダメだこのシスコン。誰かなんとかしてくれ。
でも気持ちは分かるよ!
俺も司だったら絶対にシスコンになってる!
シスコンっていうかシノコンになっちゃうよね。うへへ。
「に、兄さん……! 恥ずかしいから……!」
「で、でも志乃。なんか顔が赤くなってるし……昴のほうチラチラ見てるし……」
「そっ……それ以上言ったら兄さんのこと嫌いになるから!」
「きっ――!!!!???? き、きら、き、き……」
あ、真っ白になっちゃった。
志乃ちゃんによる会心の一撃で異世界に飛んじゃった。
……まぁうん。仕方ないね。
あの志乃ちゃんに『嫌いになるから!』とか言われたら、俺ですらハートブレイクするもんね。
このまま勝手にバスケコートに乱入して、身体ごとダンクシュート決めるよね。しかも頭からいくよね。
それにしても、ホントに志乃ちゃんはなんで――
「……ん?」
視線を感じて、志乃ちゃんへと目を向ける。
「っ……」
あ、目逸らされた。
一瞬目が合ったのにすぐ逸らされちゃった……。
えーなに……流石の昴くんでもちょっと傷付くんだけど……。
――センチメンタル昴くんになりかけた、そのときだった。
「あれ!? もしかして朝陽と青葉!? えーめっちゃ久しぶりじゃーん!」
コート内から聞こえてきた元気な女子の声。
日向……ではないし、誰だ?
それに、朝陽と青葉って……俺たちを知っているということ。
気になった俺は声の主へと視線を向ける。
すると――
「へへっ! 変わってねーなオマエら!」
相手チームである清晶女子の赤いユニフォームを着た一人の女子が、俺たちを見て笑っていた。
まず俺は、その女子を観察してみる。
勝気な顔つき。
男勝りの口調。
橙色の短髪。
高身長。
鼻に貼られた絆創膏。
褐色。
全身から感じる元気オーラ。
引き締まった身体と、出るところはしっかり出た……抜群のスタイル。
――つまり、スポーツ系の巨乳褐色美少女。
あれ、誰だっけコイツ。
なんか……めちゃめちゃ見たことあるんだけど……。
「あれ、もしかして明石さん?」
いつの間にか異世界から帰って来ていた司の声。
――明石?
明石……。
――あ。
その容姿と『明石』という名前に、頭の中に一人の女子が思い浮かんだ。
「あー!」
俺はポンと手を打って改めてそいつ……明石をじっくり見てみる。
……うん、間違いねぇ。そうだわ。
「お前、明石か! うわ久しぶりだなぁ!」
「おい青葉。オマエ今、アタシのこと一瞬忘れてなかったか?」
「いやーなんのことかさっぱりちょん! 昴くん分かんなーい!」
「……はぁ。そーゆーとこも全然変わってねーのな。オマエ」
「褒めんなよひかるちゃん」
「褒めてねー! あとひかるちゃんって呼ぶのやめろっつってんの! 痒くなんだろ!」
呆れたその視線に……俺は完全に思い出す。
そうだ。
――明石ひかる。
俺たちの中学時代の同級生だ。