第115.5話 渚留衣は誕生日女子会を楽しむ【前編】
八月三日、昼過ぎ。
わたし……渚留衣は途中まで進めていたゲームを一時中断し、自室から出て階段を下っていく。
クーラーの効いた部屋から一歩外に出るだけで、温い空気が全身に纏わりついて気持ち悪くなってくる。
それなのに、どうして一階に下りたのかというと……。
ピンポーン――と、家のインターホンが鳴る音が聞こえてくる。
わたしは玄関まで向かい、誰が尋ねてきたのかを確認することなく扉を開けた。
一見、不用心のように思えるかもしれないが……今回ばかりは確認の必要がない。
なぜならば、誰が尋ねてきたのかはすでに分かっているからだ。
扉を開けた先には――
「やっほーるいるい! 元気してる?」
よく見知った顔が、笑顔で手を振っていた。
左手にはなにか小さくて白いビニール袋を持っている。
「うん。晴香も元気そうで――あれ」
インターホンを鳴らした主、晴香の後ろにはもう一人女の子が立っていた。
晴香が来るのは当然知っていたけど……まさかこの人まで……。
相変わらず美人全開の彼女は、わたしの反応を見るなりふっと笑顔を浮かべた。
「こんにちは、留衣。私も来たわよ」
「月ノ瀬さん……ビックリした……」
まさか月ノ瀬さんも一緒に来てたなんて……。
わたしの表情の変化に気が付いたのか、晴香が一度月ノ瀬さんに視線を向けてから口を開いた。
「るいるいの誕生日をお祝いしに行くーって話したら、玲ちゃんも行きたいって」
「あ、そうなんだ」
「勝手に付いてきてごめんなさい、留衣。……大丈夫だったかしら?」
心配そうに眉をひそめた月ノ瀬さんに、わたしは首を振った。
まったく知らない人を連れてきたら全力で拒む自信しかないけど、月ノ瀬さんは話が別だ。
友達だし、断る理由なんてなかった。
「全然問題ないよ。むしろ……わざわざありがとう」
わたしの言葉に、月ノ瀬さんは「それならよかったわ」と安心したように息をついた。
「とりあえず……入って。暑いでしょ」
「あ、うん。お邪魔しまーす!」
「お邪魔します」
――そんなわけで。
今日は八月三日……わたしの誕生日。
幼馴染で親友の晴香――
クラスメイトで友達の月ノ瀬さん――
その二人が、わたしの誕生日をお祝いするために家まで来てくれたのだ。
これは、そんなある日の出来事。
× × ×
「わー! 涼しい! 生き返るよ~!」
二人を部屋に通すなり、晴香が声をあげる。
今日もしっかり夏らしく猛暑だし、外から来た二人にとっては生き返る心地だろう。
晴香は扉近くの床に自分の荷物を置くと、エアコンの下まで移動して直接風を浴び始める。
その子供っぽい姿に、私は思わず笑みがこぼれた。
一方で、晴香とは違い初めて私の部屋に訪れた月ノ瀬さんは……興味深そうに辺りを見回していた。
「なんというか……うん、予想通りの部屋ね」
「女子っぽくないのは自覚してる」
机の上にはPCモニター。
本棚にはゲームの攻略本やライトノベル、漫画。
壁にはわたしが好きな作品のポスター等が掛けられていて……テレビの前には数台のゲーム機が置かれている。
そして、極めつけに部屋内に点々と置かれたアニメやゲームのグッズたち……。
恐らく、一般的な女子の部屋とはかけ離れているだろう。
世間ではこういう部屋がオタク部屋って言われるんだろうなぁ……。
一応、晴香が来るから掃除はしたけど……。
月ノ瀬さんが来るんだったら、もう少し整理しておくべきだったかな。
「いや? アンタらしくていいと思うわよ?」
「それ褒めてる?」
「ふふ、褒めてるわよ。アンタのそのジャージ姿も含めてね」
月ノ瀬さんの視線が私の服に向けられる。
あぁ、そういえばジャージだったっけわたし……。
白と薄緑を基調にした半袖短パンのジャージ。
色も好きだし、動きやすいからわたしがずっと愛用しているものだった。
外では絶対に短パンとか履かないけど……家だから問題ないし。
叶うことなら、一年中ずっとジャージ姿で過ごしていたいものだ。
「よっし!」
涼しい風を浴びて復活を遂げた晴香が私たちのほうを向く。
「さっそくだけどケーキ食べよケーキ! ここに来る途中買ってきたんだ」
晴香が持っていた白いビニール袋の中身は、どうやらケーキだったらしい。
ま、なんとなくそんな感じはしてたけど……。
「じゃあわたしは飲み物を……」
「あーいいよるいるい!」
飲み物を取りに行くために、下に向かおうとしたわたしを晴香が止めた。
「るいるいは今日主役だから! 私が取りに行ってくるよ!」
「え、でも」
「いいの! 適当に取ってきちゃっていい?」
「う、うん」
「おっけー! それじゃあ行ってくるね」
晴香はニコッと笑ってそう言うと、慣れた様子で部屋から出て行く。
その様子を見ていた月ノ瀬さんが「まるで自分の家ね……」と呟いた。
的を射たその呟きに、わたしはこくりと頷く。
「幼馴染だからね。お互いの家はもう何回も行き来してるし」
「あーなるほど。だからか……」
子供の頃からずっと遊びに来ているせいで、晴香はすっかり我が家のことを理解している。
それにわたしの家族も、晴香のことをもう一人の娘のように接していた。
「誕生日の日は、毎年こうしてお祝いしに来てくれるし……」
「ええ、来る途中に聞いたわ。素敵な関係よね、アンタたちって」
「そう言われると……な、なんか恥ずかしい……」
日付が変わると同時に連絡をくれたように、晴香はいつも真っ先にお祝いしてくれる。
そこまで気を遣わないでいい――と過去に言ったことがあるけど……。
『私がお祝いしたいの! だからさせて!』――なんて、晴香らしいことを言われて。
流石にそんなことを言われたら……なにも言えなかった。
ホントに、わたしにはもったいないくらい素敵な子だと思う。
「ねぇ、留衣」
「なに?」
月ノ瀬さんがまた部屋の中をキョロキョロと見回していた。
どうしたんだろう。
なにか気になるものでもあったかな。
「ちょっといろいろ見せてもらってもいい?」
「いろいろ?」
「私、漫画とかゲームとかあまり詳しくなくて……でも触れてみたいって思ってたのよね」
え。
何気ない言葉に、わたしの中のオタクセンサーが反応してしまう。
分かる人なら分かると思うけど……。
『こっち側』に興味を持ってそうな人がいると、ついいろいろ勧めたくなっちゃう気持ち……あるよね。
ましてやわたしの場合、友達が少ないから尚更そうだったり……。
だけど流石に鬱陶しいだろうし、そういう気持ちは我慢しないと……。
オタクが持つべき心得の一つ。
推したい気持ちを抑えるべし。
「いいよ。気になった本とかあれば読んじゃってもいいし」
「本当? なんだか本屋さんに来たみたいね」
月ノ瀬さんは「うーん……」とわたしの本棚を見て唸っている。
別にやましい気持ちはなにもないのに、なんだか緊張してきた……。
変な本は置いていないし、見られて困るものもない。
どんなのに興味を持つのかな……。
ソワソワする気持ちを抱きながら、わたしは晴香が来るのを待った――
× × ×
――数分後。
「そんなわけで……るいるい! お誕生日おめでとー!!」
「おめでとう、留衣」
「あ、ありがとう……二人とも」
部屋の中央に小さなテーブルを設置し、その周りをわたしたち三人は囲んでいた。
テーブルの上には晴香が買ってきたイチゴのショートケーキがそれぞれに分けられたお皿や、オレンジジュースや麦茶などの飲み物が置かれている。
こうして改めてお祝いされると……どこかむずむずしてくる。
嬉しさと、恥ずかしさと、なんか……まぁいろいろだ。
「去年まで二人きりだったから、今年は女子会って感じがするね!」
「そんな陽キャみたいなワード……わたしには似合わないって」
女子会って言われたらこう……どうしても陽キャのパーティー的なものを思い浮かべてしまう。
うん……むりむり。想像しただけで絶対むり。
きっと川咲さんだったら余裕で付いていけるんだろうなぁ。
あとは生徒会長さんとか、涼しい顔して陽キャのノリに付いていけそう。
……あ、ケーキ美味しい。
「それなら、せっかくだし女子っぽいことでも話す?」
ショートケーキの美味しさに改めて感動していると、月ノ瀬さんがわたしたちを見てニヤッと笑った。
……なんか嫌な予感してきた。
「女子っぽい話?」
フォークを口に咥えたまま晴香は首をかしげた。
そんな晴香に月ノ瀬さんの一言――
「それはもう恋バナに決まってるじゃない?」
「恋バナ……!」
「……うわ」
目を爛々と輝かせる晴香。
それとは対照的に、一気にげんなりとしたわたし。
やっぱりそういう話だったか……。
そっち系の話は苦手なんだけど……。
変に話を振られると面倒だし――ここは先手必勝。
「そういえば晴香」
「なになに?」
晴香はフォークにショートケーキを乗せ、ウキウキした様子で返事をした。
そのままケーキを口に運ぼうとしたところを狙って、わたしは淡々と質問を投げかける。
「夏祭りのとき、朝陽君におんぶされてたよね」
「ぴぇっ……」
謎の声と同時に、晴香の手が止まる。
カタカタと身体を震わせながら、ゆっくりとわたしのほうへ顔を向けた。
さきほどの楽しそうな様子はどこへ行ったのか、不安そうにわたしを見る晴香に……思わず笑いそうになるけどなんとか堪える。
そもそも『ぴぇっ』てなに。
たまに出るけど、その声どこから出てるの。
なんて疑問より……素直に続きを話すとしよう。
大丈夫だよ晴香。
親友相手に……わざわざ回りくどいことしないって。
――ストレートにいくから。
「――告白しなかったの?」
普通に気になってたから聞かせてもらおっと。
夏祭りではぐれて、好きな人におんぶされるなんて……。
そんなラブコメみたいな展開になったんだから……。
当然、なにかしらアクションはしたよね?
「はっ……たしかにそれは気になるわ……!」
月ノ瀬さんが目を見開いて勢いよく晴香へと顔を向ける。
――その晴香はというと。
「え、あえ、え、そ、……え」
謎の言語を呟きながら、顔を真っ赤に染めていた。
あー……。
なにかあったね。