第111話 彼らの夏はまだ終わらない
「うわっ! 昴先輩なんか正座してる~!」
「見ちゃダメよ日向。アンタもああなっちゃうから」
「はいママ!」
「誰がママよ」
聞こえてきたのは騒がしい声。
「あはは……日向ちゃんと玲ちゃんって結構仲良しだよね」
「案外相性がいいのかもなぁ」
聞き馴染んだ声。
「……ふむ」
結局その後も正座をさせられたまま、いろいろ話を聞かされていると……美少女軍団とおまけに男子がぞろぞろとこちらに向かって歩いてきた。
俺のことを指さしているあのツインテール、あとで覚えておけよ。
横じゃなくて縦に引っこ抜いてやるからな。
予想外の出来事を前に、俺と志乃ちゃんは思わず「え?」と同じ言葉を口にした。
そもそもの話、どうして司たちがここにいるのだろうか。
「志乃~! 昴先輩になにかされてない!? 大丈夫!?」
日向は小走りで駆け寄ってくると、志乃ちゃんに向かって勢いよく抱き着く。
志乃ちゃんは「ひ、日向危ないよ……!」と言っているが、どこか嬉しそうな表情で日向を受け止めていた。
あーいいですねぇ。
美少女同士の絡みはいいですねぇ。
――待て。百合の波動に流されそうだったが俺は聞き逃してないぞ。
「なにかってなんだおい。人を危険人物みたいに言わないでくれる?」
俺は正座したまま、志乃ちゃんに抱き着く日向を見上げる。
「いや、あの……正座してる人が言ってもなんの説得力もないですよ先輩」
「ごもっとも過ぎてなにも言えねぇ!!」
きししっと日向は楽しげに笑い、志乃ちゃんとのじゃれ合いに戻っていった。
「昴、後輩に正座させられるというのはどういう気分なのだ? 気になるから教えて欲しいのだが」
惨めな気持ちになっていると、会長さんまで俺を見下ろしてくる。
どいつもこいつも……!
……あ、でも待って。
会長さんを下から見上げるの……いいな。うん。
なにがとは言わないけど……いいですね。素敵な光景でございます。
「じゃあ俺が正座させてあげましょうか?」
「……少し興奮してくるな」
「え、マジ? おいちょっとやべぇ美人いるって!」
「冗談だ」
「冗談だった」
あービックリした。
会長さんそっちの気があるのかと思ったわ。
この人いつも真剣な顔で冗談言うからホントに心臓に悪い。
どっちかと言うとあんたは正座させるほうでしょうが。
会長さんを正座させるのは……うん、なんか背徳感がありますね。ぐへへ。
「青葉くん」
おっと危ない。顔が緩んでいた。
俺を呼ぶ蓮見の声。
足を怪我してるってのに、コイツここまで歩いてきたのかよ。
手当てしたのか、痛みが和らいだのかは分からないが……。
蓮見は相変わらず優しさを感じる表情のまま、俺に向かってぺこりと頭を下げた。
……は?
「朝陽くんと一緒に私を探してくれてたんだよね。ありがとう」
「いや、ありがとうってお前……」
俺はお前の怪我に気付いていながら黙っていたんだぞ。
お前が痛みに耐える姿を前に、なにもしなかったんだぞ。
お前がはぐれたのは――言ってしまえば俺が原因なんだぞ。
それなのに『ありがとう』なんて――言うんじゃねぇよ。
「……ああ」
ただそれだけしか言えなくて。
分かってる。
蓮見は本当に俺に感謝をしているのだと。
その場しのぎや、仕方なさでお礼を言っているわけではないのだと。
それでも……彼女にお礼を言われるようなことはなにもしていない。なにもできちゃいないんだ。
――揃いも揃って、お人好しばっかりかよ。
「……困ったもんだぜ」
俺は呆れを抱きつつ、正座から立ち上がる。
「うぉっ――」
ずっと正座していたからか、足が痺れてしまっていた。
そのせいで、立ち上がった際にバランスを崩してしまう。
あ、これ下手したら転――
「おっと」
転びそうだった俺の腕が掴まれる。
この手は――
「大丈夫か昴。無事に生きていたようで安心したよ」
「司……」
俺を支えるように腕を掴んだのは司だった。
無事に生きていた……ねぇ。
二人の戦士が特攻してきて命の危機だったけど……まぁ、なんとか生き延びることはできたな。
「わり」と俺は軽く声をかけ、しっかり地面を踏みしめる。
まだ足は痺れてはいるが……大丈夫だろう。
問題ないことを確認し、司は俺から手を離した。
「それにしても階段かぁ。なかなかいいところを発見してるなぁ昴」
司は階段の先を見上げ、感心したように言った。
「お前さ」
「ん?」
穏やかな顔が向けられる。
俺は一度視線を斜め下に落として……言葉を探した。
「なんも言わねぇのかよ」
「なんもって?」
「俺がここにいたことだよ。なんも言わねぇのかって」
「あぁ……」
どうしてコイツらは、何事もなかったかのようにここに立っているのだ。
日向も、月ノ瀬も、会長さんも、蓮見も、司も――
なぜ……なにも聞かないんだ。
別に聞かれたところで正直に答える気はないし、どちらでも構わない。
とはいえ、あまりにもいつも通りすぎる彼らの雰囲気を前に……俺は疑問を抱かずにはいられなかった。
「なんも……かぁ」
司は含みがあるように言うと「うーん……」と首をかしげた。
その反応はどういう意味なんだ……?
「もちろん聞きたいことはたくさんあるわよ」
「月ノ瀬……」
もの言いたげな視線を俺に向けて、会話に混ざってくるのは月ノ瀬だった。
「でも――」
日向とじゃれ合っている志乃ちゃん、そしてまだ階段に座ったままの渚を順番に見て……再び俺に視線を戻す。
ふっ、と息を吐いて仕方がないといった様子で首を左右に振った。
なんだその『私呆れてますよ』みたいな態度は。
月ノ瀬は腕を組み、素っ気なく俺に言う。
「どうせ、すでにいろいろ聞かれたんでしょ?」
渚、志乃ちゃん。正座の俺。
『二人に詰められている図』と言っても過言ではないそれは、月ノ瀬ではなくても察することができるものだった。
「そういうことだ、昴。だから俺たちからはなにも言わない」
月ノ瀬の言葉に同意するように司は頷いた。
「……そうかよ」
「ええ、そうよ」
ずるい言葉だ。
そんな風に言われたらなにも言えない。
だったら最初から俺なんて放っておけばいいのに――とも思ってしまうが。
きっと、そういう話ではないのだろう。
――と、なると。
ますます疑問に思うことがある。
「で、お前らはなんでここに俺たちがいるって分かったんだ?」
「あぁ、そのことか。それは――」
司が言いかけたときだった。
「あっ!」
日向が空を指差し、表情を明るくさせた。
なんだ――?
俺たちはそれに釣られるように、空を見上げる。
そこには――
パァン――!
本日最後の花火が、一面に広がっていた。
煌びやかに輝く夏の光は、俺たちを照らす。
最後だからか、より盛大にその花は咲き乱れていた。
「わたしが呼んだ」
いつの間にか、俺の隣に並んでいたそいつの声。
司たちが空を見上げているなか、俺はそいつ……渚を見下ろした。
わたしが呼んだ……?
「わたしが朝陽君たちを呼んだってこと」
花火をボーっと見上げる渚が、俺の疑問に答えた。
コイツが司たちを……?
「なんでそんなことを……」
「……わざわざ言わないといけないわけ?」
気だるげな視線を俺に向けて。
「理由は単純」
渚は表情一つ変えず、その理由を俺に告げる。
「みんなで見たいじゃん。花火」
「みんな……」
「そ、みんな。……で、どう? みんなで見る花火の感想は?」
渚は俺を煽るように、僅かにニヤリと笑う。
みんなで見る花火の感想……。
俺は渚から視線を外し、それぞれの様子を伺った。
司は呑気に空を見上げて。
月ノ瀬と蓮見は楽しそうに笑い合い。
日向は相変わらず子供っぽくはしゃぎ。
志乃ちゃんはそんな日向をなだめて。
会長さんは……小さく微笑みを浮かべてジッと花火を見ていた。
学年も違えば、それぞれの趣味嗜好、性格もバラバラで。
なんの因果か、ここに集まった八人の男女。
きっと一歩違えば、メンバーは変わっていたかもしれない。
今のように笑い合うことはなかったかもしれない。
それでも。
俺たちはこうして同じ場所に立ち、同じものを見て、同じように『綺麗』だと口にする。
それは『必然』のように思えるが――きっと。
さまざまな『偶然』が重なり合って形となった、一つの『物語』なのだと。
そして――この物語はまだ終わらない。
彼ら、彼女らが紡ぐ物語はまだまだ続いていくのだろう。
……すげぇメンバーが揃ったもんだよ。ホントにな。
思わず笑みをこぼし、俺は空に向かって答えた。
「……ま、悪くないんじゃね」
その物語が続く限り。
青葉昴という一人の男の物語もまた、続いていくのだろう。
「ならよかった」
そう、淡々と答える渚の横顔は――いつになく穏やかに見えた。
俺たちらしい、淡白な会話。
そこに恥じらいや照れもなければ、和気あいあいとした笑顔もない。
青春とは程遠くて。
決してラブコメとは言えなくて。
しかし、それでいい。
それだから、いい。
いつしか俺は、渚留衣という存在との距離感に、どこか居心地の良さのようなものを感じていたのかもしれない。
「昴さん」
もう一人、俺の隣に並んでいた少女―─志乃ちゃん。
「どうしたの?」
花火に負けない素敵な笑顔を浮かべて、志乃ちゃんは俺にだけ聞こえるように……声を潜めて言った。
「花火――綺麗ですね」
――『実は私、昴さんが戻ってこなかったおかげで……大切なことに気が付けたんです』
志乃ちゃんが気付いた、大切なこと。
俺が原因で手に入れた『なにか』。
それがいったいなんなのかは、俺には分からない。
だけど。
モヤモヤが吹っ切れたように、心の底から楽しそうに笑う志乃ちゃんの表情は――
今まで見てきた彼女の中で。
最も――魅力的だと感じた。
「ああ、そうだな」
「また……一緒に見ましょうね」
「いやー、それはどうだろう?」
「むぅ。そこは嘘でも『そうだね』って言うところですよ?」
「ハッハッハ!」
「笑ってごまかさないでください。もう、これだから昴さんは……」
志乃ちゃんは頬を膨らませ、ふいっと顔を背けた。可愛いねぇ。
また一緒に……か。
次に、この場所で花火を見るとしたら――
彼らの関係はどのように変化しているのだろうか。
変わるもの。
変わらないもの。
変わっていくもの。
変わろうとしているもの。
昨日は二度とこない。
明日は一度しかこない。
今は……『今』しかない。
時間だけは平等に進んでいく。
その中で彼は、彼女らはどう変化していくのだろうか。
――それは、俺にも分からない。
なぜならば。
俺がまだ、そこに立っているとは限らないのだから。
× × ×
――花火が終わり、夏祭りは終了を迎える。
「よっし、みんなそろそろ帰ろっか!」
「晴香、アンタ足は大丈夫なの?」
「晴香先輩! なんならあたしがおんぶしてあげましょうか!」
「流石は体育会系。正直わたしもおんぶしてほしい。わたしのHPはもうゼロ」
「な、渚先輩大丈夫ですか……? なんだかふらついてますけど……」
「志乃、渚さんのこと見ててくれる? それこそ目を離すとはぐれそうだ……」
祭りの終わりに寂しさを感じつつも、各々話しながら出口へと歩いていく。
おいしいものを食べて。
さまざまな屋台で遊んで。
綺麗な花火を見て。
皆、満足といった様子で大変素晴らしい限りだ。
――だが、俺には一つやり残したことがある。
いや、聞き残したことがある……と言ったほうが正しいかもしれない。
先ほど司たちが俺のところに来た理由は、渚に呼ばれたからだ。
それはいい。まだ理解できる。
――では、その渚と……そして志乃ちゃんをあそこに誘導したのは誰だ?
その答えはたった一つしかない。
「会長さん」
彼らを見守るように、一番後ろを歩く会長さんの横に並んで俺は話しかけた。
会長さんは驚いたように俺を見るが、すぐにフッといつものように微笑む。
「どうした? 私になにか――」
「渚と志乃ちゃんに俺の居場所を教えたの、あんただろ」
無駄話をするつもりはない。
俺は会長さんの言葉を遮り、単刀直入で聞いた。
――『というのは冗談で、生徒会長さんが……』
渚がああ言うということは……まぁ、そういうことなのだろう。
会長さんはスッと目を細めると……その微笑みを絶やさずに――
「だとしたら……なんなのだ?」
肯定もしないが、否定もしない。
本当にこの人の話は……掴みづらい。
「なにが狙いなんだよ」
「狙い? それはもちろん、キミが心配だから――」
「んなわけねぇだろ。あんたはそんな人間じゃねぇ」
「ほう……?」
なにが昴が心配だから……だ。
あんたがそんな善意だけで動くとは到底思えない。
本当に善意があるとしても、それ以外にきっとなにかがあるはずだ。
二人を俺のところに送った、明確な理由が。
それに、どうして俺の居場所が分かったのかも全然分からねぇ。
「昴」
「なんすか」
「彼女たちの言葉は――キミを壊すものになり得たか? どうだ?」
俺を……壊す……?
俺がその言葉の意味を、答えを探している間にも会長さんは話を続ける。
「きっと、そうではないのだろうな。彼女たちは優しい。本気でキミを案じ、本気でキミを想っている。だからこそ……今のキミには届かない」
「……」
「フフ、友情というものは素晴らしいな。……もっとも、キミにその感情はないのだろうが」
「なにが言いたいんだよ」
真紅の宝石が輝きを宿す。
花火に決して負けないそれは、俺という人間だけを視界に捉え――
花火より美しく。
そして。
花火より……おぞましい。
「せっかくだ。私からも一つだけ言っておこう」
心がざわつく。
どうしてこの人の目は――こんなに怖いんだ。
「昴。キミは過去の自分を閉じ込め、無くしたいものだと思っているのかもしれないが……」
「は? ちょっと待てよ。あんたなんで――」
俺の過去、なんて話を出すんだよ?
そんなのまるで……俺のことを知っているような口ぶりじゃないか。
昔の俺を……知っているような言い方じゃないか。
俺の静止を聞くことなく、会長さんは俺に言い放つ。
「そのキミに救われた者もいるのだと……知っておくといい」
救われた……?
誰に?
俺に……?
「は……?」
「話は終わりだ。……フフ、楽しい夏祭りだった。久しぶりに充実感というものを得られたよ」
会長さんは一方的に話を打ち切ると、司たちの会話に混ざっていく。
分からない。
この人にはいったいなにが見えている?
分からない。
この人はいったいどこまで知っている?
司のことだけではなく……まさか俺のことまで知っているとでもいうのか?
そんなことあるわけがない。
あっていいはずが――
――『どう――あなた――堂――きるの?』
「……え?」
頭によぎった一瞬の光景。
今のは……なんだ?
俺はなにを思った?
考えても、考えても、分からない。
「クソ……」
星那沙夜。
やっぱりあんたは――一番厄介な人間だよ。
俺を蝕む行き場のない『感情』を吐き出すように深呼吸をし、彼らの後ろを歩く。
祭りの熱気。
夏の空。
交差する感情たち。
七月は終わりを告げ、夏の本番――八月へと足を踏み入れる。いよいよ夏休みが始まる。
彼らはどこを目指し、どこへ辿り着くのだろうか。
こうして彼らの後ろ姿を眺めていられるのは、いつまでなのだろうか。
『その時』を目指し、俺は……変わらず俺のままで歩き続けよう。
どこまでいっても俺は――青葉昴に過ぎないのだから。
彼らの夏は――まだ終わらない。