第14話 戦士たちは試験を終える
――そして、あっという間にテスト期間という三日間の試練は終わりを告げる。
月曜日、火曜日、水曜日と日数が進むごとに暗くなっていった生徒たちの顔も、本日すべてのテストが終わったことで解放感に包まれた明るい表情をしていた。
テストの結果がヤバそうだったヤツは、暗い表情のままなのだが……。
少なくとも俺は、特に不安になるような科目はなく無難にパスできたのではないだろうか。
これは勉強会を提案してくれた蓮見のおかげもあるだろう。
「晴香、数学大丈夫だった?」
「大丈夫……大丈夫……だったはず。……大丈夫だったよね私?」
当の本人は今、ブツブツと自問自答をしているが。
「あー終わった終わった。このテストが終わったあとの気持ちよさは何度経験してもたまらねぇぜ」
帰りのホームルームが終わり、教室内はガヤガヤと盛り上がっていた。
今日までテスト期間であったため、学校も午前中で終わる。
部活動によっては今日から再開なのだろう。
運動部のクラスメイトは『あー部活で発散しよ』と言い何人か教室から出て行った。
とりあえず俺は椅子に座ったまま身体を後ろに向ける。
「お疲れさん、司。お前は大丈夫だったか?」
「まぁ……なんとかなぁ。でも、蓮見さんが勉強会をやろうって言ってくれなかったら危なかったかも」
蓮見さん、という単語に隣に座る本人がピクっと反応する。
あーこれアレですね。
好きな人が自分の名前を出したってだけで無条件に反応しちゃうやつですね。
「だってよ蓮見。よかったな」
俺はニヤリと笑って蓮見に顔を向けた。
「えっ、あ……う、うん。そう言ってくれるだけで提案したかいがあったよ……えへへ」
そして嬉しそうにはにかむ蓮見。
うんうん、そのままどんどん好感度あげていけ?
いやもう上がりきってるのか?
「で、でも! 今回は月ノ瀬さんのおかげだと思う。ほら、みんなの勉強見てくれたしさ」
「わ、私ですか?」
「うん。それはわたしも思う。正直かなり助かったし」
「だな。俺も助かったよ、月ノ瀬さん」
今度は自己採点を行っていた月ノ瀬に視線が集まった。
たしかにそれに関しては間違いない。
今回俺たちが……というか司たちが無事にテストを乗り越えられたのは、月ノ瀬の存在が最も大きいだろう。
自分の勉強があるのにも関わらず、月ノ瀬は率先して司たちの勉強を見てあげていた。
俺もいくつか教えてもらったが……本当に分かりやすかったのである。
「そ、そんな……! ですが、頑張ったのは皆さんの力ですよ」
顔を赤くして首を横に振る。
「おーおー、月ノ瀬が赤くなってやがる。眼福眼福」
「あ、青葉さん……! からかわないでください……!」
「月ノ瀬さん、ムカついたら殴っていいよ」
「ちょっと渚さん? 物騒なこと言わないでくださる?」
穏やかな月ノ瀬が人を殴るなんて……。
『はぁ……青葉さん。殴っていいですか?』
――ふむ。ちょっと目覚めそうだな。
「でも、これでみんなとの勉強会は終わりかぁ。結構楽しかったなぁ」
蓮見が残念そうに口にする。
ここ最近は学校が終わったらみんなで勉強してたからなぁ。
テストが終わった以上、勉強会の必要性は一旦無くなるわけだ。
勉強云々は置いておいて、俺自身楽しい時間を過ごせたのは事実。
蓮見が残念に思う気持ちは分かる。
「別にこれっきりってわけじゃないだろ。また次のテスト期間になったらやればいいし。なぁ司」
「うん、そうだな。むしろ次の試験こそみんなの助けが必要かもしれない……」
今回のテストは去年の復習がメインだったから、まだそこまでシリアスに臨む必要はなかった。
しかし次回のテストからは……いよいよ新しい内容がメインになってくる。
人によって本格的に危険になるのはそれからだろう。
「だってさ晴香。そのときはまた、提案よろしく」
渚は優しい表情で蓮見に言った。
「うん。任せてよ! もちろん月ノ瀬先生も、次の勉強のとき助けてくれたら嬉しいな」
「ふふ。分かりました。私でよければいつでも力になりますよ」
蓮見は両手を合わせて「ありがと! お願いね」とウィンクを交えて返事をする。
いいなぁ……会長さんのときも思ったけど、俺も美少女にウィンクされたいなぁ。
俺が心の中で指を咥えて『いいなぁいいなぁ』と思っていると、司が時計を見て「あっ」と声をあげた。
「あーごめん、今日俺……星那先輩に呼ばれてるんだった」
「お、そうなの? 美人生徒会長のご指名っすか旦那」
「茶化すなって昴」
恐らく先日、会長さんが教室に来たときの件だろう。
手伝って欲しいと頼まれてたし……。
司は席を立ち、教室から出ていこうと――
「あ、そういえば月ノ瀬さんも来て欲しいって言ってたんだった」
する直前、月ノ瀬の方を向いた。
「私もですか?」
「うん。なんかせっかくだから話してみたいんだってさ。時間は大丈夫?」
「あ、はい。それではご一緒させていただきます」
「行こうか。それじゃみんな、また明日な」
「私も失礼しますね。また明日です」
司は今度こそ教室から出ていく。
声をかけられた月ノ瀬も、俺たちに小さく頭を下げ、司に付いていくように去っていった。
月ノ瀬も呼ばれたのかぁ……。
たしかに会長さん、ちょっと話したそうだったもんな。
あのときはテスト期間だったから早く切り上げたんだろうし。
「まったく……モテモテだねぇ、司は」
二人を見送ったあと、俺は溜息交じりに口を開く。
「……モテモテ。……会長さん、朝陽くんになんの用事なんだろう」
司たちが出ていった教室の扉を見て、蓮見が寂しそうにつぶやいた。
不安そうな蓮見に、渚は「大丈夫でしょ」と優しく言葉を投げかける。
「朝陽君がああやって生徒会長に呼ばれることなんて今更だし。……あ、それとも晴香。朝陽君を独り占めしたかったの?」
「ち、ちがっ……!」
顔を赤くして首をブンブンと左右に振る。
分かりやすいヤツだなぁ……と俺は心の中で笑った。
「おー、独占欲が強い女だぜコイツは」
「も、もう青葉くんも! やめてよー!」
「はっはっは、愉快愉快!」
俺はわざとらしく豪快に笑う。
渚も慌てた様子の蓮見を見て楽しそうに笑っていた。
「あ、そういえば青葉」
なにかを思い出したかのように、渚は声をあげてこちらを向いた。
「ん?」
「あんた今日、日直だったよね?」
渚の言葉に俺の表情が固まる。
日直。
いわゆるその日限定の雑務要員。
ほとんどの学校に存在すると思うアレ。
毎日担当者が変わり、授業の号令やら、黒板消しやら、戸締りやら……そういったことを担当する者である。
そして、当番の者は日直日誌を書いて……担任教師に提出しなければならない。
「――あ」
そういや今日の日直、俺だったやん。
普通に号令かけてたやん。
「やべぇ。テストからの解放感で、日誌の存在が頭から飛んでたわ」
俺は机の中から日誌を取り出す。
本日分のページを開くと、それはもう見事に真っ白だった。
本日の科目。授業の内容や様子。そして一日の感想など。
うーん。真っ白ですねぇ。
とはいえ、科目欄はテストだったからすぐ埋まるだろう。
「サンキュー渚。お礼にあとでデートしてやるぜ」
俺は渚に顔を向け、キラキライケメンフェイスを作る。
キラキラキラ――。
「断固拒否する」
拒否されました。お疲れ様でした。
「はぁ……仕方ねぇ。パパっと書いてから俺は帰るわ。二人は気を付けて帰れよ」
「そうだね。晴香、今日は帰ろうか」
「あ、うん。それじゃ青葉くん、またね」
「おうおう。寂しかったらいつでも俺を呼ん――」
「バイバイさようならまた明日晴香行こう」
……………。
俺のお見送りスマイルを華麗に遮断すると、渚はそのまま蓮見を連れて教室から出て行った。
あの……俺一回くらいは泣いていいと思うんだ。いいっすか?
「んじゃま……やるかぁ」
くだらないことを考えていても仕方ない。
やることを終わらせない限りは帰れないのだから。
俺は日誌にシャーペンを走らせる。
「ねぇねぇ、今度月ノ瀬さんを遊びに誘ってみない?」
「いいね。でも月ノ瀬さん……カラオケとか行くのかな?」
「確かに……なんかオシャレなカフェとか行ってそうだよねー」
教室内では何人かの生徒が雑談に勤しんでいた。
彼女たちの話をBGMに俺は日誌にとりかかった。
× × ×
「失礼しゃした!」
俺は日誌を大原先生に提出して、職員室から出る。
時刻はすでにテスト終了から一時間程経過していた。
教室でクラスメイトから話しかけられてしまったことで、結局日誌の進みがかなり遅くなってしまったのである。
いやー……つい話し込んじゃったね。楽しかったのがいけない。
「さーて。帰るかぁ」
教師たちが過ごす職員室は、校舎の一階に位置する。
職員室の前の廊下からは、窓越しに中庭が見えた。
俺はその廊下を歩いていると、ふと視界の端に見知った二人組が映る。
「司と……月ノ瀬?」
横顔だが……あれは間違いなくあの二人だろう。
窓越しに見えた姿に、俺は思わず足を止める。
中庭には他の生徒はおらず、司たちだけが並んで歩いていた。
俺の視点からは司の奥に月ノ瀬が歩いているため、はっきりと顔が見えるわけではない。
見えるわけではないが……違和感を覚えた。
なぜならば。
「………え」
――月ノ瀬が、笑っていた。
もちろん、これまで何度も月ノ瀬が笑った顔は見てきた。
小さく微笑む……あの綺麗な顔。
しかし。
今、俺の目に映る月ノ瀬の笑顔。
明るく……そして楽しそうに笑うその表情は、年相応の少女の姿だったのだ。
普段の月ノ瀬から感じる僅かな『ズレ』が……一切感じなかったのだ。
二人はそのまま中庭を通り過ぎ、視界から消えていく。
「ははっ……」
思わず笑いがこぼれる。
俺は窓に手を付き、盛大に溜息をついた。
「なんだよアイツ……」
先ほど見た月ノ瀬の笑顔を浮かべる。
恐らくアレが、二人だけが知っている『なにか』なのだろう。
俺たちには見せない、司にだけに見せる顔。
司だけが――知っている顔。
「あんな顔で……笑えるんじゃねぇか」
俺の呟きはどこにも届くことなく消えていった。