第109.5話 私が抱くこの感情は【前編】
──時間は遡り。
「――まだ戻って来てないの?」
「あいつは──」
無事に戻ってきた蓮見先輩と渚先輩が話している姿が気になり、私は自然とそちらへ目を向けた。
蓮見先輩はなにかを心配しているような、渚先輩はなにかに呆れているような。
どうしたんだろう……?
それに、兄さんと同じく蓮見先輩を探しに行った昴さんがまだ帰って来ていない。
すぐに戻ってくるのかな?
少し心配だけど……昴さんまではぐれてしまったら……。
早く戻って来ないかな。
花火……一緒に見たいな。
いつの間にか、私の気持ちは『楽しみ』から『不安』に変わっていた。
もしかしたら近くまで来ているんじゃ……?
辺りを見回すが……昴さんらしき人は見当たらない。
――連絡してみよう。
そう思い、スマホを取り出そうとしたときだった。
「ごめん、わたしちょっと離れる」
……え?
先ほどまで蓮見先輩と仲良さげに話していた渚先輩が、私たちを見て言った。
離れるってどういうことだろう?
まさか。
私の脳裏に、昴さんの姿がよぎった。
渚先輩……もしかして……。
「うぇ? 留衣先輩大丈夫なんですか? ヘロヘロ~って感じだったのに」
日向の言う通り、渚先輩は私たちの中で最も疲れていたように見えた。
昴さんがちょっかいを出しても、いつもの先輩みたいに言い返さなかったし……。
そんな渚先輩が……ここを離れる? 人混みだって凄いのに……。
私はほかの先輩の反応が見たくて、兄さんたちを見た。
驚くことに、渚先輩が言っていることに対して疑問を抱いている様子には見えない。
むしろ――
『あぁ、そう言うと思った』と言わんばかりに……苦笑いを浮かべていた。
私は心配だったけど、兄さんたちは……どうやら違くて。
――思えば。
昴さんが蓮見先輩を探しに向かうとき、兄さんと渚先輩が……なにかアイコンタクトを取っているように見えた。
私の気のせいなのかな、と思ったけれど……そうではないのだろう。恐らく、昴さんに関係があるんだ。
「るいるい、本当に大丈夫なの? もう体力限界なんじゃない……?」
「それは……うーん、頑張る」
――間違いない。
きっと渚先輩は、これから昴さんを探しに行こうとしている。
あの人が未だに戻ってこないから。
でも、どうしてほかの先輩ではなく渚先輩が……? それも自分から言い出して……。
「まぁ……これはアンタの分野よね。気をつけて行きなさい、留衣」
「いやだから月ノ瀬さん、分野とかそういうのじゃなくて……はぁ、今はそれでいいや」
胸が締め付けられるような感覚。
一瞬息が苦しくなり、私は胸元に手を当てた。
――昴さん、あなたは今……どこにいるの?
「フフ……」
声。
それは、私のすぐ近くに立っていた生徒会長さんのものだった。
微笑みを浮かべて渚先輩のもとへ歩いていくと、耳元へ顔を近付けた。
なにかを伝えているように見えるけれど、もちろん私たちには聞こえない。
「え……どうして……」
渚先輩は驚いた様子で生徒会長さんを見上げている。
「フッ」
生徒会長さんはもう一度微笑み、それ以上なにも言うことなく、もと居た場所へ戻っていく。
気になるけれど……聞いていいのか分からなくて。
ただただ疑問を思う私を、生徒会長さんがチラッと見た。
ビックリして思わず目を逸らしちゃったけど……だ、大丈夫かな。先輩相手なのに失礼だったような……。
「じゃ」
渚先輩は早足で歩き出す。
あっ――!
離れていく後ろ姿に手を伸ばすが――すぐに引っ込める。
私はただ、黙って見ていることしかできなかった。
『私も行きたいです』――って。
そんな簡単なことすら……言えない自分が情けなかった。
× × ×
――花火が上がる。
同時に、お祭りに参加している人たちの歓声が上がった。
昴さんと渚先輩は……まだ戻っていない。
「へぇ、なかなか迫力あるわね」
「わー! 綺麗ですねー! すごいすごーい!」
「綺麗だねー。あ、写真撮らなきゃ……!」
「うん、たしかに綺麗だ」
たしかに花火は綺麗だし、兄さんたちも楽しそうで私も嬉しい。
けれど。
私の頭の中から、昴さんたちのことが離れない。
どんなに綺麗な花火を前にしても……。
私はなぜか、そっちのほうが気になって仕方が無かった。
昴さんはどこ?
渚先輩は大丈夫かな?
――もしかして、今ごろ二人で。
「っ……」
痛い。
胸の奥が痛い。
どうして。
どうしてこんなに痛いの?
「志乃」
胸を押さえ、俯く私にかけられた声。
隣を見ると、生徒会長さんが私を見下ろしていた。
花火の光が反射し、その綺麗な顔はより鮮明に私の瞳に映る。
生徒会長さんって本当に美人だなぁ――
「は、はい。私になにか……?」
「浮かない顔をしているな。それほど心配か? 昴と留衣のことが」
「えっ」
図星だった。
「いや、これでは正しくないな」
正しくない……?
生徒会長さんは花火に目もくれず、静かに微笑んだまま私に告げる。
「気になるか? 昴と留衣のことが」
すぐに返事をすることができなかった。
まるで私の考えていることなどお見通しかのように、生徒会長さんは事実を口にした。
心配……ではなく、気になる。
――正解だった。
もちろん、昴さんたちのことは心配だけど……!
それ以上に。
二人がどこにいるのか。
二人はすでに会っているのか。
会っているとしたら、どうして戻ってこないのか。
それが――どうしても私の頭から離れなかった。
どうして? どうして私は……こんなに不安なの?
なにがそんなに不安なの?
「会いに行くといい、彼に」
私にだけ聞こえる声音で、生徒会長さんは言った。
「キミが抱えているその感情の意味を理解したいのなら――」
私が抱く感情の……意味。
痛いだけで答えは決して教えてくれない。
私のことなのに、誰よりも私が理解できていなくて。
「その足で彼のもとへ行くといい。そしてその目で……彼らを見るといい」
「彼ら……?」
「だが、場合によっては傷つくことになるかもしれない。それでも――」
「行きたいです」
考えるよりも先に口が動いた。
生徒会長さんは少しだけ驚いた顔をしたけれど、すぐに穏やかな表情に戻る。
「ほう……?」と、どこか興味深そうに私を見ていた。
「……会いたいです」
会えば、この痛みは消えるのかな。
この不安は無くなるのかな。
分からないけれど……。
行かなくちゃって……思った。
「フフフ」
生徒会長さんは微笑みを絶やさない。
「神社へ続く階段」
「え……?」
「そこへ行ってみるといい、キミの求めるものがあるかもしれない」
「ど、どうしてそんなことが分かるんですか?」
「フフ。キミたちの生徒会長はすごい、ということだ」
答えになっていない……けれど、嘘を言っているようには思えない。
神社へ続く階段。
そこに昴さんはいるのだろうか。
だとしたら、どうしてそんなところに……?
もしかして、さっき生徒会長さんが渚先輩に耳打ちしていたのって……このこと?
生徒会長さんと話していると疑問が尽きない。
言葉以上のなにかが沢山含まれていそうで……。
それもそれで気になるけれど、今は――
「……分かりました」
「司たちには私から上手く伝えておこう。それとも、私も付き添おうか?」
生徒会長さんの提案に、私は首を左右に振った。
これがきっと、私が一人で向き合わないといけないことだから。
この感情と、この痛みと。
私が……向き合わないと。
「大丈夫です」
「……そうか。なにかあったらすぐに連絡するといい」
私の返事に、生徒会長さんは満足げに頷いた。
「ありがとうございます、生徒会長さん」
私は前に立っている兄さんに目を向ける。
月ノ瀬先輩や、蓮見先輩。それに日向。
素敵な女性ばかりに囲まれて……複雑な気持ちもあるけれど、嬉しくもあった。
兄さんが楽しそうにしているだけで、私も楽しい気持ちになれるから。
だけど……ごめんね、兄さん。
私はどうしても……追いかけたい人がいるから。隣に立ちたい人がいるから。
だから……ちょっとだけ行ってくるね。
「すみません生徒会長さん、兄さんのことをよろしくお願いします」
「ああ、気を付けて行ってくるといい。そして――」
生徒会長さんは私から視線を外し、空を見上げた。
花火が打ちあがる、美しい空を。
「キミが……納得できる答えを見つけられることを願っている」
やっぱり、生徒会長さんの言うことは難しい。
なんとなく……昴さんと話しているときと似ているなって。
私はそう、感じた。
「それじゃあ……行ってきます」
「ああ」
きっと……完全な善意ではないのだと思う。
具体的になにかとは言えないけれど……生徒会長さんは、やっぱり昴さんとどこか似ているから。
目的……って言えばいいのかな。
なにかを見据えて動いているんだろうなって、なんとなく……思った。
多分私に昴さんの居場所を伝えたのも……その目的のためなのかもしれない。
それでも今は……私の感情を優先しよう。
兄さんたちに背を向けて、私は歩き出す。
小柄な身体を活かし、私は人の間を縫うようにして目的地へと向かった――
× × ×
「ふぅ……流石にちょっと疲れちゃったな。ここで合ってるよね……?」
少し歩いた場所にある、神社へと続く長い階段。
なんとかそこへ辿り着いた私は、階段の上を見上げた。
うーん……暗いからよく見えない……。
歩いてくるだけでも疲れたのに、この人の多さだ。
正直、座って休みたい気持ちもある。
だけど、この先に昴さんが――
そして……渚先輩もいるのかもしれない。
そう思うと私は休むなんて気持ちにならなかった。
「……よし」
緊張していた。
昴さんたちに会いに来ただけなのに。
深呼吸をして、私は階段を上る。
上って、上って――
僅かに視界に映ったその先の光景を前に――私は足を止めてしまった。
ううん、止めるどころか……数段ほど引き返してしまった。
階段を上った先に――いたのは。
想像通り。
昴さんと――渚先輩の姿だった。
では、どうして足を止めたのか。いつも通り話しかければいいのに。
それが……できないくらい。
二人はどこか……特別な雰囲気に包まれていた。
言ってしまえば――見ていたくなかった。
二人の姿――
いや。
私が知らない顔を、渚先輩に向けている――昴さんを。
そして私は、渚先輩に思ってしまったんだ。
今までどんな女性にも感じたことがなかった……ソレを。
「ずるい……」
――私が抱くこの感情は。