第107話 青葉昴は打ち上げ花火を見る
「おー、ここからなら花火も見えるしなかなかいい場所じゃねぇの」
俺は現在、神社へ続く道の途中にある階段の中腹に座り、ぼんやりと空を眺めていた。
木々が辺りを囲っているせいで決して見晴らしがいいとは言えないが、花火を見るだけだったら問題はないだろう。
周囲に特に人影はなく、階段の下の方からは参加者の賑やかな声が聞こえてくる。
時間的に、あと少しで夏の空に立派な花が咲くことだろう。
皆、それを楽しみにして場所取りに励んでいるわけだ。
今ごろ司たちも花火を待ちわびているに違いないし、ぜひとも彼らには楽しい花火タイムを過ごしてほしいものである。
「焼きそばうまっ。やっぱ祭りといったら焼きそばだよなぁ」
もぐもぐと焼きそばを咀嚼しながら、その味の良さに俺は満足して頷く。
ここに来る途中、焼きそばやお好み焼き、まだ袋から出していないがりんご飴も買ってきた。
日向と屋台巡り勝負をしたときにいろいろ食べはしたが……そこは男子高校生の胃袋。まだまだ食い足りないってわけよ。
「あー、母さんにもお土産買っていってあげないとなぁ」
夜ご飯の作り置きはしてきたとはいえ、母さんにお土産を頼まれていたし……あとでなんか適当に買っていこう。
「……とりあえず、二発目の花火が打ち上がったくらいにアイツらと合流すればいいや。それまで一人の時間を堪能してよっと」
花火は一発だけではなく、時間をかけて何発も打ち上げられるらしい。
だとすれば、別に急いで合流する必要はないだろう。
……俺が『そこ』にいる理由はないのだし。
――そうだ。
道中はぐれてしまったヒロインを、主人公が助ける。
そしてその主人公とヒロインたちが、花火を見て『同じ時間』を共有する。
その舞台を整えることができた。
それだけで今日の俺《装置》の役目は終わりじゃないか。
これ以上……俺が一緒にいる理由はない。
彼の事情は彼女たちに話した。
彼女たちはそれを優しく受け入れた。
彼はその温もりを知り、さらに一歩前に踏み出すことができた。
これから先、その仲はもっと深まっていくだろう。
青葉昴という人間は過去、アイツを傷つけて……周りの連中も傷つけて。
こうして毎日ヘラヘラ笑っているなんて……彼らからすれば許されないことだろう。
そして朝陽司は太陽として皆を照らし、導くことができる……優しさに溢れた男だ。
そんなヤツの隣に……俺のような男は相応しくない。
俺が今『親友』としてそばにいるのは……まぁ、アイツに相応しい人物が現れるまでの代役だ。
俺はアイツの幸せだけを望んでいる。
それ以外のことなど、どうでもいいのだ。
アイツを受け入れてくれる者たちがいる。
アイツを支えてくれる者たちがいる。
寄り添い、励まし、手を差し伸べてくれる者たちがいる。
案外、『その時』は近いのかもしれない。
そうなったとき。
俺は――
――『わたしは――あんたを理解《攻略》するから。どんなに時間がかかってもね』
ノイズ。
――『志乃ちゃんレスキュー……私、本気ですから』
ノイズ。
――『ホント、面倒なヤツなんだから。でも、やっとアンタの内側を少しだけ見られた気がしたわ』
――『あなたは……部外者なんかじゃない』
勝手に再生される雑音を俺は振り払う。
なにが友達だ。
俺は――お前らのようなヤツらと並び立っていいような人間じゃないんだよ。
お前らが『こっちを見る』価値なんて……俺にはないんだよ。
お前らはただ前を見ていればいいんだ。
裏を見る理由なんてないだろ。
俺から見ればお前たちは、朝陽司《主人公》を幸せにする物語の登場人物に過ぎない。
だからこそ、俺は関わっているわけで。
そうじゃなければ、俺など――
瞬間、空から軽快な音が鳴り響く。
その音に俺は、空を見上げた。
「……花火」
空一面に、花が咲いていた。
同時に、離れた場所から歓声が聞こえてくる。
俺の感情などお構いなしに咲き乱れる花々に――
「……はは」
自然と笑みがこぼれた。
やれやれ……ダメですね。
一人になると余計なことまで考えちまう。
賑やかな祭り。
美味い焼きそば。
今はそれでいいじゃないか。
それに。
「はぇー、結構綺麗な花火じゃないの」
もう少し、夏のお花見を楽しむとしよう。
空を見上げたまま――そう、呟いたときだった。
「たしかに。なかなか悪くない場所じゃん」
は?
階段の下のほうから聞こえてきた淡々とした声。
聞き馴染みがあり過ぎるその声に……俺は思わず視線をそちらへと向けた。
そこにいたのは――
「渚……お前なんで……」
俺に背を向けて空を見上げ、「おー……綺麗」と小さく感嘆の声をあげる渚留衣だった。
驚いた俺の声が耳に届いたのか、渚はくるっとこちらに振り向いてその口角を僅かに上げた。
思わず――言葉を失ってしまう。
背景で輝く花火と相まって、深緑色の浴衣姿で振り向いた少女の姿は……どこか幻想的に見えた。
普段の姿とのギャップに、言ってしまえば一瞬見惚れてしまった……のかもしれない。
俺が呆然としている間に渚は階段を上り始め、こちらに歩いてくる。
「疲れた。結構長いね、この階段」
ふぅ、と息を吐いて俺が座る一つ下の段に座り込んだ。
「おい、なんでここにいんだよ。てかなんで俺の場所バレてんの?」
俺は渚の後ろ姿を見下ろして問いかける。
正直、理解が追い付かない。
なんでコイツがここにいる?
さも当然かのような顔で俺を見つけ、どうしてそこに座っている?
その姿に俺は――学習強化合宿二日目の夜を思い出す。
補習を受けていた俺を……ロビーで待っていたときのことを。
けれど、あのとき違って……今の渚からは怒りのような感情は一切感じなかった。
日が沈んで暗くなっていることや、隣り合って座っていないことも相まって、その横顔はハッキリ見えない。
「なんで……ってバカなの?」
……数秒前の俺を殴ってやりたい。
浴衣姿だろうが花火だろうが、コイツは渚だぞ。
口を開けば毒しか吐かないポイズンガールだぞ。
主に俺に対してだけだけど。
てなわけで、デイリーミッション『バカなの?』を達成しました。おめでとうございます。
「あんたを探してたからに決まってるでしょ」
渚は空を見上げたまま、俺の質問に淡々と答えた。
花火の光により、暗くてよく見えなかった横顔が照らされる。
やはり……その表情からは怒りの感情は読み取れない。
最も、渚自身表情の変化が少ないから分かり辛いが……。
「俺を探してた? ってまさか、司たちまで――」
「いや、わたしだけ。朝陽君は楽しく花火を見てるんじゃないかな」
「じゃあ尚更だわ。なんで俺がここにいるって分かったんだよ」
祭りの会場は結構な広さだ。
たった一人を探すなんて、かなり骨が折れることだろう。
蓮見のときのように、なんとなく範囲を絞れるわけではない。
それにもちろん、俺は自分の場所を誰かに伝えたわけでもない。
なのに、どうして――
「……勘?」
渚は首をかしげてポツリと答える。
「勘って……野生動物かお前は」
「というのは冗談で、生徒会長さんが……」
「え?」
「……なんでもない。とにかく、あんたを探してたってこと」
会長さん……? どうしてあの人の名前が……。
もしかして、渚になにかを吹き込んだのか?
蓮見を探しに行く前、俺に対して『なるほど』とか言ってたし……。
まさか俺が一人で行動することをあらかじめ……。
いやいやいやいやいや……そんなまさかな……。本当にそうだとしたら怖すぎるだろ。
「で、見つけたと思ったら……案の定一人で楽しんでるし。キャンプファイヤーのときを思い出した」
反論はできない。
というか、今更コイツにいろいろ言う必要もないだろう。
なにを言ったところで、それがすべて偽りだということをコイツは既に分かっているのだから。
「ねぇ」
渚は振り向き、上の段に座る俺を見上げる。
眼鏡越しに見える薄紫の瞳には……焼きそばのパックを片手に呆けている俺が映っていた。
「これも……朝陽君のためなの」
コイツは知っている。
俺の行動の先には、朝陽司という一人の男がいることを。
知ってるからこそ聞いてきたのだろう。
「さぁな」
だが、律儀に答えてやる理由はない。
そんなことをするメリットは俺にはない。
渚はスッと目を細めて俺をしばらく見つめたあと「……そ」と短く返事をした。
「俺を見つけたんなら目的達成だろ? 早く蓮見たちのところに戻れよ」
「むり」
「なんでだよ」
「どこで花火を見ようがわたしの勝手でしょ? それに、ここまで歩いて来て疲れた。ただでさえ人混みに酔って気分悪いのに」
「……そうかよ。面倒なヤツだな」
「は? あんたがそれ言う?」
失礼な。どこが面倒な男なんだ。
渚が来たことが原因なのか、食欲がどこかへ行ってしまった。
持っていたパックを階段へ置くと同時に「はぁ……」と深いため息が耳に届く。
「ため息がつくと幸せが逃げるぞるいるい」
「るいるい言うな」
せっかく心配してやったのに……。
「わたしはさ、青葉」
渚は俺に背を向け、花火の上がっていない空を見上げて話し始めた。
「あんただから――こうして探しに来たんだよ」
「なんだよいきなり」
「ほかでもない、あんただから……わたしはここに来たの」
ほかでもない、俺だから……。
どうしてコイツは、ここまで俺にこだわる。
どうして俺を……追ってくる。
呆れたように渚は笑みをこぼし、俺に……というか独り言のように淡々と話す。
「月ノ瀬さんに友達だって、頼ってって言われたのに……全然聞いてないし。効いてないし」
それはアイツが一人で言っただけだ。
「わたしがいろいろ『分かって』って言ってるのに……分かってくれなくて」
それもお前が勝手に言っていることで。
俺がそれを受け入れた覚えはない。
渚の『モノ申し』は終わることなく、引き続き言葉を続ける。
「どうしようもなくて。バカで。面倒くさくて。バカで」
「おいなんでバカって二回言った?」
「今回だって、もしかしたらって思ったら……ホントに戻ってこなくて。いざ見つけたら、なんか一人で焼きそば食べてるし。バカだし。学習しないし」
「おい三回目。なんならちょっと前のやつを含めたら四回目」
こんな短時間に何回もバカと言われることがあるだろうか。
そんなに罵倒のマシンガンを撃たれると、流石の俺でも反抗したくなってくる。
「だけど。そんなあんただから――」
流れが変わる。
その声音から『呆れ』が消え去った。
渚は立ち上がってこちらへ振り向き、ポニーテールが孤を描くように宙を舞った。
俺を見下ろす表情は穏やかで。
罵倒していた割には、呆れや怒りといった感情を一切感じられなかった。
花火に負けないほど、美しい輝きを宿す薄紫の瞳を前に……俺は改めて認識させられた。
なんだかんだコイツも……しっかり美少女なのだと。
「わたしは……大人しく一人にさせるわけにはいかない。あんたの見ている世界はね……あんたが思うほど、単純じゃないの」
慣れない浴衣を着て、人混みという『苦手』に立ち向かって。
体力が無いくせに、みんなに付いていくために頑張って。
きっと限界を迎えているはずなのに……コイツは、わざわざ俺に会うためだけに人混みを縫ってここまで歩いてきた。
――気付いてんだぞ。
お前がかいているその汗は、暑さのせいだけじゃないんだろ?
俺にバレないように努めているんだろうが、息切れによって肩で呼吸している。
余裕そうな顔をしているけどお前……本当は急いでここに来たんだろ?
ヘトヘトの身体に鞭を打って……ただ青葉昴というどうしようもない男に会うために。
そんなの……お前が一番のバカじゃねぇか。
俺なんかより……よっぽどバカじゃねぇか。
「自分がいなくてもいいと思ってる? 自分は必要ないって思ってる? 無価値だって、ただの道具だって……そう思ってる?」
渚の表情が僅かに変わった。
なにも言わない俺を……渚はどこか悔しそうに見下ろした。
なぜ……そんな表情を浮かべているのか。
考える隙を与えず、渚は吐き捨てるように言った。
「そんなわけないでしょ」
決して叫んでいるわけではない。
決して強い口調で言っているわけではない。
抑揚もない、雑で単純な言葉。
それでも、その言葉には……渚の『想い』が込められていた。
「どうせあんたには言っても届かない。伝わらない。分からない。だから――何回でも言うから」
行き場のない感情をぶつけるように、渚は浴衣の胸元をギュッと力強く握る。
「わたしたちの『物語』には──あんたもいるの。青葉昴っていう人間は、たしかにわたしたちの中に存在してるの」
それは学習強化合宿の夜、俺に言った言葉のように。
怒りの表情で、俺の胸倉を掴んで叫んだ言葉のように。
俺から目を逸らすことなく。
ただその言葉を……彼女の中にある事実を、目の前の俺に伝えて。
騙らず、偽らず、正面から……正直に。
それは──あの日のような真っ直ぐな瞳だった。
「あんたもいなくちゃ……意味ないの。朝陽君も、晴香たちも――」
渚は一旦言葉を止め、目を閉じた。
呼吸を整えて……そして。
なにかを決心するように、再び目を開ける。
「渚留衣も」
それは決意の籠った――強い言葉だった。
「あんたもいるこの日常が――好きなの。誰一人、あんたが欠けることなんて望んでない」
最後まで言い終えると、渚は小さく息を吐く。
胸元から腕をだらんと下ろし、いつものボーっとした力のない表情に戻った。
「……そういうこと。分かった? というか分かって。分かれ」
有無を言わさず渚は捲し立てる。
「……なんで」
「なに」
気が付けば俺は、その言葉を勝手に口に出していた。
「なんでお前は……俺を『見よう』とするんだよ」
視線を落とし、こぼれた言葉。
――『自分を見てくれる人を大切にしなさい』
母さんに言われたそれは、素直に理解できるものじゃなくて。
はいそうですか、と素直に受け入れられるものじゃなくて。
見てくれるって。
見るって。
なんなんだよ。
「あのさ……何回言わせるの」
「どういう意味だよ」
「こっち見て、青葉」
言われた通り、俺は視線を上げる。
「どうしてあんたを『見る』のかって?」
呆れた様子の渚が俺を見ていた。
「あんたが嫌いだから。嫌いで、嫌いで、今だって身勝手なあんたをはっ倒したいくらいで、嫌いで……」
コイツはいつも俺を嫌いだと言う。
好きでも普通でもなく、嫌いだと言い切る。
これまで何回も聞いてきた。
そうだ……俺は何回言われてきた?
「嫌いだから――あんたを理解りたいの。あんたを『見て』いたいの。全部全部……わたしの勝手な感情」
理解りたい。
それはコイツの……行動原理。
たったそれだけの……簡単なもの。
簡単だけど……俺にとってはかなり難しいもので。理解に困るもので。
「……ま、大事な友達のことを理解したいって思うことは……普通なんじゃないの。知らないけど」
「……最後の一言で台無しだなおい」
「いちいち難しく考えるところ、直したほうがいいんじゃない? いつもヘラヘラして適当なのにさ。変なところで頭使うんだから」
ため息交じりに言うと、渚は正面へ身体を向けて階段に座りなおした。
……散々言いやがって。
言い返せない自分が、もどかしい。
渚の言葉を受け入れられない自分が。
アレコレ理由を張り付けて拒もうとしている自分が。
言い訳を探し、目を逸らし続ける自分が。
どうしようもなく――滑稽に思えた。
「……言いたくないなら言わなくていい」
こちらに顔を向けることなく、渚は再び話し始める。
「あんたって――どうしてそうなったの」
……。
「どうして……朝陽君のためにそこまで自分を捨てるの」
………。
「昔のあんたは――違かったんでしょ」
それは誰から聞いたのか。
司なのか、母さんなのか。
それとも渚自身が思ったことなのか。
「わたしは……あんたから聞きたい。青葉昴の話を」
俺の話。
「あんたが『あんた』になった理由を」