第103話 星那沙夜はやはり謎である
「ふむ、話は纏まったか?」
和やかな生徒会室に凛とする声が響き渡る。
ちょうどさっき戻ってきたのか。
あるいはずっと居たのかは分からない。
どちらにしろ、どこか満足げに微笑む会長さんが扉を開けて立っていた。
――え、満足げ?
どうしてそんな顔に見えたんだ……?
「なんだよ会長さん、いたんならさっさと入ってくればよかったのに」
「いや、なんだか青春の香りがしたからな。逆に入るに入れなかった」
「香りって……。だからカブトムシかあんたは」
言い方的に、司が戻って来てからの話を聞いていた可能性がある。
とはいえ扉越しだから、そんなハッキリとは聞き取れなかったはずだろうけど。
てかこの人……自分で混乱の種を撒いておいてなにが『青春の香り』だよ。
「あ、星那先輩」
司が話しかけると、会長さんは申し訳なさそうに眉をひそめた。
「あぁ、司。さっきはすまなかったな……」
「いやいや。俺のほうこそ取り乱してしまってすいません」
謝んなっつの。
自分から望んでお前をそうしたんだぞそいつ。
と、言えるはずもなく……。
俺は複雑な想いを抱えながら二人のやり取りを見守っていた。
次は絶対に――見逃さない。
「キミが謝ることではないだろう。私がやり過ぎてしまったようだ」
それは、そう。
マジでそう。
全力で俺は心の中で時速五十メートルくらいの速さで頷いた。
どんな速さ???
「あー……まぁ今後はちょっと控えていただけると……。星那先輩みたいな女性相手だと、どうしてもちょっと緊張するっていうか……」
「……ああ、分かった」
「アレですね。なんなら昴にやってやってください」
え。
「いいんすか! さぁ会長さん! 俺の胸に飛び込んでおいで!」
「む? あぁ……またあとでな」
「あとでなら来てくれるんですか! やったー!」
あ、いかんいかん。
つい思春期昴くんが反応してしまった。
やっぱ話を振られるとふざけちゃうからダメね。
――とは言うが、あえてこう振る舞うことで話を上手くずらすことができるわけで。
俺もただバカ野郎じゃねぇってことよ。ホントホント。ホントダヨ。
「うわバカだー昴先輩……」
おい。
「川咲さん、見ないほうがいいよ。アレを見るなら曇り空を見てる方がまだ有意義」
「なるほど勉強になります留衣先輩」
おい。
せめて青空にしろ。
なんだ曇り空って。
てか日向にバカにされるとか一生の恥なんだけど!? 弁護士呼べ弁護士! 法廷で決着付けようじゃねぇか!
「でも……良かった」
会長さんがホッと息をつく。
「いや、キミを困らせた私が良かったなどと言っていいのかは分からないが……」
「なんですか?」
会長さんは司を見て、フッと微笑んだ。
「キミは……良い友人に恵まれたようだな。それに――」
会長さんは司を視線を外す。
そして次に向けたのは――
俺だった。
「昴、キミもな」
……は?
俺は今、きっと唖然としているだろう。
どうしてそこで俺に振る?
どうして俺の名前を出す必要がある?
良い友人ってどういう意味だ?
そんなの、まるで――
最初からこうなることが分かっていたようじゃないか。
混乱の種を撒いたのは他でもない会長さん自身。
自分の意思で、司をあんな風にさせた。
それまでのことは、すべて会長さんの想定通りだった。
だが、その先のことはどうだ――?
俺が月ノ瀬たちに司の過去を話すことも。
それによって、俺が……彼女たちに『友達』だと言われてしまうことも。
彼女たちと司の絆をより深めることになることも。
これも……想定通りだっていうのか?
だとしたら、どうしてそんなことをする?
わざと司を追い込み、月ノ瀬たちを不安にさせるような真似……。
――『再会、だとな』
再会って……なんなんだよ。
コレも必要なことなのかよ。
──気掛かりなことは、ある。
会長さんがほかの女子たちと決定的に違う点が。
この人は。
大前提として、司に好かれようと思っているのか?
愛されたいと思っているのか?
もしかしたら、星那紗夜という女は最初から──
……いや。
まだ、俺の考え過ぎか。
そう判断するには材料が足りない。
いくら会長さんとはいえ、そんなことまで考えているかは不明だ。
俺は自然と、会長さんを見てスッと目を細める。
そんな俺に反応するかのように――
「……フ」
会長さんは小さく笑っていた。
その笑みは……いったいなにを意味するのか。
俺には分からない。
「はい、そうですね。俺には勿体ないくらいですよ」
なにも言わない俺とは対照的に、司は照れくさそうに言葉を返す。
「そう言うな。キミの人徳があってこそ、だ」
この人、言っていること自体は正しいんだよなぁ……。
だからこそ余計にモヤモヤする。
思えば……ちょっとした遊びを除いて、これまで会長さんが嘘をついているところを見たことがない。
いつも……自分の思っていることを正直に話す印象だった。
……ま、嘘を言わないってだけで大事なところはいつもぼかすけどな。
「そうだぜ? 司の人徳と……あとは俺のカッコよさとイケメンさと有能さのおかげだな?」
わざわざ会長さんに噛みついて、空気を悪くする理由はない。
ここはいつも通り乗っからせてもらおう。
この人に疑惑の目を向けるのは、俺だけで十分だ。
しかし。
『………』
帰って来たのは、夏なのに凍えるように寒い風だった。
ぶるぶるぶるぶる――
おかしい。ちょっと誰かエアコンを十五度くらいに設定してない?
かくなるうえは――!
「ねっ! 志乃ちゃん!?」
一番優しい志乃ちゃんに話を振ることだ!
「ふぇっ! わわ、私ですか!?」
志乃ちゃんはビックリして周りをキョロキョロを見る。
ふぇってなに。可愛いなおい! 可愛いなぁ!
「ね、俺カッコいいよね!? 志乃ちゃん!」
「えぇぇ……えっと……」
志乃ちゃんは困ったように顔を紅潮させて俯いた。
さぁ! カモン!
昴さんカッコいいよーって!
イケメンだよーって!
一番大好きな先輩だよーって!
ふふふ……うふふふ……。
「――おい。昴」
あ。
そこからの記憶は――ない。
× × ×
「改めて……一週間ありがとうございました!」
時間は過ぎ、夕方。
生徒会室の施錠を終え、一同は昇降口へ向かって歩いていた。
本日は金曜日で来週からテスト期間に入る。
つまり、勉強会は今日で終了だ。
提案者である蓮見は、笑顔を浮かべてみんなにお礼の言葉を告げた。
「私もありがとう。皆の力になれなかったのは残念だが……良い結果を残せることを祈っているよ」
大丈夫だ会長さん。
あんたに勉強を教わるなんてはなから期待してない。
「玲先輩! あたし、めっちゃ高得点が取れそうな気してますから! 期待しててくださいね!」
「ええ、期待しているわ。もし良くない点数を取ったら……私の特別指導が待ってるから頑張ってね?」
「え、あの、もう少しその……優しく……とか……」
「ん? ごめん全然聞こえなかったわ。なんて言ったの?」
「なんでもありません! 日向、頑張ります!」
こっわ。
前を歩く二人のやり取りに、思わず顔が引きつる。
あそこもなんだかんだで、この一週間で仲良くなったなぁ。
しっかり者のお姉ちゃんと、おてんば妹って感じで見てみて面白い。
志乃ちゃんのほかに優秀なお目付け役ができたことに感謝しよう。
じゃないとアイツすぐサボるからな。
さすがに赤点からの補習コースなんてことになったら。俺でもフォローしようがない。
「俺もホントに助かったよ。もしかしたら、今回は蓮見さんに勝てるかもしれないなぁ」
「あ、ちょっと朝陽くん! 私だって負けないからね? こう見えても今回は結構自信あるんだから。みんなのおかげで!」
「おっ、じゃあお互い頑張ろうね」
「うん!」
何回も思うけど、蓮見ってあんなにお勉強できる系委員長キャラっぽいのに、意外とそうじゃないのがなかなか男心が分かっている。
完璧な子より、ちょっと抜けがある子のほうがグッときたり好感を持てたりするからね。
それぞれがテストの話で盛り上がっているなか――
「渚先輩、何度も勉強を教えていただいてありがとうございました」
「ううん。別にいいよ。むしろ……わたしで役に立てた?」
俺の横を歩いていた志乃ちゃんと渚が、静かなトーンで話していた。
静かな……とは言うが、ほかの連中と違って二人は声を張るタイプではない。
むしろ今くらいの声量が普通なのだろう。
そして、ふと思った。
後輩が相手だからか、いつもと比べて渚の声が優しいような気がした。
その優しさを少しは俺に向けてほしいものである。
二人の絡みは貴重だからもう少し静観してよっと。
「あ、はい。すごく助かりました」
「そう。ならよかった」
……。
………いや終わりかい! 会話それだけかい!
もう少しこう……キャッチボールしなさいよ!
この場合は渚、先輩であるお前が積極的にボール投げてやれよ。
二人の性格的に難しいの分かるけどさぁ!
志乃ちゃんには日向が。
渚には蓮見が。
普段はすぐ近くに陽キャ様がいらっしゃるおかげで、話題には困らないのだが……今はそうではない。
お互いになんとなく『話題……なにかあるかな』みたいにチラチラと様子を確認し合っているのがなんともいたたまれなかった。
ったく仕方ねぇなぁ……。
「せいぜい俺に勝てるように頑張るんだな。るいるい」
ニヤリと笑った俺が話を振ると、渚はジトっとした目を向けてくる。
「だからるいるい言うな」
「土日でゲームやり過ぎて、テストの内容忘れるとかやめろよ?」
「……善処する」
「いや善処かい」
普通にありえそうなのかよ。
そこはいつもみたいに『は? バカにしすぎ』みたいこと言えよ。
「とはいえアレだろ。渚も志乃ちゃんも昴様がじきじきに教えてあげたから大丈夫だろ」
「……うざ」
「でも昴さん、本当に教えるの上手ですよね。……意外ですけど」
「うふふふ、もっと言って志乃ちゃん。もっと褒めて志乃ちゃん」
なんか最後に余計な一言入ってたけど気にしないでおこう。
「志乃さん。褒めるとすぐ調子乗るからそこまでにしたほうがいい」
「そうします」
「おぉぉぉぉい!!!」
もっと褒めてよ!
美少女に褒められたいの! 褒めちぎられたいの!
そんな俺の叫びなど伝わらず、二人は俺を放っておいてまた話をし始めた。
「そういえば渚先輩って、普段家でなにされてるんですか?」
「うーん……ゲームする。動画見る。漫画見る。……そんな感じ」
「先輩ってゲームがお好きでしたもんね」
「まぁね。志乃さんは? なにしてるの?」
「私は――」
……やれやれ。
なんだかんだで話が弾む二人の姿に、俺はため息をついた。
もしかしたらこの二人、意外と相性がいいのかもしれないな。
趣味は全然違うし、お互いに会話が得意なタイプじゃないけど……。
だからこそ似ている空気感というか、纏っている雰囲気というか……。
交流を深めていけば、意外といい感じの仲になれる可能性を秘めていると思った次第。
……渚が志乃ちゃんに俺の変な話を吹き込まないかが心配だけど!
俺は志乃ちゃんの前では、清廉潔白な超絶頼れるお兄ちゃん兼先輩でいたいの!
……え? もう無理だろって? いやいやいやいやいや……。
「――なるほどね。そういえば青葉もそんな感じの話してたような……」
「え、そうなんですか?」
「うん、たしか去年末くらいかな……えっとね」
考えごとをしていたら、話題が違うものに変わっていた。
なんか俺の話出てきたよな。気のせいじゃないよな。
俺は思考を振り払い、とりあえず会話に参加してみることにした。
「おいおい。全然聞いてなかったから分からないけどなんの話だよ。俺も混ぜなさい。てか俺の話してない?」
「ふふ、いいですよ。あ、でも話を変に邪魔したらダメですよ?」
志乃ちゃんの笑顔可愛い。
ずっとふふって笑っていてほしい。
「そうそう。茶々入れて邪魔しないでね」
「失礼な! 二人して俺をなんだと思ってるんだ!」
「うるさいヤツ」
「……と、とても元気な人……?」
「はい昴くんの涙、一人前入りまーす! うぇぇぇぇぇん!!!」
「うるさ……情緒どうなってんの……」
放課後の何気ないひととき。
夕日が差し込む廊下で、俺たちはなんてことのない話で盛り上がった。
来週からはテスト。
それが終われば――
夏休み前の一大イベント、夏祭りだ。