第102話 朝陽司は温もりを知る
「おっ」
扉が開く音と同時に、生徒会室に入って来たのは――
「司……お前もう大丈夫なのか?」
司と志乃ちゃん、日向の三人だった。
顔色は随分良くなり、変な汗も出ていない。
そこに立っているのは、いつも通りの司だった。
念のため、俺は司の後ろに立っている志乃ちゃんに視線を向ける。
志乃ちゃんは俺の視線に気が付くと、小さく微笑んで無言で頷いた。
大丈夫です──と、その表情が物語っている。
よし、後輩二人組に感謝だな。
感謝の気持ちを込めてウィンクしておこ。
いけ! 昴ウィンク!
……あ、なんか凄い勢いで目逸らされた。
「うん。俺がいない間、月ノ瀬さんたちに変なことしてないよな?」
「ハッハッハ! 果たしてそれはどうか――」
「どうなんですか? 昴さん?」
「はい。なにもしてません。お話してただけです」
怖いよ。
志乃ちゃんスマイル怖いよ。
渚は真顔で圧かけてくるけど、志乃ちゃんは笑顔で圧かけてくるんだよ。
結論。どっちも怖い。
「あ、あの朝陽くん!」
緊張した面持ちで、蓮見が司に話しかける。
俺たちは皆、彼女がなにを言いたいのか理解していた。
理解しているからこそ、口を挟まず黙って見ていた。
蓮見は呼吸を整え、迷いのない目で司を視界に捉える。
――頑張れよ、蓮見。
「さ、さっきはごめんなさ――」
「さっきはごめんね、蓮見さん」
蓮見の謝罪を遮るように、司は優しい声音で言った。
あー……そうなるよな……。コイツはそういう男だよなぁ。
予想外の謝罪に蓮見は「え……?」と目を丸くしている。
「さっきのこと、気に病んじゃってるかなって。俺の勘違いだったら申し訳ないんだけど……」
「そ、それは……」
「でしょ? 君は優しい人だから。自分を責め過ぎてたらどうしようって心配だったんだ」
ったく、どこまでもお人好しなヤツめ。
さっきあんなに苦しそうにしてたのに、もう他人の心配かよ。
いや……他人の心配ができるようになるくらい回復したのか?
志乃ちゃんと日向にどんな言葉をかけてもらったのかは分からないが、もしかしたら彼女たちのおかげかもしれない。
「……それでも、言わせて。さっきは……本当にごめんなさい」
それは蓮見なりのケジメなのだろう。
深く頭を下げて、今度こそ謝罪の言葉を口にした。
司は「うーん……」と少し悩んだあと、なにかを決めたように頷いた。
「分かったよ。だけど、俺も心配させちゃったから…あおいこってことで!」
「おあいこって……お人好し大将軍かお前か」
思わずツッコミを入れてしまった。
こんな美少女に謝罪されてるんだぞ?
もしも俺が司だったら『ぐへへ。じゃあ言うこと聞いてもらおうか……』って要求してるな。間違いない。
……ま、司らしいっちゃらしいか。
「そういうことだから蓮見さん、頭上げてよ」
「で、でも……」
「んー……じゃあ今度、なにか飲み物でも奢ってもらおうかな。夏だから炭酸のやつとか」
「え?」と顔を上げ、戸惑う蓮見に司は穏やかな表情で言った。
決して気を遣っているとか、無理をしているとか、そういうわけではない。
本当に心からそう思っているのだ。
「そ、そんなことでいいの……?」
「うん。そんなことでいいよ」
「……分かった。ありがとう、朝陽くん」
ふふ、と蓮見は笑みをこぼす。
なにも心配はしていなかったが、穏便に済んでなによりだ。
周りの女子たちも、安心したようにホッと胸を撫で下ろしていた。
――蓮見はもう、大丈夫だな。
「あ、蓮見。俺はスポドリで。やっぱ熱い夏は塩分が大事だからな!」
「えっ、青葉くん!?」
となれば便乗しないとなぁ!
タダ飲みができるとなら黙っていられないぜ!
「わたしも朝陽君と同じ炭酸でいいよ。大会観戦しながら飲む炭酸は最高だから」
「るいるい!?」
控えめに挙手をして、渚もしれっと乗っかって来ていた。
お前……どうせ親友が無事に司と仲直りができて嬉しいんだろ。
いや、喧嘩してたわけじゃないから仲直りってのはおかしいか……。まぁいいや。
突然の挟み撃ちに、蓮見が驚愕の表情で俺たちを交互に見る。
そんなやり取りに、周囲から笑い声が上がった。
「じゃあ渚は炭酸水の炭酸抜きで」
「は? その炭酸水、あんたの目に入れるよ? 水分補給できてよかったね」
「目はやめて!? 目から補給させようとしないで!? るいるい酷いわ!」
「るいるい言うな」
ただの拷問なのでやめてください。マジで。
せっかく場を和ませようと便乗したのにこれである。
チラッと司の様子を見てみると、俺たちを見て仕方なさそうに笑っていた。
今は司の笑顔に免じて許してやろう。
感謝しろよるいるい。
さて、と。
「司」
俺が呼ぶと、司はこちらを見て首をかしげた。
黙っているつもりはないし、正直に話しておこう。
「悪い。お前の昔のこと――月ノ瀬たちに話した」
その瞬間、和らいでいた空気が再びピリッとした。
話の内容的に、とてもふざけていられるようなものではない。
月ノ瀬たちもそれを理解しているからこそ、その表情が僅かに強張る。
急に雰囲気を変えて悪いが、早めに言うべきだと思ったからな。許せ。
司はなにも言わず、俺の言葉の続きを待っている。
「そうしたほうがいいと、俺が勝手に判断した。責めるなら俺を責めろ。月ノ瀬たちは悪くない」
「待って司、それは私たちも――」
「お前はなにも言うな月ノ瀬」
何回も言うが、責められるのは俺だけでいい。
話すと判断したのは俺で、月ノ瀬はただそれを聞いただけに過ぎない。
月ノ瀬は俺の気持ちを汲んでくれたのか、未だ納得いかなそうではあるが口を閉じた。
司は俺のことをジッと見つめ、数秒ほど経ったあと――
一言。
「いいよ」
気が抜けるほど、単純な三文字。
その表情からは怒りや悲しみといった負の感情は一切感じず、むしろ……どこか喜んでいるように見えた。
「は、はぁ? いいよってお前……」
「だって、月ノ瀬さんたちになら話していいって思ったんだろ?」
さも当然かのように、司は軽い口調で俺に問いかける。
図星だった。
図星だったから……俺は眉をひそめることしかできなかった。
どんな反応をするのかある程度予想はできていたけど、まさかこんなに軽いなんて……。
司は右手を胸の前に持っていき、優しく握った。
「たしかに、思い出すだけで嫌な気持ちになるよ。他の人に簡単に話せるようなことじゃないし、もちろん簡単に話されても困るけどさ」
「……ああ」
「ほかでもない、お前が。昴が話してもいいって思えたってことは……それほど月ノ瀬さんたちを信じてるってことだろ?」
ふっと笑い、司は再び問いかける。
「だったら俺が言うことは一つだけだ」
優しくて、お人好しで、太陽のようなヤツで。
こんな俺を……どうしようもない俺を親友だって言ってくれる。
「――ありがとう、昴。みんなを信じて話してくれて。俺はそれが嬉しいよ」
そんなヤツだから俺は。
お前に手を差し伸べられ、お前の傷を知ったあの日からずっと――
絶対に幸せになってほしいって。
お前だけは幸せになるべきなんだって。
そう……思ったんだよ。
だからそんなこと言うなよ。
ありがとうなんて言うなよ。
オレに……そんなこと言うなよ。
「というか、それを言ったら俺も……」
司はなにかを言おうとしたが、すぐに止めた。
「……いや。とにかくみんなもありがとう。昴の話を聞いてくれて。……だけど、あまり面白くない話だったよね。それは申し訳ない」
司は月ノ瀬たちを見回し、苦笑いを浮かべた。
「ねぇ、司」
「ん?」
月ノ瀬は一歩前に踏み出し、真剣な表情で司を見据えた。
「私は……ううん、私たちはアンタの味方よ。これからもずっとね」
強い決意を帯びたその言葉に、司は驚いたような表情を浮かべる。
複雑な言葉なんていらない。
きっと……彼女たちの想いは司に伝わっただろう。
蓮見と渚も、優しい表情で頷いた。
「良かったね、兄さん」
「ですね~! 頼れる先輩たちです!」
司の後ろに立っていた志乃ちゃんと日向が、一歩前に出て隣に並んだ。
月ノ瀬。
蓮見。
渚。
日向。
志乃ちゃん。
優しさに満ちた素敵な少女たちが、朝陽司という一人の少年に微笑みを向けていた。
あぁ、そうだ。
俺はずっと……こんな光景が見たかったんだ。
本当に……良かったな、司。
「みんな……」
温もりを知った司は――
「はは……なんか、改めてそう言われると恥ずかしいな……。でも……本当にありがとう、みんな」
困ったように、笑った。
「ま、そんなわけだ。だから心配しなくていいっぽいぞ」
事情を知った彼女たちは、より一層司との絆が深まっていくだろう。
いずれ、誰が『その席』に座ることになるのかは分からない。
司の抱えるものを考えたら、きっと時間はかかることだけは確かだ。
それでも。
俺はただ、『その時』が来るまでサポートし続けよう。
それこそが……俺がここにいる意味なのだから。
「ちょっと昴? アンタまた他人事みたいに言って……」
六人をぼんやり眺めていると、月ノ瀬が不満げに注意してきた。
適当に返事をしようと思ったのだが――
「え、『昴』?」
「あれ、玲先輩って昴先輩のことを名前で呼んでましたっけ?」
違和感を覚えた司と日向が、その疑問を口にした。
「あぁ、いろいろあってね。こんな美少女に名前で呼ばれるなんて光栄でしょ?」
「へいへい。あまりに嬉しすぎて俺も『玲ちゃん♡』って呼びそうだぜ。なんなら呼んでやろうか?」
「それは本気でやめて。ちゃん付けで呼ぶなら留衣にしなさい」
「ちょ、ちょっと月ノ瀬さん? え? わたし?」
ははーん?
俺はニヤリと笑い、困惑中の渚に顔を向けた。
「だってよ。留衣ちゃん?」
「え、キモ」
即答だった。
まるで鳥肌が立ったかのように、渚は自分の腕をさすっている。
「キモいとか言うなよ! 喜べよ!」
「むり」
またしても即答である。
でも正直俺自身、コイツのことをちゃん付けで呼ぶのは妙にしっくり来ない。
留衣ちゃんは……なぁ。
なんかねぇ……ねぇ?
「やれやれ、じゃあるいるいで譲歩してやるよ。仕方ねぇなぁ……わがままばっかりで困るぜ」
「え、なんでわたしがそう呼んでほしいみたいな感じになってるの? あれ、なんで?」
月ノ瀬に言わせれば、俺と渚のこれは『じゃれ合い』なのだろう。
司と蓮見は「またやってるよ……」と呆れて笑い。
日向は「二人ってホント仲良いですよねー」と楽しげに笑っていた。
だけど、志乃ちゃんだけは――
「……昴」
俺の名前を小さく呟き、複雑そうな表情を浮かべて胸元でギュッと手を握りしめていた。
どうかしたのだろうか。
気になった俺が、志乃ちゃんに声をかけようとしたとき――
「ふむ、話は纏まったか?」
凛とした声が、生徒会室に響き渡った。