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第100話 朝陽司という男は

 司の父親が再婚したって話は既にしていると思う。

 

 中学一年生の頃、司の父親と志乃ちゃんの母親が結婚して……『現在の朝陽家』が生まれた。


 司にとって今の母親は、義理の母親ということになる。


 そうなると、司を産んだ……いわゆる『実の母親』というものが存在するわけで――


 その母親が……まぁ最悪だったんだ。


 あらゆる意味で最悪の母親だったんだよ。


 あ、ちなみに父親はいい人だぞ?


 今でも会ってるし、俺自身いろいろよくしてもらっている。


 では、なぜ父親がその最悪の妻と離婚するまでに時間がかかったのか。


 それはひとえに――司の実の母親と、司の性格が……いや、すべてあの母親が原因だな。


 父親は会社でいい役職に就いている人、それゆえに多忙な人なんだ。

 出張とかで家を空けることも多かった。


 その分、家事や育児は専業主婦だった母親が主に行っていた。

 

 だから学校行事……例えば授業参観とか、そういうイベントごとには必ず母親が来校していたんだ。


 同じ小学校だった俺は当然、司の母親を何度も見たことがある。


 第一印象はズバリ。


 人当たりが良くて、朗らかな人――


 そんな感じだったよ。


 俺だけじゃなくて、ほかの生徒も、先生も……そう思っていたはずだ。


 いつもニコニコしていて、穏やかで優しそうな人だった。

 

 息子である司のこともよく褒めていたし、司自身も母親のことを慕っているように見えたんだ。


 仲良し親子のように、見えたんだ。



 ――そう、()()()()()




 ここで話の方向性を少し変えて、朝陽司という人間の子供時代ついて話しておこう。


 といっても、今とそんなに変わらないんだけどな。


 当時からアイツは困ってる人を放っておけない『お人好し男』で、みんなから頼りにされてたよ。 


 突出した才能を持っているわけではなかった。


 運動も勉強も並で、アイツより優れた能力を持っているヤツはたくさんいた。


 だけど、アイツは他人に決して負けない素晴らしいものを一つだけ持っていた。


 それこそが朝陽司の『純粋な優しさ』。

 

 理由なんてない。


 困っている人がいれば寄り添う。


 自分にできることは協力する。


 それが自分の手が届く範囲なら――絶対に助ける。

 

 下心なんてそこには一切なくて。


 見返りも、評価も、なにも求めない。


 アイツはどんなときでも微笑みを絶やさず、誰に対しても手を差し伸べていた。


 そんな司に助けられたヤツは多くて、学年問わずにいろいろな子たちと交流があったおかげか……言ってしまえば人気者だった。


 文字通り、みんなを明るく照らす『太陽』みたいなヤツだったんだ。


 となると、人気者に嫉妬する『バカ野郎』も出てくるんだが……それは置いておこう。そいつの話は今重要ではない。


 優しい母親、仕事熱心な父。


 幸せな家庭に生まれた長男で、不自由なんて何一つない。

 

 本人はいつも楽しそうで、余裕を持っている。


 悩みなんてないのだと。

 苦労を知らないのだと。


 それは――周りが勝手に思い描いていた幻想だった。


 すべて……朝陽司という小学生の子供が、周囲にそう思わせるように必死に演じていたんだ。


 自分を蝕むあらゆる『傷』を覆い隠して、ボロボロの心で笑い続けて。


 震えを抑えて、他人に手を差し伸べて。


 悟られないように。

 見抜かれないように。

 


 我慢して、抱えて、抑えて、朝陽司は……傷だらけの足で地面に立っていたんだ。



 さて。


 

 ここで最も重要な……司が抱える『傷』について触れるとしよう。

 

 当時、司には不思議なことが一つだけあった。


 それは、服の下……つまり素肌を絶対に見せないということだ。

 

 とはいえ、小学生だから半袖短パンのジャージを着用していたし……袖から出ている肌はもちろん見えていた。


 しかし、それ以外……例えばお腹だったり、背中だったり……。


 普段から隠されている部分を、決して見せようとしなかったんだ。 

 

 服の下だから他人に見られたくないって気持ちは……誰にでもあると思う。


 そういうものを抜きにしても、アイツは……頑なに人に見せることはしなかった。


 体育のときは事前に服の下に体操着を着ていたし、俺らの学校にはプールが存在しなかった。


 年に数回実施される健診も、体操着の上から聴診器を当てられていた。



 ――なんとなく、想像が付いたんじゃないか?



 どうして司が服の下を隠していたのか。


 どうして他人に見られることを拒んでいたのか。



 お前たちが考えていることは……恐らく()()だ。




 ある日、クラスメイトだった一人の男子は偶然にも……司の服の下を見てしまった。



 

 本当に偶然だったんだ。

 



 アイツが一人で抱え込んでいた『痛み』を……見てしまったんだ。


 

 男子が見たもの。

 

 それは――



 見ていて痛々しくなるほどの──



 痣。


 火傷。



 傷、傷、傷、傷、傷。



 傷。


 

 数多くの──傷痕だった。


 男子はその光景に目を疑ったよ。


 これは現実なのか、と。

 オレの目の前に立っているのはあの朝陽司なのか、と。



 そう。


 優しくて、頼りになって、決して他人を見放さない。


 心の底から他人を思いやり、寄り添うことができる正義のヒーロー。



 そんな朝陽司自身が、誰よりも深くて……比べ物にならないほどの辛い『傷』を抱えていたんだ。


 とんでもないものを抱えて、他人を救い続けてきたんだ。



 後に判明したよ。



 その数々の傷痕は母親によって付けられたものだと。


 理不尽なまでの暴力に晒されてできた傷痕なのだと。



 人当たりの良い明るい母親。


 

 その正体は――



 誰にも見られない家の中で、ただ己の欲望のままに司を痛めつける……最低の母親だったんだ。



 周囲の人間には良い顔をして、忙しい『夫』に対しても良い妻を演じ続けた。


 だからこそ、誰も気付くことができなかったんだ。


 唯一母親の本性を知る司が、それを言わなかったから。


 ただ一人で耐え続けていたから。


 自分が我慢すればいい。

 自分がちゃんとしていれば、なにも壊れない。

 

 自分が、自分が――と。


 

 小学生の子供がだぞ? 考えられるか?


 


 アイツは『救われる』べき人間のはずなのに、ずっと『救う側』に立ち続けていたんだ。


 

 誰にも手を差し伸べられることなく、孤独に戦い続けていたんだよ。



 ――これが、朝陽司という男が歩んできた道だ。

 

 × × ×


「そのあとはまぁ……父親も虐待のことを知って、すぐに離婚したよ。親として失格だ、とずいぶん自分を責めていたようだけどな」


 あまりにも隠すのが上手過ぎたのだ。

 母親も……司も。


 気が付くことができなかった。


 妻の仮面に。


 息子の痛みに。


 仕方ない、で済まされるものではないかもしれない。

 父親として失格かもしれない。


 それでも彼は、息子に深く、深く……頭を下げて謝罪をした。

 

 司もそれを受け入れた。

 『初めて』誰かの前で涙を流して……許した。


 そして数年後、志乃ちゃんの母親と出会い、再婚をした。


 現在は一人の父親として息子を、()を、()を。

 

 家族を支えるために奮闘しているようだ。


 仕事で家を空けることは多いけど、そうではない日は積極的に家族サービスしていることを知っている。


 司自身、新しい母親と、義妹……つまり志乃ちゃんと出会えたおかげで徐々にその傷は癒えていた。


 あの家族と出会えて良かった、と俺は心底思っている。


 ちなみに実の母親のほうがどうなったのかというと……わざわざ語るまでもないだろう。


 因果応報、というものだ。


「ってな感じで……過去の経験のせいか、司は無自覚に女性に対して苦手意識を持ってるんだよ」

「女性に対しての苦手意識……」


 真剣に話を聞いてきた月ノ瀬が口を開く。


 三人は皆……辛そうな、悔しそうな……沈んだ表情をしていた。

 

 司の話を聞いて、そんな顔をしてくれるのなら……今はそれで十分だった。

 

 それだけアイツの痛みに寄り添おうと、アイツの痛みを理解しようとしてくれているのだから。


「普通に生活する分には問題はないんだろうが……ラインを超えた接触だったり……あとは、()()()()()()()だったり……いくつかの条件を満たしてしまうと、司は()()なっちまう」


 アイツが女性から向けられる感情に鈍感なものきっと……そのあたりが影響しているのだろう。


 無意識のうちに、女性と距離を縮めることに対して『抵抗感』や『恐怖心』を持っているのかもしれない。


 中学時代、俺はアイツに一度だけ、そのことを相談されたことがある。


 女子と話しているとたまに怖くなることがある。『嫌な感じ』がするのだ――と。


 その話を聞いた瞬間、きっと過去の経験から来ている……いわゆるトラウマめいたものなんじゃないかと思った。


 もちろん、それは司には伝えていない。


 伝えてしまえば……また、鮮明に当時のことを思い出してしまう可能性があったからだ。


 アレから年を重ねてきたことで、症状はどんどん良い方向に改善されていった。


 数年前、一度だけ司が取り乱したことがあったのだが……先ほど月ノ瀬たちが見た比ではないレベルだった。


「じゃあ、青葉。司の様子が変わったのって……」


 ここまで話せばもう、ある程度は理解できるだろう。


 俺は月ノ瀬を言葉に頷き、答えを告げる。


「まずは会長さんのスキンシップ。あの時点ですでに、司の中のリソースは大幅に割かれていた。そんなギリギリな状態での――」

「私との……接触」

「そうなるな」


 確信を得た蓮見が、ぽつりと呟いた。


 あの程度の接触なんて、普通に考えればなんてことのないものだ。

 

 美少女二人に囲まれて大変だぜ~、となって終わるはずだ。


 しかし、たまたま――司はそうではなかった。


 女性に対する無自覚な苦手意識。

 会長さんのボディタッチや不可解な言動。


 そして、蓮見が手に持っていたシャーペンが軽く刺さってしまったこと。


 それらすべてが合わさってしまったことで――司の中の嫌な記憶を呼び起こすトリガーを引いてしまった。


 司の中に眠る最も思い出したくない『傷』を、フラッシュバックさせてしまったんだ。


「や、やっぱり私が――!」

「ちげぇって。何回も言わせんな」


 言葉が強くなってしまう。


 未だ戸惑いの表情を浮かべる蓮見に、キッパリと言い放った。


 そこは譲るわけにはいかない。


「お前は知らなかったんだ。お前の気持ち的にはそれで済まないのかもしれないが……それ以上、自分を責めるのはやめろ」

「青葉くん……」

「仮にお前が悪いってんなら、会長さんも悪いし……アイツの事情を知っていて止められなかった俺や志乃ちゃん、日向も同罪だ」

「そ、それは……」


 最も、星那沙夜の場合はまた話が別になってしまうが。


 あの人の場合は今回、わざと司がああなるように仕向けた。


 本人は様子見のため、と言っていたが……その真意は分からない。


 ――それ以上に。


 違和感を覚えながら、行動に移せなかった俺という存在が……結局のところ一番の役立たずだったんだ。


 お前はどうしてそこに立っている。

 お前はどうして肝心なときになにもできない。


 そうだ。責められるのは俺だけでいい。

 

「……とはいえ、はい分かりましたーって言えるもんじゃねぇよな」

「……うん」


 そんなことは分かってる。

 蓮見が単純な人間じゃないってことくらい、とっくに分かってんだ。


 コイツは今、司に対して罪悪感で胸がいっぱいのはず。


 俺の話を聞いて、その気持ちはさらに大きくなっているだろう。


 そのうえで。


 俺が今、やらないといけないことは……。


 ――蓮見晴香を、舞台から降ろさせないことだ。


 コイツはまだ、ここで降りていい人材ではない。


 司のことを本気で想ってくれている。

 

 あの日、月ノ瀬が経験した辛い話を聞いて涙したように。


 他人の痛みを、自分の痛みのように感じられる人間なんだ。


 それに司自身、蓮見に対して好印象を抱いていることは見ていて分かる。


 そんなヤツを、司から離れさせるなんてことは――させてはいけない。


「アイツに対して本当に申し訳ないって気持ちがあるのなら。なにかしないと気が済まないのなら――」


 俺は、蓮見に向かって深く頭を下げた。

 

 テーブルに付くほど、深く……深く。


「……えっ?」

「……あ、青葉?」

「……」


 俺の行動に対し、三人はそれぞれ反応を見せる。


 目の前で突然頭を下げられたら、そうなってしまうのも当然だろう。


 別に俺なんてどう思われても構わない。


 アイツのためなら俺は、頭なんていくらでも下げてやる。


「頼む。……蓮見、月ノ瀬、渚」



 静まり返った生徒会室に、俺の声が響く。




「これからも――アイツのそばにいてやってほしい。アイツを――支えてやってほしい。どうか……頼む」

「あんた……」


 渚が小さく呟く。



「今のアイツには――きっと、お前らの存在が必要なんだ。やっとアイツは……心の底から笑えるようになったんだよ」



 どうか。


 俺の願いを――聞いてくれ。

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