第93話 青葉昴はやっぱり勉強したくない
「昴せんぱーい。ここ教えてくださいよー」
「ったく仕方ねぇな……そこの正解は三番だぞ」
「ほぇ? なんでですかー?」
「それはだな――」
「川咲さん、それ嘘だから。青葉、あんた分かってて嘘教えてるでしょ」
「えぇ!? ホントですか!? ちょっと昴先輩!?」
「ちっ……!」
「やっぱり最低だこの人!」
そんなわけで、俺たち計八人のメンバーは生徒会室で勉強会に勤しんでいた。
生徒会室は各種文化部の部室と同様に、教室の約半分程度の広さだ。
生徒会とは無関係の俺たちが利用することに関しては、会長さんが事前に根回しをしていたようで……流石は生徒会長様である。
会長さんと一緒にいることが多い副会長さんについては、テスト期間は真っ直ぐ家に帰るため……生徒会室を利用することはないそうだ。
室内に元々用意されていた長テーブルをT字型に配置し、会長さんを除く七人はそれぞれ向き合う形で座っていた。
会長さんは一番先輩だし、生徒会長なんでね……しっかり俺たち全体を見渡せるお誕生日席的な位置に座ってもらっている。
それにしても──
俺は改めて生徒会室に揃ったメンバーをぐるっと見回す。
うーむ……なんだこの超美少女空間。
文字通り、ヒロインたちが勢揃いだ。
誰を見ても顔面偏差値が高く、世の思春期男子たちが心から羨む状況であることは間違いないだろう。
金髪ツンデレヒロイン、月ノ瀬。
正統派美少女ヒロイン、蓮見。
元気系後輩ヒロイン、日向。
大和撫子系義妹ヒロイン、志乃ちゃん。
お姉様生徒会長系ヒロイン、星那先輩。
ダウナー眼鏡っ娘ヒロイン、渚。
そしてギャグ担当幼馴染系ヒロイン──青葉昴。
いやー……揃っちゃったねぇ、ヒロインたちが!
……んぁ? 不純物混ざってるって?
ダレノコトカナ?
むふふ……役得役得……。
「……あんたさぁ」
美少女空間に浸っていると、前に座る渚が呆れた視線を向けてきた。
この野郎邪魔しやがって……! とは怖いから言えませーん。
「なんだよ?」と反応すると、渚は俺が開いている日本史の教科書を指差した。
「それ……なにしてんの」
「え? あ、これ? ふふふ……見よ! 俺の特技の一つ、どんな歴史的人物でもセンター分け陽キャに変身させる落書き術――」
「ちゃんと勉強しろ」
「はいすんませんした」
おかしいな……。
強化合宿のときも同じような会話をしたような……。
せっかくかの戦国武将をセンター分け陽キャに変身させてたのに……。これ、結構自信作なんだが?
反抗したい気持ちは当然あるが……やっぱり鬼様が怖いため、俺は渋々教科書を閉じた。
歴史の勉強をするために教科書を開いていたわけではないため、これ以上テーブルに置いておく理由はない。
……昴くんちょっとやる気なさ過ぎでは?
「えー……じゃあアレか? 『怪奇! とろりんぽ!』でも話す? なかなか面白いぞ?」
「とろ……は? なにそれ」
「コホン。これは一人の男の話なん──」
渚に話をしようとしたときだった。
「青葉くん、気になるけどそれはやめて!?」
「すごく気になるけど今はその話やめなさい青葉!」
ガタガタッと椅子から立ち上がる音とともに、俺の話が遮られる。
俺の三つ左の席に座っていた蓮見と、その正面に座る月ノ瀬が焦った表情をこちらに向けていた。
あー、そういえばコイツらには話したことあったっけ。
話したというか……俺の独り言みたいなものだけど。
あのときの班員たちの反応面白かったなぁ。
せっかくだし、ここは少し揺さぶってやるとしよう。
俺は二人へ顔を向け、なにかを思い出したかのように「あー」と声をあげる。
「そういえば『とろりんぽ』なんだけどさ、実は先週──ま、いっか。そろそろ真面目に勉強しよーっと」
「えっ、そ、それは逆に気になるんだけど……!?」
「先週なにがあったのよ……!」
ぷぷぷ。面白いヤツらだぜ。
「――昴さん」
ビクッ――!
可愛らしく……しかし冷たさを感じる声。
声が聞こえた方向……左隣へ俺は恐る恐る顔を向ける。
そこには――
「みなさんの邪魔をしちゃ――ダメですよ?」
ニコッと微笑む……志乃ちゃん様がそこにいらっしゃった。
おかしい。
笑ってるのに笑ってない。
天使っぽいのに悪魔っぽい。
頭がおかしくなる!
くっ……! ここで俺がとる行動は一つ!
「もうマジでごめんなさいホントに申し訳ないと思ってます!!!」
テーブルにガンッと勢いよく頭を叩きつけて、俺は全力で謝罪をした。
「もう……ちゃんと勉強できますか?」
「できます!」
「本当ですか?」
「ホントです!」
「それなら……信じます」
「あざざざざます!!!」
ふぃー……志乃ちゃん様の慈悲に感謝だぜ……。
俺はゆっくり頭を上げ、額に滲み出た冷や汗をぬぐった。
マジで怖かった……。
渚や月ノ瀬とはまた別ベクトルで怖いよこの子。
というか俺、女子に対して頭下げすぎじゃね? そんなことない?
なんかいろんな女子に頭下げてる気がするんだけど……き、気のせいだよね。そう思い込んでおこう。
「ははっ、相変わらず昴は志乃に弱いな」
渚と月ノ瀬の間に座る司が、哀れな俺を見てニヤリと笑う。
っておい誰が哀れだ。
「――兄さん?」
「はいなんでもないでーす」
妹は強し。
志乃ちゃんがただ名前を呼んだだけで、司はそそくさと勉強へと戻っていく。
「フフ、キミたちは志乃には弱いのだな。勉強になったよ」
「せ、生徒会長さんまで……!?」
俺たちのやりとりを楽しそうに聞いていた会長さんが笑う。
それにより、志乃ちゃんは顔を赤くして俯いてしまった。可愛い。
「玲せんぱーい。英語でちょっと分からないところがあってー」
「いいわよ。どこ?」
一方、志乃ちゃんと蓮見の間に座る日向が月ノ瀬に話しかけている。
「全部です!」
「……え、えっと。日向って普段はちゃんと授業聞いてるのかしら?」
「聞いてないです! 英語だから余計聞いてないです!」
「………………」
あ、ピキってる。
後輩の前だからって笑顔を作ってるけど絶対内心『は?』って思ってる。
日向の潔さに逆に感心するけども。
怖いから聞いてないフリしてよっと……。
頑張りたまえ月ノ瀬……。
「……はぁ。仕方ないわね。私が基礎を叩き込んであげるわ」
「おー! さすが玲先輩! 頼りになる~!」
「調子いいんだから……」
日向のことは、月ノ瀬に任せておけばなんとかなりそうだな。
アイツなら日向相手でも分かりやすく教えてやれるだろう。
俺はどうすっかなぁ……。
もちろん必要程度には勉強する予定だけど……。
「ねぇ青葉」
「おん?」
なにをしようか考えていると、渚が問題集を横向きにし、俺にも読めるように見せてきた。
え、なに。
問題集の内容は……数学?
「ちょっと教えてほしいんだけどさ」
「俺? 司か蓮見に教えてもらえよ」
「数学に関して朝陽君と晴香に聞くことないから」
あかん笑いそうになった。
「ぐふ」
「る、るいるいさん……!?」
理不尽な一撃が司と蓮見を襲う。
しかも事実なのが余計に面白い。
コイツらに数学を聞くのは……たしかに無意味だな。
逆にこっちが教えるはめになりそう。
「……俺たちも頑張ろうね蓮見さん」
「う、うん……本当にね……がんばろ……」
あ、ちょっと仲良くなってる。上手いぞ渚。褒めてやる。
「てか数学かよ。お前別に苦手じゃねぇじゃん」
「基本的にはね。でも、ちょっとつまずいちゃって」
「ほーん? なら教えてください昴様って言ってもらおうか?」
「オシエテクダサイスバルサマ」
「素直っ! あのるいるいが素直で逆に怖いっ!」
めちゃめちゃ棒だったけど!
感情は一ミリも入ってなかったけど!
真顔のまま『教えてください昴様』はもはや恐ろしい。
「で、ここなんだけど……」
「俺まだなにも答えてないよな?」
「は?」
「嘘です私にお任せを!!」
おかしい。
なぜ教えてもらうほうが上の立場なのだろうか。
なぜ教えるほうが下の立場なのだろうか。
その謎の答えはこの地球上のどこかに眠っているのだろうか。
なんて文句を言っても仕方がないため、大人しく教えてやるとしよう。
どちらにしてもコツコツ一人で勉強なんて退屈であるため、こうして誰かに教えるほうが時間を潰せて助かる。
「あーっと、そうだな……。まずはこうして図を描いてみるだろ?」
「どうやって?」
俺は自分のノートを取り出し、適当な白紙ページを開いて図を描く。
渚は椅子から立ち上がり、テーブルから身を乗り出すようにして俺との距離を近付けた。
その反動でポニーテールが揺れ、ふわっと漂ってきた柑橘系のいい匂いが俺の鼻腔をくすぐる。
……。……普通にいい匂いなのドキッとするからやめてぇ!?
――おっと失礼。思春期昴くんが取り乱してしまったようだ。
スラスラーっと図を描きながら、なるべく分かりやすく問題の意図と解き方を俺なりに説明する。
超得意科目というわけではないが……まぁ、大丈夫だろ。
「――って感じでやれば、意外と簡単に解けるぜ。どうよるいるい」
「るいるい言うな。……でも、うん。……普通に分かりやすくてムカついた」
「ハッハッハ! ……ん?」
なんか最後の一言余計じゃなかった? 聞き間違いかな?
「……ありがとう。あんたって、ホントに見かけによらず勉強できるよね」
渚は問題集から顔を上げて俺との距離を取った。
椅子に座りなおすと、再び俺を見てため息をつく。
……俺は聞き逃してないぞ。しれっとお礼を言ってたことをな!
貴重なるいるいのお礼! 録音しておけばよかった。
「見かけ通りだろ。この溢れんばかりのイケメンフェイスを見てみろよ。キラッ☆」
「………?」
「おいキョロキョロするなこっち見ろこっち!」
「……誰?」
「都合よく記憶喪失になるのやめてくださる?」
なんて便利な特殊能力なんだ!
「――あ、あの……!」
渚の能力に呆れを通り越してもはや感動を覚えていると、俺たちの間に割って入るように声が届いた。
俺と……そして渚は同時にその声の主……志乃ちゃんへと顔を向ける。
「志乃ちゃん?」
「どうかしたの?」
「あっ、ぇ……その……!」
焦ったように俺と渚を交互に見る志乃ちゃん。
声をかけてきたってことは、なにかしら用があったのだと思うが……。
志乃ちゃんは考えを巡らせるように視線をあちこちへ流し、自分が広げていた問題集に目を止めた。
表情をハッとさせると、慌てた様子で問題集を持ち上げ、俺たちに……というか主に隣の俺に広げて見せてくる。
「わ、私も……! その、昴さんに教わりたいところがありまして……」
「あ、そうなの? 志乃ちゃんのお願いなら昴お兄ちゃん聞いちゃう!」
「昴! お前は志乃のお兄ちゃんじゃない!」
「うるせぇ! いいからお前は蓮見と仲良く勉強してろや!」
志乃ちゃんの話になると急に地獄耳になりやがって!
「なかよっ……!? あ、あぁぁ青葉くん……!?」
蓮見が赤面しているが放っておこっと。
司は不満げな表情ながらもグッとこらえたようで、そのまま「あ、じゃあ蓮見さんせっかくだからさ……」と一緒に勉強していた。
蓮見のほうも、あたふたしているがどこか嬉しそうだ。
司のシスコンを上手くイベントに繋げる俺ナイス!
「……やるじゃん青葉」
ボソッと呟いた渚に向かってニヤりと笑う。
だろ? 青葉はやるときはやれる男なのよ。
「で、なんだっけ志乃ちゃん。どこが分からないの?」
「あっ、は、はい! ここなんですけど……」
「青葉、あんた川咲さんのときみたいに嘘を教えないでね」
「わーってるよ。日向はどうでもいいけど志乃ちゃんにはそんなことしませんー」
「ちょっ! 昴先輩聞こえてるんですけどー!?」
可愛い可愛い妹分にそんなことするわけないでしょ!
日向は……まぁうん。日向だからね。
「す、昴さん……!」
「ん?」
「……あ、な、なんでもないです……。その、教えてください……」
なんだこの子勉強熱心か?
司もちょっとは見習えってんだ。
その司は蓮見と仲良さげに勉強をしていて。
月ノ瀬は日向にしっかり勉強を教えていて。
渚は黙々と問題集を解き――
俺は……今は志乃ちゃんの先生役である。
そして――
「――フフ」
誰かはただ一人、小さく笑っていた。