第89話 蓮見晴香は再び提案する
翌日、月曜日。
ぐっすり就寝したことで無事に快復した俺は、元気に学校へと向かっていた。
久しぶりにあんな長時間寝たかもしれない。
夢も見なかったし……まさに快眠ってやつだろう。
身体に怠さはなく、頭痛などもない。
つまり……青葉昴、復活である!
「……お」
学校へと到着した俺は校門を通り、昇降口へと向かう。
そこで視界に入ってきたのは――
眠そうに欠伸をしながら、下駄箱からシューズを取り出す渚留衣の姿だった。
「よっ、るいるい!」
無視する理由もないため、俺は暑さを吹き飛ばす爽やかスマイルで声をかける。
声が届いた渚は、ゆっくりとこちらを見ると……首をかしげた。
「……誰?」
悲報。開口一番で記憶喪失。
「おい。昴くんですけど?」
「あ、あぁ……。……誰?」
「もしかして記憶無くしてらっしゃる???」
暑いからね。
記憶飛ばしちゃっても仕方ないよね。
……朝から相変わらずキレキレで安心したよ。ぐすん。
俺は靴を脱いで校内へ上がり、渚と同じようにシューズへと履き替えた。
「……大丈夫なの」
渚はこちらに顔を向けることなく、淡々と質問を口にする。
大丈夫なの……か。
なにに対する『大丈夫』なのかは、わざわざ考えるまでもないだろう。
昨日の今日で聞くことなんて、一つしかないのだから。
「おうよ。おかげさまでな」
視線を向けることなく、俺も前を向いたまま答える。
実際のところ、あのまま体調不良を隠していたら未だに布団の中にいたかもしれない。
そうならずに、こうして元気に話すことができるのは……まぁ、渚のおかげもあるだろう。
もちろん――会長さんも。
あの人が車を呼んでくれなかったら、また違った結果になっていただろうし。
俺の気持ちはどうであれ、事実は事実としてしっかり受け止めるとしよう。
会長さんにも、改めてお礼を言っておかないとなぁ。
「……そ。ならいいんじゃない」
渚は小さく息を吐き、短く答える。
そして何事もなかったかのように、スタスタと教室へ向かって歩き出した。
……いや反応薄っ!
渚らしいといえばそうだけど!
だとしても反応薄くない!?
「え、ちょっと待ってぇ!?」
俺は慌てて渚を追いかけ、その隣に並ぶ。
気だるげな瞳が俺を見上げた。
「なに」
「もっとこう……元気になって安心した! とか、元気な昴くんの顔を見られて嬉しい! とか、昴くん好き過ぎて辛い! とかないの?」
「ない」
「バッサリッッ!」
「最後のは特にない」
「わざわざそれも言う必要あった?」
可愛さゼロの即答に、思わず目が飛び出る勢いである。
べ、別にあんたの心配なんてしてないんだからね!? みたいなツンデレ女子急募。
ツンデレとなると……その担当は月ノ瀬かぁ……。
司相手には発揮してたけど、俺にも発揮してくれるかなぁ。
あ、そこはあえての志乃ちゃんでもいいよ。
『べ、別に昴さんのことなんて心配してないんですからね!?』――って。
……なにそれ可愛い。へへ。へへへへ。
「――ま、それだけツッコミができるなら大丈夫か」
志乃ちゃんの可愛さに思考を持っていかれていると、渚が呟くように言う。
全然関係ないことを考えていたせいで、ハッキリとは聞き取れなかった。
「……おん? なんだよ渚?」
「あんたがうるさいってこと。ちょっとは風邪引いてるくらいがちょうどいいんじゃない?」
「なにおう!?」
「じゃ、今週もよろしく」
「お前なぁ――」
素っ気無い言葉に呆れて、文句の一つでも言ってやろうと思ったのだが……。
隣を歩く渚の横顔を見て――やめた。
………ったく。なーにが風邪引いてるくらいがちょうどいいだよ。
じゃあ……なんでお前は。
安心したように――ちょっと口元が緩んでるんだよ。
「はぁ……」
ため息がこぼれる。
そんな顔を見せられたらなにも言えないじゃねぇか。
自覚しているのか、していないのかは知らないけど。
その横顔は、俺を黙らせるには十分すぎる威力を持っていた。
昨日のアパート前での事といい。今といい。
普段真顔のくせに、どうしてこういうときだけ笑うんだよ。
まぁ……それも渚に言わせてみれば。
『友達だから――』なんだろうけど。
友達、ね。
「なにため息ついてるの」
「いや、俺がイケメン過ぎることへのため息」
「……あ、うん。そうだね。たしかにグミっておいしいよね。分かる」
「あれ? 話めっちゃ捻じ曲がってる?」
おかしいな。
気付かないうちにイケメンの話からグミの話になっていた。
なんで?
時空歪んだ?
「青葉」
「んだよ」
どうせまた変なことを――
「無理はしないで」
………。
「……はっ?」
まったく予想しない方向からの言葉に足が止まる。
渚はそんな俺を気にも留めずに歩いて行ってしまった。
その背中を呼び止めようと手を伸ばすが……当然、届くことはない。
「んだよそれ……どういう意味だよ……」
行き場のない俺の呟きは、生徒たちの声によって搔き消された――
× × ×
「はい! 提案!」
昼休み、蓮見晴香が元気よく挙手をして声をあげた。
「晴香、どうしたの」
渚が話の続きを促すと、蓮見は「あのね!」と俺たちをグルッと見回す。
蓮見もそうだが……。
結局司と月ノ瀬、そして蓮見の三人デートはどうだったのだろう。
まだそのあたりのことは、ちゃんと司に聞いていないから把握していないが……。
キャッキャウフフのリア充デートは実現されたのかねぇ……。
月ノ瀬と蓮見はちゃんとアピールできたのかねぇ……。
デートを盗み見るという目的が達成できなかったから、いろいろ気にはなるけど……。
あとでしれっと聞いてみよう。
今は蓮見の提案とやらを聞かなければ……。
「一週間後に期末試験があるってことは分かってると思うけど……」
「あー、もうそんな時期か。あっという間だな」
「昴……お前は余裕そうだな」
「んぁ? まぁ……別に焦るもんでもねぇし」
「青葉くんの自信が羨ましい……」
ほーん……。
もうそんな時期かぁ……。
たしかに蓮見の言う通り、夏休み前の学期末試験が今月実施される。
具体的に言えば、ちょうど一週間後からだ。
つまり今日からは各部活動も休みとなり、いわゆるテスト準備期間が始まるわけである。
呑気にテストのことを考える俺とは対照的に、司、蓮見、渚の三人はどこか憂鬱そうにぐったりしていた。
期末テスト。
蓮見の提案。
テストが不安そうな連中。
これらを結び付けて編み出される結論は――
「ひょっとして勉強会、かしら?」
月ノ瀬が人差し指を立てて蓮見へ問いかけた。
すると、蓮見の表情はみるみるうちに明るくなっていく。
その表情だけで、正解なのか不正解なのかを察することができる。
「そう! 玲ちゃん大正解!」
――そらそうなるわな。
蓮見は月ノ瀬の答えにうんうんと強く頷く。
「せっかくだから、五月のときみたいにみんなで放課後勉強会しようよ!」
そういえば勉強会とかしたなぁ……。
たった二ヶ月前の出来事なのに、随分昔のことのように感じる。
思えば、月ノ瀬が転校してきて最初のイベントだったな。
テストをイベントと呼んでいいのかは、いささか疑問ではあるけども。
そうか……五月かぁ。
月ノ瀬が転校してきた……。
ほうほう……?
俺はニヤリと笑みを浮かべると、そのまま月ノ瀬に顔を向ける。
「あんときはお前、まだなんちゃってお嬢様キャラだったな? ぐふふ」
「なっ……!」
当時のことを思い出したのか、月ノ瀬は顔を僅かに赤くした。
その反応が面白くて、俺はニヤニヤしながらさらに畳みかける。
「もう一回聞いてくれてもいいんだぜ? あ、あの……みなさんの成績をお伺いしても……? ってな。ちゃんと可愛く聞いてくれよ?」
あのときの月ノ瀬は可愛かったなぁ……うんうん。
今は……ほら、夜叉系女子だからさ。
いわゆる夜叉可愛い。なんだそれ。
「ア、アンタねぇ……!」
「もう、青葉くん! そうやって玲ちゃんをいじめないの!」
「違うぞ蓮見!」
「えっ!?」
俺はキリッと勇ましい表情を作り、蓮見をジッと見つめる。
「いじめちゃ……メッ! って怒ってくださいお願いします!」
思春期男子の願いを叫ぶと同時に、俺は勢いよく頭を下げた。
分かる!? 俺のこの気持ち!
蓮見みたいな女子に『メッ!』てされてみたくない?
分かるかな? 分かるよね?
ワカレヨ、オイ。
「変態さんがいるんだけど!?」
「晴香、アレを見ちゃダメ。目が腐るから」
「腐る???」
「はぁ……そうよ晴香、無視しなさい。耳が落ちるわよ」
「落ちる???」
容赦ない口撃に思わず頭を上げる。
すると、ゴミを見るような目を俺に向ける女子二人がそこにいた。
うーん……ゾクゾクしますねぇ。
たまりませんなぁ!
……ってやめて! 俺をそっちの道に堕とさないで!
そういうのに快感を覚えるタイプじゃないから私!
「つ、司ぁ! こいつら酷いよー! 助けてよぉ!」
うぇんうぇんと泣き声をあげながら、司に泣きつく。
「……えっと」
司は泣きわめく俺を見て――
優しく微笑んだ。
周囲を安心させてくれる、頼もしい微笑みだった。
つ、司くん……!
君こそやっぱり俺の親友――
「勉強会の話だっけ? 俺は問題ないよ。むしろ俺的にはすごく助かる」
「無視!? この流れで無視!?」
「あぁ、昴。どうしたんだよ。なにかあったのか?」
「お前ひょっとして寝てた!? 一瞬寝てた!?」
ビックリするほどのスルースキルっぷりに、俺のツッコミが止まらない。
「あ、えっと……う、うん! 朝陽くんがそう言ってくれてよかった!」
蓮見がチラチラと俺を見ながら気まずそうに笑う。
おい。せめて触れるのか触れないのかどっちかにしてくれ。
そういう中途半端が一番傷つくの!
清々しくスルーしてくれたほうが、俺もツッコミがいがあるでしょ!
「わたしも賛成。流石に少しは勉強しないとヤバそうだし」
「私も構わないわよ。分からないところがあったら任せなさい」
「おお、月ノ瀬先生の出番だな?」
「やめてよ司。あんたもちゃんと勉強するのよ?」
「わ、分かってるって」
……。
楽しそうにワイワイ話す四人の姿を見て、フッと笑みがこぼれる。
みんなで勉強会しようよ――か。
五月のときと比べて、月ノ瀬たちはどれほど司と距離を縮められたのだろうか。
焦る必要はない。
じっくり、徐々に距離を縮めてくれればそれでいい。
勉強会でも……なんでも。
何気ないイベントを経て、コイツらが司と仲良くなってくれればそれで――
「青葉」
ボーっと会話を眺めていると、渚が俺の名前を呼んだ。
三人はまだテストについてアレコレ話している。
「なんだよ」
渚はジッとこちらを見つめる。
その視線の意味が分からず、俺は眉をひそめた。
え、ホントになに。
なにか言いたいことでもあるの?
警戒態勢を取った俺に、渚は一言――
「晴香の言う『みんな』にはあんたも入ってるから。忘れないで」
短くそれだけ言うと、渚は再び蓮見たちの会話に混ざっていった。
俺は唖然として……その気だるげな横顔を見ていた。
コイツ……。
わざわざ念を押すように言ってきやがって……。
やっぱり渚は『あの日』から、俺に対しての行動が変わった。
俺が取る一つ一つの行動を、しっかり見てくるようになった。
しっかり見たうえで、今のように俺の思考を先回りして潰すようになった。
それがコイツのいう理解なのだとしたら。
非常に――厄介極まりない。
こんなことが続いて、万が一俺の目的に障害が生じるようなら。
そのときは――
「ふむ。勉強会か……なかなか面白そうだな」
ふと。
凛と響く、綺麗な声が響き渡る。
いつの間にか俺たちのそばに立っていた一人の女子生徒。
「フフ。キミたちさえよければ……私も混ぜてくれないか?」
星那沙夜は――綺麗に微笑んでいた。