第88.5話 渚留衣は青葉家に訪れる【後編】
「――という感じで……」
「ふむふむ、なるほどねー……」
とりあえず、わたしは今日のことを一通り話した。
細かい部分はもちろん省いたけど、それでも必要なことは伝えられた……と思う。
わたしのトークスキル的に、オールオッケーとは言えないかもだけど。
だ、大丈夫かな。変なこと言ってないかな……。
「ありがとう、るいるいちゃん」
「えっ……」
楽しそうに話を聞いていた花さんが、優しい微笑みを浮かべて突然お礼の言葉を告げる。
その意味を理解できず、わたしは固まってしまった。
いったいなんのお礼なのだろう……?
なにも言えなくなったわたしに、花さんは「だって……」と話を続ける。
「るいるいちゃんはさ、昴が心配でここまで一緒に来てくれたんでしょ?」
「そ、それは……」
――『友達が心配だから最後まで見送る。これ以外に理由なんてないでしょ』
たしかにわたしはアイツにそう言った。
もちろん、それは嘘ではなくてホントの気持ち。
いつもヘラヘラ笑っているアイツのあんな姿を見て、心配に思わないはずがない。
しんどいはずなのに茶化して、笑って、強がって、わたしたちを遠ざけようとして。
そんなの……心配するに決まっている。
「それは?」
花さんは首をかしげて私に続きを促す。
あぁ……この感じ。
やっぱりこの人はアイツの母親だ。
答えが分かっているのに聞いてくるあたり、息子とよく似ている。
分かっているのなら、そのうえで答えるまでだ。
わたしは心を落ち着かせ、悩むことなくすぐに答えた。
「……と、友達、ですから」
はい、しっかりどもりました。
何回も言うけどコミュ障を舐めないでほしい。
ここでスラスラと『友達ですから』と答えられるほど、コミュニケーションスキルにステータスを振っていない。
「友達?」
「は、はい……友達、です」
「そっか……友達かぁ。友達……友達……」
花さんは頷きながらわたしの言葉を繰り返す。
まるで噛みしめるように、しっかりと。
その後も何度か繰り返したあと……「ふふ」と、嬉しそうに笑みをこぼした。
初めて見たときから思っていたけど……花さんは表情が豊かな人だ。
笑ったり、驚いたり、真剣になったり、そしてまた笑ったり。
第一印象は……まぁ、うん。
とてつもなく強烈だったけど……。
「んー」
花さんはなにかを考えるように唸ると、わたしとの距離をグイっと詰めた。
「あぇっ……」
突然接近戦を挑まれたことで、思わず変な声が出る。
……あ、いや接近戦ってなに言ってるんだわたしは。
素早く距離を詰めてきた花さんの姿を、家で遊んでいるアクションゲームのボスと重ねてしまった。
リアルで接近戦なんて挑まれたら、フィジカル雑魚のわたしなんて一瞬でゲームオーバーだろう。
――今はゲームの話なんてどうでもよくて。
「なな、なにか……?」
上擦った声で、行動の理由を尋ねる。
花さんは「んー?」と空返事のような声を上げながら、わたしの目をジッと見つめた。
思わず顔を逸らしそうになったが……グッとこらえる。
その行動になにか意味があると思ったから。
が、頑張れわたし……!
そして三秒ほどわたしの目を見たあと、花さんは満足そうに距離を離した。
「うん! 大丈夫そうだねー!」
「な、なにがですか……?」
「るいるいちゃんの言葉が本当なのかどうか、目を見て確かめてた!」
「目を……?」
「そそ。言葉より目を見たほうがだいたい分かる! これ、花さんママの教訓だぜー?」
「なるほど……」
言葉より目を見たほうがだいたい分かる。
なんとなく……その意味が分かったような気がした。
――あ。
だから花さんはあのとき、青葉の目をジッと見ていたのかもしれない。
青葉について話した私の言葉が、本当なのか確かめるために。
青葉が本当に体調不良なのか確かめるために。
目……か。
わたしも今後意識してみよう。
「昴を友達だって言うるいるいちゃんの目が真っ直ぐでさ。母親として……その気持ちが嬉しかった」
嬉しかった――
それはきっと、嘘偽りのない言葉なのだと思う。
花さんはずっと、青葉の話を楽しそうに聞いていた。
青葉の話をするわたしを、微笑ましそうに見ていた。
体調不良の青葉を……真剣に心配していた。
あれは間違いなく、息子のことを大切に想う……母親の顔だった。
だからわたしは、安心したんだ。
青葉のことをこんなに想ってくれる家族がいるんだ……って。
アイツは孤独じゃないんだって。
安心……した。
――って、わたしちょっとアイツのこと考え過ぎじゃない?
考え過ぎだよね?
ちょっとアイツにはわたしの頭の中から出て行ってもらおう。
しっしっ。
「るいるいちゃんはさ」
「は、はい」
思わず背筋が伸びる。
やましいことはなにもないのに、やっぱり男子の親というだけで緊張が収まらない。
花さんは優しい表情のまま、わたしに予想外な質問をしてきた。
「昴のこと、好き?」
「嫌いです」
「そっか、そっかぁ……。……そっかぁぁぁ!? えぇぇ!?」
「――あ」
ヤバ――!
え、なに言ってるのわたし……!
パッと答えが出るからって素直に答えすぎでしょ……!
なんでこういうときに限ってスラっと言えちゃうの……!
本人の母親に向かって『嫌いです』は流石にヤバすぎる――!
まったく予想していなかったであろう答えに、花さんは文字通り目が点になっていた。
「あ、いや……! えっと……!」
急いで訂正しなければ――!
「き、嫌いだから……理解りたいんです。青葉、君のことを……!」
わたしは激しく身振り手振りをしながら、しっかり自分の考えを話す。
「わ、わたし……青葉君と去年からクラスメイトで、そこそこ話す仲だったのに……ア、アイツのこと全然知らなくて……!」
どうせその場しのぎの嘘を言っても、目を見られればバレてしまう。
だったら……わたしの正直な気持ちを伝えよう。
悪い印象を持たれるかもしれない。
息子に対してなにを言っているんだって、思われるかもしれない。
それでも……!
これはわたしにとって譲れないものだから。
「アイツはその、いろいろなものを抱えてて……そんなアイツのことを理解りたいって……そう、思ってるんです」
「……嫌いなのに?」
目をパチパチとさせて、花さんはわたしへ質問を投げかける。
「……はい」
取り繕うことなく、わたしは頷く。
「……友達だけど、嫌い?」
「友達だけど……嫌いです」
花さんの目をしっかり見て、答える。
嘘偽りでわたしたちと接する青葉が嫌い。
自分を部外者だって思い込んでいる青葉が嫌い。
ヘラヘラして、いつもバカにしてくるのに……大事なところだけは決して見逃さない青葉が嫌い。
そして。
ずっと一緒にいたのに、そんな青葉をちゃんと『見て』いなかった……わたしが嫌い。
嫌いだから……アイツを――理解りしたい。
「……ふふっ!」
笑い声。
「えっ?」
てっきり怒られるのかと思っていた。
不快な思いをさせてしまうのかと思っていた。
けれど……花さんの反応は全然違くて。
むしろ――
「はははっ……! ふふ……!」
楽しそうに――笑っていた。
笑った顔も……アイツにそっくりだった。
「あ、あの……?」
「……ふふふ……! ご、ごめんね……!」
笑って。笑って。
ひとしきり笑ったあと……花さんは、瞳に滲んだ涙を指先で拭った。
笑ったことで昂った気持ちを静めるように深呼吸をして……。
わたしを――見る。
「同じこと、言ってるなぁって思っちゃって。面白くなっちゃった」
「同じこと……?」
「うんうん、同じこと」
わたしはその意味が分からず首をかしげる。
花さんはフッと微笑むと……その答えをわたしに告げた。
「昔の私と――同じような言ってるなぁって」
「む、昔の……ですか?」
花さんは視線を斜め上に向ける。
過去を懐かしむように。
思い出を振り返るように。
ゆっくりと……話を始めた。
「わたしもね、高校時代にすっごく嫌いな人がいて」
「は、はい」
「その人さ、いつも不愛想で……全然笑わないの。でー、私が話しかけてもいつも『あ、そう』って感じで冷たくて。私、こう見えても結構周りから人気があってね?」
あ、それはなんとなく想像できる。
花さんみたいな女の子がクラスにいたら男女関係なく人気出そう。
美人だし、明るくて面白いし……。
「だから、軽くあしらわれたことがショックで。なにこいつムカつく~って! もうお怒り花さんだったわけ!」
「たしかに……そう思っても仕方なさそうですね……?」
「お得意のギャグを披露しても『君はバカなのか?』とか! 面白い話で笑わせようとしても『うるさい』で一蹴されたり……散々!」
……あれ。
なんかちょっと……親近感湧いてきた。なんでだろう。
「だから私は思ったの。その人をことを理解ってやるーって! 嫌いだからこそ、絶対に理解してやるって! 君なんて嫌いだ~! ってちゃんと宣言までしたんだよ?」
「……」
「それでね。一緒に過ごすうちに、その人が抱えてるものとか、その人の考え方とか、そういう……知らない部分をたくさん理解っていって……気が付いたら――」
「き、気が付いたら……?」
「――好きになってた」
思わず、息を呑んだ。
優しく……だけど寂しさを帯びた顔で話す花さんに、わたしは口を噤む。
この場に相応しい返答が分からなかった。
だって。
だって。
そんなのまるで――
わたし……みたいだったから。
もちろん、好き云々は除外して。
「その人が――ほら、あそこにいるでしょ?」
花さんが指さした場所……棚へと顔を向ける。
その棚の上には写真立てが置かれていた。
そこに収まる――一枚の写真。
眼鏡をかけて微笑む……一人の男性。
もしかして――
「青葉隼くん。昴の――パパだよ」
青葉隼……さん。
灰色の髪をした、穏やかそうな男性。
青葉昴の面影を感じる男性だった。
アイツは言っていた。
――『で、ガキの頃その親父が死んで……俺が料理するしかなくなって。でもまぁ……やってみると意外と楽しくてな』
あの人が……亡くなった、青葉のお父さん。
花さんが大嫌いで、大嫌いで。
大好きだった……『その人』。
「るいるいちゃん」
「あ、はい……!」
わたしは写真から花さんへと目を移した。
「昴はね、パパが……隼くんが亡くなったことがきっかけで変わったの」
「お父さんが……」
「なんでも自分一人で背負うようになって。無茶ばかりして。弱さを表に出さなくなった。こんなんでも私は母親だから……昴がどう思っているかなんて顔を見れば分かる」
朝陽君は言っていた。
昴は変わった――と。
そこには彼が深く関わっていることは間違いないと思う。
それでも。
そうなる『きっかけ』は、お父さんが亡くなったこと……なのかもしれない。
「でも、一番悪いのは……私。それを止められなかった、昴をちゃんと見てあげられなかった……ダメな母親の私」
わたしは……青葉家のことを全然知らない。
昔のアイツが、昔の花さんや……アイツのお父さんが。
どんな人だったのか……全然知らない。
知っているのは……変わったあとの、今の姿。
「るいるいちゃんが昴を嫌いでも構わない。友達でも、別にそれ以外でも……なんでも構わない」
たった一人の息子を。
たった一人の家族を想う。
母親の気持ち。
昴をここまで育ててきた……花さんの気持ち。
その表情は決してお遊びなどではなく。
真剣そのもの――だった。
「ほんの少しでいい。るいるいちゃんなりに……昴のことを『見て』くれたら――」
「違います」
「えっ……?」
わたしはすぐに花さんの言葉を遮る。
「わたしはもうアイツを……青葉を『見て』います。『見て』いたいんです。アイツは拒むでしょうけど……それでもわたしは青葉昴を『見て』いたい」
わたしはもう……その道を選んでいる。
誰かに頼まれたからじゃない。
誰かがそう望んだからじゃない。
わたしは、わたしの意思で。
アイツを『見る』って……決めたから。
その先になにが待っているのかは分からない。
アイツが、わたしが、どうなるのかは分からない。
それでも――構わない。
分からないこそ、理解しがいがあるのだから。
「それに……多分、青葉さんはダメな母親じゃないと思います。アイツなりに……大切に思ってる、はず……です」
アパートの前で親子の会話を見たとき。
一瞬ではあるけど……本来の『青葉昴』の顔が見られた気がした。
心の底から自分を心配してくれる母親に対して、アイツは嫌そうにしてたけど……本心は違うんだなって思った。
それはきっと、アイツなりに花さんを大切に思っているって証拠なんじゃないのかな。
……どうなんだろう。
「…………」
花さんは驚いたようにハッと目を見開いた。
「……そっか。そっかそっか……」
「……あ。ご、ごめんなさい……! なんかすごい勝手に……!」
「いーのいーの! むしろそう言ってくれて助かったぜー!」
ニカッと笑う花さんに、わたしはホッと胸を撫で下ろす。
流石に初対面なので生意気言い過ぎたかもしれない……。
コミュニケーション難しすぎるって……!
だ、誰か対人の攻略本ちょうだい……!
「なーんだ……もう、いるんじゃん。困った息子くんだなぁもー」
花さんがなにかを呟いていた。
いるって……言ってた?
どういう意味なんだろう……。
「るいるいちゃん、これからも……昴のことをよろしくお願いします」
高校生のわたしに……深々と頭を下げて。
え。あ、ちょっ……!
「ああ、あの!! 頭とか下げなくても……!」
「……あ、でもでも……!」
かと思ったら、突然頭を上げて。
「いやでもなぁ……志乃ちゃんも超可愛くていい子だし……るいるいちゃんも素晴らしいし……むむむむむむむ……ママ頭パンクするぅ~!」
テ、テンションの振れ幅どうなってるの……?
それに、どうして志乃さんの名前が……?
――一人でブツブツ呟いて、盛り上がって。
そんな花さんを見て……改めて強く思った。
やっぱり……青葉家の人間は癖が強い、と。
と、同時に。
お互いに大切に想い合って、支え合って。
ずっと一緒に生きてきた……大切な家族なのだと。
素敵な家族なのだと。
「……ふふ」
そう思ったら、自然と笑みがこぼれた。
× × ×
そのあと、花さんともう少しだけお話して――
わたしは現在、帰路へと着いている。
――『じゃね~るいるいちゃん! いつでも遊びに来てね~!』
とは言われたけど……アイツは絶対嫌がるだろうなぁ。
「……さ、急いで帰ってゲームしよ」
今日、どうして外出することを選んだのか。
そんなことも今だけは忘れて……。
わたしは立ち止まり、後ろを振り向く。
「お大事に。青葉」
夏の風に――声を乗せて。