第11話 唐突に星那沙夜は訪れる
時間は経って、五月の四週目。
いよいよ今日から定期試験が始まる。
試験期間は三日間に分けて実施され、期間中は午前で学校が終わる。
言ってしまえば早く帰れるということだが、仮にどこかで遊んでいるところを先生に見つかった日には……ご臨終。
そして現在は朝のホームルーム前。
登校して来たクラスメイトたちはそれぞれ教科書と問題集を机に広げ、テスト前の追い込みをしていた。
中には諦めなのか余裕なのか、ゲームをしているヤツもちらほらいるが……。
――え? 俺?
もちろんゲームしてる側の人間ですけど?
いやぁほら、しっかりイベントクエスト進めておかないと限定報酬取れないし。
渚に追いつく……のは無理だけど、一応マルチに一緒にいける程度にはキャラクターを強化しておきたいし。
勉強は放課後と……あとは家でやったから、今更足掻いたところで俺はなにも変わらないだろう。
あまりにも余裕のスタンスを取っている俺を恨めしそうに見ている者がいるが……気にしない気にしない。右隣の人、君ですよ。
とはいえ、近くにこんな余裕そうなヤツがいたら気が散るだろうし……ほどほどにして俺も一応最後の追い込みしておくかぁ。
俺はスマホをポケットにしまい、鞄から問題集とノートを取り出す。
適当にテスト範囲ページを開こうとしたとき──
「やっ、後輩たち。失礼するよ」
教室の扉から聞こえてきた凛と響く声。
同時に『えっ――!?』と、教室内が一気にザワつき始める。
俺は……いや俺たちは全員、この声の主を知っている。
知っているからこそ、ザワついたのだ。
俺は開きかけた問題集を静かに閉じ、扉へと顔を向ける。
「綺麗な人……」
その人物を見たのであろう、月ノ瀬の呟きが聞こえてきた。
あの月ノ瀬が思わず口に出してしまうほどの人物。
そこには──
「すまないね、テスト当日なのに。用件はすぐ終わるよ」
我が汐里高等学校の生徒たちを纏め上げるドン――いわゆる生徒会長と呼ばれる者が仁王立ちで立っていた。
大きな真紅の瞳には、呆然とした俺たちが映し出されている。
月ノ瀬を超える長髪は膝くらいまで伸び、今にも床に着いてしまうのではないかと思うほどで……。
しかし、その青みがかった髪はサラサラとなびき、先端までしっかり手入れが行き届いていることが分かる。右側だけ耳にかけた髪を、金色のヘアピンでクロスになるように留めていた。
身長はたしか……百七十センチあるかないかくらいだっただろうか。
どちらにしても女性の中では高身長の部類で、そのスタイルも抜群だった。
出るところは出て、締める部分はしっかり引き締まっている。
そして堂々とした佇まい。
自然と『かっけぇ……』と口に出してしまう、我が校が誇るナンバーワン才女。
それが彼女、星那沙夜である。
「ふむ………おお?」
会長さんはグルっと教室内を見回し、ある一点で視線を止めた。
――あれ? なんかこっち見てない?
……いや。これは俺というよりは……。
美しい容姿に似合う、優しい微笑みを浮かべて会長さんは言う。
「やぁやぁ、おはよう。――司」
ご機嫌そうに手を振りながら教室内へと入ってくる。
パタ、パタ、とシューズの乾いた音だけが響き渡っていた。
俺たちはなにも言わず……というよりなにも言えず、困惑したまま会長さんの言動を眺めていた。
……ん? ちょっと待て。
あの人今、サラっと司の名前を出してなかったか?
あれ? これまた始まる? ひょっとしていつものアレ、始まる?
「え? 俺ですか? ど、どうしたんですか星那先輩」
え、俺? と自分を指さす司。
……なるほどなぁ。お前が関わってるってだけで、大体察しがついたよバカ野郎。
それに対して先輩は「うむ」と頷き、司の前まで歩いていくと足を止めた。
「用件は二つあってね。一つはキミに会いに来た」
………。
あーあ、やっぱり始まったよ。
俺は心の中で盛大なため息をついて、ダラーっと背もたれに寄りかかる。
なんかもう勉強の気分どっかに吹き飛んだわ。
「……む? どうした昴、軟体生物になっているが……ついに人間を辞めたのか?」
そんな俺を見た会長さんが首をかしげる。
俺はクワっと目を見開き会長さんに顔を向けた。
「誰が軟体生物ですか。ったく……会長さん、あんた司に用があるんでしょう?」
「おお、そうだった。すまない」
今のやり取りで分かると思うが、俺たちと会長さんは割と親しかったりする。
でなければ、先輩に対して『あんた』なんて言えないだろう。
――というのも。
「司、キミに頼みがあるのだが……」
「あー……先輩。その顔、まーた生徒会を手伝ってくれとか言うんでしょ?」
「正解だ! さすが司、話が早いな」
「はぁ……分かりましたよ。テスト期間が終わったら生徒会長室にお邪魔しますね」
「うむ、それで問題ない。フフ、やはり持つべきものは頼もしい後輩だな」
このように、司は会長さんに頼まれて生徒会の手伝いをしている。
手伝いといっても、雑用に近いのだが……。
それで、司が一人だと大変な場合は、ついでに俺も強制的に連行される場合があるのだ。
そのおかげで会長との交流が増え、こうして親しく話が出来ている。
とまぁ……ザックリ言えばこんな感じだ。
そんなことを俺たちは……主に司は去年から、つまり会長さんが生徒会長就任時から行っているのである。
え? ほかの生徒会役員はどうしたんだって?
それはね……むしろ俺も聞きたい。聞いても適当に返事されるし。
――おっと。一つ、大事なことを言っておくと。
基本的に会長さんが手伝いを頼んでいるのは俺ではない。司なのだ。
そう。察しのいい人物ならもう分かっただろ?
この星那沙夜。
朝陽司ヒロインズの立派なメンバーなのである。
先輩枠、お姉さんキャラ、そして生徒会長属性。
うーむ。これは見事に王道ラブコメには欠かせないヒロインタイプですねぇ。
「はいはい……それで先輩、もう一つの用事って?」
それは俺も気になっていた。
司への話なんて、別に今じゃなくて問題ないはずだ。
となると、もう一つの用件のほうが大切なのでは?
わざわざ俺たちの教室に来るほどの用件とは……。
会長さんは司から視線をその一つ左隣……月ノ瀬に移した。
「転校生というのはキミで間違いないかな?」
突然の事態に驚いた月ノ瀬がガタっと椅子を揺らす。
そんな月ノ瀬を見て先輩は微笑み――
「おお……! たしかにこれは相当な美少女だ。見に来たかいがあったよ」
ただ満足げに頷いた。
……。
あれ? それだけ?
「あのー……星那先輩。ひょっとして月ノ瀬さんを見に来ただけ……ですか?」
蓮見が恐る恐る尋ねる。
「うむ、そうだ。三年の間でも大きな話題になっていたからな。二年生にとんでもない美少女が転校してきた……と」
「と、とんでもないって……」
月ノ瀬は恥ずかしそうに俯く。
大丈夫だ。お前は誰が見てもとんでもない美少女だ。
会長さんは興味深そうに月ノ瀬を眺める。
頭の先からつま先まで……それはもうじっくり眺めていた。
それにしても、やっぱり月ノ瀬の転校はそれほどまでに噂になっていたのか……。
確かに日向たち一年生の間でも話題になっていたほどだ。
三年生の間で同じことが起きていても、なにもおかしくはないだろう。
「それで月ノ瀬さん……でいいのかな? 下の名前は?」
「れ、玲……です」
「月ノ瀬玲……よい名前だ。私は生徒会長の星那沙夜。学校生活で困ったことがあればいつでも言ってくれ」
「あ、はい! よろしくお願いします!」
出来る生徒会長ムーブに月ノ瀬は立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「よし、テスト前に良いものが見られた。それでは私は失礼するよ。みんな、テスト前にすまなかったな」
会長さんは最後にもう一度満足そうに頷き、踵を返して歩き出した。
そのまま教室を出て行く――と思いきや。
扉の前でクルっと半回転。
また……俺たちへと身体を向けた。
「それでは司――またあとでな。テスト、頑張るんだぞ」
――パチン、と。綺麗なウィンクと一緒に言い残して。
そのまま会長さんは何事もなかったかのように、平然と教室から出ていった。
嵐が過ぎ去ったことで、シーンと教室に静寂が訪れる。
今この瞬間、司を除くすべての男子生徒が思ったはずだ。
『は? 俺たちは今なにを見せられたの?』――と。
だって……だって俺もそう思ったもん!
俺たちは本当になにを見せられてたの!?
美人生徒会長に会いに来てもらって、最後にはウィンクだぁ!?
月ノ瀬にも会いに来たっていう件は……まぁそれはそれでいいだろう。
美少女同士の絡みはむしろご褒美である。
だけども司! てめぇはダメだ!
俺は椅子に座ったまま、ゆっくりと上半身を司に向ける。
任せろみんな。ここは俺がズバっと言っておいてやるぜ。
「ちょ……ホントに困った人だよ星那先輩は……。なぁ昴、お前もそう思うよ――」
「お前マジで一回くたばったほうがいいぞ」
「なんで!?」
司の返答を聞く前に俺は正面に向きなおす。
まったくけしからん!
今日からテストなんだぞ!?
それなのに女子と……ましてや生徒会長とあんなに絡んで――!
学生の本分は勉強だ! 女子とのイチャコラなんて不要だ!
ああもう! ホントさぁ!
「いいなぁ……年上お姉さんヒロイン……いいなぁ」
「だからあんた本音出てるって。――ってあれ、晴香? 晴香意識ある? おーい」
渚の突っ込みは右から左へスルー。
それにどうやら蓮見もまた、いつしかのようにショートしているようだった。
気力を失い、俺は机に突っ伏す。
いやさ、別にいいんだよ?
司のラブコメ主人公っぷりは昔から理解してるし、俺も見ていて楽しいし。
でもさぁ……でもさ?
――美人な先輩からウィンク、されてみたいよなぁ!?
俺だって健全な男子高校生だもん! 欲望なんて無限にあるんだもん!
「わたし、朝陽君の一件で勉強する気分じゃなくなったんだけど……」
「安心しろ渚。お前だけじゃなくて男子たちもそうだぞ」
「……うわー」
渚がクラスメイトを見回すと、その表情が引きつる。
女子たちは『なんかすごかったねー!』と今はもう平常モードに入っているが……。
ここで、男子たちを見てみよう。
「なんで朝陽ばっか……」
「おかしい……おかしいよ神様……」
「モテすぎだろ朝陽……」
「いつも美少女に囲まれやがって……」
「ア…ア…」
なんか一人自我失ってるなオイ。
とまぁ、見事に彼らの心はダークサイドに堕ちていた。
分かる……その気持ちめっちゃ分かるぞお前ら。
だけどなお前ら。俺はそれを子供の頃から見てきたんだ。
この程度で闇堕ちなんてしてたら身体が持たないぞ……。
「男子ってホント単純だね」
渚は呆れたように言うと、シャーペンを手に取り勉強に戻っていく。
俺も上半身を起こし、無理やり勉強スイッチを入れるために思考を切り替えた。
あの一連のせいで、暗記していた単語が忘却の彼方に飛んで行った気がするなぁ……。
ペラペラと問題集のページをめくる。
「んなもん今更だろ。男子ってのは女子と話すだけでテンションあがるし、目が合っただけで勘違いするし、ウィンクされた日には間違いなく目が溶ける」
「……ふふ、なにそれ。極論すぎない?」
スラスラとシャーペンを走らせながら渚は小さく笑う。
「そんくらい男ってのは単純なんだよ」
男子高校生なんてこんなもんだ。
モテるためにアレコレ試行錯誤してるんだよ。
モテることはやりたいし、モテないことはやりたくない。
みんな青春を求めているのである。
「……青葉もそうなの?」
「んぁ?」
「あんたもそんな単純なわけ?」
薄紫の瞳を向けられて。
俺? 俺かぁ……。
俺は肩をすくめて「ああ、もちろん」と返事を返す。
俺なんて超単純だし。美少女と二人きりで会話したらそのまま勢いで告白するレベル。
そしてそのまま振られる始末。振られちゃったよ。
……いや、そんなことしないけどね? したことないし。
「まぁ、司は知らんけどな」
「ふーん……そ。でもたしかに朝陽君、目溶けてなかったもんね」
「そゆこと」
俺たちは会話を切り上げ、勉強に戻る。
渦中の人物の司も、今日ばかりはそこそこ真面目な様子で問題集とにらめっこしていた。
さっきまであんなことがあったっていうのに……呑気なヤツだよ、ホント。
――ちなみにですが。
蓮見はホームルームが始まるまでずっとショートしていました。めでたしめでたし。