第88話 青葉花は舞い上がる
「やばっ! 私スウェットじゃん! えっ!? スーツ着たほうがいい!? ビジネススイッチオンにしたほうがいい!?」
……。
「というかすっぴんだし! 髪もボサボサだし! こここ、こういうときどうすればいいの……!? え、え……!?」
………。
「……コホン」
……………。
「え、えっとー……」
………………。
「こ、こんにちは~! 青葉昴の──」
……………………。
「姉です☆」
「んなわけあるかぁぁぁ!!!」
「おぉおうっ!?」
我慢できずに思わずツッコミを入れてしまった。
今の大声で熱が三度くらい上がったかもしれない。
昴温暖化問題待ったなし。
「俺がなにも言わないことをいいことに、無理ある嘘つくな!」
なにを言うのかなぁと思って黙ってたらコレだ。
マジでとんでもない嘘を言いやがったぞ。
目の前で大げさに驚いている女性──青葉花に対し、俺は盛大にため息をついた。
体調不良のときに、この人の相手をするのはホントにしんどい。
起きているのはいいとして、なんで都合よく外に出てきてるんだよ。
呑気にゴミ出ししてるんじゃないよ!
青葉昴、十七歳の理不尽な叫び。
「無理あるってなに!? そ、そんなことないと思うんだ!? ママならぬシスターでいけると思うんだ!?」
「いけません!」
まぁたしかに見た目は若いかもしれないけど……!
それでも……うん、無理。
息子の気持ち的に絶対無理!
「うぇぇ!?」
「だいたい、さっき思いっきり息子くんとか言ってたじゃねぇか!」
「お、弟のことを息子くんって呼ぶって可能性も……」
「気持ち悪いわそんな姉!」
──休日の母さんは普段の三倍うるさい。
なんとなく……その一端が垣間見えたのではないだろうか。
ホントにヤバいのよ……。
冗談とかじゃないのよ……。
母さんと話したせいか、ドッと疲れが襲ってきた……ところで。
俺は一つ、思い出す。
ここにいるのは俺と母さんだけではない。
毒舌ダウナー眼鏡癖毛ポニーテールゲーマー女子こと、渚留衣もいるのだ。なにかの呪文かな?
そんなわけで。
俺は三歩ほど前に立つ渚へと顔を向ける。
渚は──
「……え、あ……ぇ……」
固まっていた。
ストーンるいるいになっていた。
母親の突然の登場。
その母親の強烈なキャラ。
初対面の相手にめっぽう弱いというコミュ障特性。
すべてが合わさった結果。
渚留衣は……石になっていた。
やったね! 防御力アップ!!
──とかふざけてる場合じゃないよね。うん。
このままストーンるいるいを見ているのも面白いけど、現実に付いていけない結果……思考が異世界転生してしまうかもしれない。
俺は渚へと近付き、癖でぴょこっと跳ねた髪の毛先を軽く引っ張る。
グイッ──と。
「いたっ…!」
お、帰ってきた。
渚は両手で頭を抑え、俺を恨めしそうに睨みつける。
うんうん、いつものるいるいの目だ。
……睨まれるのがデフォルトって悲しいネ。
「痛いんだけど」
「ふっ、それが生きてるって証だぜ」
「は?」
「なんでもないですごめんなさい」
やっぱりストーンるいるいのままにしておいたほうが良かったかもしれない。
せっかく親切心で現実に引き戻してあげたのに!
なんて酷い言われようだ!
――そんな俺たちのやり取りを。
「おー……!!」
パチパチと拍手しながら見ている人物が一人。
そいつ……母さんは目を輝かせて、とても楽しそうな表情を浮かべていた。
「そういうやり取り、懐かしい……!」
懐かしい……か。
その言葉の意味が分かってしまった瞬間、なんだか複雑な気分に蝕まれた。
一方で当然意味が分からない渚は、母さんの視線に気が付いた瞬間――
「ぁっ……!」
声にならない声を上げ、勢いよく顔を真っ赤に染め上げた。
一瞬、母さんがこの場にいることを忘れていたのだろう。
こんなに赤くなる渚を見るのは珍しいかもしれない。
「え、あっ……! えっその……!」
コミュ障発動!
とはいえ今回の場合は、相手が大人で……しかも知人の母親なのだ。
こうなってしまうのも仕方ないと言える。
俺だって、仮に渚の両親と顔を合わせたら似たような状態になる可能性があるもの。
渚はしどろもどろになりながら、視線をあちこちへと向けていた。
ちょくちょく俺へ助けを求める視線を送ってくるのが……なんとも面白い。
普段から淡々と毒を吐くヤツと同じ人物だと思えなかった。
ぐふふ……。
表に出すと怖いから心の中で笑っておこっと。
「ぐふふ」
あ、表に出ちゃったよ。
我慢できなかったよ。
「ちょっ、あ、あんた……! なに、わ、笑ってるの……!?」
笑い声に渚はすぐさま反応すると、顔を赤くしたまま俺を再びキッと睨みつける。
動揺のせいで、声がちょっと上擦っているのがまた面白かった。
俺としたことが笑い声を我慢できないなんて……。
修行がまだまだ足りないということか……。
でも……そうだな。
渚は渚で必死なんだ。
それを笑うなんて失礼極まりないじゃないか。
ここは素直に謝るべきではないのか青葉昴。そうだろう?
俺はコホンと咳払いをして、表情を切り替える。
真面目な顔を浮かべ――
「ごめん☆」
ることなく、てへっと可愛らしく笑った。
うーん昴くん可愛い!
まるでアイドルみたい!
つまりアイドルデビューってことぉ!?
……多分アレだな。
熱のせいでテンションがおかしくなってる可能性がある。
許してくれ渚……。
「――」
っっっ――!!!
凄まじい悪寒に襲われ、思わず俺の表情は凍りつく。
俺の目の前では。
緑の鬼が……とんでもないオーラを放っていた。
まるで漫画のように目元に影が差し、表情が上手く読み取れない。
――消される。
本能が訴えかけてきていた。
俺はその場にしゃがみ込み――
「とうっ!!!」
勢いよく跳躍した。
あ、俺今絶賛体調不良中っす。
バリバリ体調悪いっす。うす。
そのまま空中で体勢を変えて、とあるポーズを取ると……。
着地と同時に、地面に頭を擦りつけた。
言ってしまうのなら……これはそう。
古事記に書かれている由緒正しき謝罪術。
――ジャンピング土下座である。
「ほんっっっっとにすいやせんでしたぁぁぁぁぁ!!!」
アパートの前で土下座をする情けない男の声が周囲に響き渡る。
あ、ちなみに改めて言っていいっすか?
自分、今絶賛体調不良中っす。
バリバリ体調悪いっす。うす。よろしくっす。
くっそ頭いてぇっす。
いやー……それにしても。
俺のジャンピング土下座美し過ぎるだろ。
体操の大会で締め技として披露したら高得点取れるんじゃないの?
「おー……! 学生時代のママにも負けないジャンピング土下座……! これは間違いなく私の血を継いでいる……!」
パチパチパチ――!
拍手の音が再び鳴り響く。
てかおい、待て。
なんだママの学生時代って。
その言い方だと、母さんも俺みたいによく土下座してたみたいになるだろ!
こんな情けない姿で親子だと再認識されても困るんですけど……!?
驚きのあまり身体を起こしてしまう。
視線の先では鬼様……じゃない間違えた。
渚様が物凄く呆れたように、大きなため息をついていた。
「……体調悪いのになにしてるの? バカなの?」
「たしかにバカだと俺も思います!」
否定はしない! というかできない!
キリっとした顔で俺が言うと、渚はそんな俺を冷たい目で見下ろした。
ドМなら大歓喜のアングルである。
これ以上俺の相手をするのは無駄だと判断したのか、今度は母さんへと顔を向けた。
「あ、あの……」
緊張した面持ちで、渚は質問を投げかけた。
「青葉……君のお母さんでいいんですよね……?」
お、しれっと君付けしてる。
青葉君なんて、それこそ去年以来じゃないのか?
あの頃は今みたいに毒吐いてなかったなぁ。
というか目すらまともに合わなかったなぁ。
とかとか。
去年の渚を思い出して懐かさを感じた。
「姉です☆」
「おい」
ツッコミの勢いで土下座のポーズから立ち上がる。
どこまで姉ネタ擦るんだよ!
少なくとも初対面の女子相手に擦っていいネタじゃないわ!
「嘘です母です!」
俺のツッコミを受けて母さんはビシッと敬礼のポーズを取った。
コイツほんま……。
夕飯抜きにしてやろうか。
あ、それだと勝手にキッチン入るからダメだわ。
渚は「え、えっと……」と困惑しながらもなんとか話を続ける。
「青葉君……その、体調を崩しちゃって……熱を出し――」
「あ、お前ちょっと待っ……!」
ツッコミに思考を持っていかれて完全に油断していた――
俺は急いで渚を止めに入るが……もう遅い。
「え――」
体調を崩した。
その言葉により、先ほどまでヘラヘラしていた表情が……一変。
途端に真剣なものへと変わっていく。
明らかに普通の反応ではなかった。
――あぁ、くそ。
だから母さんにだけは黙っておきたかったのに……。
しれっと家に帰って寝ようと思ったのに……。
青葉花は『家族の体調不良』というものに過剰に反応を示すのだ。
「昴――本当?」
母さんは冷静に俺へと問いかける。
それは、いつもの脱力した声音ではなかった。
俺は……なにも言わずにスッと顔を逸らす。
実に子供らしい……分かり易過ぎる反応だと思う。
こんなんで母親を騙せるわけないのに。
母さんは自由人ではあるが、決してバカではないのだから。
「昴」
母さんは俺の名前を呼ぶと、早足で俺との距離を詰める。
「ちょ、なんだよ……!」
「……」
目の前に立ち、距離をグッと縮めてきた母さんは俺の顔を……いや、目をジッと見つめる。
次に体温を確かめるために、俺の額に手を当てた。
母親の真剣な顔を前にして、抵抗など……できなかった。
「早く帰るよ昴。歩ける?」
「いや別に大丈夫だっ――」
「昴!」
強い声音に、俺はひるんでしまう。
「すぐに帰るよ」
「……分かったよ」
母さんは短く言うと、俺の腕を掴む。
ギュっと握ったその手は……震えていた。
なぜ、震えているのか。
考えなくても……分かっている。
『失った者』の――恐怖。
「あっ」
思い出したかのように母さんは声を上げ、渚へと顔を向ける。
「あなたも手伝ってくれる? 昴、なかなか言うこと聞かないから」
未だ戸惑い状態の渚にそう言うと、優しく微笑んだ。
……え?
手伝ってくれる……ってなに?
え?
「えっ……」
渚もしっかりハテナマークを六個くらい頭上に浮かべていた。
「それじゃ、彼女ちゃんを青葉家にご招待~!」
「かっ……! あ、あのわたし彼女じゃ……!」
母さんは普段のような明るさへと雰囲気を変え、俺の腕から手を離す。
そして、俺たちに背中を向けるとアパートに向かって歩き出した。
「……おぉっと! その前にゴミさんを捨てなきゃ……!」
――と、思いきや自分が手放したゴミ袋を慌てて拾い上げる。
そのコミカルな絵面と、先ほどの真剣な表情とで……ギャップが凄まじかった。
「……悪いな、渚。なんか……巻き込んじまった」
ポツリと、呟くように。
まさかこんな状況になってしまうなんて、渚も予想していなかっただろう。
こうなってしまった原因は……俺にある。
俺が体調を崩さなければ。
大人しく一人で行動をしていれば。
渚はこんなところに来る必要はなかったし、自分の目的を果たせていたかもしれない。
……なんて、考えてしまったら――きっと。
――『いちいち難しく考えすぎ。友達ってそういうものなの。分かる? ――いや、分かって』
また、言われるんだろうな……。
『分かって』――か。
「……ううん」
隣から返ってきたのは小さな声。
「なんか……安心した」
「安心……?」
言葉の意味が分からず、俺は渚へと顔を向ける。
その横顔は――
嬉しそうに……微笑んでいた。