第87話 青葉昴は送り届けられる
「すまないな、急に呼び出してしまって」
「いえ、これも仕事ですから」
流れる景色をボーっと眺める。
俺は現在、会長さんが手配した車の後部座席に座っていた。
会長さんは助手席ではなく……同じ後部座席の中央で、右隣に俺、左隣に渚……といった状態になっている。
そして運転席には……スーツ姿をピシッと着こなした美人さんが座っていた。
車に乗り込む前に軽く挨拶をしたが……なんというか、有能秘書感が凄まじい。
運転している時点で当然だが、俺たちより年上のお姉様。
会長さんと似た青みがかった髪を後頭部でお団子にし、スッと細められた黄色の瞳からはクールな印象を感じる。
身長も高く、だいたい会長さんと同じくらいだろうか。
纏っている雰囲気もどこか似ているように感じた。
「昴、体調はどうだ?」
会長さんはこちらへ顔を向ける。
ちなみにこの車は俺の家……というかアパートに向かって走っていた。
というのも、会長さんと渚の圧に負けて俺が運転手さんに住所を伝えたからだ。
せめて近くまででいい……と言ったのだが『お前いいから家教えろよ』という視線という名の剣をグサグサと刺された結果……今に至る。
車の中は冷房が効いていて涼しい。
そのおかげか、俺の体調も少し良くなった……気がする。
少なくとも、普通に会話ができる程度には落ち着いていた。
「おかげさまでいい感じっす」
「フフ、そうか。それはなによりだ」
会長さんは安心したように微笑み、視線を外して前を見た。
思えば今乗っている車、会長さんが電話で呼んだんだよな……?
女子高生が電話一本で車を呼べるってなに……? どういうこと……?
運転手さんの存在もそうだが、二人からは俺たち一般人とは違うものを感じる。
「あ、あのー……」
俺は前に座る運転手さんに話しかける。
「なにか?」
ルームミラー越しにチラッと俺に視線を向けると、淡々とした声が返ってきた。
同じ『淡々』でも渚の気だるい感じとは違い、まさにクールといったような声音だ。
反射的に『お姉様!』と呼びたくなってくるな……。
その雰囲気に臆することなく俺は話を続ける。
「すみません……俺なんかのために車を……」
「問題ありません。沙夜様のご学友の方とあれば当然でございます」
やはり返事は淡々としたもので。
……ん? 沙夜様?
明らかに運転手さんのほうが年上のはずなのに……様付け?
俺は思わず疑問を抱き、会長さんの顔を見た。
渚も同じことを思ったのか、同じような行動を取っている。
左右から視線を感じた会長さんは、困ったように苦笑いを浮かべた。
「椿……。友人の前で様付けはやめてほしいのだが……」
椿。
それが運転手さんの名前なのだろう。
率直な感想としては、見た目の印象と合った素敵な名前だと思う。
「申し訳ございません。現在は職務中なので」
やはり返事は淡々と。
職務中……か。
つまり、こうして車を運転しているこの時間が仕事というわけで……。
沙夜様。
椿。
タメ口と……敬語。
なんとなく……二人の関係性が分かったような気がした。
「まったく……相変わらずキミは真面目だな」
「恐縮です」
おー……。
会長さんがこんなに冷たくあしらわれているのは新鮮だ。
「流石に疑問に思っているだろうから……紹介しておこう」
会長さんが順番に俺、渚、そして最後に運転手さんへと視線を向けた。
「彼女は星那椿。私の……まぁ、お目付け役のような存在だな」
「星那……?」
「星那って……」
俺たちの呟きに対して、会長さんが「あぁ」と頷いた。
星那。
会長さんと同じ苗字。
ということは、近しい関係性なのだろう。
姉妹か。それとも……。
――その疑問はすぐに明かされる。
「椿は私の従姉なのだ。似ているだろう?」
「あー……なるほどそういう……」
姉妹ではなく、従姉……親戚だったのか。
どうりで容姿や雰囲気がどことなく似ているわけだ。
だけど、お目付け役というのは……未だによく分からない。
分からない――が。
少なくとも、二人が俺たちとは違う世界の住人なのだと……改めて強く感じた。
「不愛想に見えるだろうが、悪いヤツではない。よろしく頼むよ」
「星那椿でございます。いつも沙夜様がお世話になっております」
「いやいやいや……あの、僕らにはそんな敬語使わなくていいといいますか……な、なぁ渚!?」
「え、えぇ……!? ちょ……!」
突然話を振られたことで、渚はガタッと分かりやすく動揺を見せた。
焦ったように俺と運転手さん……椿さんを交互に見て「は、はい……!」と上ずった声を上げる。
ヤバい、ちょっと笑いそう。
君コミュ障だもんねぇ。
車の中に知らない大人が居てしんどいよねぇ。
しかも、なんか自分らとは違う側の人間っぽいし余計にしんどいよねぇ。
分かる分かる。
おじさん分かるよぉ。
おっとおじさん昴くん失礼。
「いえ。ご学友の方に無礼を働くわけにはいきません」
無礼って……。
むしろこっちが気まずい感じになるんですけど……!?
年上の女の人に敬語を使われるとか、違和感しかないんですけど……!?
「あ、おー……そ、そうすか……」
キッパリと言われてしまっては、あまり無理を言うことはできない。
俺は大人しく引き下がった。
お目付け役といい、今の言葉といい……。
会長さんと椿さんとの間には……主従関係のようなものがあるのかもしれない。
それなら、二人の距離感も頷ける。
従姉を従わせる会長さん……マジで何者なんだこの人。
「で、でもあの……ホントにありがとうございます星那さん。おかげで無事に家まで帰れそうなので……」
歩いて帰ることもできたが、体調的に時間はかかっただろう。
俺としてはまだ納得できていない部分はあるが……文句を言っても仕方ないし……。
俺の気持ちはどうあれ、助けてもらったという事実には変わりない。
椿さんはチラッと再び俺に視線を向ける。
この人の瞳も綺麗だな……流石は会長さんの血縁者。
「む、昴。私も『星那さん』なのだが?」
隣を見ると、会長さんが不満そうに眉をひそめていた。
「あなたは『会長さん』なので。こっちが星那さんで」
「では私のことは沙夜と呼ぶのはどうだ?」
「丁重にお断りしやす」
「むぅ……それは残念だ」
この人を下の名前で呼ぶとか無理ゲーにもほどがある。
なんかこう……無理じゃね? 分かるかな。
ほかの同年代女子ならまだしも、会長さんはこう……なんか違うんだよな。
仮に名前呼びをするとしても、相応の覚悟を要する。
渚を『るいるい~』と呼ぶレベルとは違うのだ。
「……へぇ」
なにに反応したのか、椿さんが声を上げた。
「椿? どうかしたのか?」
「失礼しました。沙夜様が同年代の方と、気さくにお話をする姿を見るのが珍しく……」
「フフ、そうだろう? 昴は騒がしいが、なかなか面白いヤツなのだ」
「騒がしいって部分を『かっこよくて』に変えてもらってもいいですかね」
珍しい……か。
きっと椿さんの言う通りなのだろう。
会長さんは同じ三年生と話すときでも、どこか壁を作っているように感じる。
いや……どちらかと言えば相手側が会長さんに遠慮しているのだろう。
この人の圧倒的な存在感を前にしたら、一歩引いてしまうのも分かるけども……。
それこそ、対等に話をしているのは生徒会副会長くらいなのかも……?
「……なるほど。あなたが昴様ですか」
……おっと。
その言い方だと、まるで既に俺を知っているようだけど……?
表情の変化をミラー越しに感じ取ったのか、椿さんはすぐに「失礼いたしました」と謝罪をした。
「沙夜様のお話によく出てくる男性の一人だったもので、つい……」
「あ、そうなんですか」
「はい。昴様と……あとは、司様のお名前を」
「あぁ……そういう……ね」
なんとなく想像できる。
大方、会長さんが椿さんに『司が~』といった話をしているのだろう。
で、おまけで俺のことも言っていると……。
それなら俺の名前を知っていてもおかしくはない。
にしても、どんな話をしているのだろうか……。
昴くん、気になります。
「どうか、これからも沙夜様のことをよろしくお願いいたします」
口調は常に淡々としているが……今はその言葉の中に、僅かな温かみを感じた。
椿さんなりに会長さんを思いやっているのかもしれない。
美人なお姉さんから頼まれちゃあ……仕方ない。
俺はニッと輝く笑顔を浮かべて、自信満々に頷いた。
「はい! この昴くんにお任せあれ!」
「あの、すまないが二人とも……恥ずかしいのでやめてくれるか」
「なんすか会長さん! 俺によろしくされてくださいよ!」
「昴、今からキミの体温を二度ほど上げてもいいのだぞ?」
「どうやって!?」
ただでさえ熱っぽいのにやめてっ!
「――ふふ」
無表情だった椿さんが笑ったような気がした。
× × ×
「到着しました」
「ありがとう、椿」
その後、俺たちを乗せた車は見慣れたアパートの前に到着した。
「あのアパートが昴の家か?」
「えぇ、まぁ……なんの面白みもないアパートっすけど」
「あそこがあんたの……」
会長さんと渚は窓越しにアパートを見ている。
一軒家ではなくただの古いアパートだし、別に見てもなにも楽しくないだろうに……。
「家には誰かいるのか?」
「あ、はい。母さんがいるっす」
「そうか。なら安心だな」
「そ……っす、ね……?」
いや。安心……か?
仮にお粥なんかを作って食べさせられた日には……俺逝くぞ?
ま、俺が体調不良でも料理に関しては絶対にやらせないけどね。
というか、母さんはもう起きてるのかな。
それすらも分からないわ。
さて、と……。
これ以上厄介になるわけにも行かないし……。
さっさと退散するとしよう。
「じゃ、俺はこれで……ありがとうございました。会長さん、星那さん、あと……渚も」
会釈をしながらそう言うと、俺はドアハンドルに手を掛ける。
「待て」
「んぇ? な、なんすか?」
会長さんの言葉に手を止める。
すると会長さんは俺……ではなく、渚へと顔を向けた。
当の渚本人も「……え、わたし?」と戸惑っている。
大丈夫だ渚。
俺もなにがなんだか分からん。
渚に顔を向けたまま、会長さんは続きの言葉を口にした。
「留衣、キミは昴を最後まで家に送り届けてくれ」
……。
「「え」」
間抜けな声が重なる。
「いや、会長さん……俺の家すぐそこなんすけど?」
「知っている。だが、車から降りて玄関までの途中で力尽きるかもしれないだろう?」
「んなわけあるか!」
思わずツッコんでしまった。
車から降りてアパートまでは大体三十秒くらいだ。
そんな短い距離すら歩けないほど俺は絶不調ではない。
この人――なにが狙いだ?
俺が怪訝そうに目を細めると、会長さんはいつも通りフッと笑った。
「留衣、すまないが頼めるか?」
「………」
そもそも渚だって早く帰りたいだろうに……。
俺なんかに付き合う理由なんてどこにもないだろ。
さっさと断ってくれと切実に思う。
動揺していた渚だったが、会長さんの言葉を受けて少し考え込んでいた。
まぁどうせ断るだろうし俺はとっとと――
「分かりました」
そうそう、大人しく断れば――
………。
…………。
「え?」
間抜けな声、再び。
理解するのに時間がかかってしまった。
「今日はありがとうございました。青葉、行くよ」
「え、あちょっ、おまっ……!」
「フフ、また学校でな」
「お大事にどうぞ」
俺が止める暇もなく、渚は短く挨拶をして車から出て行ってしまった。
「お前なぁ……! じゃあ俺も! あざした!」
「ああ、またな」
先に行ってしまった渚を追うように、俺も急いで車から飛び出す。
ドアを閉めた数秒後、会長さんを乗せた車は出発していった。
会長さんが窓越しに、こちらに向かって手を振っていたが……今はそんなことより渚のほうが優先だ。
「おい渚! 待てよ!」
「待ったけど?」
俺が呼び止めると、渚は素直に足を止めて振り向いた。
待ったけどって……軽すぎだろ。
俺は疑問を渚にぶつける。
「お前、どういうつもりなんだよ」
「なにが」
「お前が俺をここまで見送る理由なんてないだろ」
ため息交じりに言うと、渚は「は?」と首をかしげた。
まるで俺がなにを言っているのか理解できないように……。
次に渚が呆れたようにため息をつくと、左手を腰に当ててサラッと告げた。
「――友達が心配だから最後まで見送る。これ以外に理由なんてないでしょ」
「なっ……」
「ふふ、なに驚いた顔してるの? らしくないじゃん」
渚は楽し気に笑みを浮かべながらそう言った。
友達が心配……。
本当に、それだけなのか……?
例えば家の事情を知ることで弱みを握るとか。
例えばアパート周辺の状況を覚えて、なにかあったら突撃してくるとか。
あとは――
「あのさ」
渚の声によって思考が止まる。
「いちいち難しく考えすぎ。友達ってそういうものなの。分かる? ――いや、分かって」
分かって。
念を押すようにゆっくりと……強く、渚は言う。
あまりにもどストレートな言葉に対して、俺はすぐに答えることができなかった。
きっと……熱のせいで頭がしっかり回っていないからだろう。
そうに、決まっている。
固まった様子を見て渚は「……そういうことで」と短く言い、俺に背を向けた。
「ほら、体調悪いんだから早く行くよ。案内して」
なんなんだコイツは。
どうして何度も俺を友達だって言うんだ。
黙って蓮見や司と関わっていればいいだろ。
そもそも今日だって蓮見が目的であそこまで来たんだろ?
一緒に車に乗らないで、自分の目的を優先していればよかったじゃないか。
どうして俺をそこまで気に掛けるんだ。
いつも通り『そ。頑張って』って適当に流せばいいだろ。
渚といい……あとは――
――『志乃ちゃんレスキュー……私、本気ですから』
マイナスな感情が俺の中で渦巻く。
頭が重い。
体が怠い。
「……くそ」
俺は頭を振って不快感を無理やり追い出す。
今は帰って寝よう。
考えるのはそれだけでいい。
小さく息を吐き……呼吸を整える。
「へいへい、一名様ご案内……っと」
「よろしく」
一歩、踏み出したときだった。
「ゴミ捨てゴミ捨て~! うーん、ちゃんとゴミを捨てられて偉いぞママー!」
あまりに聴き馴染みがある声が……俺たちの耳に届く。
その瞬間、思ったことは一つだけだった。
――ヤバい。
このアパートのゴミ置き場は、ちょうど俺たちが立っているすぐ近くにある。
そうなると、当然――
「ゴミさんゴミさ――」
俺たちの前に姿を現したのは、右手にゴミ袋を持ったスウェット姿の女性。
女性はこちらを……というか俺を視界に捉えると――
手に持っていたゴミ袋を地面に落とした。
ご機嫌そうなその表情が……みるみるうちに驚愕へと変わっていく。
「む、む、む……!!」
女性は俺を指差し――
大きな声を、上げた。
「息子くんが彼女を連れてきたぁぁぁ!!!!!」
――あぁ、これやべぇ。
ただひたすらに、そう……思った。