第85話 青葉昴は忠告する
「おすおす。お待たせしました」
トイレを済ませた俺は、ショップの前で待たせてしまっていた二人に合流する。
……が、その二人を見てわずかに違和感を覚えた。
会長さんはともかく、渚の様子が少し違う気がする。
怖がっているというか……なんというか……。
うーむ……これはもしかすると……。
会長さんに顔を向けると、いつものように穏やかな微笑みをこちらに向けた。
「おや、ちゃんと帰ってきたのか。偉いな、昴」
「人を犬みたいに言わないでください」
「スバル、お手」
「わん――ってあぶねぇ! 犬になりかけてた!」
「フフ――!」
でも会長さんの犬にだったらワンチャンなってもいいのか!?
犬だけに……うまいっ!
会長さんは楽しそうに笑っているが、俺はヒヤヒヤである。
このままだと文字通り犬になってしまいそうだ。
なんだろう。
会長さんから溢れ出る母性が……俺をそうさせるのかな。
うわ俺キモッ。
――話を戻して。
「さーてと、そんじゃどうします? どこかの誰かさんのせいで司たちを見失っちゃいましたし」
「ふむ。それはどこの美人だろうか」
「うん。あなたですね」
「おや、褒めてくれてありがとう」
コイツ無敵か?
無敵の人か?
ホントに反省してるの?
白けた視線を向けていると、会長さんは「はい」と声を上げて挙手をする。
「二人に希望がなければ、私の要望を言ってもいいだろうか」
要望ときましたか……。
俺と渚は同時に顔を見合わせて小さく頷く。
了承するかどうかはさておき、まずは話を聞いてみよう。
その意思が伝わったのか、会長さんは咳払いをして真剣な表情を浮かべる。
あれ? ひょっとして結構真面目な要望?
シリアスな雰囲気に思わず身構えていると……。
「――雑貨が見たい」
声のトーンを低くし、会長さんはそう言った。
………。
え。
「ざ、雑貨?」
疑問を抱きつつ聞き返すと、会長さんは「うむ」と頷く。
急に真剣な表情をするから、いったいなにを言い出すのかと思ったら……まさかの雑貨だった。
なんとも肩透かしを食った気分である。
「猫さんの雑貨が見たい」
しかも猫さんかい!
「……あ、そうすか」
「犬さんでも兎さんでもいい」
「……ふ」
……マズい、ちょっと笑いそうになった。
真顔で犬さん、兎さんって言うのやめて欲しい。
雰囲気と言動が合ってなさ過ぎて困惑しそうになる。
俺は口元に手を当てて、ニヤけそうになっているのを隠した。
「……わ、分かりました。せっかくショッピングモールに来たことですしね」
「おお……! いいのか?」
俺が承諾すると、会長さんは表情をパァッと明るくさせる。
なんか……猫さんだの犬さんだの、今の反応といい……会長さんが少し可愛く見えてきたなオイ。
美人で大人っぽくて可愛いとかもう敵無しやん。
「はい。司たちはまぁ……見つけられるでしょ」
本当なら今すぐ司たちを探しに行きたい気持ちもあるが……。
二人をここで放って行くのも、それはそれで面倒くさいことになるのは分かりきっている。
となると……適度に要望を聞きつつ、アイツらを探すのが無難だろう。
「渚はどうだ?」
隣に立っている渚へと話を振ると、視線を下に向けた。
即答……とまでいかないが、すぐに「分かりました」と渚は頷く。
「フフ……! ありがとう二人とも! では行こうか! 雑貨屋さんへ!」
俺たちの了承を得ると同時に、会長さんは意気揚々と歩き出した。
その姿はまさにルンルンである。
やれやれ……雑貨屋がどこにあるのか知ってんの……?
こうしている間にも会長さんの背中は遠ざかって行くため、大人しく後を追う……と、思ったが。
踏み出した足を止めて渚へと身体を向ける。
「渚」
――会長さんがいない間に、一つ聞いておくとしよう。
「え、なに?」
声をかけられると思わなかったのか、渚は驚いたようにこちらを見上げた。
「俺が戻ってくるまで、会長さんと二人で話してたよな」
「……うん」
渚は再び視線を落として頷く。
その反応を見るに……楽しいお話、というわけではなかったのだろう。
渚が相手だし、少し離れるだけだから変な話をしないだろうと思っていたのだが……。
どうやら俺の読みが甘かったらしい。
表情こそ変化はないが、その様子は明らかに変わっている。
「別に話の内容は聞くつもりはない。……が」
会長さんと二人でなにを話したのかはどうでもいい。
司の話なのか、全然違う話なのか……そこはさほど重要ではない。
コイツをそこまで気にかけてやる理由はないが――
万が一、潰れてもらったら困る。
渚になにかあれば、真っ先に蓮見に影響を及ぼしてしまう。
そうなると……貴重な筆頭ヒロイン候補が一人減ってしまう可能性があるというわけだ。
ほかはどうなっても構わないが……それだけは避けたい。
「いいか渚。星那沙夜について、一つ『忠告』しておいてやる」
「忠告……?」
「ああ」
人差し指を立てて言うと、渚がこちらを見上げて首をかしげた。
これは忠告だ。
まず、星那沙夜という人間は人当たりが非常にいい。
カリスマ性に溢れ、意識しなくても自然と周囲を惹きつける。
彼女自身も気さくな性格で、相手の話を聞き出すのがうまい……いわゆる聞き上手だ。
だからこそ、生徒たちは会長さん相手によく相談に乗ってもらっているようだし……。
まさにあの人は理想の生徒会長であり……俺自身、彼女と話す時間は嫌いではない。
――しかし。
星那沙夜と話す際は、絶対に注意しなければならないことがある。
どこか不安そうに俺を見る渚に……告げた。
「あの人の目を見つめるな。吞まれるぞ」
――星那沙夜の目を絶対に見つめてはいけない。
あの人の目は……怖い。
こちらの心の中まで覗いてくるような……あの不気味な目が。
まるでホラーゲームのような話かもしれない。
現実離れした話に聞こえるかもしれない。
けれど……これは事実なのだ。
あの美しい真紅の奥には。
正と負、さまざまな感情をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような……なにかが潜んでいる。
もしかしたら渚は、無意識にソレを感じ取ったのかもしれない。
あるいは会長さんが渚相手にそのなにかを見せたのか……。
どちらにしろ、渚が会長さんに対して歪みを感じたことはたしかなのだろう。
でなければ、会長さん相手に恐怖心を感じることはないはずだから。
――よし、必要なことは伝えたっと。
「そんな感じ。じゃ、行こうぜ」
俺は渚の反応を待つことなく話を切り上げる。
これは俺からの一方的な忠告であって会話ではない。
ゆえに渚の言葉を待つ必要はない。
……と、思ったのだが。
「はっ……? ちょ、ちょっと待って……!」
「うぉうっ……」
グイッ――
話を終わらせ、歩き出そうとする俺の右腕を渚が慌てて掴んだ。
その反動で重心が後ろに傾く。
っとと……危ねぇなコイツ。
右腕が取れちゃったらどうするのよ……。
また新しいのに取り替えないといけないでしょ?
昴くんサイボーグ説浮上。
「――え、あつっ」
渚はそう呟くと、パッと俺の腕から手を離した。
あつ……?
あつってなんだよ。
人をそんなバーニングヒューマンみたいに言いやがって。
ついに俺の燃え上がる心がバレちまったか……。
俺は振り向いて渚を見下ろした。
「なんだよ?」
「あ、えっと、生徒会長さんの目がなんとかって……なに?」
別に細かく説明するつもりはないんだけどな……面倒くさいし。
とはいえ無視するわけにはいかないし……程良く答えておこう。
「言葉通りの意味だ。お前だってなんとなく分かるんじゃねぇの?」
「それは……」
否定しないあたり、やはり渚なりに気付いているのかもしれない。
本当になんとなくっぽいレベルではありそうだが……。
「……ま、ちょっとやべぇってことだよ。あの人は」
結局はその一言に尽きる。
あの人はいろいろな意味で……やべぇ。
うーん……思考を放棄する便利な言葉だなぁ。
が、しかし……そんな俺の『やべぇ』に対して渚が呆れたようにため息をついていた。
どうしてこのタイミングでため息をつくのだろうか。謎である。
「やべぇって……ほかでもないあんたがそれを言う?」
ジトッと気だるげな目をこちらに向けて。
「失礼だろ。俺はどこにでもいる普通の高校生、青葉昴くんでしょ」
「全国の普通の高校生に謝って」
「おい」
「普通の高校生はあんたみたいに歪んでないから」
「ひどい」
どこが歪んでるのよ!
こんなに真っ直ぐな男、そうはいないでしょ!
――って、なんで会長さんの話から俺の罵倒になってるんだよ。
まずいまずい……身が持たないから話を戻さないと……。
あたしの心が砕けちゃうわ。
「……はぁ。ヤバいのはあんただけで十分なんだけど?」
「君、失礼じゃないかねさっきから」
「はいはい、忠告どうも」
せっかく厚意で忠告してやったのに……。
ヤバいだの歪んでるだの失礼な女子高生だこと。
会長さんまで見失ったら大変だし、そろそろ向かわねば。
「――ねぇ、わたしからも一つ……聞いてもいい?」
「えぇ? めんど――」
適当に流そうとしたが……言葉を止める。
渚の表情はとても真剣で――冗談の延長線上ではないことが分かってしまったから。
「……聞くだけ聞いてやる。なんだ」
俺が尋ねると、渚がチラッと会長さんが歩いて行った方向へと目を向ける。
あの人関係の話か……?
厄介な質問じゃないといいけど……。
待っている俺に、渚はその質問をぶつけた。
「あんたはさ……恋愛において、もっとも大事なものってなんだと思う?」
薄紫の瞳が俺を見つめる。
――へぇ。
そいつは面白い質問だ。
恋愛方面の話に疎い渚が考えた質問とは思えない。
と、なると……。
「――会長さんに聞かれたのか?」
「……」
その沈黙は『はいそうです』って言ってるようなもんだぜ。
でもまぁ……たしかにあの人なら聞きかねない内容だな。
それに対してあの人が自分の答えを言ったのかは分からないけど……。
渚への質問としちゃあ……ずいぶん難易度が高くないか?
コイツにはたいした答えは言えないだろうに……。
まぁ、せっかくの質問なのだ。
ここは軽快に答えてあげるとしよう。
「うーん……アレじゃね? お互いを好きだって想う……そう! まさに純情な愛――」
「そういうのいいから」
バッサリ。
ヘラヘラして答える俺を、渚は真剣な表情のまま見ていた。
「あんたの答えを……教えて。……別に答えられるならでいいけど」
あーあー、やりづれぇ……。
いつもみたいに流してくれればいいのに……。
「恋愛において、もっとも大事なもの――ねぇ」
ここで時間を使うのも惜しい。
それに今日は頭が重いせいで、アレコレ考えることすら面倒だ。
さっさと答えて終わりにしよう。
「んなもん一つしかねぇだろ」
「え……?」
答えを待つ渚に俺は言ってやる。
「周りの人間をどれだけ上手く扱えるか、だ」
道具。
不快だったのかそうではないのか、その単語に対して渚が眉をひそめて視線を落とした。
俺は表情を変えることなく、淡々と自分の考えを述べる。
「恋愛なんて所詮最後に選ばれるのは一人だけ。友情だのなんだの言って……待っているのは『そこ』へ到達するための蹴落とし合いだ」
好きな相手を落とすための方法は人それぞれだ。
一対一で時間をかけて落としていったり、友人にサポートしてもらったり……考えればキリがない。
だが……結局のところ確実なのは周りを利用すること。
それは人間でも、環境でも、なんでもいい。
利用できるものをとことん利用して……欲しいものを手に入れる。
そして。
そこに辿り着ける権利があるのは……一人だけだ。
「だったら、使えるもんは使うべきだろ。なにであってもな」
俺は他人の恋愛など興味が無い。
朝陽司を幸せにできる資格を持つか、否か。
重要なのはそれだけだ。
「……」
店内は明るい雰囲気に包まれているが、俺たち二人の間に静寂が訪れる。
ま、こうなると思ってたけどな……。
俺は聞かれたことに答えただけだ。
なにも変なことはしていない。
「……その道具って」
「……あん?」
呟きとともに、渚と目が合う。
その瞳は揺れて……いなかった。
「その道具って――あんたのことを言ってるの?」
………。
俺を見る渚の目がスッと細まる。
いや。
たしかに俺を見てはいるが……それよりもっと内側の。
俺の中にある……なにかを見つめるように。
強い想いが宿った……そんな瞳だった。
「……さぁ、どうだろうな」
ふっと笑い、答えをはぐらかす。
一秒。
二秒。
三秒ほど渚は俺を見つめ、小さく息を吐くと同時に視線を外した。
「……あんたの答えは分かった」
「そうかい。力になれたのなら光栄だ」
「……。……ほら、生徒会長さんが待ってるから行くよ」
「話振ってきたのそっちだよな?」
お前が俺の足を止めたんだよな? 純粋な疑問が溢れてくるが……。
そんな俺に構わず、渚はテクテクと会長さんのほうへと歩き出した。
妙な質問をしてきたと思ったら結局なにもなしかよ……。
ただ俺が答えただけじゃねぇか……。
「どいつもコイツも自由かよ……」
尻尾をぴょこぴょこと揺らして歩く小さな背中を見て思う。
理解りたいだの。
出会いだの。
俺を――『見てる』だの。
ただの俺からすれば。
お前も十分やべぇヤツだよ、渚留衣。