第77話 青葉昴は星に願いを込める
夕食から三十分後、後片付けや食器洗いといった諸々の作業を済ませた俺たちは、再びリビングのソファーに座っていた。
その諸々を済ませたのは雑用係こと司くんだけども。
テレビから流れるバラエティ番組の賑やかな音声を聞きながら、俺はソファーに置いていた自分のリュックから『ブツ』を取り出してミニテーブルの上に置いた。
「……お、それって」
「あっ……!」
『ブツ』を見て、二人はそれぞれ反応を見せる。
というかアレだな。
『ブツ』って言い方そろそろやめるか。
なんか運び屋みたいに聞こえてくるもんね……。
昴くんは清く正しい青少年です。
そんなわけで『ブツ』改め──
「笹と……」
「短冊、ですか?」
「その通り!!」
俺は大きく頷いた。
二人が言った通り、俺がリュックから取り出したのは四十センチサイズの小さな笹と、その笹に飾る用の短冊である。
「司くん!」
俺はビシッと司を指さす。
「七月最初のイベントと言えば!?」
俺の質問に対し、司は考えるように目線を上に向けた。
いや別にそんな考えるような問題じゃないだろ。パッと答えろよ。
笹と短冊見ればすぐ分かるでしょ!
数秒ほど待っていると、司が「あっ」と声をあげる。
「そうか、たな──」
「そうだね! 七夕だね!」
「おい、俺まだ最後まで言ってないぞ?」
知らん知らん。
俺は両手を組み、天に願うように高く掲げた。
「七夕とは……そう! 彦星様と織姫様が『よっ、久しぶり!』って再会する日だな! なんて素敵なんだ……!」
「よっ……て。そんな軽い再会ではないような気がしますが……」
「なにかね志乃ちゃん?」
「い、いえ! なんでもないです!」
ならよろしい。
やはり七月といえば七夕は外せない。
大々的になにかをやる……というわけではないが、ちょっとしたイベントとして実施するにはもってこいだ。
「その七夕セットはわざわざ買ってきたのか?」
司は笹と短冊に目を向けて俺に問いかける。
「おう、まぁな。せっかくならお前んちに飾ろうかなと」
司の家に行くことが決まった日、真っ先に思い浮かんだことが七夕だった。
保育園や小学校時代は、みんなで短冊に願いごとを書いて飾ったなぁ……とか。
俺なに書いてたっけなぁ……とか。
そんなことを考えているうちに思ったのだ。
これ、司と志乃ちゃんを巻き込んでやってやるか……と。
思い立ったらなんとやら……というわけで、ネットショッピングにて購入して今に至る。
うーむ、実に計画的だ。素晴らしい。
「ふふ、なんだか懐かしいですね。こういうの」
ワクワクした様子で微笑む志乃ちゃんを見て安心した。
二人とも乗り気じゃなかったらどうしようかと思ったぜ。
「司、ペンある?」
「パンならあるぞ」
「そうそうトースターでいい感じに……ってちがーう! しょうもないボケはいいからペンを持ってきなさい!」
「はいよー」
そういうしょうもない小ボケ、僕は大好きです。
むしろ俺がよく言ってるような感じよね。
そのたびに容赦ないツッコミを浴びせられるけど。
まぁツッコミがあるだけマシか。
どこぞの誰かさんは無視するからね。
いくない。無視、いくない。
「ほい、持ってきたぞ」
テレビの横に置かれたペン立てから、三本の油性パン……じゃない、ペンを持ってきた司はそのままミニテーブルに置いた。
なんだよ油性パンって。
俺はペンを手に取り、「よーし!」と大きな声を上げて天井に向かって掲げた。
「これより朝陽家七夕イベントを開催します! はい拍手!!」
「おー、いいね」
「素敵なイベントですね……!」
パチパチパチ――!
朝陽兄妹の拍手を一身に浴びながら、俺は得意げに笑った。
「まずは短冊とペンを持ちますぞ~」
短冊を三枚手に取り、司と志乃ちゃんにペンと一緒に配る。
「てなわけで、ここに願いごとを書いて笹に飾るだろ? んでもってそれを……あー、どこに置くかねぇ」
俺はグルッと室内を見渡し、なにかいい感じの場所がないかを探す。
ここはリビングで家族みんなが使用するスペースだ。
ミニサイズとはいえ、勝手に飾るのは気が引ける。
となると司の部屋が妥当か……?
「ここでいいんじゃね?」
気を遣っていろいろ考えていたところ、司がケロッとした顔で提案してきた。
「え、マジ? いいの?」
「どうかな志乃」
「うん、いいと思う」
司の問いかけに、志乃ちゃんが悩むことなく頷いた。
二人がそう言うなら……いいのか?
じゃあ笹はリビングに飾るとして……そうなると……。
「両親の目に付くとなると下手なこと書けないか……」
顎に手を添えてボソッと呟く。
正直、ぶっ飛んだ願いごとを書いてやろうと思ったのだが……それを司の両親に見られて『なんだアイツはぁ!』となられたら困る。
流石の昴くんもね。そこは気にするからね。
偉い偉い。
呟きを聞いた司がジトーっとした目をこちらに向ける。
「お前……なにを書く気だったんだよ……」
「え? 例えば妹さんを俺に――」
瞬間。
「――昴」
司から恐ろしく低い声が聞こえてきた。
ニコッと爽やかな……それはもう爽やかな笑顔を浮かべると、グイッと俺に詰め寄る。
笑顔のまま……超至近距離まで顔を近付けてきた。
おかしいな。笑ってるけど笑ってないな。
ツーと俺の額から汗が流れる。
「なななななな、なにかな司くん?」
「今――なんて言った?」
笑顔を崩さず、司が俺に尋ねる。
圧が! 圧がすごいって! 怖いって!
ちょっと冗談を言っただけじゃないか!
俺は物凄い勢いでブンブンと首を左右に振った。
「いえ! なんでも! ないでやんす!」
「ホントか?」
「ホントでやんす! 気のせいでやんす!」
「ああいう冗談は――あまりよくないよな?」
「ハイでやんす! すみませんでやんす!」
俺の超真剣な謝罪に対して、司は「まったくお前は……」と深いため息をついた。
まったくはこっちの台詞だっての。
お前、志乃ちゃんの名前に敏感過ぎるでしょ。
怖いって。お兄ちゃん怖いって。
そんなんじゃ将来志乃ちゃんに彼氏ができたとき大変だぞ!?
ちゃんと認めてあげられんの!?
――あ、それは無理だわ。俺も無理だわ。
とりあえず俺と司で三日くらいかけて面接するよね。
そこら辺の男に志乃ちゃんはあげませんよ!?
もし全然知らない後輩が『志乃ちゃんが……』とか言い出したら、司と同じような反応する自信あるわ。
すまんかった司。俺が悪かったぜ。
「兄さん、昴さん? 今妹さんって……」
志乃ちゃんの疑問に、俺たちはまったく同じタイミングで言った。
「「大丈夫! なにも気にするな!」」
「う、うん……? わ、分かった……」
ふいー……セーフセーフ……。
変な冗談は言うもんじゃないね。
それじゃ、気を取り直して……と。
「改めて、七夕イベントやるぞー! 各々短冊に願いごとを書いて笹に飾る! オッケー?」
「了解!」
「分かりました!」
朝陽兄妹が手を挙げて返事をする。
こうして朝陽家七夕イベントが始まりましたとさ。
まぁイベントって言っても願いごとを書くだけですけども。
さーてと、俺はなにを書くかなぁ。
× × ×
――よし、こんな感じでいいかね。
五分ほど経過しただろうか。
俺は短冊に願いごとを書いて「うむ」と満足げに頷く。
己の欲望に忠実な感じがなんとも俺らしい。
これなら司の両親に見られても……大丈夫、の……はず……。
大丈夫だよね……?
朝陽兄妹の進捗はどうかな……と。
ふと横を見ると、志乃ちゃんが短冊になにかを書いて「うーん……」と眉をひそめていた。
なにかあったのか?
「志乃ちゃん?」
なんとなく俺は声をかけてみる。
「ひゃあっ!?」
突然名前を呼ばれたことで驚いた志乃ちゃんは、ビクッと肩を震わせた。
ひゃあ、て。
そんなお化けを見たような反応をされても。
「なにかいい願いごと書けた?」
手に持っている短冊に目を向ける。
すると、志乃ちゃんが慌てた様子で短冊を身体の後ろに隠してしまった。
「あ、い、いえ! 別の願いごとにします!」
志乃ちゃんはそう言うと、短冊をもう一枚取っていった。
「あ、そう?」
なにか変な願いごとでも書いたのだろうか?
えー……なんだろう……気になるなぁ……。
コッソリ見れたりしないかな……無理かな……。
悶々とした気持ちを抱えていると、向かい合うように座る司が「こんな感じかな」と声を上げた。
どうやら完成したようである。
「お、見せてみろよ司」
「別にそんな面白いものじゃないぞ?」
司はそう言うと、俺たちに見えるように短冊をこちらに向ける。
俺と志乃ちゃんはさっそく司の願いごとに目を通した。
そこには。
『家族や親友、友達のみんながこれからも楽しく幸せに過ごせますように』。
そう……書かれてあった。
それを見て……俺は一言。
「……たしかに面白くないな」
「お前なぁ」
「うそうそ。いい願いごとじゃないの。お前らしい」
本当に司らしい願いごとだった。
「ふふ、たしかに兄さんらしいね」
志乃ちゃんも司の願いごとを見て微笑む。
みんなが楽しく幸せに……なんて、つまらない願いごとだけど……。
だからこそ、優しい司にピッタリな願いごとだった。
「志乃は書けたのか?」
「あ、うん! 書けたよ!」
志乃ちゃんは先ほど隠した短冊ではなく、新しく書いた短冊を俺たちに向けた。
どれどれ……。
書かれた願いごとを見てみる。
「『兄さんや昴さんがこれからも楽しく笑えますように』……って」
おいおいおい。
おいおいおいおいおい――
司が読み上げた瞬間、俺たちはバッと同時に立ち上がった。
「志乃っ!!」
「志乃ちゃんっ!!」
「えっ? え? ど、どうしたの……?」
困惑する志乃ちゃんを他所に、俺たちは感極まって目頭を押さえる。
なんて――
なんて――
なんていい子なんだこの子はっっ!!!
「お前はホントにいい子だなぁ!」
「マジでそう! いい子過ぎて辛いぜっ!」
男二人が泣く姿に志乃ちゃんは「ちょっと恥ずかしいから……!」と顔を赤くして慌てている。
兄さんや昴さんがこれからも楽しく笑えますように――だぁ?
そんなんもう泣くに決まってるでしょ! なんなのこの子!
どういう教育してるのか親の顔が見てみたいわ! あぁもう知ってたわ!
「ぐすんぐすん」
「も、もういいから……!」
志乃ちゃんが本気で恥ずかしそうにしているため、この辺にしておくかぁ……。
「それじゃあ……最後は昴、お前だな。なんて書いたんだよ?」
立ったまま司は俺に話を振る。
「ふっふっふ……見ろ! これが俺様の願いだぜ!」
ドーン! と手に持った短冊を二人に突き付ける。
「えっと、なになに? 『目指せ億万長者!』?」
「『それと美少女ハーレム! ついでに親友たちがいい感じに過ごせますように』……って」
二人は俺の願いごとを読み上げ――
そして。
「「うわぁ……」」
と、同時に顔をしかめた。
「ってオイ! うわぁとはなんだ! 素晴らしい願いごとだろうが! バカにするな!」
「いや、バカにはしてないけど……なぁ?」
「う、うん……。最後にサラッと兄さんたちのことを書いてるのも、昴さんらしいというか……」
『目指せ億万長者! それと美少女ハーレム! ついでに親友たちがいい感じに過ごせますように』。
これが俺の書いた最強の願いごとである! 誠実な願いごとである!
文句ある人は出て来なさい!
……コラそこ! 朝陽兄妹に比べて残念な願いごとじゃね? とか思わないの!
そこは個人の自由だから! 尊重して!
「まぁ……うん。昴らしい願いごとで安心したよ」
「あはは……私も……」
「それはそれで悲しくなるのはなんでだろうね?」
普段俺という人間をどう思っているのかが分かっちゃうよね。
さっきの志乃ちゃんの願いごととは、別の意味で泣きそうになってくるよね。
――とまぁ、茶番もほどほどに。
「ったく、失礼な兄妹だぜ。とりあえず笹に飾ろうぜ」
ひとまず三人の願いごとは書けた。
あとはこれをミニ笹ちゃんに飾り付けて……と。
笹の上から司、志乃ちゃん、俺の順番で飾り、それぞれ作業を完了させる。
「おー……」
「いいんじゃないか?」
「素敵ですね!」
実際にこうして見ると七夕を感じる出来栄えになっている。
規模としては小さいものかもしれないが、我ながらいいイベントを用意できたのでは?
「昴」
「おん?」
司はニカッと笑い、俺に向かってサムズアップ。
「ナイスイベント企画!」
「私もそう思います! ありがとうございました!」
二人の笑顔が俺に向けられる。
やれやれ……。
人の願いごとには散々ケチ付けやがったのに……。
当然、願いごとが叶うだなんて微塵も思っていない。
あくまでもこれは気持ちの問題だ。
願いごとをした……という自己満足に過ぎない。
――それでも。
今はこの二人の笑顔が見られただけで――
素敵な願いごとが見られただけで――
よしとしようじゃないか。
サンキュー、七夕さん。
以上、朝陽家七夕イベントでした!
さーてと。
朝陽家でやりたかったこともこれで終わり、かな。