第75話 青葉昴は質問に答える
「学習強化合宿で……渚先輩となにかありました?」
なにか……と来たか。
なぜ志乃ちゃんがそんな質問をしてくるのか。
具体的になにを指した質問なのかは分からない。
けれど、意味もなくこんな質問をしてくるとは思えなかった。
なんらかの意図があってのことだろう。
──さて、ここはどう答えるべきか。
この子がなにを求めているのか分からない以上、ありのままを伝えるのは少々面倒になるかもしれない。
志乃ちゃんに答えるべく、俺は口を開く。
「あぇーっと、なにかっていうのは……?」
ポリポリと頬を掻きながら質問を返す。
まずは反応を見ることにしよう。
「ご、ごめんなさい! 意味分からないですよね……!」
「ううん、大丈夫。謝らなくていいよ」
「そ、その……例えばの話ですよ?」
「うんうん」
質問に対する答えは、志乃ちゃんの話を聞いてみてからだ。
志乃ちゃんは「えっと……」と言葉を探すように視線を巡らせる。
「渚先輩が、昴さんのことを知りたいって思うようなことがあった……とか」
チラッと俺の様子を伺うように志乃ちゃんは言った。
知りたいって思うようなこと……ですか。
――『わたしは――あんたを理解りたい』
渚留衣の真剣な表情が頭を過ぎる。
例えば……の話、ねぇ。
「……なるほど」
アイツ、さてはさっそく動きやがったな。
たしかに志乃ちゃん相手だったら探りを入れやすいだろう。
嘘をつくような子ではないし、司の次に付き合いが長い分、俺の話を聞く相手としては申し分ないだろう。
そして志乃ちゃん。
君は――嘘が下手だ。
そんなあからさまな表情で『例えばの話』なんて言われても……到底信じられない。
縛りなしのガチプレイとか言ってたしなぁ……なかなかやるじゃねぇか。
志乃ちゃんが渚になにを聞かれたのかは分からない。
渚の質問に対してなにを答えたのかも分からない。
けれど、志乃ちゃんが答えられることには限りがある。
なぜならば、志乃ちゃんは中学時代からの俺しか知らない。
それより以前の……俺のことは知らない。
司に聞いていない限りは……だが。
そして、現状分かることは一つだけ。
渚に探りを入れられて、疑問を抱いたことで志乃ちゃんはこうして俺に質問をしているのだろう。
渚となにかあったのではないか――と。
そうなると……。
答え方は変わってくるな。
「うーん……」
俺は唸るように声を上げ、腕を組む。
「なにもなかったといえば……嘘になるかなぁ」
「や、やっぱり……」
志乃ちゃんはジッと俺を見つめる。
続きの言葉を……俺の答えを待っているのだろう。
切り取って、くっ付けて……言葉を作り上げて。
それっぽい答えを考える。
俺は渚との一件を振り返りながら話を続けた。
「アイツはさ、俺のことが嫌いなんだってよ」
「え、嫌い……?」
「そう、嫌い。嫌いで……俺のことが認められないんだと」
「渚先輩にそう言われたんですか……?」
「ああ、直接バッサリとね。あんなに真正面からお前のことが嫌いだーって言われたのは初めてだよ」
「ど、どうしてそんなことを……」
俺は呆れたように笑って、志乃ちゃんに答える。
「俺がちょっと合宿で好き勝手やったからな。それで怒らせちまった」
「まさか昴さん……」
「ん?」
嫌な予感がしたのか、志乃ちゃんは眉をひそめる。
「また自分だけ犠牲になるようなことを……」
「いやいや、そんな大層なことはしてないって。ただ少しアイツと揉めただけだよ」
嘘じゃない。
第一俺は、犠牲なんて大層なことをした覚えはない。
俺はただ、自分の役割に合ったことをしただけだ。
なにも、おかしなことはない。
「揉めたって……でも、仲が悪くなったとかではないんですよね? ゲームを一緒にするくらいですし……」
「ああ、そうだよ。揉めて……なんやかんやあって、いつも通りに戻った。ただ、一つ言うとすれば――」
「言うとすれば……?」
「結局、アイツは俺のことが嫌いってことだな」
俺の最後の言葉に、志乃ちゃんは困惑している様子。
安心してくれ。
俺自身、どうして渚が『青葉昴』にあそこまでこだわるのかは分からないんだ。
嫌いだから。
だけど友達だから。
渚の考えは……俺にはよく分からないし――興味もない。
全部、アイツが『勝手に』思っていることなのだ。
俺の目的に支障さえ出なければ……どうでもいい。
アイツが俺のなにを理解ろうが。
アイツが俺にどんな感情を向けようが。
どうだっていい。
「うーん……よく分かりません……」
「まぁアレだな。俺のことが嫌いすぎるあまり、むしろ一周回って俺に惚れたのかもしれない」
「えっ……えぇ!?」
「――なんて言ったら、地面に埋められるな。間違いなく」
ハテナマークを沢山浮かべる志乃ちゃんに、ニシシっと笑いかける。
正直なところ、志乃ちゃんにあまり余計なことを考えさせたくない。
ストレスを抱えさせたくない。
俺にとって志乃ちゃんは、司の大切な妹なのだ。
もしもなにかがあれば、司にも影響が出る。
家族という存在に対して並々ならぬ想いを抱く司のことだ。
志乃ちゃんの変化などすぐに気が付くだろう。
そのあたりは避けなければ……。
とはいえ、なんでもかんでも『志乃ちゃんは関係ないから気にしないで』と言うわけにもいかない。
難しい塩梅だが……仕方のない部分だ。上手くやるしかない。
「……昴さん」
小さな声で、俺を呼ぶ。
志乃ちゃんはなにかをこらえるように唇をキュッと握りしめていた。
そして……口を開き、小さく息を吐いて俺を見据える。
「志乃ちゃんレスキュー……私、本気ですから」
強い決意が込められた声で……そう言った。
志乃ちゃんレスキュー……。
たしかそれは……先月、志乃ちゃんに対して俺が言った言葉。
電話で問い詰められて、俺が口にした……一言。
実際のところ、あの場を収めるために言った側面もあるが――
なるほど。
どうやらしっかり覚えていたらしい。
『俺を助けてよ』――か。
仮に。
本当に……仮に。
志乃ちゃんから手を差し伸べられたとしたら、俺はどうするのだろうか。
その手を掴む?
その手を振り払う?
それとも――
「ああ……本当にそのときが来たら頼んだぜ」
「……昴さん、本気で言ってます?」
「そりゃ本気よ」
「もう……私は本気なのに……」
志乃ちゃんの疑問に対して百パーセントの回答をあげられたとは思えない。
しかし、分かっているうえで答えたことだ。
情報を与えすぎることは、こちらにとって不都合にしかならない。
必要のないことは、しなくていい。
悪いね、志乃ちゃん。
両手をパンッと合わせて雰囲気を変える。
「ほら志乃ちゃん、課題やるんでしょ。時間過ぎちゃうよ」
「むー……。そうですね……」
不満そうな志乃ちゃん可愛い。
俺はコホンと咳払いをして、眼鏡をクイッと上げる仕草をする。
うーん知的で素敵! なんかラップみたいだね。面白い。
「では志乃さん、課題のページを開いてください」
「えっと……どちら様ですか?」
「イケメン家庭教師の青葉昴先生です。以後よろしく」
「……ふふ、はーい。よろしくお願いします先生ー!」
志乃ちゃんは手を挙げて元気よく返事をした。
「……。志乃さん、もう一度先生って呼んでくれます? 録音させてください」
「先生交代でお願いします」
青葉先生も欲望を抑えられませんでした。
さっそくチェンジ宣言されました。
対戦ありがとうございました。
「ほら昴さん、ふざけてないでやりますよ?」
「へーい。ほんじゃ、分からないところはどこ?」
「えっと、ここなんですけど……」
向き合うように座り、志乃ちゃんが問題集の一部分を指差す。
俺は覗き込むようにその箇所を見た。
よくあるラブコメだったら、隣同士で座ってうっかり身体が触れ合っちゃって――というニヤニヤイベントが発生するかもしれない。
けれど、俺はラブコメ主人公ではないしラブコメ要員ではない。
そんなイベントなど必要ないのだ。
………。
嘘。ちょっとくらいあってもいいんじゃないですかね!?
あ、ダメすか? はいすみません。
そんなわけで、俺は志乃ちゃんの課題を見てあげることになった。
――まぁ結論を言ってしまえば。
志乃ちゃんは普通に優秀だから、俺が口を出すところなんて全然なかった。
これだったら一人で課題を進められたんじゃないか?
なんて思うが……それは言ったらいけないことなのだろう。