第69話 青葉昴は朝陽家に訪れる
七月。
それは、いよいよ本格的に夏を実感する月。
夏祭りや、海開き、そのほか諸々――
末になれば学生たちが待ちわびている夏休みが始まる。
七月といえば? と聞かれて思い浮かべることは人それぞれだろう。
とはいえ……だ。
結局『暑い』ことには変わりない。
ジメジメとした嫌な暑さが終わったと思ったら、今度は太陽様による直接攻撃、そして地面様による地熱攻撃に苦しまされる。
夏を生きていくうえで避けては通れない……難敵である。
なぜこんな話をしているか――って?
………。
暑くてどうしようもないからだよ!
それっぽいことを考えて気を紛らわせてるんだよ!
× × ×
七月、第一土曜日の昼下がり。
天気は晴れ……なのだが、今夜から明け方にかけて大雨が降ると天気予報で綺麗なお姉様が言っていた。
まぁ大丈夫でしょ。知らんけど。
一応傘は持ってきてるし。
――てなわけで。
キラキライケメンこと私、青葉昴は現在とある場所に向かって住宅街を歩いていた。
休日なのに外に出るなんてアウトドアで素敵~!
「……マジであっついな」
我らが太陽様の『俺の輝きを見ろ!』というアピールが全身に突き刺さる。
歩くだけで汗が噴き出るわ、足は蒸れるわ……夏ってこれだから最低なのよね! おっと乙女昴くん失礼。
特に今はリュックを背負っているため、面している背中部分の不快感が凄まじかった。
もうね、俺が吸血鬼だったら今ごろ灰になってますよ。
とはいえ、ここで引き返すわけにもいかず――
わざわざ寄り道してとある『ブツ』を確保してきた意味がなくなってしまう。
歩く気力を削がれながらも一歩一歩進んでいった。
「ったく……こんな暑い日に来てくれる俺様に感謝しろってんだ」
なぜ俺がこうして住宅街を歩いているのか――
それは一昨日の夜に司から飛んで来た、一件のメッセージが原因だった。
そのメッセージはというと……。
『両親が仕事の都合で土日いないんだけど……青葉シェフのご都合いかがでしょうか』
という、お客様からのご指名のメッセージである。
学習強化合宿中に、カレーを作りに来てほしいとかなんとか頼まれたし、それについてのことなのだろう。
正直ちょっとだるい気持ちもあったのだが……今回の件は司というか、どちらかといえば志乃ちゃんを想っての頼み事だろうし……。
だったら断るわけにはいかない。
志乃ちゃんの名前を出されたらねぇ……お兄ちゃんとして黙ってられませんよこれは。
え? お前はお兄ちゃんじゃないだろって?
いやいやいやいや……。
なにを言ってるか分からないヨ。全然分からないヨ。
――と、いうわけで。
自宅アパートから徒歩二十分ほど歩いたところで、俺は目的地である朝陽家に到着した。
運動がてらに徒歩で……なんて調子乗らなければよかった。
大人しく自転車でサクッと来ればよかった……。
なにしてんのよ俺……。
「ふぃー……無事に到着っと」
俺は目の前に佇む家を見上げる。
住宅街に建てられた二階建ての一軒家。
表札には『朝陽』と書かれている。
ここに、司や志乃ちゃんたち朝陽ファミリーが四人で暮らしているわけだ。
俺はもう中学時代から何度も遊びに来ているため、すっかり慣れ親しんでいる。
なんなら俺にとってはもう一つの家みたいなものですね。
「昴くんが来ましたぜ~」
家の入口まで足を運び、インターホンを押す。
ピンポーン――というお馴染みの音、そして玄関に向かって歩いてくる家人の足音が聞こえてきた。
ガチャ……と扉が僅かに開けられると同時に、半袖短パン姿のよく見知った男が顔を出した。
朝陽家長男――司である。
司は汗だくの俺を見た瞬間、怪訝そうに眉をひそめる。
「あのー……ウチ営業はお断りしてて……」
「そんなつれないこと言わずに、ぜひ我が社の新商品……ってオイ! 誰がイケメン営業マンだ!」
「イケメンとまでは言ってないぞ昴」
「……。そんな君にはこの『青葉昴に惚れる薬』を試供品としてプレゼントしよう」
「怪しすぎるだろ! あーでもクラスの……男子にでもあげておくか」
「どうして野郎なんだよっ! 女子にあげてくれよぉ!」
想像しただけで冷や汗が止まらなくなるわ。
高校生らしいバカみたいな話をしたあと、司は楽しそうに笑う。
そして、ドアをしっかり開けると中に入るように促してきた。
「それじゃ、入れよ昴。ようこそ朝陽家へ」
「うむ。くるしゅうない」
「なんでお前が偉そうなんだよ」
俺は深々と頷き、朝陽家の敷居を跨ぐ。
ふわっと芳香剤の良い香りが鼻をくすぐった。
そんなわけで。
こうして俺、青葉昴は朝陽家に訪れたのであった。
めでたしめでたし。
× × ×
――いや終わらないけどね? まだまだ続くからね?
司に通されて家の中に入った俺は、そのまま一階リビングへと向かっていく。
どこになんの部屋があるのかはしっかり把握しているため、今更迷うことはなかった。
リビングへと足を踏み入れた瞬間――
「あぁぁぁ涼しいぃぃぃぃ!!!」
まるで俺を歓迎するかのように、エアコンから出る涼しい風が俺を包み込んだ。
熱で火照った身体が急激に冷えていく。
「暑いもんなぁ、今日」
「いやもうマジでそうよ。ここまで来るのあたし大変だったんだからね!?」
「誰だよお前」
「昴ちゃんよ」
俺は背負っていたリュックを下ろし、ソファーの上に置く。
綺麗に片付けられたリビングには家族団らん用のテーブルや、ソファーとミニテーブル、テレビやその他家具が置かれ、生活感溢れる空間になっている。
恐らくこれは司の母親や志乃ちゃんの影響が大きいのだろう。
二人は綺麗好きのようだし……さすがは親子。
「そういえば、今夜大雨が降るって言ってたけど大丈夫か?」
キッチンにいる司が、冷蔵庫からなにかを取り出しながら言った。
「あー、まぁ大丈夫じゃね? 距離も遠くないし最悪ダッシュで帰れるしな」
「うーん、それもそうだな。超快晴って感じだから降るとは思えないけど」
それはたしかにそう。
雲一つない快晴日和だし、雨が降るなんてあまり想像ができない。
じゃあ気象予報士のお姉様が嘘を言ったってことぉ!?
……あの気象予報士さん、美人だったなぁ。
今度名前調べよっと。
リラックスできる空間に来たからか、くぁっと欠伸がでる。
ワンチャン寝てやろうかな俺。
司のベッドを占領して寝てやろうかな。
「んー、こんなに涼しい空間に来ちゃったら二度と外に――」
室内に視線を巡らせる。
そして……とある場所に目が止まった。
リビングの棚の上に置かれたいくつかの写真立て。
俺はその棚まで歩いていき、写真を一枚一枚見ていった。
写真は主に司と志乃ちゃんで構成されていて、入学式や卒業式といった学校関係の写真。
ほかには日常を感じる家族写真など、温かな写真たちがそこに飾られていた。
俺は思わず……笑みがこぼれる。
あぁ、本当にいい家族と巡り合えたんだな……と改めて実感した。
とはいえ、写真が飾られていることについては元々把握しているし、特に驚きはない。
……はずだったのだが。
俺が知らないうちに増えていた新しい写真の存在に気が付いて……「おっ」と声をあげた。
そんな俺の言葉に司が「どうしたー?」と反応をし、コップを二つ持ってこちらに向かって歩いてくる。
「麦茶でいいか?」
「お、サンキュー! 気が利くじゃん幼馴染」
「だろ? それで、なに見てたんだよ」
麦茶が入ったコップを一つ受け取る。
いいねぇ、やっぱ夏と言えば麦茶よね。
俺は「これこれ」と一枚の写真を指差す。
「あーこの写真な。つい最近飾ったばかりなんだ」
「なるほど、どうりで存在を知らなかったわけだぜ」
「むしろよく気が付いたな」
「いやいやこれは流石に気が付くだろ。なんでここに飾ってるんだよ?」
「……それがさ。この写真は元々アルバムに収めてたんだけど――」
収めてたんだけど……?
司は写真立てを手に取り、どこか嬉しそうに顔をほころばせる。
「志乃が……アルバムから抜いて、自分でここに飾ったんだ」
予想外の事実に俺は「えっ?」と聞き返した。
両親でも司でもなく……志乃ちゃんが――?
俺は改めて、司が持っている写真に目を向ける。
写真の場所はこの家の前で、制服を着た三人の男女が写っていた。
まず中央に立っているのは、朝陽家長女の志乃ちゃんだ。
恥ずかしそうに笑っていて、とても可愛らしい。
その志乃ちゃんの左に立つのは兄の司。
楽しそうに笑顔を浮かべてピースをしている。
そして。
志乃ちゃんの右に立っているのは――
俺、青葉昴だった。
無駄にキリッとしたキメ顔でカメラに目を向けている。
俺の記憶が正しければ、これは……。
「志乃ちゃんの入学式の日の写真、だよな?」
「ああ、そうだよ」
俺の問いかけに司は頷く。
そうだ。
これは、志乃ちゃんが汐里高等学校に入学する日に三人で撮った写真だ。
司の母親に提案されて……三人で撮ったことを覚えている。
「でも……どうして志乃ちゃんがこれを?」
棚に飾られているのは家族の写真だ。
父、母、そして二人の子供。
それ以外の人物は誰も写っていない。
そんな……一家の『神域』に、よく分からんキメ顔男が入り込んでいるのだ。
驚くな、というほうが無理がある。
「飾りたいんだってさ、ここに」
「飾りたいって……俺なんかがこんな場所に――」
「お前だから、じゃないのか?」
俺の言葉を遮り、司が言う。
俺……だから?
正直、俺にはその意味を理解することができなかった。
「志乃が言ってきたんだ。俺や父さんたちが断る理由はないよ」
司は写真立てを元の場所に戻す。
断る理由はない……って。
いやいやいやいや、そこは断ってくれよ。
家族の思い出! みたいな場所にキメ顔男がいて恥ずかしいって。
いたたまれない気持ちになるって俺。
俺の顔だけマジックで塗りつぶして!?
「まぁ、俺も分かるけどね。その気持ち」
「は? おいおい、俺にも分かるように説明しろって」
「ははっ、昴は鈍感だなぁ」
「いやお前にだけは言われたくねぇよ!?」
お前だけは鈍感とか言っちゃダメだからな!? 一番ダメだからな!?
俺の魂の叫びに司は「?」と首をかしげている。
だからそういうところだって! 鈍感なのはお前なんだって!
……と言ったところで意味がないため、俺がグッとこらえる。
――よく分からねぇけど。
まったく……。
お前も、志乃ちゃんも……お前の両親も。
素敵な家族だよ、ホントに。
本当に――よかった。
「あ、そういえばその志乃なんだけど――」
司がなにかを言いかけたときだった。
ガチャっと、廊下へと続く扉が開いた。
誰かがリビングに入ってきたようだ。
ペタペタと小さな足音が近付き……そして――
「兄さーん、インターホンが聞こえてきたけど……なにか荷物でも――」
………。
「も……」
パチッと、俺はその人物と目が合う。
そして……まるで時間が止まったかのように――場の空気が固まった。
「……すっ、すす……す」
凄まじい勢いで彼女の顔が赤くなっていく。
そこには。
「――すばるしゃん!?」
いつもサラサラにセットされている髪の毛が少しボサっとした。
ピンクの可愛らしい寝巻きを着た。
完全オフモードの朝陽志乃ちゃんが驚いた顔をして立っていた。
すばるしゃんて。
あざと可愛いかよ。
好きになっちゃうでしょ。