第3話 白の賢者と月下の出会い
わいわいがやがやと音が聞こえる。食器が重なる音、誰かの笑い声、響く音楽の音....
何となく今の状況が分かってきた。背中に感じるふかふかした存在、今の自分が横たわっていること。段々と意識が明瞭になってきた。
瞼を開くと、真っ白な光の先に真っ白な天井が見えた。
やはり自分は寝ていたらしい。と、思うと同時に右手辺りが何か重い。
上半身を起こしつつ重さの感じた右手を見ると、私の手を握りながらすやすやと眠る少女がいた。
「シエンナ....?何をしているんですか?」
「ん....んぅ.....?あ....レナ様....レナ様ッ?!お目覚めになられたんですか?!」
「え、うん。お、おはよう?」
急激に眠気から覚めたのか、目に涙を浮かべたシエンナが、感極まって抱き着いてきた。
力加減が出来ないのか、自分で言うのもなんだが私の華奢な体では絞殺されそうになってくる。
「ちょっ....シエンナ....苦しい....!!」
「レナ様!レナ様ぁ~!!私、私心配でぇ!!」
「....何をしているんですか?レナ様、シエンナ」
再び飛びそうな意識の中声のした方を向くと、果物の入った籠を持ったエリシアが訝しげな眼を向けていた。
スタスタと歩いてくると、私からシエンナを引っぺがす。
「レナ様が苦しそうですよ。レナ様、もう体調は大丈夫なのですか?」
「はい。傷は聖女様が治療してくださいましたし、寝起きで体調が少し悪いことを除けば問題ないかと」
「それならばよかったです。....黒騎士の方々が間に合って下さってよかったです」
ホッと胸を撫でおろすシエンナ。薄っすらと開けられたその目には、明確に安堵の感情が見て取れた。
だがすぐに、少し暗いものが瞳に揺らいだ気がした。
「?どうかしましたか?」
「い、いえ....なんでもありません。そんなことより、体調が大丈夫そうであればレナ様も参加してきたらどうですか?」
「参加?何にです?」
「パーティです。今回の魔獣侵攻は唐突な物だったらしく、黒騎士様たちも緊急で呼ばれたらしいんですよ。なので、それを殲滅した“賢者”と“黒騎士”に向けたパーティを開いたそうです」
「....それって、私、主役ってことですか?」
少し引きつりながらそう聞くと、
「はい。レナ様は今回の魔獣侵攻の7割をお1人で殲滅しましたから、今回の功労者といっても差し支えないかと」
つまり、そのパーティとやらから逃げようと思ったら逃げられなかった。そういう話です。
***
(やだなぁ....執務室に戻りたい....)
そうは言いつつも、目が覚めたことがいつの間に伝わったのか王宮の執事やらが迎えに来て、強制的に連れていかれた。
位置的にパーティが開催されているホールの、それも一番目立つ場所にある扉の前のようだった。これはもう『主役なんだから表から堂々と入れ』と言われているようにしか見えない。
「はぁ....」
「いかがいたしましたか?レナ様」
「あ、いえ。私小心者なので、裏からこっそりとかでいいんですが....」
そしてあわよくば帰りたい。
「それはいけません。今回の侵攻の一番の主役を、そんなこそこそと入れるわけにはいきませんから。
大丈夫です。皆様祝ってくれますよ」
もう逃げる術はないらしい。
ええい、ままよ!女は度胸です!こうなったらやってやります!
自分の頬をパンパンと叩き、前を見た。
それを見た執事の方々が、にこりと笑って扉を開ける。ゆっくりと開かれた扉の先にいた人々は、こちらを見て止まった。
「おぉ!此度の主役の登場だ!賢者レナよ!入ってくるがいい」
国王のその言葉と共に、無数の拍手と歓声が私を迎えた。辺りをきょろきょろと見回すと、知り合いの令嬢もいる。パーティ会場のど真ん中に開けられた自分用の道を歩き、王の前に跪いた。
「賢者レナ、此度の活躍大変大儀であった。先代賢者に劣らず、この国の為に動いてくれたこと、心から感謝する。
些細なものだが、私の方から宴を用意した。今宵は無礼講、存分に楽しんでくれ」
そう言ってにこりと笑う王。まだ50代の王はかなり若く見え、かつての若かりし頃の風格を兼ね備えたイケオジだ。
....っと、王様相手にこう言ってはいけませんよね。
「はい。ありがたき幸せです」
「フッフッフ、ハッハッハッハ!!今宵は無礼講と言ったであろう。そう畏まらずともよい。昔のように、おじ様と呼んでくれてもいいんだぞ?」
「い、いえ!そんなことはできません!お気持ちだけ、受け取らせていただきます」
「うむ、そうか。それは少し残念だのう。まぁよい。皆の物、続きを楽しんでくれ!」
その一言で湧き返す会場、静まり返ったホール内に、再び楽しげな声が聞こえてきた。
その言葉に呼応するように私の周りにも人が集まりだし、様々な人から祝杯を受けた。
時間を忘れて話していたが、気づけば既に2時間は囲まれっぱなしだ。人と話すのは嫌いではないが、目が覚めたばかりということもありさすがに疲れてきました....
そんな中、私に近づいてくる影が2つほど。
そちらを向くと、見たことのある眼鏡の男性と同じく黒を基調とした衣装の男性がいた。
「あなたは....」
「お目覚めになられたようで何よりです。賢者レナ様」
名前はわからないが、黒騎士の方がそこにいた。こちらに対して微笑み、そしてぺこりと腰を折る。
「この度はとても助かりました。レナ様がいなければ、被害はもっと拡大していたことでしょう。最後の強化魔法も素晴らしかったです」
「い、いえいえ。私なんてそんな....最後は疲労で倒れてしましましたし、黒騎士の方々がいなければ殲滅は出来なかったと思います」
「そう言ってもらえると嬉しいですね。目覚めたばかりなのに話し込んでお疲れでしょう。少しテラスで休んできてはいかがですか?」
そう言って差し出される友好国“ガルメシア”産のフルーツシャンパンの入ったグラス。先ほど給仕している使用人がいたので、そこから貰ってきたものだろう。グラスの淵もまだ新しい。
「ありがとうございます。そうさせてもらいますね」
「ええ。ごゆっくりしてください」
私を囲っていた方々を黒騎士たちがなんとかしてくれ、私はシャンパンを持ってテラスへと向かった。
「チッ....先代のおこぼれ如きが調子に乗りやがって....」
そんな言葉が耳を刺す。独り言レベルの小さい声だったが、やけにはっきりと聞こえた。声のする方には、やはり貴族出身の魔法使いや研究員たちがおり、こちらを睨んでいた。
(先代のおこぼれ....そんなの私が一番よくわかってる)
だがそんな僻みにいちいち付き合ってられないと、私はテラスに出る。月明かりが私を照らし、ランプの灯る城下を見下ろしながら私はふぅ....と息を吐いた。
師匠は凄かった。圧倒的な知識量と魔力量、そしてかの“剣聖”と渡り合ったとされる実力。才能にあふれたまさに“天才”の名にふさわしい人物。
才能だけでなく人柄も良く、自身の給金を孤児院に寄付していたのだ。その結果、貰った給金を使い果たして私に泣きついてきたのは懐かしい思い出だ。
「私も....もっと上を目指さなきゃ....」
賢者としての責任、期待に応えなきゃいけない重圧....それらが私を押しつぶそうとする度、私はすべてを背負って歩いてきた。これらを全て背負ってなおけろりとしていた師匠は凄いと思う。
今はもういない師匠を思い出しながら、私は憂いた瞳を月に向けた。
「今日の主役が、こんなところで何をしているんだ?」
唐突に背後から声がかけられる。
今このテラスには私1人しかいないし、何よりかけられた内容からして私に向かって発せられたのは間違いなかった。
振り向くと、後ろに立っていたのは私と同じシャンパンのグラスを持った男性。年齢は若く私と同じくらい。漆黒の髪色に蒼白の瞳、立ち居振る舞いからして騎士であることが容易に分かった。
だがそれ以上に、鮮明に思い出してしまった記憶の中にいた人物の顔だったのだ。
「あ....あなたは....」
「....俺のことを覚えていないのか?」
少し悲しそうに眼が下がった。
覚えてないわけない。私を助けてくれた黒騎士のトップの顔を忘れるなんて、恥知らずなことはしない。
「覚えています。というか、忘れられるわけがないじゃないですか。私を助けてくれた恩人を」
「よかった。忘れられてたらと思うと不安だったんだ」
すると、すたすたと歩いてきた男性騎士は私の隣に立つ。そのまま城下を見下ろし、スッとグラスを差し出してきた。
「今回は君のおかげで助かった。礼を言う、賢者殿」
「....私は私のできることをしたまでですよ。黒騎士の方々がいなければ、被害はもっと拡大していました。こちらこそ、ありがとうございます」
そう礼を言ってグラスを当てた。お互いに何も言わず、シャンパンを一口。フルーティな香りがのどと鼻を抜けていった。
「ところで、お名前は?」
「そうか、確かに名乗っていなかったな。アルシア王国騎士団特殊部隊、“黒騎士隊”隊長のグレン・ホーリヴァルトだ。よろしく、賢者レナ殿」
「黒騎士の隊長....あっ!」
グレン・ホーリヴァルト。この男の名をこの国で知らない人物はいないほどの有名人。
現“剣聖”の弟子にしてこの国の最高戦力たる『黒騎士』のリーダー。
上げた武勲は数知れず、平民の出ながら成り上がり、今では各国の姫君や令嬢に狙われているのだとか。
「グレン様だったのですね」
「あぁ。俺も君のことは話でしか聞いていなかったが、実際に会うと噂話以上に可憐な人で驚いたよ。賢者レナ殿」
そう言ってほほ笑むグレン様。少し照れ臭かったが、私も負けじと微笑み返す。
今夜はなんだか、月明かりがやけに明るい気がした。