1.異世界の客人
それでね、それでね。
隣を歩くお人形のように綺麗な女性が、子供のように唇を尖らせてその可愛らしい口からすらすらと流れるように不満を漏らしている。
「こんな大変な時だっていうのに、お兄様ったら私には何もさせてくれないのよ。」
もう子供じゃないのにとほっぺたを膨らますしぐさは十分子供っぽいが、その横顔は確かに大人の女性になりたてくらいの年齢には見える。祐はなんとなく自分と同い年くらいかなという印象を持った。多分彼女のほうも同じで、だからこんな風に初対面にも関わらず気安く愚痴をこぼしている。
「わかる。なんか知らないけど、兄ってやたらと邪魔とか足手まといみたいな扱いしてくるよね。」
子供の頃、一緒に遊ぼうとするとやたらと邪険にされた。その思い出を持つ祐が本心から同意すると、でしょう、と嬉しそうに女性も相槌をうつ。そうやって、妹による兄に対する愚痴大会は盛り上がっていた。自分勝手だとか思いやりが足りないとか好き勝手に文句を並べたあと、
「そもそもなんで男ってああも偉そうなのかしら。」
彼女は嘆いて上向いた。軽くウェーブがかった綺麗な薄い色の金髪が、女性の腰のあたりをさらさらと流れる。
「あら。暗くなってきたわね。」
言われて、祐もつられて見上げるが、森の木々に遮られていて空はほとんど見えない。ここはもともとこんな風に木々の影ばかりが落ちていて、周囲が暗くなってきたのかどうかなど祐には判別できなかった。
「そろそろ帰らないと。日が沈んでしまったら、森の中ではあっという間に暗くなってしまうわ。」
「うん……。そりゃ帰れたら帰りたいんだけど……。」
祐が困惑と、愚痴大会を始めた女性をちょっと責めるような視線を向けると、彼女は今思い出したというように両手を口に当てて声を大きくした。
「やだ。そうだったわ。ユウの帰る手がかりを探していたんだったわ。」
そうなのだ。なぜか急に深い森の中にぽつんと現れてしまった祐が、とりあえず人を探すか森を出ようと適当にうろうろしていると、兄妹げんかをして家を飛び出してきた彼女、アルバティナが森の木のそばでうずくまっているところに偶然出くわしたのだ。
具合が悪いのかと思って駆け寄った祐に、アルバティナは「腹が立って木を蹴りつけたら足がしびれた」と恥ずかしそうに気が抜けるようなことを言った。
そのあと当然のことながら祐自身のことを聞かれたので、コンビニに行く途中だったのになぜか突然この森の中にいたと正直に筋の通らない説明をすると、彼女は他にいくつか祐に質問したあと、
「信じられない。あなた、『異世界の客人』よ。」
と余計に意味不明な回答をくれた。
彼女が言うには、こことは全く別の世界から突然人間が現れる伝説があって、きっと祐はその伝説の客人なのだと。
「えーっ。なにそれ困る。」
来週から大学のテスト期間なのに。別にテストを受けたいわけではないが、今回受けないと来年また受けなければいけない羽目になる。先輩直伝の一番楽して最低限の単位を取得する術にそって授業を取っていたのに、今期の単位をひとつでも落としてしまったら来年の負担が増えるではないか。
しかしどうすれば元の世界に戻れるかはアルバティナも知らなかった。伝説はそこまでは語り継いではくれていないらしい、役に立たないなあ、もう。ともかく、地続きでは日本に帰れないらしいということがわかったので、自分が現れた地点になにか手掛かりはないかと戻ろうとしたところで問題が発生した。
「……どこだっけ?」
森はどの方向を向いても見渡す限り木々が生い茂っていて、今自分がどちらから来たのかすらも定かではない。アルバティナが「あなた、向こうから来たわよ。」と教えてくれた方向にとりあえず進もうとしたのだがあまりにも危なっかしく見えたらしく、彼女も同行を申し出てくれたのだ。名前の交換をすると彼女は「ティナって呼んで。」と人懐こく笑った。そのあと祐の見覚えのある場所を探そうとするも、森の中なんてどこも同じに見えてしまって役に立たない。持っていたはずの財布とケータイが落ちているところが現れた地点に違いないと考えて、それらを探しながら話をしていたらいつの間にか彼女の兄妹げんかの長い長い愚痴が始まったのだった。そして今、随分探したにも関わらず財布もケータイも跡形もなく、無情にもこの世界の日は暮れる。
「あー。どうしよう……。」
しかもなんだかお腹も空いてきた。祐が軽く絶望を感じていると、隣でアルバティナが少しそわそわとし始めた。
「あの、ユウ。」
そしてしばらく言おうかどうか迷っている風に視線をさまよわせたり両手をもじもじさせたりしたあと、よければ、もしユウがよければなんだけどね、と何度も前置きをして、
「もしよければ、うちに泊まっていかない?」
見た目と同じく女神のようなことを言った。