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最期の海に咲く花  作者: みつき
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会いたい病―――⑥

環さんを救出してから、2週間が経過した。

面会制限も無事に解けて、家族と笑顔を見せる機会も多くなったそうだ。

そんな話のやり取りをカウンセラーとしていると、どうやら彼女はあたしに聞きたい話があるそうだ。……また助けてくれてありがとうやら、生きててよかったやら。そんな言葉を聞かされる時間が来るのだろうか。


その相談を受けた翌日、カレンと一緒に病室を訪れることにした。

そういう話をする場面は実はあまり好きではない。あたしは思ったことをはっきり口にしてしまうから、知らず知らずに相手を傷つけてしまうこともあるし。

今の仕事にやりがいを感じているよりかは、当たり前のことをひたすら続けている日々の中で、きらきらした目でお礼を言われることに違和感を覚えて仕方ないのだ。


ありがとう、と言われたら素直に喜べばいいのに。

こういう天邪鬼なところが、友達が少ない原因になっていると思う。

物思いにふけりながら、エレベーターの手動レバーを”下”に操作した。

あたしとカレンと親父しか押せないスイッチを押すと、四角い箱は他の階を勢いよく吹っ飛ばす。蝸牛の奥を殴りつけられたようなマイナスの負荷をもたらされ、あたしたちは地下23階の医療部へと運ばれる。


「こんなに状態が落ち着いてくると、あたしの出番はないのかな」

「そうとは限らないじゃん」

「最近歌ってないから、喉が枯れていきそうだなあ」

「お願いだからこのエレベーターの中で歌うんじゃないよ」

「あ? あたしが音痴だから拒否るってか?」

「違う、声がバカデカいってこと」

「楽しみで楽しみで仕方ないの! この歌声で誰かを感動させる瞬間を待っているの。あんたは聞いたことないもんな。会場いっぱいのひとがあたしの歌声を聞いて、拍手する音を!」

「知らないよ。聞いたこともない」

「そのうち聴かせてやるからな!」

もう二十歳を超えた立派な大人のはずなのに、カレンは地団駄を踏み続ける悪ガキのような表情を見せる。ひとをこんな表情にさせるなんて、彼女にとって歌うことはさぞ楽しいことなのだろう。ぷんすこと言わんばかりの足音が、長い廊下に響く。あたしはその背中を追いかけるでもなく、並んで歩くでもない。またこの場所を通りかかる頃には、最近リサイタルを開いてないカレンの心配は杞憂に終わっていた。


☆☆☆


「環さん、こんにちは。傷口はよくなってきましたか?」

「窓もない部屋で、気持ちは塞ぎこんでねえか?」

病室の引き戸を開くと、環さんはベットの上に座って何かを眺めていたようだ。来訪の前に担当の看護師に電話をすることを忘れていたから、突然の来訪になってしまった。少女は顔をあげると、きょとんとした顔であたしたちを見つめている。


「……あなたたちが、私を助けてくれたひと?」

「はい。」

「助けて貰った時のことはあんまり覚えてないけれど、思ったよりもかわいらしいのね」

「悪い気はしないけれど、そういう言葉は目上の人に失礼だろ! きれいでやさしくて綺麗なお姉さま方って呼べ」

「ほらほら、病み上がりの人のお部屋で大きな声張り上げないの」

カレンの叫びは環さんの傷跡に響きそうだから、耳たぶをきゅうと摘む。黙っていればテレビに出ているタレントのように見目麗しい女性のはずなのに、こういう目で睨みつけてきたりするところに、カレンの気の強さが滲み出てしまうんだろうなあ。


「おとなしいほうのお姉さんが切ってくれた方で、声がデカいお姉さんが助手?」

「正解。ごめんなさい。まだ名乗ってなかったな。あたしは堂島莉緒っていう。切った方」

「あたしはなあ、カレン・御園・リアーナっていうんだよ。」

「うるさいお姉さんは外国人なの!? その金髪は染めているわけじゃないのね、きれい」

環さんはベットからゆっくりと立ち上がり、あたしたちに立ち寄った。カレンはほれほれと髪を触らせてあげると言わんばかりに頭を傾けている。言葉に甘えてなのか、少女は指先でカレンの髪をとき始める。

こんな些細なスキンシップができるのは、病状が安定した症例だけだ。

あたしたちの処置を受けてからすぐ入る集中治療室はもっと閉鎖的で、隙間なく身体中を覆うような防護服を着たスタッフでしか近寄れない。抗体を既に持っている私たちでも、立ち寄ること自体が禁止されている。

ごくまれに、あたし達や医療部の力が及ばず。救出をしてもその部屋の中で耐えてしまう命もある。―――伝えられなかった『会いたい』を残して。


「すっごい、さらさらー」

「そんなに外国人が物珍しいのか? 褒めてもらうのはうれしいが、うるさい姉さんっていうのやめろ」

「声が大きいことはとてもいいことだよ! だって、台詞が大きな舞台のはじからはじまでちゃーんと届くから」

「お前、わかってんなあ! 大きくなったらビールおごってやるよ!」

カレンはお返しと言わんばかりにくしゃくしゃと少女のつむじあたりを掻き分けている。なんというのだろう、子弟や姉妹とは少し違う、同じソウルというようなものがこの二人には流れている気がする。……だけれど、こんなじゃれあいを続けることは面談の本題ではない。あたしはしばらく時間を置いたあと、終わりのなさそうなだべりに切れ込みを入れた。


「環さん、何か聞きたいことがあってあたしを呼び出したんですよね」

「……えっ、あっ、はい…」

「なンだなンだあ、お姉さんたちがなんでも答えてやるよ」

カレンは環さんとあっという間に打ち解けている。環さんのほっぺを餅やマシュマロのようにして遊びはじめた。症例に対して子どもっぽい扱いはご法度だろ、と、思いながらふたりを眺めていると、たべりを引き裂くような言葉が響いた。


「あの、なんで私を助けたのですか?」

「……なんで、仕事……」

「てめえはだまってろ! 本当にそういうのへたくそなんだから……」

さっきのお返しと言わんばかりカレンが口を塞ぐものだから、あたしの息はふごふごと音を立てる。思ったことを考えずにすぐ言葉にしてしまうのは、あたしの本当に悪い口癖だ。ふまりそろってうるさいだの黙れだの罵りあっているから、環さんはきっと不可解に思っているに違いない。


「七菜子さんのダンスが見たかったじゃないの?」

「そんなの嘘に決まっているじゃない。」

カレンのその言葉を受け、環さんは何か別の生き物に囚われたような表情を浮かべる。 先程のぴかぴかとした瞳からは考えられないぐらいに乾いた笑いを浮かべている。正直背筋が凍ってしまうほどの、見えない何かを感じさせられた。


「あの日、私は死んじゃってもいいぐらいだったのに」

「……じゃあなんで助けてって……ぐっ、ふ…」

「こいつの話は聞かないでいいからな。」

カレンは再びあたしの口に強く蓋をした。あたしは果たしてここに来る必要性はあったのか。これからはおとなしく相槌を打ちながら傾聴することにしよう。病室の乾燥した空気に沈黙を挟むと、カレンはひねった言葉を環さんに贈る。


「この数値だったら思ったより肺のダメージは受けてないだろう」

「お前が死んでもいいって思った気持ち、歌ってみせろ。」

「キツかったらワンフレーズでもいい」

「大女優の卵の歌声、折角だから聞いてみたいからな」

カレンの目の色の光は、ぎらぎらと期待の色で光っていた。でもそのきらめきには、母性のような優しさが宿る。―――普段は言葉にしないけど、カレンはあたしよりはるかにできた人間だと思う。でもその言葉はあまりにもとっさの無茶ぶりすぎて、きっと環さんは驚いてしまうだろう。


「わかった……」

思ったよりも二つ返事だった。発症をしたあの日、『死んでもいい』も思った気持ちに、嘘がないこと。そしてこんなリクエストに答えられるなんて、座りきった肝と場数の多さを思い知らされる。


汗水垂らしながらつぎはぎした細い足首に、凛とした女優の姿勢が宿った。


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