さよならの日に降る雪―――⑩
「あの氷は、七菜子ちゃんの悪あがきだったわけだァ。結局黒瀬さんの家に泊まって朝帰りしたって。あざといなあ」
「いや?黒瀬さんの悪あがきだったのかもしれないよ?」
秋田より小マシではあるが、やはり東京の冬は寒い。案件のささやかな打ち上げとして、あたしはクローゼットからこたつを引っ張り出し、カレンと鍋を愉しんでいる。彼女は酔っ払っているのか、さっきから太ももを蹴っ飛ばし続けている。その仕草が正直うざったい。
「ちょっと、待てってば! 鍋アツアツだからこぼしたら火傷しちゃうじゃん」
「うるさいうるさいうるさーい!」
「耳まで赤くなってのぼせてんの?温度落とすよ」
「やだやだー!こたつで丸々猫だにゃー」
「知らんがな」
カレンはありえないほどお酒が弱い。なのに、バカみたいにひとりで煽り続ける。彼女らしいといえばそうだけど、ふたりで飲む度に何度も介抱を強要されるあたしの身になっていただきたい。食べられるのであればこの程度だろう、と、おたま半分程度に皿に取ってカレンの前に置いた。
「たべさせて」
「やだよ。21歳のいい大人が赤ちゃんのような要求はやめろ」
「ちぇー、つまんないの。遊んでくれないなら自分の部屋に帰るう」
目の前にいるのは成人女性のはずだが、まるで5歳の女の子のような言動だ。もうダメだな。仕上がっている。残念ながらへとへとのあたしには、おふざけができる体力はもう残ってない。今日はどうぞおかえりください。
「寝ゲロだけはすんなよ。死ぬから」
「へいへーい。これ食べたらもう部屋に帰る」
のぼせた猫はもちゃもちゃ、と、言わんばかりに鍋野菜を頬張っている。こう見たら可愛らしいハーフの女の子だし、生まれも育ちもいいお嬢様があたしとともに命の危険を伴う仕事をしている理由がいまいち理解できない。ーーー大好きな歌で症例の傷ついた心を癒したい。という動機だそうが、実際に歌う機会は面会の時にふわりと口ずさむ程度である。
―――あたしは手先の器用さを思う存分に生かせているのに、同じ2年目なのに格差が出すぎだろう。症例にどういった処置やケアが必要になるかは正直縁によるが、もう少し彼女が活躍できる機会があるといいんじゃないか、と、親父に私から話を持ち掛けてみることにしよう。
「んじゃーな!うまかったぞ!瀕死になったら鬼電してやるからな!」
「どうか、安らかにおやすみなさい」
「それ、どういう意味だよ!? 明日目ん玉ほじくってやるからな!」
「はいはい」
カレンが身体をふらつかせながら、部屋から立ち去る。千鳥足というほどひどくないし、口を抑えたりしていないのでそこまで悪酔いということではないのだろう。あたしも鍋を食べ終わると、カレンの散らかしたビール缶が足元に転がってきた。
「片付けないとな……」
あたしはふわりと立ち上がり、空き缶をゴミ箱に捨てに行く。その時、システムキッチンの戸棚が少しだけ開いていることに気が付いた。……あたしの宝物が入っている場所だ。あたしがお酒を買いに行っているうちにカレンに見られてしまったのかな?
海のどうぶつ達の絵柄が入った瑠璃色のお菓子箱を開けると、その中は特に荒らされていた形跡がなく安心した。
―――自分がなぜこの仕事をしているのか、その理由を知ってもらうためには。口下手なあたしが説明するよりも、この一枚一枚を見せてあげたほうがいいと思った時もあった。
だけど、あたしの記憶の中で一番透き通っていて。誰かに手垢をつけられ、弄ばれたくないものたちだ。なかなか成長しない解釈に我ながら腹が立つけれど、この気持ちが簡単に揺らぐことはないのだろう。
「りお はじめておてがみをかきます もじはこれでへんじゃない? きょうもわらっていてね」
「りおへ げんきですか? しおみがおかはずっとなつみたいです。でも、ばあちゃんのにものをおいしいとおもうから すこしあきがきたのかなあ」
「りおへ がっこうでいくつもかんじをならったけど むずかしくてかけない あたしはやはりぽんこつみたいだ またらいねん、ここにきたときにかきかたをおしえて」
「莉緒へ りお、リオ、莉緒! やっとあなたの名前を書けるようになった だけどばあちゃんを疲れさせちゃったよ 今日夕飯はあたしがつくったんだ 莉緒は今夜 何を食べている?」
「莉緒へ いついつでもメールができるのはうれしいけど、こうして手紙を書いてしまうの。いつまでたっても字がへたくそだし。めんどくさいけどね。また来年も遊ぼうね」
「莉緒へ。この前テレビで手作りのアクセサリーのお店が紹介されていたの。あたしも莉緒がくらす町に遊びに行きたい。最近なんだか体調が悪いけれど、連れて行ってくれますか?」
―――たった6枚の手紙。紡ぎ出される文字は部首が反対だったり、かたちが象形文字のようにいびつなものばかりだ。だけれど、何時間もかけ、時には癇癪を起こしながら。毎年欠かさず書いてくれたからこそ、長い間時を越えても想いが残り続けている。
その他にも、めめばあちゃんがくれたサンゴのネックレス。駄菓子の空箱や、文房具。一緒に作った紙ねんどの怪獣。他の人から見たらがらくたにしか見えないのに、あたしにとってはそのひとつひとつがかけがえのないものだ。
「真鈴」
迷うことはない。立ち止まることはない。ただ、自分の現在地がわからなくなることがある。そのたびに宝物を何度も読み返した。もうきみはこの世界にいないけど、あたしのそばにいてくれた証をたくさん残してくれたんだね。――明日からまた忙しくなりそう。どうにかして生きなくちゃ。今夜もベットサイドにある母と真鈴の写真に誓いを立てる。
静まり返った自室の中に、エアコンの室外機の音だけが響いていた。




