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約束の祠  作者: 赤猫
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 翌日。

 香織は登校時間ギリギリに学校へ向かう。

 教室に入るなり絡んでくる裕也にいつも通り挨拶を返して、残りわずかな時間で教科書を読み返す。

 昨日に引き続き、ホームルームの後に静かに一時限目の小テストが開始された。

 二時限目。夏休み直前の最後のテスト。

 気が緩んでいる生徒も多い中、香織はノートと教科書を交互に読み返していた。

 小テストは一時限目と二時限目のみで、三時限目に全ての小テストが返却された。

 そして、香織が夏休みも補習の為に学校へ行くことが決定した時間だった。

 放課後。保健室で晶子から紙人形と札を受け取った香織は、一度家に帰って身軽な服に着替えると山に向かった。

 晶子の話だと札は何箇所か貼り直す必要があるとの事だった。

 香織は鞄から紙人形を取り出し、山に向かって突き出してみる。

 しかし、紙人形は動かなかった。

 香織は指で突いたり、足を摘んで振ってみたり、投げてみたりと試すも動かない。

 拾って軽く土を払い、手のひらに載せた。

 どうしたものかと眺めていると、紙人形はゆっくり起き上がると欠伸をするかのような素振りを見せる。

 呆気に取られる香織の手の上で、大きく破れんばかりに伸びをすると香織の肩に飛び乗った。

 肩に乗った紙人形をみ見ると、山の中を指差していた。

 香織は呆気に取られながらも、昨日の雨で足元が湿っている山の中へと足を進める。

 泥濘に足を取られながらも、札を貼り変えていく香織。

 道中。紙人形の指示に従って、新たに札を貼りつつ進むも、祠への道は見当たらず、気が付けば山の入り口付近まで一周回って戻ってきていた。

 紙人形は次の場所を指示しに飛んでいく。最後の一枚は山の入り口で、鳥居に貼るよう指示する紙人形。

 香織は最後の一枚を鳥居に貼り付ける。

「終わったー」

 大きく伸びをする香織は、そのまま山を振り返り見る。

 祠に用事があった訳ではないが、何故行けなかったのか少し不思議に思った。

「札が強くなったからかな」

 肩に乗っている紙人形に聞いてみたが、返事をする事なく仕事を終えた紙人形は香織の肩から倒れ落ちる。

「あ、ちょっと」

 慌てて掴み取るも紙人形は動かなかった。

「お疲れ様」

 言って、それを鞄にしまうと香織は家に帰ることにした。



 香織が家に向かって歩いていると、正面から八代が歩いてきた。

「昨日はありがとうね」

 香織が言うと、

「いえ、お気になさらず」

 軽く返事をして手を振ると、八代は山の方へと歩いて行った。

 家に帰り香織は真っ直ぐ脱衣所に向かった。

 昨日雨が降ったせいか、汚れてもいい服で山に向かった香織だったが思っていた以上に泥が跳ねたりして服が汚れていた。

 鏡を見ると髪の毛や首元にさえ泥が付いていることに気が付いた香織はそのまま風呂に入ることにする。

 服を脱ぎ、風呂を沸かすためスイッチを入れる。風呂を沸かしながら、シャワーを浴びて泥を流す。ゆったりと頭と体を洗って、ぬるま湯の湯船に浸かる。

「そういえば、八代君は山に行ったのかな」

 膝を抱え、熱いお湯が出る部分を避ける。

 雨の中、八代が何も聞かずに送ってくれた事を思い出す。

 しょうねえは、私と八代君が仲良いと勘違いして楽しんでるみたいなのが、少し癪にさわるけど裕也よりは良い人なのかな? 思って、少し微笑む香織は、お湯を手でかき混ぜる。

「でも、番傘はないかな。今時、番傘って」

 ふと、香織はおばあちゃんの後姿を思い出す。雨の日に祠へ向かう際、番傘をさすその後姿を。



 風呂から上がり、リビングに行くと晶子がソファーに座ってアイスを食べていた。

「いいなぁ」

「いいでしょう。あんたの分は冷凍庫」

 香織は冷凍庫からアイスを取り出すと晶子の隣に座る。

「あんた達夕飯前にあんまり食べないでよね」

 と、母がスーパーのチラシを見ながら二人に言う。

 香織と晶子は顔を見合わせると声を揃えて、

「べつばらー」

 と、言い返した。

 母は呆れた様子で笑うと、チラシにペンで印をつけた。

「あ、そうそう。おばあちゃんの傘って、どこにあるか知ってる?」

「あぁ、あれ。番傘でしょ。全部倉にしまってあると思ったけど」

「そうなんだ。どの辺だろう」

「何で?」

 と、口にして晶子は木のスプーンを加えたまま口元を歪ませる。

「あぁ、なるほどね」

 ニヤニヤ笑いながらスプーンを上下させる晶子。

「何?」

 香織はムスッとした顔で言う。

「ペアルックかぁ。いいわねぇ。青春ねぇ」

「違うから」

 香織は晶子のアイスを奪おうと手を伸ばす。

「照れなくてもいいじゃない」

「照れてないし」

 否定しても、晶子はまともに取り合おうとはしなかった。

 翌日。

 終業式が終わり教室に戻ると、補習を受ける生徒だけに日程表が配られる。

 香織もその日程表を受け取り、夏休みの日数を逆算する。

 一教科に付き最低三日は出席しなければならないが、三日目のテストで赤点を取るとさらに補習が三日間追加される仕組みになっている。

 香織は夏休み初日から教科の予定上。七日間以上は学校に行かなくてはならなかった。

 自分のせいだとわかっていながらも、予定表に打ちのめされた香織は長いと文句を言いつつ、うなだれながら帰宅する。

 家の門に差し掛かった時に、山に向かって歩く、八代の後姿が見えた香織はその後を追いかけた。

 山の入り口まで来て辺りを見渡す香織。

 一本道だが途中で八代を見失っていた香織は、

「山に入ったよね」

 と、つぶやきながら山の中に入る。

 昨日の札を貼った昨日と変わらない道を進む。

 雨の影響は影を無くしつつあり、昨日よりも歩きやすくなっていた。

 夏らしい日差しを遮る木々。山の中はコンクリートの道より涼しく心地が良い。

 香織は周囲を見渡しながら、どこに札を貼ったと考えつつ歩いていると、急に緩やか降り坂に差し掛かった。

 足元に生えているキノコは、ほんの少しだけ成長している気がしたが、気のせいでも、見間違いでもなく、祠への道だった。

 香織は不思議に思う。

「いつの間に?」

 と、道を間違えたわけではない筈だと、確認するために後ろを振り返る。

 だが、そこは知らない道だった。

 先ほどまで歩いてきた道ではない。そして、今まで見たこともない道。

 その道を見つめていると自然と足は後ろへ下がった。嫌な気配が漏れ出てきているのを感じる香織は、そちらへ進んでは行けない事だけはわかった。

 長く見ていると、吸い込まれそうな感覚が香織に纏わり付く。

 香織はそれを振り払うように祠の道へと体を反転させた。

 勢い良く体の向きを変えた香織は白い壁にぶつかった。

 そのまま、後ろに倒れそうになり目を瞑る香織。

 しかし、尻餅を付く事はなかった。手を引かれ腰を支えられたからだった。

 目を開けると、目の前には八代の顔があった。

「え」

 驚き小さく声が漏れた香織。

「大丈夫ですか?」

 八代が聞くも、

「か、顔近い」

 目をそらして香織は更に小さい声で言う。

「あぁ、すみません」

 八代は言いながら香織を抱き起こす。

「こっち」

 と、祠までの緩やかな坂道を香織の手を離す事無く引いて歩く八代。

 香織はされるがままに、手を引かれて坂道を降りきった。

 祠が見えた香織は急に恥ずかしくなり八代に言う。

「手」

「え?」

 と、八代は香織の顔を見る。

「手。いつまで……」

 顔を赤くして言う香織。

「あ、はい」

 と、八代は手を放すと井戸に向かって歩いていく。

 香織は掴まれていた手をさすりながら、来た道を振り返る。

 八代は井戸の周りに落ちている蓋の破片を蹴飛ばして一箇所に集める。

 その音を聞いた香織は顔を八代に向けて聞く。

「蓋するの?」

 聞きながら近くにあった破片を拾って八代が集めているところに投げてみる。

「いえ、別に蓋は壊れてしまいましたから……それで、今日はどうしたんですか?」

 香織に向き直って八代は蓋を集めるのを止めた。

「いや、なんとなく来たんだけど」

 香織は適当に返事を返す。

 井戸の前に立つ八代は、祠に目を向ける。

 香織も釣られて見ると、祠は前より廃れて見えた。

 近づき見て思い返す。夢で見た祖母と来ていた頃に比べると、今の祠は一ヶ月も経てば崩れてしまいそうで、ここ数日だけでも汚れが増しているのがわかる。

「随分汚れましたよね」

 八代は笑って祠を眺めてる。

「昔は良く掃除しにここに来たんだけどね」

 言いながら、香織は汚れを取る為に祠に手を伸ばすが、

「触らぬ神に祟りなしですよ。変に触わらない方がいいですよ」

 と、八代に言われて、手を引っ込める。

 八代が近くの岩に座ったのを見て香織もその隣に座らせてもらう。

「お供え物とかもしたんだ」

 香織は祠を眺めて言う。

「おばあちゃんと二人で来てね。と言っても、私は付いていっただけだったと思うけど。お団子とかお花とか持って来て」

 八代は何も言わないが、話は聞いているようだったので香織は話を続ける。

「おばあちゃんは雨の日も着来てたみたいだけど。私は小さかったから殆ど、お留守番でね」

「もう、人も来なくなったみたいですけどね」

 八代は風化した祠を見据える。

「おばあちゃんが亡くなってから誰も来てなかったのかな」

「そうかもしれませんね」

 気まずくなった気がした香織は立ち上がり、お尻をはたき砂埃を落とす。

「今後は私が来ようと思う」

 言って、八代に笑いかける香織。

 八代は驚いた顔をしてから、少しだけ小さく笑った。

「あ、そうだ。きもだめしくるよね?」

 香織が思い出したように口にする。

「きもだめし?」

「明後日に、この山でやるんだけど、誰からか聞いてない?」

「いえ」

 と、首を振る八代に。

「そう。じゃあ、一緒に行こうよ」

 香織が笑顔で言うと、

「えぇ、きっと」

 と、八代は少し濁した返事をした。

「約束だからね」

と、香織がダメ押しすると、八代はしぶしぶではあるが頷いた。

「じゃあ、私は帰ろうかな」

 香織が八代に言うと、

「では、行きましょうか」

 と、八代も立ち上がって、砂埃を叩き落とす。

 八代の後を香織は黙って付いていく。

 来た道を戻っているはずなのに、緩やかな坂の先は未だに知らない道だった。

 良くない物の雰囲気を感じてはいるものの、香織の中に先程までの恐怖心は無く、安心して八代の後ろを歩く。

 またも気がつけば、山の入り口にある鳥居の下にいた香織は、不思議に思いながらも八代の背中に着いていく。

 香織は八代に家の前まで送ってもらいそこで別れた。

 八代は一人、学校の方へと歩き去っていった。



 翌日。

 補習の為に行きたくはない学校に行く香織。

 夏休み初日であっても、部活や委員会、補習などの理由で学校に来ている生徒は少なくはない。

 進学校という訳ではないが、勉強に力を入れる学校方針のため、自ら進んで授業を受けに来る生徒の為の勉強会まで開かれている。

 その為、全校生徒の四割近い人数が登校していた。

 真琴は地域の盆踊りや、御輿等の会議で学校に来るのだが、補習組みの香織とは違い少し遅れて登校する。

 香織が受ける教科は三教科で、今日は一時限目と三時限目の授業に出なくてはならない。

 一教科三十分なので二時限目は真琴の手伝いをしようと香織は考えていた。

 香織は憂鬱な気分のまま教室に入ると、同じクラスの生徒から他クラスの補習生徒が、黒板に書かれた席順に座って会話していた。

 香織は自分の席を確認する。窓際後ろから二番目の席だった。

 席に向かうと、既に香織の後ろの席には八代が座っていた。

「おはよう。補習だったんだね」

 香織は挨拶をしながら自分の席に着く。

「転校してきたばかりですから」

「そうなんだ」

 先生が教室に入ってくると教室は静かになった。先生はそのまま出欠を取り始めた。

 数名の生徒の名前を呼び終えた頃に、裕也が気だるそうに教室に入ってきて、先生に急かされながら香織の列の一番前の席に座った。

 先生は授業開始前に、補習について昨日聞いた話を再度繰り返した。

 補習についての話が終わると、そのまま補習が始まる。皆夏休みを早く迎えるために、真面目に取り組んでいた。

 香織も集中して取り組んでいた為か、授業はあっという間に終わったように感じた。

 一時限目の教科書等を鞄にしまい真琴の手伝いをするため、廊下に出てメールを送る。

 メールを送り終えて画面から目を離し前を向くと、裕也が立っていた。

「ちょっと、いいか?」

 言われた香織は、黙って頷く。

 裕也は、

「着いて来て」

 と、教室から離れる。

 香織はそれに付いて行く。階段を上がると踊り場で立ち止まった。

 部活などの様々な音が踊り場に響く。裕也は周り見て誰もいない事を確認すると、

「その……さ」

 と、香織に向き直りしゃべり始めた。

「何?」

「今度、デートしよう。って、言ったじゃん?」

「メールでね」

 と、香織は淡々と答える。

「あぁ、それでさ、本当はその時に言おうと思ったんだけど」

「うん」

「なんつうか」

 口ごもる裕也。

「真琴待たせてるんだけど」

 と、賭けの事を知っている香織は、この場ですぐに断るつもりだった。

「俺と、付き合ってくれ」

 言うと、裕也は右手を差し出す。頭を下げている裕也の顔は香織からは見えない。

 香織は手を後ろに組むと一歩だけ退がり明るい声で言う。

「ごめんなさい」

 と。

 裕也は顔をすばやく上げると、心底驚いたのか目を丸くして何も言わない。

 しばしの沈黙の後。

「はぁ?」

 と、裕也は先ほどとは、まったく違う雰囲気で声を出す。

 上の階からは裕也の仲間達の笑い声が漏れ来る。

「ちょっと待て」

 裕也は叫ぶように言う。その声は香織に向けられたものではなく、上の階にいる仲間に向けたものだった。

 上の階から漏れる聞こえる歓声は笑い声と共に遠ざかっていった。

 裕也は香織の目を睨み付ける。

「俺とデートしたいだろ?」

 苛立ちを含む声音で問う裕也。

「デートには行かない」

 裕也の目を見据えて言い返す香織。

「何でだよ」

 凄まれた香織は怖くなり下を向いてしまうが、

「ごめん。でも、デートには行かないし。付き合うつもりもないから」

 香織は恐る恐る顔を上げ直し、裕也の顔を見る。

 苛立ちを隠そうともしなくなった裕也は、

「お前のせいで大損じゃねえか」

 と、拳を振り上げた。

 香織は目を瞑る。怖くて全身に力が入り縮こまる。

 しかし、殴られる事はなかった。ゆっくりと目を開けると裕也の腕を掴んでいる八代がいた。

「何だよ」

 裕也は八代に向かって睨みを利かすが、そこへ、

「あ、いた!早く来てよ」

 と、下の階から真琴が香織に向かって声を掛ける。

 裕也と八代の事は位置的に見えていない様子だった。

 香織は裕也と八代、真琴を交互に見える。

 裕也は八代から腕を振りほどくと、舌打ちをして階段を上がって行った。

「はーやーくー」

 と、真琴は香織に催促する。

 香織が八代を見て礼を言おうとすると、

「早く行ったほうがいいですよ」

 と、八代は階段を先に降り始めた。

 真琴は降りてきた八代とすれ違い階段を上って香織の耳元で

「ごめん。邪魔しちゃった?」

 と、八代に聞こえない声で言う。

「え、違っ。そういうのじゃないから」

 香織は八代が去った階段下を眺めた。

 その後、あまり次の授業まで時間がなくなってしまった香織は真琴から、きもだめしの段取り説明だけ聞いて別れると、三時限目の授業に向かった。

 その授業に裕也の姿はなく、何事もなかったかのように八代は香織の後ろで授業を受けていた。

 授業が終わり香織は真琴と、きもだめしの準備を進めた。

 きもだめしまで残り二日。

 次の日も香織は補習を受けに学校へ来ていた。

 真琴は自治会館での会議があり学校へは着ていなかった。

 裕也は補習を受けに学校に来ていたが、香織に話しかける事はなかった。

 香織が受けないといけない補習は二時限目までだったので、それが終わると帰路に着こうとした。

 廊下を歩いていると、後ろから晶子が香織に声を掛けた。

「ちょっといい?」

「どうしたの?」

 と、香織は足を止めて晶子に向き直る。

「明日の事なんだけど」

「きもだめし?」

「そう」

 晶子は浮かない顔で頷いた。

「もしかして、何かあったの?」

「いや、何もないんだけど」

 難しい顔をして言う晶子に、

「じゃあ、何?」

 と、また何か頼まれるのかもしれないと思った香織はジト目で晶子を見る。

「あんたが行った祠に井戸なかった?」

「あったよ」

 香織は思っていた事と違うこと聞かれ首を傾げながら答える。

「そうよね。あるわよね。何か変わった所とかはなかった?」

「別に? あんまり近づいて見てないからわからないけど」

「そう。ならいいんだけど」

 安堵したように言う晶子に、

「あ、でも、蓋は壊れてたみたいだけど、嫌な感じとかは、まったくしなかったよ」

 香織は、見て感じたままを晶子に伝える。

「そっか」

 つぶやくように言うと、顎に手を当て考え込む晶子。

「どうしたの?」

 香織はその様子を見て少し不安になり聞くが、

「いや、あんたが何も感じなかったのなら、平気だと思うから安心なさい」

 と、晶子は顎から手を離して言った。

「脅かさないでよ。中止にするとか言われるかと思った」

「大丈夫よ。あんだけ札も貼ってもらったしね。私はまだ、やることあるからお昼はいらないって伝えておいて」

「わかった」

 香織の返事を聞いた晶子は手を振ると来た道を戻っていった。

 家に帰った香織は母に晶子の昼食について伝えた後に、昼食を食べてリビングで携帯をいじる。

 晶子のいないソファーを広く感じる香織は、先ほどの晶子との話を思い出すと少し心配になり、一人で山に向かった。

 香織は山に入り覚えている範囲で札を確認する。破れたりしていないか、札の字が消えたりなどの異常はないか、歩いて回った。

 札には特に異常は見当たらなかったが、香織は気がつけば緩やかな下り坂の上に立っていた。

 香織は八代に会えるかもしれないと思い、祠へ向かった。

 足取りは軽く弾む気持ちで、坂を下る。

 しかし、坂を下り終えて祠が見えても、そこに八代の姿は見当たらなかった。

 少しがっかりしながら、香織は岩に腰掛ける。

 八代が座っていた位置に座った香織は、木々の隙間から空を見て、祠と井戸を交互に見る。

「井戸」

 晶子が言っていた井戸とは、これの事だろうと岩から立ち上がる。

 井戸に近づく香織は思い出す、八代も近づかない様に言っていた事を。一歩。また一歩と井戸に向かって進む。

 何か悪いものが住み着いていたら、何が出来るのだろうかと、香織の頭に不安が過ぎる。しかし、それ以上に覗いてみたいという好奇心が強かった。

 恐る恐る井戸に触れる。両手で淵を掴み深呼吸すると、一気に中を覗き込む。

 井戸の中は暗く、深く、底は見えそうになく、悪い気配も感じない。井戸の中身は空だった。

 香織は、ほっと息を吐き出すと、

「何だ、何もないじゃん」

 と、井戸から離れて、先ほどの岩に座りなおす。

 しばらく腰掛けていたが、八代が訪れる事はなかった。

 香織は暗くなる前に残りの札を確認して帰る事にした。

 道に迷うこともなく、気が付けば元の道に戻れた香織は家に着くとリビングに入った。

 リビングには晶子がいつものようにソファーで寛いでいた。

「どこ行ってたの?」

「山だけど」

 香織が答えると、

「大丈夫って言ったのに」

 と、口を尖らせる晶子。

「心配になっちゃってさ。でも、御札とか井戸とか異常はなかったよ」

「そう? それは良かったわね」

「初めて井戸覗いたけど、結構深いんだね。底見えなかったし」

 晶子は雑誌を閉じて香織の目をみて、

「蓋が壊れてたとは、昼に聞いたけど覗けるの?」

 と、驚いた様子で聞いた。

「うん。蓋は下にバラバラに落っこちてるからね。でも、何も感じなかったのよ」

「バラバラなんだ……まぁ、そこまで見て何も感じないなら平気だと思うけど」

 晶子は雑誌を開きなおした。

「明日から、きもだめしだから今更中止には出来ないもんね」

「そうね。安全がまったく確保されてないなら中止にも出来るけど。そんな事もないしね」

 と、晶子に許可をもらえた香織は嬉しそうに晶子の隣に座ると寄りかかって一緒に雑誌を読んだ。



 きもだめし当日も補習を受けに学校へ行く香織。

 各授業にて小テストを受け、その授業の最後に先生がすばやく採点しテストが返却される。

 香織の点数は合格ラインに至らず、引き続き明日からも補習を受ける結果となっていた。

 夏休みの残り日数を自ら減らした香織は、うなだれながら教室を後にして真琴に報告に行く。

 体育館で盆踊りに用いるやぐらの鉄骨を自治会の方々と確認している場には真琴と一緒に晶子もいた。

 中に入ると、香織よりも先に真琴が気がつき入り口に晶子と来て、

「テストどうだったの?」

 と、真琴が聞く。

「この顔は駄目だった顔でしょうね」

 香織が口を開くよりも早く晶子が言う。

「うん。まぁ、その通りなんだけどね。私より先に何で言うかな」

「何で言うかなって、何で補習になるのよ。しかも、継続なんて」

 真琴は呆れ顔をすると嘆息する。

「ちゃんと勉強してたの? それとも、もしかして本当にアレなの?」

 哀れみの眼差しを向ける晶子。

「アレってなに? 馬鹿って言いたいの?」

「そういえば、何で晶子先生がこちらにいるんですか?」

 真琴は体を晶子に向けて聞く。

「え? 何? 私の事は、無視?」

「私は今回の盆踊りに立ち会う教師として、この場にいるのよ。前回の会議は出てないから知らないだろうけど」

「そうだったんですか。では、何かわからないことがあったら相談などさせていただきますね」

 真琴は丁寧にお辞儀をした。

「ちょっと、無視しないですよ」

 香織は晶子の白衣を掴んで引っ張る。

「引っ張らないでよ。ボタン取れるでしょ」

「きもだめしの準備は、この後やるから、少し待っててね」

 真琴は言うと自治会の方の元へ走っていく。

 香織は入り口近くにある平均台に腰掛けて待とうとすると、晶子も香織に続いてその隣に座った。

「手伝わなくていいの?」

「私の仕事は見守ることなのよ。若者の自主的な行動を慮っての計らいよ」

「ただ、サボってるだけじゃない?」

 香織に言われた晶子は指を刺す。その先には体育教師が鉄パイプを担いで運んでいた。

「重い物を運ぶのは私の仕事じゃないのよ」

「きもだめしは何か手伝うの?」

「一応ね。基本は生徒に任せるけど、学校側で用意するものを管理するのが私の仕事なの」

 晶子は面倒くさそうに言う。

「あ、そうだ。きもだめしの時に運ぶものあるから、転校生に手伝うように言っておいて」

「私じゃ駄目なの?」

「あんたは実行委員だから別にやることあるでしょ。大したことじゃないから、一人いれば十分よ」

 晶子は立ち上がり手を組んで伸びをする。

「じゃあ、伝えておいてね」

「え、いつ運ぶの?」

「きもだめし直前で平気よ。皆が並ぶ時にでも伝えておいてくれればいいから」

 晶子は言うと、白衣を翻して体育館から出て行く。

「やっぱり、さぼるんじゃん」

 香織は真琴の作業が終わるまで、平均台で遊んだりしながら待っていた。

 作業が終わった後、真琴と教室に向かった香織は建前だけで配るクジの製作に取り掛かった。

「これ、去年も手伝ったんだけど。必要あるのか不思議なのよね」

 真琴は小さい紙に番号を書きながら香織に話しかける。

「クジの結果に従う人もいるから、必要なんじゃないの?」

「そうかなぁ。勝手に交換とか、クジ無視してペア組まれると人数合わなくなるから。最初から参加するペア決めたいんだけど」

「運営側やらないから、苦労を知らないだろうし、しょうがないんじゃない?」

 香織は真琴が書き終えた紙を折って箱に入れていく。

 きもだめしは基本的にクジで決まる男女ペアで行われる事になっている。

 脅かし役等はなく、山の中を懐中電灯一つを持って一周して戻ってくるだけの行事だが、毎年多くのカップルが生まれたりと、年頃の学生達には人気の行事だった。

 その後も懐中電灯に電池を入れるなど真琴の指示の元、作業を一つずつ終わらせていった。

 作業が落ち着き、出前で頼んだ夕食を学校内で済ませる頃には、きもだめしに参加する生徒達が校庭に集まり始めていた。

 食事を済ませた者から校庭に行き、学年クラスごとに列を作り開始まで待ってもらう。

 夏でも七時には辺りが暗くなる。

 香織も食事を済ませると、真琴と一緒に校庭に向かい列整理に加わった。

 既に一年生は山に向かっていき、きもだめしを始めている。

 二年生の列整理をしていた香織は八代を見つけると、晶子に言われた事を思い出して声を掛ける。

「悪いんだけど、荷物運ぶのを手伝って欲しいって先生が言ってたから、行ってもらっていい?」

「今からですか?」

「うん。なんか男手が欲しいみたいで、体育館に行ってもらいたいんだけど」

 八代は珍しく少しだけ嫌そうな顔を見せたが、

「香織ー。クジ取ってきてー」

 と、少し離れた場所から真琴に声を掛けられた。

 周りを見ると全学年集まったのか、先ほどまでに比べると校庭には生徒が大勢増えていた。

「ごめんね。よろしく」

 香織は八代に言って、急いでクジを取りに向かう。

 申し訳なさを感じ振り向くと、八代は体育館に向かって歩き始めていた。

 教室に戻りクジの入った箱を持って校庭に戻ると、真琴が二年生の列を山へ移動させるのを開始させていた。

 山の入り口でクジを引きペアを決めるのだが、その場で交換してペアを組む者や、クジを引かずに他の学年と山に入るものまで現れるので真琴が言った様に毎回あぶれる者が大勢出る。今回も例年通り何にもの生徒があぶれていた。

 再度クジを引いたり二週目として参加する者がいる。人気のある男子や女子は三度四度と山に入ることもある。

 学校側は生徒に任せる事にしているので基本的に口出しはしない。

 去年学校側に文句を言った生徒がいるが晶子が、

「文句があるなら、きもだめしの行事は金輪際行わない」

 と、言ったところ誰も何も言い返さなかった。

 クジ交換や、二週目などは暗黙の了解とされ、皆自由に行っているが、運営側としても楽しんでもらえるならと多少の迷惑は目を瞑っている。

 二年生にクジを引かせ終えた香織も自分のクラスのクジが入った箱から余り物のクジを引いた。

 さらに余ったクジから八代の分のクジを引き、香織は辺りを見回す。

 八代は未だ体育館から戻っては来ないままで、香織はあぶれた生徒とクジを交換しながら八代を待つことにしたが、八代が戻ってくる前に最初の二年生ペアが山に向かい始めた。



 晶子はカーテンが閉め切られた真っ暗な体育館の中央で、一人腕を組んで待っていた。

 日が沈みきり、校庭の方から賑やかな声が少しずつ小さくなる頃、待っていた相手が体育館の入り口に現れた。

 香織に頼んだ通りに訪れたのは八代だった。

「よかった。ちゃんと来たわね」

 晶子は動く事無く、八代を見据えて言った。

「きもだめしに戻りたいので、手短にお願いします」

 八代は入り口から中に入ろうとはしない。

「まぁ、そう急かさないでよ」

 晶子は腕を解くと、白衣のポケットに両手を入れる。

「どれを運べばいいんですか? 何もないみたいですが」

 入り口から体育館内を見渡し言う八代。

「まぁ、そんなに慌てなくていいじゃない」

 お互いに一歩も動こうとしないまま会話を続ける。

「何もないのなら、きもだめしに戻りたいのですが」

「そんなに急がなくても平気よ。こっちに来なさい」

 言われても、八代は体育館へ入ろうとはしなかった。

「早くしないと、きもだめし終わるわよ?」

「急かすんですね。運ぶのはその壷ですか?」

 八代は晶子の足元に壷を見つけて言った。

「さて、どうかしらね。私はこのままでも良いのだけれど」

 晶子は挑発するように返した。

 八代は諦めた顔をした後に、体育館へと足を踏み入れた。

 中に入り数歩進むと立ち止まる八代は、改めて周りを見た渡した。

「さてと……」

 晶子はポケットから右手を出すと八代に向かっての中指と人差し指の二本指を向けた。

 八代は首を傾げて、その様子を眺める。

 すると、入り口の扉が勢い良く閉まった。

 扉には一枚ずつ札が貼られていた。

 一度振り返り、何が起きたのか確認した八代は、晶子に向き直る。

 灯の無くなった体育館内に小さな光が次々と灯る。

 体育館には何本もの蝋燭が並んでいて、それらに次々と火が灯っていく。

 それら、一つ一つが暗闇にいた二人を照らす。

「悪いけど、きもだめしには向かわせないわ」

 晶子は言うと、左ポケットから数枚の紙人形を取り出し八代の向かって投げ放つ。

 紙人形は八代を中心に回り、取り囲む。

 八代はちらりと紙人形を見たが、すぐに視線を晶子向けた。

 紙人形はぴたりと空中で静止した後、八代に向かって飛びかかる。

 驚いた様子も見せずに八代は、右足の踵を床に着けたまま、爪先だけで床を踏み叩いた。

 軽い音に一拍遅れて、紙人形は全て散り散りに破れて床に落ちていく。

「やっぱり、無理よね。それなら」

 晶子は言うと同時に、右ポケットから札を二枚取り出し、自分の左右に落とした。

 床に着く前に、札に赤い火が灯る。その火の中から一匹づつ犬が現れる。

 犬の首には紅白の綱と一つの鈴。足元は火が纏わり着き、牙を剥き出して唸っている。

 八代は犬を睨んだ。犬達は尻尾を股の間にしまい萎縮し、唸るの声をを止めて小さく息を漏らした。

「臆するな。行け!」

 晶子の言葉を聴いた犬達は鼓舞する様に吠えると八代に向かって襲い掛かる。

 向かってくる犬に反応する事なく立っている八代は、飛びつかれて左足と右腕に噛み付かれた。

 バランスを崩し右足を引き踏ん張ると、左手で腕に噛み付いている犬を引き剥がし晶子の横に投げ捨てる。

 続けて足に噛み付いている犬を右手で引き裂いた。

 引き裂かれる同時に、晶子の脇に浮いていた札の一枚が立てに引き裂かれて燃えてなくなる。

 投げられた犬は起き上がると、再び八代に飛び掛ったが八代の手がそれを引き裂く。

 晶子の脇に残っていた札も破れると床に落ちた。

「その手、随分鋭いのね」

 晶子は八代の手を見て言う。

 その手は、人の形を成してはいるものの、先ほどまでとは違う。

 血管と筋肉が異常に発達していて、指先の爪は鋭く長い物に変わっていた。

 八代は自分の手を静かに見つめる。

「まだ、終わりじゃないわよ。あまり使いたくはなかったけど」

 言うと、晶子は懐から字で埋め尽くされた一回り大きい紙人形を取り出し、胸の前に突き出した。

 手から離れた札はゆっくりと上昇し、晶子の頭を超えた所で停止した。

 晶子は両手を叩き鳴らし目を瞑ると唱える。

 唱え終えると目を見開き、

「はっ!」

 と、声を吐き出す。

 紙人形から青白い火が出てくると紙人形を覆いつくし、火は更に大きくなり人型を成していく。

 人の倍はある大きさのそれは、より一層燃え上がると強い光を発して火が弾け飛ぶ。

 そこには刀を握って立つ天狗の姿が現れた。

 山伏装束は薄汚れ、穴がいくつも開いている。刀には錆びが浮き、刃こぼれも多い。目元には包帯が巻かれ、その包帯には天狗を縛るための文字が無数に書かれていた。

 口から白い息を吐き出しながら、静かに刀を両手で持ち直し構えた。

「消しきれなくとも、封印までは持っていくわよ」

 晶子は足元にある壷を確認すると、懐から中央に封と書かれた札を取り出す。

 八代は棒立ちして天狗の顔を見上げた。

 天狗が白い息を漏らしながら、刀を振り上げる。

 八代は逃げる素振りを見せない。高く振り上げられた刀を見据えている。

 天狗の腕に力が入り刀を握り締める。柄が軋む音が聞こえた晶子は、

「切れ」

 と、天狗に強く命じた。

 天狗は命に従い刀を振り下ろした。

 轟音を立て体育館内の空気を両断しながら、八代目掛けて刃が向かう。

 ーーー晶子は何が起こったのかわからなかったーーー

 目の前に居たはずの天狗は闇に飲まれて消えた。

 晶子の目に映ったのは真っ黒な暗闇の中に浮かぶ二つの目。耳に届いた声は動物の鳴き声だった。

 声と共に聞こえたのは、窓や蛍光灯などが割れる音、鉄の扉が吹き飛ぶ音だった。

 気が付けば、晶子は膝を床に着けて立ち尽くしていた。

 体育館には割れた窓や、吹き飛んだ扉から月明かりが差し込んでいた。

 閉じていたカーテンは窓の外に破れて飛んでいきが所々しか残っておらず、風に揺られている。蝋燭の火はすべて消えていて、あちこちに転がり落ちていた。

 体育館内に八代の姿はなかったが、晶子は追いかける気をなくし、肩に入っていた力を抜いて、冷えた床に座り込む。

 隣にある壷に手を伸ばしたが、触れた途端に壷は綺麗に真ん中から半分に割れた。

 辺りを見回し惨状を確認してから足を伸ばして横になると晶子はクスクスと笑う。

 その声は次第に大きなものになり笑い転げた後に、四肢を広げて天井を仰ぎ呟いた。

「あーあ。どうすんのよ。これ」



 香織たちのクラスのきもだめしが始まっても八代は山の入り口に現れなかった。

 鳥居に寄りかかり香織は携帯で時間を確認した。

 数分もすれば次のクラスの最初の組が山に入るようになってしまう。

 香織は学校の方を見る。誰もこちらに向かってくる人は居らず、きもだめしを終えた生徒達の背中しか見えなかった。

 諦めようかと、山の方を見ると真琴が男子生徒と一緒にきもだめしの列に並んでいた。

「真琴もきもだめしやるんだね」

 と、香織の隣に来たクラスメイトが聞いた。

「もしかして、真琴の彼氏かな」

 香織は思った事をそのまま口にする。

「え? 真琴って彼氏いたの?」

 クラスメイトは驚いた顔をして香織の肩を掴む。

「あ、えっと」

 香織は自分の口に手をあて誤魔化すために作り笑いするが、

「ちょっと、話聞きに行こうよ」

 クラスメイトは香織の腕を引き列の先頭に走る。

 腕を引かれながらも香織は振り返り、学校の方を確認するが八代の姿は見えなかった。

「まーこと。彼氏いたんだねぇ」

 クラスメイトは茶化すように言うと男子を品定めするような目で見回す。

 香織も顔を見ると先日、真琴と一緒に荷物を運んでいた生徒だった。

「八代君来ないの?」

 真琴は自分の話からそらす為に香織に話を振る。

「うん。体育館に行って手伝い終われば来るはずなんだけどね」

「じゃあ、僕と行きますか?」

 真琴と一緒にいる男子生徒が言う。

「いや、だって真琴と行くんじゃないの?」

「あ、そっか」

 と、真琴は納得したように言う。

 男は頷き、話を続けた。

「今行けば一組分時間が稼げるから、その間に戻ってくるかもしれませんよ」

 笑顔で言って香織の手を取ると、山の方へと歩き出す。

「行ってらっしゃい」

 真琴も笑顔で香織を送り出してくれる。

「浮気じゃないの?」

 言ってクラスメイトは、真琴の脇を小突くが

「何のこと?」

 と、不思議そうな顔をした真琴は二人の背中を見送った。



 山の中に入ると手を離した男子生徒はポケットに手を突っ込み足早に香織の少し前を歩く。

 懐中電灯を持っていなかったことに気がついた香織は暗い道の先を進む男子生徒に言う。

「ライト無いと危ないから戻ろうよ」

 しかし、香織の提案とは違う返答をする男子生徒。

「勿体無いですよ。折角なのだから」

 と、歩行速度を緩める事無く香織の前を歩く。

「道に迷ったりしたら危ないし」

 香織は自分で口にして、ハッとする。

 二人で歩いている道は、月明かりしかなく薄暗いとはいえ、ここ数日何度も歩いた山の道ではない事に気がついた。

 辺りを見回した香織は確信する。

 この道は良くない所へ続いていると。

「ねぇ! 戻ろうってば」

 立ち止まり語気を強くして香織は呼びかけた。

 男子生徒は立ち止まるも振り返ろうとはしない。ただ、立っているだけだった。

 周囲から良くない気配を感じ始める香織は、男子生徒に近づくと腕を掴み来た道を戻ろうとした。

 しかし、男子生徒は逆に香織の腕を掴み返すと先へ進もうと腕を引く。

「ちょっと、待って。そっちは」

 香織も負けじと腕を引こうとするが、掴まれた腕を握りつぶされるかと思うほどの力で握られた。

「痛い。痛いってば、離して!」

 腕を何とか振り払う。その時、彼の腕は人それでは無い物の様に見えた。

 香織は自分の腕を擦りながら見る。月明かりの中でもわかる。掴まれた腕には男の手と同じ形の痣が出来ていた。

 背を向けたまま動かない男から、香織は後ずさる。

 周囲から何かが草を踏みつけ走るような音や、唸り声のようなものが聞こえる。

 良くない気配が男の体に纏わり着き始めると同時に、体から黒く得体の知れない煙の様な何かが出てきている。

 ゆっくりと香織に振り返ろうとする男の横顔は、あふれ出る黒く得たいの知れない何かに覆われ、溶けて崩れている様にも見えた。

 だが、確かにわかるのは額であった場所に反り返りながらも、月を目指して生え始めている角が見えた。

 香織はそのおぞましい姿に体が強張る。

 後ろからは何かが走る音が近づいてくる。後ろから来るその足音に香織は振り返った。

 見たことも無い道の闇の奥から月の光に照らされ現れたのは、八代だった。

 八代は安堵した香織の横を通り過ぎると、黒い泥に覆われた男子生徒だった者の喉首を掴むと崖の下へと落ちていった。

 香織は二人が落ちていった崖を覗き込むが何も見えない。

 周囲からは良くない物の気配が強まってきていた。どうやら、それらは香織に近づいてきているようだった。

 香織は崖から離れると、来た道に戻らず先へ進む。

 必ずあの道に出れると信じて。

 良くない物の気配は、香織が先へ進むにつれて遠くなっていく。

 気がつけば気配は一切感じず、香織は緩やかな坂道の上に立っていた。

 先ほどまでの道と違い、少し明るく感じる見た慣れた坂道を香織は安心して降りて行く。

 坂道を降りきると見えてくる古びた祠。

 そこには井戸に座る八代が待っていた。

「こんばんわ」

「何それ……こんばんわ」

 香織は微笑む。

 八代は頷くと木々の隙間から月を見上げる。

 辺りは明るく月明かりだけではなく、木々からも光が溢れている様だった。

「あの人は?」

 香織は名前も知らない彼の事を聞く。

 八代は香織を見るとわざとらしく首を傾げて、

「帰りましたよ」

 と、言って微笑む。

 八代の制服は崖から落ちからか、泥だらけになっていた。

「そっか……」

 呟くように言って、香織は月を見上げてみた。

 鮮明に見える満月から少し掛けた月は大きく見え綺麗だった。

「きもだめし、続けましょうか」

 井戸から立ち上がり八代は香織に手を差し出した。

 香織は八代に駆け寄りその手を握る。

 細くて白い、強く握れば潰れてしまいそうな手を優しく握った。

「あ、そうだ。はい、これ」

 香織はポケットに入れておいたクジを八代に手渡す。

「これは?」

 八代はクジを受け取ると開いて中を確認した。

 真ん中に数字が書かれているだけのクジ。

 香織は自分のポケットから、もう一つクジを取り出した。

 そこには八代が持っている物と同じ数字が書かれている。

「クジの組み合わせ。一緒にしないと真琴が文句言うからさ。持ってて」

 八代は頷き、それを畳むとポケットにしまった。

 香織もポケットにクジをしまうと、八代は歩き始める。何も言わずに山の出口へと向かって歩き始める。

 緩やかな坂を上り、香織が見た事も無い道を二人で歩く。

 木々のざわめきは聞こえず二人の足音だけが香織の耳には届いていた。

 香織は手を見て繋ぎ直す。指が絡むように繋ぎ直した。

 八代はしっかりとその手を握り返す。

 何も言わず強く握り返し歩く。

「元の道に戻ってきましたね」

 振り返り香織の顔を見て八代が言った。

 顔を上げるとそこは、もう山の出口間近だった。

 香織は頷き、立ち止まった。八代もそれに合わせて立ち止まる。

「私……もう、一人でも大丈夫だよ」

 言って、香織は手を握ったまま先へ進み山を出る。

「ありがとうね」

 言って振り返ると、そこに八代の姿は無く香織は一人山を見上げる。

 その手には確かな温もりだけが残っていた。

 鳥居の方からは生徒達の声が聞こえてくる。香織は振り返り生徒達の元へ向かった。

 真琴は鳥居に寄りかかり香織を見つけると、駆け寄ってくる。

「あんた、どこ行ってたのよ」

 怒った口調で言う真琴は、香織の袖を掴むと学校に向かって歩き始める。

「え? どこ行くの」

「何言ってんのよ。早く戻るわよ」

「きもだめしは?」

 香織が聞くと真琴は手を離し振り返ると香織の頭を叩いた。

「あんた。寝ぼけての? 全クラス終わったから学校に戻るんじゃない」

「へ?」

 呆けた声を漏らし真琴の目を見る香織。

 真琴はため息を付くと、何も言わずに袖を掴み直し、袖を引いて歩き始めた。香織は引かれるまま学校に戻った。

 学校に戻ると校庭には多くの生徒達が集まっていて、校庭中央には丸太が積み上げられていた。

 先生達のサプライズで今年からキャンプファイヤーを行う事になっていたことを香織は知らなかった。

 商店街の人たちは炊き出しの準備を始めている。

 知っていた生徒は生徒会メンバーだけで、真琴は香織を驚かしたくて急いで学校に連れ戻していたのだった。

「すごいでしょ」

 真琴は楽しそうに香織に言う。

 香織は真琴が想像していた異常に驚き言葉が出なかった。

 口を開けて立っているだけの香織の背を押して、真琴は火を着ける所が良く見える位置まで移動させた。

 生徒会長が丸太に火を灯し、生徒達が歓声を上げる。

 丸太が燃え上がり始めると、校庭に曲が流れ始める。

 周囲を囲んでいた生徒たちは辺りを見回す。

 誰一人踊りをするとは思っていなかったからだろう。

 フォークダンスをするか、顔編み合わせて苦笑いをしている生徒達。

 踊りは自治会の方を筆頭に手を取り始め、生徒達も恥ずかしそうではあったが次第にフォークダンスの輪は大きくなっていった。

 香織は真琴はすぐにその輪には加わらず、校庭の端に消火器などの運搬をしていた。その後用意された炊き出しを配るのを手伝ってから、ようやく落ち着くことが出来た。

「たいした作業じゃなかったのに疲れたの?」

 校舎と校庭の間にある階段に座っていた香織に話しかける真琴はそのまま隣に座った。

「うーん。なんか、いろいろあったなって」

「なに年寄りみたいな事言ってんのよ」

 真琴は笑って言うと香織の背中を叩き続ける。

「あんたはいいじゃない。私はあんたのせいできもだめし出来なかったし」

 真琴は唇を尖らせて言うが、ふざけている事がわかる顔だった。

「ごめん」

 香織は一応笑いながらではあるが、誤ってみた。

「ふふっ。いいわよ。元々、私は行く気なかったし」

 と、香織の頭を抱きしめながら撫でる真琴。

「えー。でも、彼氏と行きたかったじゃないの?」

「何言ってんのよ。彼氏なんていないわよ」

 真琴の返事を聞いた香織は何も言わず、頭を撫で続けられていると一人の生徒が二人の前まで来ると立ち止まった。

 真琴は香織を離すと、急に髪型と服装を正し始めた。

「あ、あの。一緒に、その。お、お……踊りませんか」

 恥ずかさを抑えて、言い切った男子生徒は真琴に手を差し出した。

 真琴も恥ずかしそうではあったが、小さく頷くとその手を取って立ち上がった。

 香織はその光景を、ぼーっと眺めているだけだった。

 手を繋いで恥ずかしくも嬉しそうにする二人は、時より目を合わせながら火のほうへ向かっていった。

 男子生徒を見たことがなかったわけではないが、香織はその生徒と話した事はなかった。生徒会書記の一年生で基本無口ではあるが真面目に作業していてあまり目立たない生徒だった。

 香織は二人が輪に混じり、ぎこちなくも踊る姿を目で追う。

 ぬくもりが消えた自分の手を握っては開いて、確かに感じた感覚を思い出すように。

 急に頭を掴まれた香織は振り返る。

 頭を離して、隣に座ったのは晶子だった。

「どうしたの」

 香織は晶子がうなだれるのを見て聞く。

「何が?」

 晶子は疲れきった様子で声を漏らすように言った。

「何か、やつれてない?」

「たーくさんの始末書が待ってんのよ」

 香織も晶子もそれ以降何も言わずに、火を眺めていた。

 きもだめしイベントはキャンプファイアーもあって過去に類を見ない程の大盛況で終わった。

 香織と晶子は片づけを手伝い疲れて帰ると、風呂に入ってすぐに眠りについた。



 翌日。

 香織は補習を受ける為に学校へ行く。

 補習が終わると、昨晩の片付けの残りを香織は手伝ったが一度も八代の姿は見かけなかった。

 朝に補習教室で、黒板に張り出されていた席順を確認した際にも八代の名前は載っていなかった。

 クラスメイトに聞いても、そんな人は知らないと言われてしまい。真琴に聞いてもそれは変わらず、誰も彼のことを覚えていない。それどころか誰も八代を知らなかった。

 また、真琴と一緒に山に入ろうとしていた生徒会だと思われる男も生徒会の人に聞いても誰も知らなかった。

 ただ、八代の事もその男の事も覚えてはいないが、なんか一人減った気はすると感じてはいるようだった。

 校庭の片づけが粗方終わると、香織は晶子に呼ばれて体育館へ向かった。

 まるで台風が室内で発生したかの様な有様の体育館で、晶子は箒を持って散らかりきったガラスの破片などをかき集めていた。

 香織も箒を使って体育館外に散らばったガラスを集め、破れたカーテンなどを拾った。

 掃除が終わり、香織が家に帰ってリビングのソファーに寝そべると少し遅れて晶子も帰ってきた。

 晶子はリビングに入ってくると、仰向けになっていた香織のお腹に一冊の本を置いた。

 それは、先日晶子が読んでいた祖母の手帳の二冊目だった。

 適当にページを進めると最初の方は書かれているも半分以上は白紙だった。冒頭には先に記した物に書ききれなかった物を記すと書いてある。

「何これ」

 香織は手帳を閉じて晶子に聞いてみる。

「大事な本よ。先に読んでおけば、何も起きなかったわよ」

 言い終わるとため息を付き、香織から本を取り上げる晶子。

「明日。補習終わったら付き合いなさいね」

 晶子は言って香織のお腹を撫でるとリビングから出ていった。

 次の日。

 補習が終わった香織は家に帰り晶子と一緒に山へ向かった。

「さてさて、祠に行こうじゃない」

 晶子は言うと手帳を開き何か唱えると、紙人形を投げ放ち道案内を命じた。

「そんなことしなくても、行けるんじゃないの?」

「あんたは、行けるかもしれないけど。それに頼って行けなかったら意味ないからね」

 晶子は紙人形に続いて山道をいつもと反対方向から入って行く。香織はそれに続いて山に入っていった。

 何度も通った道ではあるが、逆方向から歩くとまったく違う道に香織は感じていた。

 振り返れば見慣れた感覚を取り戻せるが晶子は香織を待たずに先に進む。

「お、あったあった」

 晶子は足早に脇道に逸れると香織を手招きで呼ぶ。香織は晶子の手を取り、草を踏みつけた。

 足元を見ると草は多く生えているものの、何回か誰かが通ったような跡があった。

「草で足を切らないように、気をつけなさいね」

 晶子は大きく足を伸ばして歩数を減らし、その道を抜けた。

 香織は晶子が踏みつけ寝かせた草の上に足を合わせて、道を抜ける。

「ここまで来れば、あんたもわかるでしょ」

 香織の足元にはいつものキノコ。周辺は見慣れた道。目の前には何度も通った緩やかな坂道があった。

 晶子は香織の手を離して手帳を閉じると緩やかな坂道を降り始めた。

「ちょっと待ってよ」

 晶子を追いかけるように小走りする香織。

「大丈夫よ。ここまで来たら迷ったりはしないわよ」

 坂を降りきった晶子は振り返り言いながらも、小走りする香織を待っていた。

 晶子に追い付き横にならんだ香織はこの夏休み中に訪れていた見慣れた景色を見る。

 朽ち果てた井戸に、今にも壊れそうな祠には木々から差し込む日差しが当たっている。

 晶子は祠に近づき、枯葉を払うと深々と頭を下げてから屈んで手を合わせると目を瞑った。

 今までやった事は一度もなかったが、香織もそれに習って隣に並ぶと頭を下げてから手を合わせた。

 晶子は目を開くと祠を撫でて言う。

「壊れなくて良かったわ」

 香織も目を開き祠を見つめた。

「あれ? こんなのあったけ?」

 首を傾げて晶子を見て聞く香織は、もう一度祠の中央を見つめる。

 祠の戸は閉じてあるが、その戸の奥には何かヒビだらけの置物が見えた。

「御神体よ。むやみに触らないようにね」

 晶子は立ち上がり井戸の方へ向かうと、急に笑い出した。

「どうしたの?」

 香織も井戸へ近寄ると、朽ちたはずの井戸の中には割れた板を繋ぎ合わせた蓋が填っていて中央には封と書かれた札が貼られていた。

「いくら探しても見つからないわけよね」

 札に触れて微笑む晶子を香織は首を傾げながら見ていた。

「さて、ちゃんと綺麗に掃除するわよ」

 晶子は背負っていた鞄を下ろす。布を取り出し香織に手渡すと、箒を持って埋まってしまった石畳の上を掃き始めた。

 香織は鞄から水筒を取り出すと、布を湿らしてから祠を優しく拭きはじめる。

 一度拭うだけで、白かった布は黒ずんでしまう。

 小さなバケツに水筒の水を注ぎ、布を洗いながら土埃を拭った。

「ちゃんと中も綺麗にしなさいね」

 既にサボり始めていた晶子は岩に腰掛けた香織に指示を出す。

「これ、開けていいの?」

「開けなきゃ掃除できないでしょ。でも、壊したりしないでね」

 香織は慎重に祠の戸を開く。

 中にはヒビだらけの猫のような置物が奥に一つ。割れかけの杯が一つ。団子乗せるような割れた長い皿が一つ。

 香織は割れた皿と杯をそっと取り出し新たに鞄から布を取り出すと、杯だけを綺麗に吹き上げ、祠の内壁を綺麗にしてから杯に持って来ていた酒を注いだ。

「これって昔は中に入れなかったよね」

 杯片手に振り返り晶子に聞くと、

「そうね。普通は表にお供えするからね。戻さなくてもいいわよ」

 香織は頷き祠の戸は閉めずに、杯を置く。

 割れてしまった皿は持ってきた布に包み鞄にしまう。

 香織は改めて祠の前で手を合わせて目を瞑る。

 目を開け祠の中をもう一度見た香織は、御神体の置物の裏に小さな紙を見つけた。

 取り出して見るとその紙だけは真新しく汚れもない。折り畳まれた紙だった。

 香織はその紙を開く。

 真ん中には『八』とだけ書かれていた。

「さ、帰ろうか」

 殆どの掃除をサボっていた晶子は立ち上がり伸びをすると香織に話しかけた。

 香織は、そのクジを丁寧に畳んで元の位置に戻すと祠の戸を閉めた。

 立ち上がった香織は小さく祠に手を振り、緩やかな坂道を上り始める晶子を小走りして追いかける。

「しょうねえの仕事。私も覚えたいな」

「え。家の仕事?」

「うん。一人でも大丈夫なようになるって約束したから」

 香織は笑顔で言うと、緩やかな坂道を駆け上がった。

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