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約束の祠  作者: 赤猫
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朝早くから保健室に集まった三人の女子生徒は噂話で盛り上がる。

 誰が誰を好きだとか、誰々が告白して振られたなど。

 キャスターも背もたれも付いていない回転椅子に座って左右に揺れながら、思い出したように言う幼さが残る髪を二つ結びにしている女の子。

「そう言えば、今年もやるんでしょ? きもだめし」

 ベッドに腰掛けた大人っぽい雰囲気の長髪の女の子は、

「やるでしょ? 毎年新しいカップルが生まれるって先輩が言ってたけど」

「楽しみだよね」

「あんた、告白されたりしないの?」

 椅子に逆座りする男の子のような短髪の女の子は、背もたれを軋ませ聞く。

「される訳ないでしょ」

 淡々と答える大人っぽい女の子。

「え~。つまんないの。何か面白い事とか起きないかな」

 幼さの残る女の子は、床に足を着き左右に揺れるのを止めると言った。

「何それ」

 男の子のような女の子は背もたれに体を預けて聞く。

「聞いた話なんだけど」

 二つ結びの髪を揺らしながら、回転椅子に座りなおすと前のめりになり、顔を見合わせ話の続きをする。

「なんかあの山って、昔は人をさらう化け物がいて村人を食べてたんだって」

 言い終えると同時に保険室内には笑い声が響く。

「何それ。しかも、村って」

 短髪の女の子は背もたれを叩きながら笑う。

 幼さを残した女の子も言っておきながら、手を叩き笑って賛同する。

「だよね~」

 笑いが収まると上品に笑っていたベッドに座っていた長髪の女の子が、

「あ、でも、私も聞いたことあるわよ。村に鬼が下りてきて、人に成りすまして近づいた相手を食べるって」

「また村」

 と、短髪の女の子はツッコミを入れる。

 間を置いて笑い出す三人の声は、廊下まで届いていた。

 ツッコミを入れた女の子は、気を良くしたのか饒舌に続けた。

「村々、言ってるけど、村本でも好きなの?」

 と、背もたれを胸で押し揺らし笑いながら言った。

「え、村本って……誰?」

 保健室は静まり返る。

 誰かわからなかった二つ結びの女の子は髪を揺らし、ベッドの子と顔を見合わせた後に短髪の彼女に向き直る。

「む、村本。知らない? ほら、三組の」

「知らない」

 二人の様子を見て、しまった。と、苦笑いする短髪の女の子。

 二人はニタリと笑顔を浮かべると立ち上がり短髪の女の子に、にじり寄る。

「誰? 村本って、好きなの?」

 幼さを残した女の子は満面の笑みで、短髪の女の子が座っている椅子の背もたれを掴む。

「はぁ!? 違うし」

 慌てて言う短髪の女の子は、手を横に大きく振りながら、首も激しく横に振った。

 長髪の女の子は涼しげな微笑みを向けながら、一緒になって椅子の背もたれを掴み逃げられないようにする。

「え~。本当?」

 笑顔で詰めよ寄る二人に弁明しようとする短髪の女の子。

「ぶ、部活が一緒なだけだし」

 目を逸らしながら一生懸命に頭を回転させ口から出る弁明。

「でも、テニス部って男女は別のはずよね」

 長髪の女の子にすぐさま指摘されて、口ごもる短髪の女子は逸らしていた目を上げると苦笑いして誤魔化そうとする。

「きもだめし。一緒に行くの?」

 二つ結びの女の子が目を輝かせて詰め寄った。

「い、行かないし。や、約束もしてないし」

 否定する短髪の女の子の顔は照れが混じって少し赤い。

「いいじゃん。行けば」

 幼さの残る女の子は背もたれを揺すり、楽しんでいる。

 話は盛り上がり廊下まで響き渡っていたが、保健室に白衣を着た女が入ってくると、皆そちらを見て一瞬静かになった。

「ほら、ホームルーム始まるから教室に戻りなさい」

「え~」

 二つ結びの女の子は背もたれを激しく揺らし、嫌だ行きたくない。と、ふざけ混じりにアピールする。

「え~。じゃないわよ。ほら、行った行った」

 手で追い払うようにする白衣を着た先生に従い、彼女達三人は話を続けながらも出て行った。

 白衣の先生は冷めた珈琲の入ったマグカップを手に取ると部屋の中を見渡した。

 薬品の匂いが漂う保健室。

 青白いカーテンは風に揺られ、新鮮な空気が室内に混ざる。

「ここ数年静かだったのに、何か騒がしいわね。何も起こらないといいんだけど」

 白衣をなびかせ、橘晶子は珈琲の入ったマグカップを両手に持ち窓から見える山を眺める。

 一見何も変哲もないその山だが、彼女は確かにここ数年とは異なるものを感じ取っていた。

 それでも、町の人々やこの学校の生徒たちはそれに気が付く事はなかった。



 騒がしい足音を立て、ポニーテールを揺らして廊下を走りながら制服のボタンを締める。

 玄関にある姿見で髪型をチェックすると、ローファーに足を突っかけて勢い良く戸を開け放ち外に飛び出した。

「いってきまーす」

 と、玄関先で掃き掃除している母親に玄関の戸を開けたままにしている事を教える挨拶をすると、橘香織は学校に向かって走る。

 母は呆れた顔で娘を送り出すと、掃除を切り上げ家の中へと戻り静かに戸を閉めた。

 香織はスクールバッグを肩に掛け直し、商店街に突入する。

 店の準備をするおばさんやおじさんに挨拶をして、返事を聞く間も無くその場を走り抜けていく。

 夏休みまで残り二週間を切った今。彼女の頭にあるのは遅刻回数だった。

 香織が通う学校は遅刻回数がある一定以上になると、問答無用で夏休み中補習を受けに学校へ行かなければならない。

 それとは別に夏休み前に小テストがあり、そのテストで四十点以下の点数を取ると同じく補習になる。

 香織は遅刻癖と成績の低さから、担任教師に大目に見ることは一切無いと言われていた。

 少しでも夏休み中に学校へ行く回数を減らしたい香織は、遅刻ギリギリであろうと朝の点呼に間に合う必要があった。

 普段と変わらず二度寝をしてから、遅刻ギリギリではあるが間に合うために走り学校を目指す。

 正門の前では腕を組み仁王立ちする体育教師と、生徒会副会長である友達の渡辺真琴が目を光らせていた。

 夏休み前になると浮かれた生徒達が制服の着崩しを始める。それを見逃さないためだった。

 香織は勢いを緩めることなく門を入ると急停止した。両膝に手を突を付き肩で呼吸をする。

「今日もセーフね」

 時計をちらりと見てから真琴が言った。

 体育教師は香織が、門を入ったのを確認して言う。

「お前より遅い生徒は居ないだろうから、少し早いが門を閉めるぞ」

 言いながら、門を閉め始めた体育教師。

「今日も二度寝したの?」

 聞いてくる真琴に、息絶え絶えの香織は首を縦に振ることで返事をした。

「これだけ走っているのに、体育の成績はあまり伸びないよな」

 門を閉めた体育教師は、それだけ言うと校舎に向かって歩き始める。

「二度寝しなければ、走らなくても済むのに。家近いんだし」

 呆れ混じりに言う真琴。

 えへへ。とだけ笑って誤魔化す香織の息は未だに荒い。

「チャイムが鳴る前に席に着かないと、遅刻って言われるわよ」

 真琴は背筋を伸ばして静かに校舎に向かって歩き始める。

 流石は生徒会副会長。他に生徒が居なくとも見本となるような真面目な雰囲気を漂わせている。

 香織の息は整い始めていたが、ふらついた足取りで校舎に向かう真琴の後に続いた。

 二人は下駄箱でローファーから上履きに履き替える。

「私は職員室に寄ってから教室行くから。また後でね」

 真琴は軽く手を振ると、職員室に向かって行く。

 香織も手を上げ返事をして、一人教室に向かった。

 教室に入り適当に挨拶を済ませて自分の席に着くと、香織は一時限目の教科書を準備をしてから机に突っ伏した。

 教科書に額を押し付けたまま横を通るクラスメイトに挨拶を返す。

 突然後ろから、頭を叩かれる香織は、

「痛った! 何するのよ!」

 言って、振り返るとそこに居たのはクラスメイトの高橋裕也だった。

 裕也は爽やかな笑顔で、おっす。と簡単な挨拶をする。

 この学校の不良グループに属するイケメン系男子の一人として、それなりに有名な茶髪生徒の裕也。

 ここ最近頻繁に香織に会う度、頭を小突くなどのちょっかいを出していた。

「おっすじゃないわよ」

「学校に来て早々寝るなよ」

 裕也は香織の前の机に座ると笑って言った。

「私の勝手でしょ」

「遅刻魔~」

「今日は間に合ってるし」

 香織が言うと、再び後頭部を叩かれる。

「今日は。じゃないわよ。普通は遅刻しないの」

 香織が振り返ると、真琴が腕組をして立っていた。

「そうだ。そうだー」

 裕也が真琴に賛同し、拳を突き上げる。

「あんたはもっと勉強しなさい。夏休みの補習は避けられないわよ」

「あー。はいはい」

 裕也は拳を解くと手をひら付かせて自分の席に向かった。

 真琴は呆れて、ため息付くと左右に首を振る。

 それと同時に担任教師が教室に入ってきた。

「とりあえず、全員席に着けー」

 やる気のなさそうな声で言うが、皆従って各々の席に着く。

 生徒が席に着くのを確かめると担任は頷き、日直の号令を待ってから一呼吸置いてホームルームの話を始めた。

「えぇと。夏休み間近だが転校生がいる。拍手で迎えろとは言わんが。茶化したりしないように」

 開けっ放しの戸から、ゆっくりと教室に入ってくる転校生。

 細身で全体的に髪が長く、目元が隠れていて清潔感がある感じはない。

 転校生が教卓の横に立つと担任が言う。

「自己紹介して、何か一言」

「八代です。よろしく」

 担任は黒板に八代とだけ書き、八代が何かもう一言発するのを待つ。

 時計の針と他クラスの声が聞こえてくる。

 何も言いそうにない八代を見て、諦めたのか担任は話を進める。

「はい。という事だそうです。席は一番後ろな」

 一番後ろと聞いて数人の生徒が文句を言う。

 八代は黙って指定された席に向かって歩き始めた。

 向かってくる八代の顔を見つめていた香織は目が合った。

 髪の毛の隙間から見えるのは、澄んだ青い瞳。

 一番後ろの窓際の席に八代が着くのを確認してから、担任はいくつかの連絡をして日直の号令でホームルームを終えた。

 担任が教室を出ると、何人かの生徒が転校生の元へ向かう。

 どこから着たのか。なぜこの時期なのか。彼女はいるのか。好きな食べ物など、ありきたりな質問が飛び交う。

 香織はそれを眺めていた。皆が質問するので自分は質問しなくても良いと思っていた。

「なぁ、あいつ。さっき、お前の事見てなかったか?」

 裕也が八代を横目に見てから香織に聞く。

「私が見たから、こっち見た感じだと思うけど」

 香織は特に何も考えずに返事をしたのだが、

「かわいいから、見惚れられたって言いたいのか?」

 と、裕也はふざけまじり言って笑う。

「はぁ!? そんな事言ってないし」

 教科書で裕也を叩き黙らせつつ席を立つ香織。

 その後ろでは、八代に皆が寄って集って質問を繰り返していた。

「はーい。そこまで、八代君も困ってるでしょ。一時限目は家庭科だから、教室移動するわよ」

 八代に質問するクラスメイト達の横で、大きく手を鳴らし割って入る真琴。

 すると、皆が教室まで案内すると言い始めた。

「彼は、私が連れて行きますから、皆は先に行きなさい」

 皆の文句を無視して手で追い払う真琴。

「何だ、委員長。一目惚れか?」

「馬鹿言ってないで、あんたも早く行きなさい」

 裕也に教科書を投げつける素振りを見せてる真琴。

 香織は裕也を押し退けると廊下に向かった。

「おい。置いて行くなよ」

「あんたは場所わかるでしょ」

「そう冷たくするなよ」

 言って香織の頭を撫でようとする裕也。

 その手を払って、香織は黙々と家庭科室に向かった。

 授業は裁縫で課題の中からエプロンなど、自分達で選んだ物を作る。

 真琴に連れてこられた八代は、先生から時間の掛からないものを作るように言われていた。

 皆、授業より転校生である八代が気になるようで、何人も自分の指に針を刺していた。

 香織はというと、製作過程で盛大に間違えたパーカーを直すのに必死だった。

 家庭科の授業中でも八代への質問をする生徒は居て、教室内を賑やかにしていた。

 担当教師も一緒になって会話に混ざり、恋愛話について華を咲かせていた。

 真琴は真面目な性格の為、少し不機嫌そうだったが自分の作業に手一杯な事と、先生も話しに混じっているので指摘を諦めていた。

 真琴が作っているのはフリルの多く付いたワンピースで学年の中でも、最も難しい服を作っている。

 印象や性格からすると、皆は意外に思っているが少女趣味な所があるのを香織は知っていた。

 親戚にプレゼントするとクラスメイトに言ってはいたが、香織はこっそり本人が家で着る思っている。

 授業が終わり教室に戻る際、八代はクラスメイトで囲まれていた。

 その後の授業でもクラスメイト達は授業より八代に気が向いていた。

 昼休みになり香織は食堂に向かう。

 母親から弁当を持たされてはいるが、少し足りない香織の目的はメロンパン。

 真琴より一足早く食堂に着いたが、すでに大勢の生徒達で賑わっていた。

 しかし、香織の目的は食堂の券売機列ではなく、商店街から来ているパン屋である。

 食券待ちは列になるが、パン屋の前は列など無く人がひしめき合っている。

 いつもの光景に気合を入れてから、人込みに突入する香織。

 人を押しのけ、顔を叩かれながらでも前へと進む。

 最前列まで来て並べられたパンを確認するも、目当てのメロンパンは見当たらない。

「おばちゃん。メロンパンは?」

「もう、ないよ」

 他の生徒とお金のやりとりをしながら返事をしてくれるパン屋のおばちゃん。

「ラスクは?」

「ごめんね。もう、ないよ。たまには別の物も買ってよ。美味しいから」

「美味しいのは、わかってるけどさ……」

 言いながら何が残っているか探す香織。

「新作あるから、それにしな」

 おばちゃんが指差したのは、残り一つの蒸しパンだった。

 香織はそれを掴むとおばちゃんの顔を見る。

「百二十円ね」

 言われた金額を手渡し、ありがとね。を耳にしながら、香織は人の群れから離れた。

 食堂を見渡すと、ちょうどクラスメイト達がやってきた。

 香織が八代の隣にいる真琴を見つけると、真琴も香織に気が付き手招きをする。

 クラスメイトに合流して席に着き、蒸しパンと弁当をテーブルに広げる香織。

「あれ? メロンパンじゃないの?」

 真琴が蒸しパンをみて聞く。

「売り切れてた。ラスクもないし。これ新作らしいけど」

「後で、一口頂戴」

「いいよ~」

 香織たちが食事を始めても、他クラスの生徒が混じって八代への質問は続いている。

 香織は弁当を食べ終わると蒸しパンを手に取る。

「あれ? メロンパンは?」

 香織の後ろから、裕也が声を掛ける。

「買えなかったの」

「あっそ、俺は買えたけどな」

 香織の目の前でメロンパンを見せびらかす裕也。

「何? くれるの?」

 少し不貞腐れた声音で言う香織。

「見せに来ただけに、決まってるだろ」

 裕也はメロンパンを香織の顔の前で左右に揺らす。

「あー。知ってた。知ってた」

「欲しいのか?」

 メロンパンをひらつかせる裕也。

「うっさい。あっち行け」

 裕也から目そらして蒸しパンに向き直る香織。

「ラスクもあるぞ?」

「いらない。私には蒸しパンがあるの!」

 袋から出して噛り付く香織。

「あ、おいしい」

「一口ちょう~だい」

 真琴が手を差し出すので、香織は蒸しパンをちぎって渡す。

 それを口に含むと間を置いて真琴は感想を述べた。

「おいしいわね。メロンパン超えたかも」

 香織の目を見てうなずく真琴。

「ね! そう思うよね!」

 はしゃぐ二人を見て、裕也が香織の肩を引く。

「マジか、俺にも一口」

「自分で買えば? あ、これ最後の一つだったんだ」

 わざとらしく言って、振り返るとニタリと笑う香織。

「むかつくわ~」

 そう言って裕也は悔しそうにしながら食堂から出ていった。

「そんなにおいしいんですか?」

 八代が聞く。

「メロンパンほどじゃないけど、おいしいわよ」

「うん。メロンパンの方がおいしいかな」

 真琴も香織の意見に賛同する。

「さっきは、ああ言ったけどね。おばちゃんには悪いけど、メロンパンが一番かな」

「そうですか、残念でしたね」

「一切れあげる」

 香織は八代に蒸しパンの下のほうを千切って差し出す。

「いいんですか?」

「いいよ。これはこれでおいしいよ」

 八代は申し訳なさそうに、受け取ると直ぐに口には入れず蒸しパンを眺めていた。

「お弁当質素って言うか、昔話に出てきそうなヤツだもんね。おばあちゃんに作ってもらったの?」

 悪気はないのだろうが、笑いながら言う他クラスの女子生徒。

「えぇ、おばあさんにもらったんです」

 八代のそのお弁当は、たくあんとおにぎりだけだった。

 皆昼食を食べ終えて、各々食堂を出て行く。

「私は保健室に用あるんだけど」

 香織が真琴に言うと、

「八代君の学校案内続けるから、一緒に前まで行くよ」

 と、八代を取り巻く数人で固まって保健室まで向かった。

 保健室前で真琴と別れて香織は一人保健室の戸をノックして中に入る。

 開け放たれた窓から涼しげな風が入り込む。

 木々のざわめきと、ベッドを仕切るカーテンの奥から微かに寝息が聞こえてくる。

 香織は風になびくそのカーテンを掴むと勢い良く開け放つ。

 ベッドには白衣を着たまま寝そべる女が一人。気持ちよさそうに眠っている。

「しょうねえ。起きてよ」

 香織が揺すって起こそうとするも、

「後、五分。お昼ごはんは……食べたから」

 完全に寝ぼけた返事をするのは、香織の母親の姉であり保健室の先生でもある橘晶子。 

 揺すられ続けると目が覚めたのか、香織の顔を見る。

「あれ? 香織じゃん……お昼ご飯できたの?」

「何言ってるの。食べたんでしょ」

「え、あぁ、うん。え?」

 体を起こして、薄目で周りを見回す晶子。

「起きた?」

 香織が顔の前で手を振る。

「起きた。起きた」

 欠伸交じり晶子は言って、伸びをすると首を回し顔を揉む。

「それで、急用なの?」

 晶子は髪を手櫛で直すと香織に顔を向け聞いた。

「そんなに急用って訳じゃないんだけど」

「えぇ、急用じゃないのに入れたの?」

 言って、晶子は扉を指差した。 

 指差された先にある戸には一枚の札が張ってある。

「何あれ」

「人除けの札」

 淡々と言う晶子は腰を捻り簡単なストレッチを始める。

「もう、寝るために使わないでよ。そんなの」

 香織はベッドから離れると、戸にある札を剥がして机に置いた。

「大丈夫よ。大怪我とかの急用だったら入れるから」

「そんな時に寝てたら問題でしょ」

「あぁ、それも、そうね」

 ベッドから降りて再度伸びをすると、ポケットから二枚の紙を放り大きな欠伸をしてから晶子が言う。

「珈琲入れて」

「え、何?」

 香織が聞き返す。

「あんたに、言ったんじゃないわよ」

 晶子が放った紙は人型で、中を舞うとデスクの上でポットからマグカップに珈琲を注ぐ。

「ちょっと、何してんの」

 香織は驚きながらも、晶子に言った。

「え? いらなかった?」

「いや、飲むけどさ」

 顔を香織から紙人形に向き直り、晶子が指を二本立てる。

「そっちは、砂糖二本ね」

 紙人形は頷くと、器用にスティック砂糖の封を二体で切り開けると注ぎ入れた。

 香織はそれを近くで眺める。

「じゃなくて!」

 顔を上げて晶子に目を向ける。

「何? 二本じゃ足らない?」

「違うよ。術を人前でこんな風に使っていいの?」

 晶子は机にあった書類を手に取り、目を通しながら適当に返事をする。

「まぁ、身内だし」

「学校で使うな。って、昔おばあちゃんが言ってなかった?」

「学生時代の話でしょ。私は練習しろってよく言われてたからいいのよ」

 書類を置きマグカップを手に取る晶子。

「そういう意味じゃないと思うんだけど」

「はい。どうぞ」

 マグカップを香織に手渡し、晶子はキャスター付きの椅子に座った。

「あ、ありがとう。何で手渡し……」

「何回も重い物を持たせると潰れちゃうのよね。あと、こぼされると面倒」

「ふ~ん」

 香織は机の上に立っている紙人形を眺める。

 少しかわいいかも。と思いながら指で突いてみたりする。

「で、何か用があるんじゃないの?」

「あ、そうそう。夏休みに山でやる、きもだめしなんだけど。大丈夫?」

 言って、香織は珈琲に口をつけた。

「まぁ、平気じゃない? 基本的には見えないだろうし」

「でも、この前から山がちょっとおかしくなってない?」

 晶子は内心驚いた。香織に霊能力が少しある事はわかっていたが、山の微かな変化に気が付いていたからだ。

 もしかしたら、去年よりも力が強くなってきていると思う晶子。

 それとは別に毎年の行事だし、対策は取るので開催しても問題は起きないと考えていた。

「道は決まってるんだから、変な道に入らなければ平気よ」

「本当? よかった。皆、楽しみにしてるみたいだから」

 安堵した様子の香織は珈琲を飲み干した。

「その代わり、何か起きたら嫌だから、少し札を張るつもりだけど。あんたも手伝いなさいよ」

 晶子が言い終わると同時に授業開始五分前の鐘が鳴った。

「ほら、授業始まるわよ。教室に戻りなさい」

「はーい。じゃあ準備よろしくね」

 マグカップを机に置き、笑顔で部屋から出て行く香織。

「はい。はい」

 手を振り見送る晶子。

 静かになった部屋で晶子は山を眺めて呟く。

「本当に何も無ければいいけど……さて、書類整理しようかな」

 晶子は立っているだけの紙人形に目向け言う。

「ごくろうさま。もう、いいわ」

 二体の紙人形はゴミ箱の上まで飛んで行くとバラバラに千切れて落ちた。



 放課後になり香織は帰宅部なのだが、真琴と担任教師の頼みにより家には帰らず八代の学校案内をすることになった。

 昼休み中に殆ど案内は終わっていたのだが、部活案内を含めて学校を回る事になった。

「まだ行ってない教室とかある?」

 八代に香織が質問する。

「何があるのか、わからないので」

「あぁ、それもそうよね。でも、他の学校とさほど変わらないと思うよ」

 教室から出て、今日の授業で音楽がなかった事もあり音楽室に向かう二人。

 廊下には吹奏楽部や合唱部の練習する様子が伝わってきていた。

 会話が無く、気まずくなった香織は横目で八代を見る。

 八代は音楽とは呼べない楽器の練習音に、耳を傾けているようだった。

「ここが音楽室で第一と第二があって、その隣が準備室。部活は吹奏楽部と合唱部。あと軽音楽部があるの」

「そうですか」

 八代の反応が薄いのを見て、香織は次に向かうことにした。

「あれは何ですか?」

 階段の踊り場に積んである机を指差す八代。

「あれは屋上に行けない様にしてるらしいよ。先生しか鍵を持ち出し出来ないし、屋上に出れないから机積んであっても意味はないと思うけどね」

「そうですか、それは残念です」

「前の学校は屋上行けたの?」

「えぇ、前は狭くても行けました」

 机の先を眺める八代。

「そうなんだ。いいなぁ」

 その後も理科室や生徒会室。視聴覚室や茶室など。説明しながら体育館に向かう。

「明日には部活見学するんでしょ?」

「そうですね。いろんな部活があって目移りしそうです」

「部活によっては、二つ入ってもいいんだよ」

 会話しながら保健室前を過ぎた所で、晶子が職員室から出てきた。

「あ、ちょうどいいや。この人が保健の先生だよ」

 晶子は香織たちに気が付くと八代を足の下から上まで確認するように見る。

「この子は?」

「転校生だよ」

 香織は失礼がないように、八代を手で差し紹介する。

「……彼氏とかじゃないのか」

 つまらなそうに言う晶子。

「はぁ? 違うから」

 声量を上げて香織は否定した。

「わかってるって、何だっけ? 裕也君だっけ?」

「それも違う!」

 香織は白衣を掴み講義するように言った。

「あっはっは。青春ね」

 笑いながら香織の頭を軽く三度叩き撫でつける晶子。

 その手を払いのけ怒った顔をする香織。

「行こう」

 足早に体育館に向かう香織に慌てて八代は着いていく。

 離れていく二人に背を向け保健室に入る前に、少し嫌な予感がした晶子はポケットから紙人形を落としてつぶやく。

「付いていきなさい」

 紙人形は床に着く事なく、飛行を始め二人を追いかけた。

 香織は校舎を出ると、体育館前で立ち止まり体育館の他に講堂や格技場。テニスコートなどの場所を説明した。

 二人は体育館を覗いて少しだけ部活を見学した。

 中ではバスケ部とバドミントン部が館内中心からネットで仕切り練習をしていた。

 体育館を出て案内を終えようと声を掛けようとすると、八代が急に立ち止まっていた。

 その目線を追って気が付く香織。

「あぁ、旧校舎ね。基本的には立ち入り禁止だよ。一回の何部屋かは部室になってるらしいけど。二階は完全立ち入り禁止。床が抜けるとかって」

 旧校舎を見上げて言う八代。

「屋上には行けないんですね」

 香織も見上げてみたが、屋上があるようには見えなかったし、屋上があるとは聞いた事がなかった。

「旧校舎には、屋上ないんじゃないかな」

「そうですか」

 言って、旧校舎を眺める八代。

「案内はこんなもんでいい?」

 香織は、その場から動きそうにない八代に聞いた。

「はい。ありがとうございました」

 軽く頭を下げる八代。

「私はまだ学校に用があるんだけど」

 香織は、未だに見上げたままの八代に伝えた。

「じゃあ、ここで」

 八代は言うと、顔を香織に向けて挨拶した。

「うん。旧校舎には入らないでね」

「見られてるから、そんなことしないですよ」

 微笑んで言うと踵を着けたまま、つま先で地面を叩く八代。

「じゃあ、また明日」

 八代が校門に向かって行くのを見届けた香織は校舎に戻り始める。その足元には、紙が散らばって落ちていたが大して気に留めず、それを跨いで越えた。

 香織が、保健室に入ると晶子は頭を抱えていた。

「仕事終わらないの?」

 声を掛けられ香織に気が付いたのか顔を上げる晶子。

「あれ? 転校生は?」

「帰ったよ」

 言いながら、鞄を端に置き回転する椅子に座る香織。

「まっすぐ帰った?」

 晶子は髪の毛をかき上げながら、香織に聞いた。

「たぶん」

 香織は、床を蹴って回転しながら返事をした。

「あ、そう」

 何か納得がいかない様子の晶子。

「なんで?」

 不思議に思った香織は聞いた。

「いや、う~ん。なんとなく……あれ~?」

 髪を掻き毟り唸って机に額を擦りつけ始めた晶子。

「どうしたの?」

「いや、何してたか思い出せなくて」

 こめかみを指で押してひねる晶子。

「きもだめしの事?」

「ちがう……様な気がする」

 頭を抱え直し尚も唸る晶子。

「あ、そうだ。きもだめしの話なんだけど」

 香織は少し目を回しながら、回転するのを止めて話を切り出す。

「あぁ、思い出せない」

「ねぇ、聞いてる?」

 晶子のつむじを見つめて聞く香織。

「聞いてないけど、ちょっと待って。この書類シュレッダーに入れたら帰るから。その話は家で聞く」

 机から額を上げた晶子は立ち上がると、書類をシュレッダーに差し込み帰り支度を始めた。

 椅子から立ち上がり、端に置いた鞄を掴み上げ肩に掛けて晶子を待つ香織。

 二人は保健室を出て鍵を閉めると、職員室に鍵を返しに行き二人揃って学校を出た。

 歩きながら香織は携帯で、真琴にきもだめしに必要な物などの買出しについて連絡をする。

「あ、そうだ。メロンパン買ったけど食べなかったからいる?」

 言って、鞄からメロンパンを取り出す晶子。

「いいの? ありがとう。今日買えなかったんだ」

 携帯を閉まって、メロンパンを受け取り笑顔になる香織。

 家に着き一度部屋に戻ると、二人ともリビングに集まりソファーで寛ぎ始める。

 香織は貰ったメロンパンを齧りながら、晶子に話を持ちかける。

「最近増えてない?」

 ソファー上で横になって、雑誌を顔に乗せて眠ろうとしていた晶子は動かずに返事をする。

「何が?」

「何がって……変な霊とか悪そうな感じの奴。今日も廊下で小さいの見たし。悪そうでは無かったけど」

「そりゃあ、夏だからね」

 雑誌越しに聞こえる晶子の返事は、若干篭っている。

 香織はメロンパンを食べながら雑誌に向かって話し続ける。

「学校の近くでも、変な噂とか増えてるみたいだよ」

 雑誌を退けて、欠伸をする晶子は、

「本当にヤバイのがいたら、もっと大変な騒ぎになると思うわよ」

 と、眠たそうに答えると晶子は雑誌に目を通し始める。

「なると思うって、結界とかちゃんと張ってるんだよね?」

「そりゃあ、もちろん張ってるけど……」

 雑誌から香織に目を向けてた晶子。

「張ってるけど、何?」

「まぁ、噂は噂で本当じゃないと思うわ。それに、時代じゃないのよ」

 目元をこすり答えた晶子に対し、理解しきれない香織は首を傾げる。

「どうゆうこと?」

「どの土地でも、必ず悪霊とかから守る人がいる訳じゃないのよ」

 雑誌をテーブルに置いた晶子は蛍光灯を見つめているが、その目はもっと遠くを見ているようだった。

「払い屋家業とかだけで、食べていけるほど優しくないの」

「でも、おばあちゃんは」

「母さんの時代は、まだセーフ。今は科学とかの発展でいろいろ楽できるようになったし。電話一本で払い屋呼べるし、信じない人も増えたし。まず見える人が減ってるのよ」

「お母さんみたいな?」

 香織は食卓に座ってチラシを読んでいる母を見た。晶子も体を起こして妹である香織の母を見る。

「そうよ。払い屋の家でも、私は見えるけどあの子は見えない。見えなくなって廃業する家系もあるのよ」

 メロンパンを食べ終えた香織は納得した顔をしたが、すぐに思い付いた事をを口にする。

「ん? でもそれだと、霊とかだけ増え続けるんじゃないの?」

「それが、そうでもないのよ。人に害を成せるほどの力のあるやつは、今も昔も多くはないし。妖怪も都会じゃ住めないからって山に篭るし。最近の子供はゲームとかで家の外で遊ぶことも減ってるから被害に合う機会も減るのよ」

 晶子は妹から目を香織に戻し言った。

「なるほど」

「だから、時代じゃないのよ」

 言って、晶子は寝そべり直した。

「でも、きもだめしは山に入るよ?」

「わかってるわよ。あの山は代々うちが管理してるからある程度は面倒見るわよ。良くも悪くもね」

 雑誌を手に取り適当なページを開くと眺め始める。

「あの山って悪いのいるの?」

「基本いないわね。何度か見た事あるけど、他所から来た奴だけね」

「え、見た事あるの?」

 雑誌をずらして香織の顔を見て言う晶子。

「あんたが気にする事じゃないわよ。私の仕事だからね」

「じゃあ、手伝いしなくてもいい?」

 雑誌で顔を隠して、抑揚の無い声で晶子は言う。

「生徒が神隠しにあってもいいならいいけど」

「悪いのは、いないんじゃないの?」

「他所から来てたら、話は別になるわよ。向こうの世界とかに迷い込まれたら連れ戻せないし」

 香織達の家の裏にある山は昔。神隠しなど、鬼がさらう等といった話があった。最近では山に入る人が戻ってこないという事件は起きてない。

 晶子が結界を張っている事もあるが、山に入る人がいないことも関係している。

 香織もきもだめし以外に、ここ数年は山に入っていない。去年のきもだめしを手伝うこともなかった。

「夕飯出来たわよ」

 香織の母に呼ばれ二人は話を止めて食卓に着いた。

 家には香織の母と父。伯母の晶子。香織が住んでいる。

 香織の父は出張で家にほとんどいない。土地と家は伯母である晶子の物だが、家事が出来ないので妹夫婦が住ませてもらう代わりに家事をこなしている。

 


 翌日の放課後。

 真琴に夏休みのきもだめしで必要なものを買いに行こうと、誘われいた香織は生徒会が終わるのを生徒会室前で待っていたが、戸から出てきた真琴はパチンと勢い良く手を合わせた。

「ごめん。終わらない」

 申し訳なさそうに、目を瞑りると、

「別日でお願い」

 と、真琴は頭をさげた。

「別にいいけど、私一人で買いに行ってもいいよ?」

 香織は真琴の手を取り言った。

「いや、それは申し訳ないから」

 一度決めた事を変えるのが嫌いな真琴は一緒に行かないと気が済まないだろう。と、思った香織は一人で帰る事にした。

 香織は帰り道に商店街を通るので本屋に寄る。

 本屋の手前には肉屋、花屋、雑貨屋と様々な店があり、その店の方から声を掛けられる香織。

 昔、香織の祖母にお世話になった方や香織家の神社で結婚式を挙げた方も中にはいる。

 本屋で料理雑誌を買って、家に向かい歩き始めるとすぐに呼び止められる。

 香織を呼び止めたのは焼き鳥屋のおじさんだ。

「香織ちゃん。多く焼き過ぎたから持っていきな」

 手招きに誘われて店前に行くと、おじさんは焼き鳥を三本紙に包んで香織に手渡す。

「かあちゃんには、内緒な」

「いつも、ありがとうございます」

 笑顔で礼を言う香りに、

「いいって、いいって。それより頼んだぜ」

 と、周りを確認してから言うおじさん。

 香織は焼き鳥を受け取っる。その焼き鳥は焼き立てで少し熱いくらいだった。

 焼き鳥屋の夫婦は、香織の祖母と縁があって結婚したらしく、お世話になったとよく話している。

 しかし、焼き鳥をくれる本当の理由は、おじさんが奥さんに隠れてパチンコに良く行くのを香織が見かけてしまった事にある。

 焼き鳥をくれる時のおじさんは、たいそう気分が良さそうで、きっとパチンコに勝っている時だと香織は思っていた。

 香織は焼き鳥屋を離れ、食べながら歩いていた。すると、少し離れた場所で八代が他校の生徒に囲まれながら、ゲームセンター脇の裏路地に行ったように見えた。

 カツアゲなどではないかと心配になり、香織は後を付ける事にした。

 路地を曲がるとそこにいたのは、座り込んでいる数人の他校の男子生徒だけだった。

 不思議に思って立ち止まった香織に、声を掛けてくる男達。

「何見てんだよ」

 と、睨みを利かされ香織は怖いながら返事をする。

「いや、その、知り合いが居た気がして」

「何それ? 新手のナンパ?」

 香織の返事に下衆な笑いをする男達。

「ち、違ったみたいなので帰ります」

 香織は急いでその場を離れようとしたが、

「帰らないでよ~」

 と、気味の悪い笑い声を上げながら腕を掴まれてしまった。

「ちょ、やめて」

 と、手を振り払おうとすると、

「おい、やめとけよ」

 香織の耳に聞きなれた声が響いた。振り返ると、そこには裕也が立っていた。

「嫌がってるんだから、放してやれよ」

 裕也は香織と他校生の間に入り腕を放させる。

「おう、裕也じゃんか」

 手を放した他校生と裕也がハイタッチをして、仲良さそうに会話を始めた。

 少し話した後、香織を連れて路地を出る裕也。

「ありがとう」

 礼を言う香織。

「何してんの、お前」

「だって、」

 香織の返事を待たずに、

「まぁ、いいや。一つ貸しな」

 と、言て爽やかな笑顔をする裕也。

「何それ」

「そりゃそうだろ。助けてやったんだから」

「うぐ」 

 と、口ごもる香織。

「じゃあ、今後は一人で危ない真似すんなよ」

 言って、裕也は裏路地に戻っていった。 

 香織は反省しながらも、助けてくれた裕也に感謝しつつ家に帰った。

 夕飯が出来るまでリビングのソファーで買ってきた雑誌を読む香織。

 ふと、裕也の事を思い出し顔が綻ぶ。

「何、ニヤけてるの。ご飯出来たからお姉ちゃん呼んできて」

「ニヤけてないし」

 香織は廊下に顔を出して、大きな声で二階に向かって晶子を呼ぶ。

 静かな廊下に声が響くも、物音一つしない。

「あぁ。倉庫行くって言ってたから、たぶん外じゃない?」

 と、キッチンから母に言われた香織は玄関でサンダルを履くと、外にある大きな倉に向かう。

 昔からある倉は一度も建て直したことがない。晶子曰く先代が作ったお札のお陰と香織は聞いていた。

 倉の戸は重く、香織は腕まくりをして腰に力を入れて引っ張り開ける。

 倉の中は整理されていて、神社で使うものから使わなくなったベビーカーなどの不用品まで仕舞い込んである。

 一角にある畳の上で、正座し蝋燭の火に照らされて書き物をしている晶子がいた。

「ご飯だって」

 香織が言うと、

「うん。ちょっと待って、これだけ仕上げちゃうから」

 と、返事をしながら筆を動かす晶子。

 香織が畳に上がろうとすると、

「覗かないでね。力弱くなるかもだから」

 振り向く事無く言う晶子。

「あ、お札書いてんの?」

 香織は上げた足をゆっくりと下ろすと、晶子から目を逸らし周りを見回す。

「そうよ。きもだめし、やりたいんでしょ?」

「うん。でも、早く行かないとお母さん怒るよ」

 周囲にある埃の被った本などに指を滑らせ埃の量を確認する香織。

「はいはい。今行くから」

 書き終えた晶子は筆を置いて、蝋燭の火を吹き消す。

 入り口から差し込む月明かりを頼りにサンダルを履いて、二人は倉を出る。

 晶子は一人取っ手を掴むと、片手で戸を閉めた。

「相変わらず重いよね。おばあちゃんは、よく一人で出入りしてたよね」

 玄関に向かいながら、香織が聞く。

「母さんは霊力が強かったからね。開け閉めはほとんど力要らないのよ」

「そうなの?」

「祓い屋とかじゃないとまず開けられないわよ」

 鉄臭くなった手を香織から順に、玄関先の水道で洗う。

「じゃあ、お母さんは?」

「あの子は開けられないわよ。そのくせ掃除したがるのよね」

「だから、何か用ある時は私のこと呼ぶのか」

 納得して洗い終えた手を拭く香織。続いて晶子が洗い始める。

「私が居ない時に勝手に中入らないでよね。変なこと起きたら嫌だから」

「何かあるの?」

「沢山あるわよ。下手にいじると取り返し付かない事もあるから気をつけてね」

 水滴を払い、香織からタオルを借りて手を拭う晶子。

「はーい」

 と、簡単な返事をする香織は玄関の戸を開けて二人で家に入った。


 

 数日立っても裕也は相変わらず香織にちょっかいは出す物の、貸しについて何か言う事はなかった。

 夏休みまで残り四日となった。

 未だにきもだめしの準備は進まず、真琴は生徒会の仕事が忙しく、二人は買出しにも行けていない。

 夏休み間近で皆浮き足立っていて、転校生ブームも落ち着いていた。

 放課後。

 香織が保健室に行くと、夏休み前で忙しいはずの教師である晶子はまったりと、珈琲片手に書類を眺めていた。

「忙しくないの?」

 香織は、鞄を端に置きながら聞いた。

「見てわからないの? 忙しいわよ」

「片手間で仕事してるようにしか、見えないんだけど」

 ジト目で言う香織に対して、

「それはほら、出来る女だから?」

 と、ドヤ顔で言い返す晶子。

「お札張りに行かないの?」

「スルーですか……そうね。そろそろ良い頃合かしらね。はいこれ」

 引き出しから、十数枚の札を取り出し机に置く晶子。

「え、何?」

 香織はその札を見て聞く。

「見てわからない? お札よ」

 見たままを言う晶子は、珈琲に口を付ける。

「一人でやらせる気?」

「違うわよ」

 言いつつ、香織から目そらし書類に目をやる晶子。

「じゃあ、何で渡すの?」

 再びジト目で、晶子と札を交互に見る香織。

「それは、旧校舎の分よ」

 晶子はチラリと香織の様子を窺うように見てから言った。

「旧校舎にも張るの?」

 札を掴み取ると、それを眺める香織。

「一応ね。夏になると中に入る悪ガキがいるのよ。面倒な事に怪我されると学校にクレームが着たりするのよ」

 心底面倒くさそうに言う晶子。

「何で?」

「子供の安全がうんたら言う親とかもいるのよ。子供が勝手にやったとしてもね」

「ふぅん」

 そっと、札を机に戻す香織。

 書類越しに香織を見ていた晶子が言う。

「何で、置いてるのよ」

「え?」

「それ、張ってきて」

 書類に目を戻し香織の目から逃げる晶子。

「え~」

 いかにも嫌そうな声を発する香織に対し、

「私は忙しいのよ。徹夜で札書いて、学校来て仕事して」

「たまに寝てんじゃん」

 書類に穴を開ける勢いで見つめる香織。

「いいからやってよ。お願いね」

「出来る女じゃなかったの?」

 腰に手を当て、呆れた顔で晶子を見る香織。

 晶子は書類を机に置くと、

「頑張っている私に、つかの間の安らぎを与えようとは思わないの?」

 胸に手を当て、大げさな演技をして晶子言った。

 ため息を付くと札を掴み取り廊下に向かう香織は、戸を開けて立ち止まると、

「商店街のショートケーキ」

 微かな苛立ちを抑えて、つぶやくように言う香織。

「はいはい。わかったわよ」

「約束だからね」

 強く言い放って、保健室から出て戸を閉める香織。

 晶子は目頭を押さえて、やれやれと首を回す。

 ガラッと勢い良く戸を開く音に驚き、そちらを見る晶子。

「どこに、張ればいいの?」

 そこには、札を持った香織が立っていた。

「あぁ、そうね案内を付けるわ」

 ビクついて上がった肩を下ろすと、ポケットから一枚の紙人形を取り出すと命ずる。

「旧校舎に人が寄り付かなくなるようにする、効果的な札の張るところをあの子に教えてあげなさい」

 晶子の手のひらで立ち上がると紙人形は頷き、香織の肩まで飛んでいく。

「後はそれが教えてくれるから、よろしく」

「はーい」

 香織は返事をすると、保健室を出て肩に乗っている紙人形を見る。

 この紙人形は、他の生徒にも見えるのかな。と考える香織。

「誰かに見られたら困るから、隠れてて」

 試しに言ってみると、紙人形は香織のポケットに入り込んだ。

 香織は下駄箱でローファーに履き替え、クラスメイト数名に声を掛けて見送り旧校舎まで歩く。

 部活が始まり少し時間が経っている事もあり、体育館の周りに人気は無く、バスケットボールの弾む音とシューズの擦れる甲高い音が良く聞こえる。

 香織は旧校舎の入り口で立ち止まり、周りを見て誰もいないことを確認した。

「さて」

 意気込んで戸を開けようと、引き戸に手を掛ける。

「ふんっ」

 ガタッ。と、音はしたが開く事はなく、引き戸から手が外れた手は空を切る。

「あ、鍵か」

 少し恥ずかしくなり、つぶやいて誤魔化すと、辺りに誰も居ない事をもう一度確認する。

 すると、ポケットに隠れていた紙人形が宙を舞ってから、戸の隙間に入ってしまった。

 香織が呆気に取られていると、中から鍵の開く音がする。

 もう一度辺りを確認してから、香織は、

「失礼します」

 と、小声で言って戸を開けて中に入る。

 紙人形は香織が校舎に入ったのを確認したのか、戸の中央に張り付きペシペシと先ほどより少し汚れて皺が目立つ手で戸を叩く。

 鍵を開ける際少し硬かったのか、内鍵は上下にスライドさせるものだった。

 香織がその戸を閉め鍵を掛けるも、紙人形は戸を叩き続ける。

 香織は札をポケットから取り出し貼り付けると、紙人形は戸を離れて部室として使われている教室の窓に飛んで行き、札を張るよう指示を出す。

 数部屋の部室に張り終えると、裏口まで飛んでいく紙人形に付いて行き、香織は指示に従って裏口の戸に札を貼った。

 残りの札は二枚になっていた。良く見ると、その札は先ほどまでの物と少し違う事にに気が付く香織。

「あってるのかな」

 心配になった香織は、紙人形を見ると大きく頷いていた。

 ふらりと、紙人形は来た道を戻り、入り口まで戻ると階段を上がって行く。

 一階と二階の間にある踊り場に、一枚貼るように指示され香織は従った。

 紙人形はそれを見届けると、二階に上がりきり、左に曲がったすぐの扉の前で止まる。

 香織がその扉を開くと目の前には階段があった。

「あれ? 二階までしかないんじゃ……」

 紙人形は、すっと階段を上がり行き止まりの戸を叩く。

 香織は横幅の狭い軋む階段を、壁に手を当てながら登り扉の前に立つ。

 紙人形が戸を叩くのを無視して、気になったその扉を開ける。

 そこは屋上だった。

 香織が立つ位置は下からは見えない。低い柵があり六畳ほどしかない広さの屋上。

 痛みきった床は人が乗れば抜けそうである。

 良く見ると、一歩先の床は既に誰かが踏み抜いた跡があった。

「屋上あったんだ」

 と、香織がつぶやくと頭の後ろでペシペシと音が聞こえる。

 紙人形が叩いていたので、

「はいはい」

 と、香織は返事をして扉を閉めると札を貼った。

 張り終えたのを見届けた紙人形は、香織のポケットへ納まると出てくる事はなかった。

 香織は階段を慎重に降り、一階へ向かおうと右に曲がり階段に足を掛けると、踊り場に何かの影が見えた。

 立ち止まり息を呑む香織とは対象に、その影は階段を登ってくる。

 踊り場に足を掛け香織に足先を向けた。その影の主は八代だった。

「え」

 思わず香織は声を漏らす。

 声に気が付いた八代は顔を上げた。香織と目が合うと、

「え、えーと」

 と、苦笑いをして目を逸らした。

「あはは……」

 香織は、笑う。

「はははははは」

 と、乾いた笑いの八代。

 香織は笑うの止めて、静かに息を吸うと、

「旧校舎は立ち入り禁止だって言ったよね」

 と、八代を叱った。

「いや、つい」

「つい、じゃないわよ」

 香織は階段を降りて、踊り場で八代の手を掴むと一階まで降りきった。

「この前言ったよね?」

 手を離し振り返ると、八代の顔を見て香織は言った。

 目を合わせない様にうつむいた八代は、

「えぇ、ですが」

「ですが何?」

「何で上に居たんですか?」

 顔を上げて、踊り場を指差す八代。

「たっ……たの、頼まれごとよ」

 勢いで誤魔化すために、捲くし立てる香織。

「あなたこそ、何で旧校舎にいるの? 関係者以外立ち入り禁止なのよ?」

「いや」

「何?」

 腰に手を当てる香織。

「部活見学の成り行きで」

「………………」

「………………」

 お互いが黙り、静かになった旧校舎内には木々のざわめきと、部活動の掛け声などが良く聞こえてくる。

「じゃ、じゃあ仕方ないわね」

 腰に当てた手を胸元で捏ねながら、目を泳がせ言う香織。

 八代は髪の毛を触ったりして黙っていた。

「でも。二階は駄目だからね」

 と、香織は腰に手を直して言った。

「あ、はい」

 返事を聞いた香織は腕を組み、

「で、見学は済んだの?」

 と、八代の顔を見て問う。

「ある程度は、済みました」

 言って、階段を見上げる八代。

「上は、なしよ」

 香織は手を広げて、八代の前に立つと道を塞ぐ。

 八代は諦めたのか、香織に背を向け出口に向かう。

 それに続いて、香織も旧校舎を出た。

 外に出た八代は、振り返り旧校舎の戸を眺める。

「どうしたの?」

「いえ、鍵持って来たんですが」

 手に鍵を持って見せる八代。

 香織はそれを奪うと、

「早く閉めましょ」

 と、急いで鍵を閉め始めた。

「どうやって、入ったんですか?」

 八代の質問が、香織の背中に刺さる。

「も、元から開いてたのよ」

 平静な顔を作って振り返ると、香織は八代に鍵を返す。

「そうですか」

 言って、八代は校舎に向かって歩き始める。

 香織は胸を撫で下ろして、八代の後を歩き校舎に向かう。

「屋上どうでした?」

「狭いわよ……あ」

 急に聞かれた香織は口を滑らせる。

「ですよね」

 したり顔で頷く八代に、

「何で知っての!?」

 と、香織は慌てたまま聞き返した。

「橘さんこそ、何故知っているんですか?」

 香織の質問には答えず、聞き返す八代。

「あーもう。これ秘密だからね。先生に言わないでおくから、言わないでね」

 香織は諦めて、八代の背中に言った。

「はい」

 八代は足取り軽く校舎に向かう。

 二人は下駄箱で上履きに履き替えて、香織は保健室へ、八代は職員室へ。

「また、明日」

 と、言って、保健室前の廊下で別れた。

 香織が保健室に入ると誰も居らず、ベッドを仕切るカーテンを開け放つも誰も居ない。

 すると、ポケットの中で携帯が震えているのに気が付く香織。

 取り出して確認すると、裕也からのメールが届いていた。

 その内容は『今度、デートしよう』だった。

 一度画面から目を離し、蛍光灯を見る香織。

 もう一度画面を見直そうとすると、ノックもせずに副校長が保健室に入ってくる。

 驚きながら振り返った香織は、副校長の姿を見て、携帯を後ろ手に隠すと背筋を伸ばす。

「おや。橘先生は帰られましたよ」

 言われた香織は、黙って帰った晶子に苛立ちを覚えるも、笑顔で副校長に

「そうですか。私も、もう帰ります。さようなら」

 と、返事をして端に置いていた鞄を掴むと保健室を出た。

 出た所でメールを確認し、頬が緩む香織は足取り軽く下駄箱に向かった。



 香織が家に着くと、晶子はリビングでケーキの箱を見つめて待っていた。

「何で先に帰ってんの?」

「中々戻って来ないし。ケーキなくなったら買えないし」

 悪びれる事無く、答える晶子。

「食べないで、待ってたんだから」

「うん」

 ソファーに香織が座ると、晶子が箱を空けて、ショートケーキを取り出し皿に移す。

 香織は上に乗っているイチゴにフォークを刺すと、クリームを付けて口に含む。

「あぁ、幸せ」

 それを見てから、晶子もケーキを食べ始める。

「どうだった?」

 晶子は一口目を飲み込むと聞いた。

「どうって?」

 口にケーキを含みながら、香織が聞き返す。

「問題なかった?」

 ケーキの事しか頭になかった香織は思い出す。

「あ、転校生が入ってきたよ。部活見学とかで」

「まぁ、ちゃんと鍵を借りたり手順踏めば入れるからね」

 晶子は大して気に留めた様子も無くケーキを食べ続けた。

 一口一口大切に食べる香織は、

「それと、旧校舎って屋上あったんだね」

 と、晶子に話す。

 ケーキを食べ終えた晶子はソファに寝そべった。

「懐かしいわね。狭い屋上でしょ?」

「やっぱり知ってるんだ」

 フォークを咥えながら、香織は話を続ける。

「扉開けてすぐの所に、穴開いてたでしょ」

 と、晶子は含み笑いをしながら聞いた。

「あったあった。それ見て出ようと思わなかったもん」

 晶子は、くすす声を漏らして笑うと、

「でしょうね。私が学生の時に開いた穴だからね」

「そうなの?」

 香織もケーキを食べ終えフォークを置く。

「そうそう、ふざけて屋上に出ようとしたら、バンってね」

「え」

 香織は驚きと呆れが交ぜって口が開いたままになった。

「あの時はびっくりしたわぁ。先に出てた友達が居たんだけどさ。その子のパンツが見えてさ。下半身がスッポリと落ちたのよね」

 思い出したのかケラケラと笑う晶子。

「穴開けたの、しょうねえなの?」

 と、香織は開いたままの口を閉じてから確認した。

「そうよ。当時は屋上は禁止だったけど。それから二階も危ないからって立ち入り禁止になったのよ」

「そうだったんだ」

 晶子はクッション掴み、抱えると懐かしそうに言う。

「すごい怒られたわよ。学校からも母さんからもね」

「そうでしょうね」

 香織は呆れ混じりに笑った。

 


 翌日。

 学校で裕也の顔を見てメールの事を思い出した香織は頬が緩みそうになった。

 しかし、裕也はメールについての返事を催促する事もなく、何事もなかったかのように過ごしていた。

 放課後になり、真琴に呼ばれた香織は教室で携帯を眺めて待つ。

 裕也からのメールを何度も見返し、自然と頬が緩む香織。

 香織は真琴が教室に入って来た事に気が付く事無く、携帯を見てニヤけていた。

 香織の前の席の椅子が引かれ、そこに真琴が座ろうとする所で香織は気が付いた。

 真琴は、香織の緩んだ頬を見て聞いた。

「今日ずっとニコニコしてたけど、何か良いことでもあったの?」

「え、そうかな」

 と、香織はいつもより緩い声音で返事をした。

「今だって、私が教室に入って来た事に、気が付いてなかったし」

 携帯をポケットに隠すと、香織は作り笑いで答える。

「そういう時もあるって」

「で、何があったの?」

 頬杖をついて聞き返す真琴。

「あの、その」

 膝上で手を捏ねる香織。

「らしくないわよ」

「えっと、これ」

 香織は携帯を取り出して、裕也からのメールを躊躇いながらも真琴に見せる。

「……これマジ?」

 と、画面と香織の顔を二度見する真琴。

「たぶん?」

 ニヤけた顔で言う香織。

「たぶんって何よ。行くんでしょ?」

「でも、デートなんてした事ないし」

「行く気はあるんじゃない」

 楽しそうに言う真琴に反し、香織の顔は迷っている。

「どうすればいいのかな」

「どうって、デートでしょ?」

「デートって何するの?」

 困り顔の香織に笑顔で答える真琴。

「服見たり、映画観たり、ご飯食べたり、水族館行ったり。いろいろ?」

「それでいいの?」

「そんなものでしょ? 行けばそれだけで楽しいだろうし」

 香織は浮かない顔をすると、机に突っ伏す。

 真琴はそれを避けると香織の髪の毛をいじる。

「たまにはちゃんと、おめかししないとね」

「おめかしって……お年寄りみたい」

「失礼ね。服に力入れたり、少し化粧したり。アピールしなくちゃ」

 パッと、髪を離すと背もたれに寄りかかる真琴。

「そんな、服持ってないもん」

 いじける様に言う香織に、

「じゃあ、買いに行こうよ」

 と、真琴は香織に頭を撫でた。

「生徒会は? 忙しいんじゃないの?」

 言われてから、真琴は少し悩んだ後に、閃いたと言わんばかりに自信を持って、

「きもだめし用の買いに行くって事にすればいいでしょ」

 と、楽しげに言った。その真琴の顔は、いつもより輝いていた。

「詳しい事は、またメールするから。生徒会行くね」

「あ、うん」

 香織が返事をすると、真琴は急いで教室から出て行った。

 突っ伏した顔を上げてつぶやく。

「デートかぁ」

 香織は、鞄を掴むと教室を後にした。

 廊下を歩きながら、デートについて考える香織。

 下駄箱向かっていると、携帯がポケットの中で振動する。

 ポケットから携帯を取り出すと真琴からの着信だった。

「もし」

 香織が電話に出ると言葉を遮り、真琴が言う。

「今、どこにいる?」

「え、下駄箱だけど」

「ちょっと待ってて」

 言うが早いか、通話を切られてしまった香織は首を傾げた。

 何かあったのだろうか。と、思いながら香織が下駄箱に向かうと、既に真琴が待っていた。

「どうしたの?」

 香織が聞くと、

「行くわよ」

 と、胸を張って言う真琴。

「え、どこに?」

「服を買いに行くに決まってるでしょ」

「え、今から!?」

 驚く香織に対して大きく頷き、

「今から!」

 いたずらな笑顔の真琴は、とても楽しそうにしている。

「お金持ってないんだけど……」

 香織がポケットを叩きながら言うと

「じゃあ、取りに行きましょ」

 と、真琴は下駄箱から香織のローファーを取り出して並べて催促する。

「本当に行くんだ……」

「もちろん!」



 楽しそうにする真琴に連れられ、香織は家に一度帰ると、真琴の家にも寄ってから町へと向かった。

 町に着くと真琴は香織の腕を引いて、様々な服屋を回る。

 真琴は多くの店を知っていて、ボーイッシュな服ならこの店、カジュアルなら、可愛い系なら、大人っぽさならと、次々に案内する。

 数店舗の服屋を次々に回って疲れた香織は、真琴に連れて行かれるまま、真琴がたまに行くというカフェで休憩する事になった。

 落ち着いた雰囲気の店内に高校生の様な客は居らず、サラリーマン風の男や、読書をする大人しそうな大学生らしい人しかいない。

 いつもは雑多な雰囲気のハンバーガーショップや、甘い珈琲チェーン店やドーナツ店しか行かない香織は微動だにせず座る。

 真琴は慣れた様子で、店員を呼ぶと香織の分まで注文を済ませる。

「どうしたの? 借りてきた猫みたいに」

「いや、何か落ち着かなくって」

「そう? 落ち着いた感じで。私は好きだけど」

 香織は落ち着かず、店内の見回す。

 一人で来ている客が多く、複数人で騒ぐような人は見当たらない。

「なんか、イメージと違う」

 目線を真琴に戻して、言う香織。

「そうかもね。たまにしか来ないし」

「洋服の店もいろんなの知ってたし、彼氏でも居るみたい」

「ん~。まぁ、そんな感じの人は、居るわよ」

「へ? 聞いてないんだけど!」

 変な声が出てから、聞き返す香織。

「声。大きいわよ」

「あ、ごめん」

 真琴に注意され周りを恐る恐る見る。しかし、香織をいぶかしむ様な目で見る客はいなかった。

 店内に流れる落ち着いた曲が良く聞こえる。

 香織は声の大きさを確かめてから、

「何で、教えてくれなかったの?」

 と、聞き直した。

「え~。何で、だろう?」

 とぼけた様子で、答える真琴。

「何それ」

「まぁ、いいじゃん。それで、何か欲しい服とか無かったの?」

 真琴の事だ。彼氏の事を聞いても、何も答えてくれないだろう。と、思った香織は諦めて服について考える。

「ん~。よくわかんない」

 正直に答えた香織は聞き返す。

「真琴はどうやって決めてるの?」

「気分かな」

「気分……ね」

 テーブルに店員が来て注文した珈琲を置くと、

「誰か連れてくるのは、珍しいね」

 と、笑顔で言う店員の女。

「あはは、覚えてくれてたんですね」

 真琴は照れた様子で言った。

「ちょこちょこ来てくれるからね。ごゆっくり」

 軽くお辞儀をして店員はテーブルから離れていった。

 香織の前に置かれたのは、キャラメルマキアート。真琴はブレンド珈琲だった。

「ブラックなんて飲むの?」

「お勧めの飲み方って勧められてね。ここのはおいしいのよ」

 香織に勧めるように、カップを差し出す真琴。

 それを受け取り一口飲むと、

「うん。わっかんない。苦い」

 と、笑顔でカップを返す香織。

「言うと思った。それで? いい服だなとか、欲しいとか思った服はなかった?」

 キャラメルマキアートで、口直しをした香織は答える。

「ボーイッシュな奴は、動き易かったかな」

「じゃあ、それは無しね」

「なんで?」

 呆れ混じりに、真琴は答える。

「おしゃれに運動は、含まれないからね」

「楽じゃん。動き易い服」

「あんた、デートにジャージで行くって言ってるようなものよ?」

 頬杖を付いて、諭すような声音で言う真琴。

「ジャージで行くわけないじゃん」

「楽してると、どんどん良くない方に向かっちゃうわよ」

「そういうものなの?」

「あんたは特にそのタイプだと思うわ」

 珈琲を飲み干し真琴は言い切った。

 香織が飲み終わるまで服の話を続けたが、買う服が決まることは無く、二人は会計を済ませると、もう一度服屋を回った。

 結局香織が選んだ服は、夏らしい砂浜の似合いそうな白いワンピースに麦藁帽子。と、滅多に着ないであろう物だった。

 香織としても真琴としても、この組み合わせが一番だろうという結論ではあったが、男受けしそうだが、女受けはしないだろうと二人とも内心は思っていた。

 しかし、こういう時でなければ一生買うことはないだろうと、香織は服の入った紙袋を大事そうに抱えて店を出た。

「この後どうする?」

 と、真琴が聞き、顔を見合わせていると、他校の制服をきた女の子達に声を掛けられた。

「ひさしぶり~」

 そう言って、真琴と手を握り合う他校の女の子は、香織を見ると軽く会釈をした。

「立ち話も何だし。どこか入ろうよ」

 と、切り出した彼女達につられて、近くのハンバーガーショップに入ると注文を済ませて商品を受け取ると二階の席に座った。

 彼女達は真琴と部活や生徒会を通して仲良くなった事など、人見知りをしない香織は自分の知らない真琴の一面を知りたくなっていろいろ聞いた。

 しかし、裏表がない性格なので、彼女達から聞く真琴の話はいつもと変わらなかった。

 話は真琴が部活をやっていた頃の話になり、大会での活躍や他校からも注目を浴びていた事。二年になり真琴は生徒会に入り部活を辞めたが、その辞めた理由が捻じ曲がって噂話で流れていた事を知る香織と真琴。

 男関係で辞めた。家庭が貧しくて辞めたなど、様々な理由が飛び交っていたらしい。

 生徒会として部活の応援に参加することもあり、真琴は他校の彼女達と未だに会う機会があったが聞きづらいと、今まで辞めた理由について詳しく聞かなかった。

 話は部活から隣のコートで練習する男子の話になり、年相応に恋愛の話へ移行する。

 真琴に彼氏が居たのか香織は聞いたが、彼女達は知らない様子だった。

 彼女達三人の内一人だけ彼氏がいるようで、その子に寄って集って根掘り葉掘り聞く。

 好きになった経緯や、どちらから告白したのか。どのように呼び合っているのか、デートはどこに行くのか。

 皆、面白がって聞いていた。

 答える女の子の反応が可愛く。香織はこの子は、モテるだろうなと思い仕草を真似るか考えたが、自分には似つかわしくないと気がつき我に返る。

「今日は、何の買い物だったの?」

 と、質問攻めでタジタジになった女の子が話題を変える。

「デート用のおしゃれな服」

 真琴が茶化すように言った。

 香織は恥ずかしくなり紙袋を自分の後ろに隠す。

「デート用のおしゃれな服ねぇ……」

 彼女達は香織に標準を合わせる様に座りなおすと、

「どんなところが、好きなの?」

 と、先ほどの質問ががすべて、香織に帰ってきた。

 香織の返事を待たずに、質問を続ける彼女達に笑いを堪えて見届ける真琴。

「いや、その、まだ付き合ってるわけじゃないから」

 香織が質問を無視して言うと、彼女達は質問を止めた。

「そうなの? でも、うらやましい。どんな人? イケメン?」

 詰め寄る彼女達に、香織は目をそらして、

「比較的?」

 と、答えた。が、直ぐに真琴が訂正する。

「どうか考えても、イケメンの部類でしょ」

 と、言って目を逸らした。

 先ほどのように質問が来るのかと、香織は身構えるが先ほどのような質問は来ない。

「いいなぁ。イケメン。そのイケメン君のどこがいいの? やっぱり顔?」

 聞かれた香織は少し返事に困った。

 高校に入り一年と数ヶ月。二年になってから同じクラスになった裕也は、会話した回数が最も多い男子であった事以外思い当たる節はなかった。

 けど、好きなんだと香織は思った。今までに男子について考えたことのなかった香織は恋心だと思ったからだった。

 返事をしない香織の顔を覗き込む彼女達に苦笑いして誤魔化した。

 これ以上質問攻めに合いたくない香織は会話の矛先を真琴に変えようとする。

「真琴はどうなの?」

 と、苦笑いしながら真琴に体を向けて話しかける香織。

「好きな人いないし」

 あっさりと変えす真琴に彼女たちの視線は集まる事はなかった。

「あ、そうそう。イケメンで思い出したんだけど、うちの後輩が真琴達の学校の二年と付き合い始めたって聞いたんだけど、そいつが他の女とも付き合ってるとか。何か知らない?」

 男子に詳しくない香織は真琴の顔を見るも、真琴も香織の顔見て二人で首を傾げた後に、

「ちょっと、わからないかな」

 と、揃って答えた。

「そっか~。後輩だから、心配なんだよね。名前なんだったかな。えっと高橋だったかな。なんか聞いたら教えてね」

 言って、ちらりと時計を見た彼女は慌てた様子で隣に座る友達に言う。

「時間やばいじゃん」

 言われた二人も時計を確認して慌てだす。

「どうしたの?」

 香織が聞くと。

「映画始まっちゃう」

 と、チケットを見せる彼女達。

 急いで食べ物を片付けると、盆を持って立ち上がる三人。

「じゃあ、またね」

 笑顔で去る三人は手を振って、階段を駆け足で降りていく。

 手を振り見送ると、香織は静かに手を下ろしてつぶやく。

「高橋って言ってたよね」

 真琴は香織を気遣って、人違いでしょう。とだけ言ってポテトを口に咥える。

「でも同じ名前の男子なんていないよね?」

「学校間違えてるか、学年を勘違いしてるかじゃない? 電車とかバスとか乗ればこの辺は、高校多いしね」

「そうだけどさ」

 落ち込む様子をみせる香織。空気を換えるように真琴は手を鳴らすと、

「考えてもわからないでしょ。だいたいアイツが女の子と学校で話してる所も見た事ないし」

「見た事ないかも」

 香織は言われて思い返す。

 裕也は学校にいる時に、ほとんど男子で固まって行動をしていて、女の子と話しているイメージがなかった。

「さ、長居し過ぎちゃったし帰ろう」

 真琴は立ち上がると、お盆を持ち階段へ向かう。

 残りのポテトを口に含み、香織もそれに続いて階段へ向かった。



 家へ帰えった香織は鼻歌交じりに自室へ入ると、買ってきたワンピースを取り出して、体に合わせると鏡の前に立つ。

 少し斜めに立ってみたりと、可愛く見えそうな角度を探してみる。

 しかし、噂のことを思い出すと、浮かれた気持ちは一気に冷めてしまった。

 ワンピースを体から外し、本当に人違いなのだろうかと考える。

「香織~」

 と、下の階から名前を呼ばれ、ワンピースをベッドに放ると返事をしながら自室を出る。

 階段下には、晶子が様子を伺うように待っていた。

「夕飯。出来たって」

「はーい」

「なにか、いい事あったの?」

 鼻歌を聴いていた晶子が階段を下りる香織に聞く。

「え、別に?」

 香織は複雑な顔をして答えた。

「そう? あ、ライト買って来たんでしょ?」

 晶子に聞かれた香織は、

「あ、忘れてた」

 と、たった今、本当は何を買いに行ったのかを思い出した。



 夕飯を食べ終えて、リビングでソファーで寛いでいる香織の隣に晶子が腰掛ける。

「ライトはきもだめしまで、数日あるからいいけど。その前に山にあれ張りに行かないとね」

「行かないとね。って、私も行くの?」

「そりゃそうよ。私は学校の仕事と、家の事があるもの」

 雑誌片手に言う晶子は香織の顔を見ようとはしない。

「家の事って何? 家事なんてやらないじゃん」

 香織は寝返りを打って晶子を見る。

「家事じゃなくて、この時期は心霊写真とかの。まぁ、いろいろお祓いとか増えるのよ」

「そっちの仕事ね」

「だから忙しいのよ」

 ページを捲りながら言う晶子。

「はいはい。全然忙しそうには見えないけど」

 うつ伏せになって答える香織。

「明日、授業終わったら保健室来てね。御札渡すから」

「はーい」

 嫌そうに返事をする香りに対して、

「頼んだわよ」

 言って、雑誌で香織のお尻を叩く晶子。

「わかったってば」

 叩かれたお尻を撫でる香織を見て、晶子は笑顔でリビングを出て行った。



 翌日、授業が終わり香織は保健室に向かう。

 中に入ると、晶子は椅子に座って背もたれに体重を乗せてうなだれていた。

「どうしたの?」

 聞きながら、晶子の傍へ行く香織。

「エアコンが、壊れてた」

 ここ最近まで窓を開けていれば涼しかったが、今日に限って猛暑日だった。

 気だるげに、引き出しから札を取り出して机に放る晶子。

「はい。これ」

「え。一緒に行くんじゃないの?」

「仕事終わってないのよ」

 香織は手を後ろに組むと、

「じゃあ、待ってるから」

 と、札に触ろうとはしない。

「待ってなくて良いわよ」

 書類を手に取ると、目を通すフリをする晶子。

「一人で行かせる気?」

「明るいうちは、何も出ないから大丈夫よ。心配ならこれ持って行きなさい」

 晶子は白衣のポケットから、紙人形を取り出すと机に置く。

「またそれ?」

「便利でしょ。貼る場所だって教えてくれるし。道案内するし、いざって言うときは助けてくれると思うわよ?」

「思うわよ。って、頼りないんだけど。これ」

 紙人形を手に取り厚みが全くない事を指摘するように、ひらつかせる香織。

「平気だって。道案内があるだけいいと思いなさいよ」

「道案内って、私でも道はわかるよ」

「じゃあ。心配ないわね」

 書類を机に投げ出し伸びをする晶子。

「本当に、一人で行かせるつもりなんだ……」

 睨む様に、晶子を見る香織。

「さー。書類仕事頑張るぞー」

 晶子は新たな書類を引き出しから取り出す。

 香織は呆れ顔で札を掴み取り、鞄にしまい込むと部屋を出た。

 足早に廊下を進む香織の顔は、誰から見ても不機嫌な事が伝わる顔だった。

 香織が下駄箱で靴に履き替えていると、真琴が後ろから声を掛ける。

「今帰り?」

「うん。そっちは?」

「生徒会がまだね」

 そう言って、抱えているダンボールを持ち直す真琴。

「そっか」

 香織がつま先で床を軽く蹴り靴の位置を整えると、真琴を呼ぶ声が聞こえてくる。

 廊下の先に返事をすると、真琴は香織に向き直る。

「また明日ね」

 香織は真琴に手を振り、学校を後にした。



 一度家に帰り、動きやすい服装に着替えて髪を後ろで一つに纏めお団子を作ると、鞄から札と紙人形を取り出しポシェットに移して家を出ると山へ向かった。

 山の中に入る前に香織はポシェットから、紙人形を取り出す。

 紙人形は香織の手のひらの上で立ち上がると飛び始める。入り口脇の木の裏に回り、ここに札を貼れと木を叩く。

 香織は足元に注意しながら、木の裏に手を回して札を貼った。

 張り終えると紙人形は香織の肩へと飛んでいく。

 山の中を歩き回り札を貼り続ける香織は、辺りを見渡す。

 子供の頃に入った山の景色と比べると、香織が成長したこともあり懐かしく感じる事はなかった。

 ただ、道はわかりやすい一本道で迷うこともない。踏み固められた道には草が生えていなかったからだ。

 残りの札が数枚になり、香織は思っていたより早く終わりそうだと思った。

 紙人形は香織の肩で汗を拭うかのような動きをみせる。

「汗かくのは、私なんだけど」

 香織が言うと、肩から飛び降りひらりと紙人形は先に進む。

 後を追うように香織が一歩踏み出すと、紙人形は空中で爆ぜて地面に落ちる。

「え、何?」

 駆け足で近寄り紙人形を見る香織。

 バラバラになった紙が動く事はない。

「どうしようかな」

 晶子に連絡しようかと、携帯を見ると時刻はまだ夕方にもなっていなかった。

 辺りも明るく、妖怪などが出る雰囲気はない。

 しかし、札を貼る位置がわからなくなった香織は、残り枚数が少ないこともあり帰る事にした。

 来た道を戻るより先に進むと、入り口近くへ戻る事が出来るので香織は先に進む事にした。

 少し進んだところで、香織は気がつく。

 見慣れた景色やそういっものではない、この道は確実に違うと。

「あれ?」

 不安から自然と口に出る声。

 後ろを振り返るも、先ほどまで歩いていた道とは違う気がする香織。

 前に向き直り首を傾げる。

 周りは明るく、悪い気配も感じない。この道は先ほどまでと違うと感じていた。

 しかし、どこか懐かしい気もして、不思議な気持ちになる香織。

 最悪の場合。晶子が迎えに来てくれるだろうと思い、先に進む事にする香織。

 少し歩いて行くと緩やかな下り坂に差し掛かった。

「この道……」

 香織は先ほどまでとは違い、見覚えがあるような気がした。

 道は草が伸びておらず、土は踏み固められ、歩きやすくなっている。

 緩やかな下り坂を降りると、少し開けた場所に出た。

 香織はつぶやく。

「やっぱり」

 と。

 視界に映るのは、右側に井戸と、その蓋だった物が散乱している。中央には、小さくて古びた祠。

「懐かしいなぁ」

 言いながら、祠に近づく香織。

 風化して痛んではいるものの、ここは香織が幼い頃に祖母と二人で来ていた祠だった。

 触ると今にも壊れてしまいそうな祠。

 近くにある井戸は、昔しっかりと蓋がされていた気がした香織は中を覗きたくなり足先を向けた。

「近づかない方が、良いですよ」

 突然掛けられた声に驚き、肩が上がる香織。

 声がした方へ振り向くと、そこにいたのは八代だった。

「あれ? なんで?」

 八代は井戸近くまで行くと、蓋だった木片を蹴飛ばす。

「躓いて転んでもして、井戸に落ちたら誰も助けてくれませんよ? 中は真っ暗で何も見えないですし」

 と、井戸を覗き込む八代。

「うん」

 返事をしながら、手に持っていた札を八代から隠すようにポシェットにしまい込む香織。

「ところで、何でこんな所にいるの?」

 と、香織はポシェットを後ろ手に持ち聞いた。

「山の中を散歩をしてたら、ここに着いたんですよ」

「ふ、ふ~ん」

 香織は御爺さんみたい。と、思いながらも言葉には出さずに返事をした。

「橘さんは、何故ここに?」

「わ、私はきもだめしの道の確認に」

 香織は慌てつつも、嘘はついていないと心で自分に言い聞かせながら答えた。

「そうなんですか。お疲れ様です」

 言って、井戸の淵に腰掛ける八代。

 香織も、祠の近くにあった岩に腰掛けた。

 八代は何も言わずに、木々の隙間から見える空を眺める。

 香織は携帯を取り出して、真琴にきもだめしの道を確認中。と、メールで連絡しようとしたが、画面に電波状況の良いところで再度お試しくださいと表示された。

 画面右上を見ると、電波の強さを表すアンテナは一つも立っていなかった。

「ここ、電波ないのかな」

 立ち上がって携帯を掲げて少し歩いたり携帯を振ってみたりするが、何も変わらなかった。

 メールする事を諦めた香織は携帯をポケットにしまい、八代を見る。

 八代は変わらず猫背のまま、首だけを上げて空を眺めていた。

「帰らないの?」

 香織が八代に聞く。

「もう少し休んだら帰りますよ」

「そ、そう」

 香織は何をするでもなく、ふらふらとその辺を歩く。

「帰らないんですか?」

 急に聞いてくる八代に、

「え、私?」

 と、当たり前の事を聞き返す香織。

「他に誰もいませんけど」

「そうだよね。あはは……八代君が、迷子になったら困るし」

 香織は元々ここに来るつもりはなかった為、出口に戻れるか少し心配だったが、あまり遅くなると晶子が迎えにきてしまうかもしれないと思って帰る事にした。

「じゃあ、私。先に帰るね。八代君も暗くなる前に帰りなよ」

「さようなら」

 八代が手を上げ返事をしたのを見てから香織は、祠に背を向けて歩き始める。

 緩やかな坂を上り、しばらく真っ直ぐな道を進む。

 周りは先ほど見た景色と同じだと思いながら歩みを進めて行くと、緩やかな下り坂に差し掛かる。

 香織は一度足を止めて、辺りを見渡す。

 前を向き、その坂を怪しみながら降ると香織の予想は的中した。

 祠が見えてきて、井戸には腰掛けて空を見ている八代が居た。

「忘れ物ですか?」

 八代に聞かれ香織は、

「いや、何か言おうと思って戻ってきたんだけど、何言うか忘れちゃった」

 と、嘘を付く。

「明日までに思い出しておくね。じゃあね」

 と、香織は手を上げ挨拶すると、再び祠に背を向け歩き始める。

 緩やかな坂を登りきった所にある足元のキノコを目印にしようとよく観察した香織は歩き始める。

 何故戻って来てしまったのか分からなかったが、どこかで道を曲がらなかったのだろうと、自分に言い聞かせる香織は気がつけばまた、緩やかな下り坂に差し掛かっていた。

 確認の為、足元を見ると先ほどのキノコが生えている。

「なんで?」

 声に出して、体を反転させると少し駆け足で山を進む香織。

 足元は踏み成らされているが、たまにある木の根に気を付けながらも足を止める事無く進み、程なくして、キノコの所まで戻って来た。

「なー。もう!」

 再び体の向きを変え、来た道を戻り始める。

 今度はゆっくりと、木の一本一本を確かめるように歩みを進める香織。

 足元の木の根の形状や、木の傷すらも良く見ながら進む。

 ゆっくりと一歩一歩確実に、前髪が少し邪魔に感じた香織は手で髪の分け、足元にある木の根を見たとき香織は違和感を覚えた。

「何をしているんですか?」

 声の方を見ると、八代が井戸に腰掛けたまま香織を見ていた。

 香織は緩やかな坂の下に気が付かない間に降りて来ていたのだった。

「えっと、その」

「道が、わからないんですか?」

「いや、うん。まぁ」

 ここに戻って来てしまうなどと、言っても信じてもらえないだろう。と、思った香織はそれ以上何も言えなかった。

「じゃあ、一緒に行きましょうか」 

 そう言って立ち上がった八代は祠に背を向けて歩き始める。

「お願いします」

 香織はその後を黙って付いて行く。

 緩やかな坂を登り、足元に有るキノコを確認する香織。

 八代は特に周りを見る事など無く、香織の前を歩いている。

「どうやって来たの?」

 香織は沈黙が気まずくなり話しかけた。

「歩いてですよ」

「あぁ、うん」

 そういう事を聞きたかった訳じゃない香織は、どう聞けば良かったのか考えたが、わからなくなって諦める。

 普通に歩いていれば、この山は入り口から進み、元の入り口に戻る一本道になっている。

 なので、先ほどの祠に普通に歩いていれば行くことは出来ない筈だった。

 会話が途切れ、香織は気まずいと思いながらも、八代の後を付いて歩く。

 何か会話のネタはないかと考え、八代の背中を見ていると八代が急に立ち止まる。

 香織は八代にぶつからないように脇へ避けると、目の前には見慣れた景色が広がっていた。

 それは、山の出口だった。

 それほど長い時間歩いていなかったと香織は思っていたが、町は夕日で赤く染まっていた。

「ここまで来れば平気ですよね」

 八代が言う。

 香織が頷くと、

「では、ここで」

 と、八代は近くの自動販売機に向かい始める。

 香織は八代の背に手を振り、家に帰る。

 香織が家の門をくぐると、玄関から晶子が出てきた。

「ただいま」

 晶子に言うと、

「遅かったわね。変なのに出くわしたのかと思ったわよ」

 と、心配顔で言った。

「別に変なのには、会わなかったよ」

「そう。それはよかったわ」

 香織は晶子と一緒に家に入る。

 リビングに行こうとすると、

「手。洗いなさいね」

 と、キッチンから母親の声が聞こえた香織はポシェットを晶子に渡すと、洗面所に向かい手洗いうがいをしてからリビングに入る。

 晶子はいつものようにソファーに座り香織のポシェットから札を取り出し、それをテーブルに広げて眺めていた。

「あ、そうだ。バラバラになったんだけど」

 と、香織は一応掻き集めておいた紙人形だったものをポケットから取り出すと晶子に見せる。

「なんで、こうなったのよ。破れたのは、わかったんだけど」

「わっかんない。急にバラバラになったから」

「変なのに襲われたわけでもないんでしょ?」

 紙辺を受け取ると、一枚をつまみ明かりに照らし眺める晶子。

「悪い気配とかも何も感じなかったけど」

「それなら、いいんだけど。札張るのは、終わったのよね?」

 言いながらも、納得していない晶子は紙辺をテーブルに広げ腕組する。

「終わってないよ」

 テーブルにあったクッキーを摘みながら答える香織。

「終わってないの?」

「だって、途中でバラバラになったし」

 クッキーを口に放り答える香織。

「終わってないのかぁ。まぁ、七枚残ってるから、せいぜい後二、三枚からしらね。このくらいなら、てきとうに張ってくればよかったのに」

「てきとうって、そんなのでいいの?」

「いいのよ。張っておけば変なのは、あの山に入ることすら出来なくなるから」

 晶子は動く事無く香織に手を差し出す。香織はその手にクッキーを乗せる。

 それを口に含むと、

「それにしても、時間掛かりすぎじゃない?」

 と、言いながら再び手を差し出す晶子。

「あ、転校生に会ったの」

 香織はクッキーを三つ取ると、晶子の手に乗せる。

「え? 山の中にいたの?」

 クッキーを食べる手を止めて聞く晶子。

「そうそう。でね。昔、おばあちゃんと行った祠に行ったんだけど。あそこって山の中だったんだね」

 香織は手を休める事無く、クッキーを口に運ぶ。

 晶子は手を完全に止め、座り直した。

「祠って、あの祠?」

「そうだよ。そこで転校生に会ったんだけど」

 香織がクッキーに手を伸ばそうとすると、

「夕飯前なんだから、程ほどにね」

 と、キッチンから母親に言われ手を引っ込め、蓋をする。

 晶子は手のひらに乗っているクッキーを一つ口に入れる。

「あの祠ね。私も母さんが亡くなってから一度も行けてないんだけど」

「ずいぶん、痛んでたよ」

 香織は晶子の手からクッキーを取り食べる。

「そう? じゃあ、近々補修しないと駄目ね」

 最後のクッキーを香織に渡すと立ち上がり、部屋を出ようとする晶子。

「もうすぐご飯だよ?」

 香織に言われ、

「すぐに、戻ってくるから」

 そう返事をして、晶子は部屋を出て玄関へ行く。

 玄関でサンダルに履き替えると、急ぎ足に家を出た。

 倉の戸を意気込んで開け、中に入る晶子。

 マッチで蝋燭に火を灯し、サンダルを脱ぐと一段上がり畳の上に乗る。

 入り口右手の階段下に乱雑に置かれた品々の中を漁る晶子。

 壷の入った箱を割らないように避け、下敷きになっていた本の中から、埃にまみれた古びた本を取り出した。

 その本は、晶子の母が生前使っていた手帳だった。

「ねぇ、ごはんできたよ」

 香織が倉を覗きこみ晶子に言う。

「あ、ごめん。今行くから」

 晶子は手帳をちゃぶ台に置いてある本に、重ね置くと蝋燭の火を吹き消し倉を出て戸を閉めた。



 翌日。土曜日で学校は休みだが、晶子は仕事で学校に行っていた。

 香織は寝起きでリビング入ると、母が用意した朝食を食べ始めた。

「寝癖ひどいわよ」

 母に言われ、適当な返事をしながらパンを齧る香織。

「しょうねえは?」

「仕事で学校行ってるわよ」

「ふ~ん」

 香織は朝食を食べ終えると、ソファーに移動して携帯をいじり始める。

「あんたも、どこか行くの?」

 洗濯物の準備をする母が香織に聞く。

「別に~」

 返事をすると姿勢を崩し寝そべる香織。

「私は、後で買い物に行くからね」

 言って、洗濯物が入った籠を持ち庭に出て行く母。

 香織はうつ伏せになると携帯でゲームを始める。

 テレビをつけ、ニュースを流しながらもゲームを続ける香織。

 母は洗濯物を干し終えた後に、軽く着替えると買い物に出かけていった。

 体勢を変え集中してゲームをしたり、簡単な場面では楽な体勢を探し、それに飽きると携帯で動物の動画を観て時間を潰す。

 数時間経っても、香織はリビングのソファーから動く事はなかった。

 香織が携帯で時間を浪費していると、玄関で物音がする。

 母が帰ってきたのかと思った香織は首だけ動かし、リビングの戸が開かれるのを見る。

 リビングに顔を出したのは、母でなく晶子だった。

「あれ? 学校に行ってたんじゃないの?」

 香織に聞かれると、嫌そうに答える晶子。

「土曜日なのに、一日中仕事なんてしたくないわよ」

 ソファーに寝そべっている香織をずらして、ソファーに座る晶子。

「あぁ、疲れたぁ~」

 言いながら、香織に倒れ掛かり横になる晶子。

「ちょっと、重いって」

 笑いながら晶子を押す戻そうとする香織。

「失礼ね。重くないわよ」

 香織は晶子を避けて、狭いソファーに二人で横になる。

「お昼何だって? お腹すいたー」

 と、晶子は香織の脇腹を小突く。

「やめてよ。帰ってきてから作るんじゃない?」

 笑いながら言って香織も、晶子の脇腹を小突き返す。

「私の分もあるかなっ」

 小突きながら聞く晶子。

「作ってくれると思うよっ」

 晶子の手を払い退けて、素早く小突き返す香織。

「ちょ、あぶない。落ちるから、ごめ、ごめんって」

 体をビクつかせ、ソファーから落ちそうになるのを耐える晶子。

「ただいま」

 玄関から声がする。帰ってきた母の声だった。

 リビングに入ってくる母を二人は並んでソファーの背もたれに顎を乗せ、顔を出し迎える。

「仲いいわね」

 母がその様子を見て笑う。

「お昼何?」

 二人で口を揃えて母に聞く。

「チャーハン」

 言って買い物袋を持ったまま、キッチンに消える母。

 二人はソファーに寝そべると、昼食が出来るのを待った。

 しばらくして、母が作ったチャーハンを食べ終えた後に、晶子は一人山へ出かける。

 学校に行くときと打って変って、黒のタンクトップに、スニーカー、薄手の膝裏まで丈のあるベージュのコート、ショートジーンズと香織の母に比べると若い井出達たちで山の入り口に立つ。

 コートのポケットから紙人形を数枚取り出し、山に向けて放つ。

「祠を探せ」

 晶子は母が亡くなってから、いくら探しても見つけることが出来なかったその場所が、山の中にあることはわかっていた。

 話に聞いて覚えていた事は、山が閉じていると行けないという事だけだった。

 昨夜見つけた手帳を思い出す晶子。

 手帳にに記されている事が確かなら、井戸に鬼が封じられているはずだった。

 晶子は二枚の札を取り出し足元に落とす。

 二枚の札は赤いを灯すとその中から一匹づつ犬が現れる。

 嫌な気しかしないが、向かうしかないだろう。と、晶子は普段見せない真面目な顔をすると、犬を引きつれて山へとその足を踏み入れた。

 夕飯前。香織はリビングで昼間と変わらずに寝そべって携帯を触っていた。

 母はキッチンで夕食の準備を、鼻歌交じりに進めている。

 香織は一度部屋に携帯の充電器を取りに行った程度で、リビングからほとんど動かなかった。

 そこへ、ボロボロになった晶子がリビングに入ってきた。

「どうしたの?」

 香織は起き上がり聞く。

 晶子はため息を付くと、香織の隣に座る。

 香織は頭や服に付いている葉っぱを取りゴミ箱に入れる。

「探し物」

 晶子はテレビの方を見てはいるが、その瞳に内容は移っていない。疲れた目のまま返事をした。

「どこを探したら、こうなんの?」

 乱れに乱れた髪の毛を指差し言う香織。

「お風呂入っちゃいなさい」

 キッチンから様子を覗き見た母が言う。

 晶子はもう一度ため息を付くと、ふら付いた足取りで部屋を出て行った。

 香織は近くにあった掃除用ローラーを転がしながら、晶子が通った箇所を掃除した。

 晶子の長風呂を待たずに、食事を済ませた香織と母は、ソファーに座ってあまり面白くないテレビを眺める。

 それから、しばらくして風呂から出てきた晶子は食卓の椅子に座って夕食を食べて始めていた。

「それで? 探し物は見つかったの?」

 テレビに飽きた香織が背もたれに寄りかかり、首を仰け反らせ逆さまになって晶子を見る。

「いやぁ。わかんない」

 と、晶子は茶碗片手に、野菜炒めを口に運びながら答える。

「私もお風呂入ってくるから、食器は流しに持っていってね」

 言うと、ソファーから立ち上がって、母はリビングを出て行った。

「はいはい」

 箸を上げて返事すると、晶子は香織に向かって箸を向け、

「あんた、母さんの事覚えてる?」

 と、聞いた。

「おばあちゃんの事でしょ? 覚えてるけど」

 体を捻り半回転すると、ソファーの背もたれに体を預け、テレビに尻を向ける香織。

「まぁ、そうよね」

 箸を引っ込めると、ご飯を掴む。

「なんで?」

「昔。祠に二人で行ってたじゃない? その時って何を話してたのかなって」

 香織は少しだけ考える素振りを見せる。

「大した話はしてなかったと思うよ。何を話してたかまでは、覚えてないけど」

「祠の行き方とか聞いてない?」

「いや、聞いてないと思うけど。着いて行ってただけだし」

 思い出す素振りもなく答える香織は、本当にその事については聞き覚えがなかった。

「しょうねえの方が、ちゃんと道とか知ってんじゃないの?」

「そうだよね。そう思うよね……もう少し探さないと駄目かぁ」

 と、香織に聞こえない小さな声で呟くと、勢い良く麦茶を飲み干した。

「あ、そうだ」

 コップを置くと思い出したように言った晶子に、香織は不思議な顔をする。

「部屋の片付け手伝ってくれない?」

「何くれるの?」

 香織は両手を晶子に向ける。

「現金な奴ね」

「じゃあ、ケーキがいい」

 香織が言うと、

「この前ケーキ食べたじゃん」

 と、返す晶子。

「今回はチョコレートケーキがいい。ロールのやつね」

「切り株スペシャルだっけ?」

「そうそれ」

 手足を振り嬉しそうに言う香織に、

「はいはい。わかったわよ」

 晶子は言うと、食べ終えた食器を重ねまとめて、それらを流しに運んだ。



 翌日の日曜日。朝から晶子の部屋に香織が行くと、散らかった品々を眺めて腕組みする晶子が立っていた。

「何してんの?」

 仁王立ちする晶子の肩を掴む香織。

「どこから、手を付けるべきなのかなと」

 他人事の様に言う晶子に、

「自分の部屋でしょ……要らない物は、全部部屋の外に出せば?」

「う~ん。何が要らないのか、わかんないわね」

「とりあえず、部屋の外に全部出そうよ。それから、必要なものだけ部屋に戻せば?」

 香織に言われ、

「じゃあ、それで」

 と、適当な返事をすると腕を解く晶子。

 晶子は部屋に入ると近くにあったものから、乱雑に抱きかかえると廊下に出し始める。

 香織も中へ入ると、散らばった雑誌などの本類を重ねて廊下に運ぶ。

 畳まれている服から、脱ぎ捨てたような服。派手な下着からアクセサリーまで、床に散らかる全ての物を部屋の外に出す。

 性格の違いか、廊下にはてきとうに放り出された物と、きちんと纏まって置いてある物で足の踏み場はなくなっていた。

 あらかた物が出された部屋に、掃除機を掛ける香織。

 晶子は廊下に座り込み、出された品々の選別を始めた。

 思い出したようにハタキで、あちこち叩き埃を落とす香織は、窓を開け放つ。

 そのまま、予め用意していた要らない新聞紙を水に濡らして、窓を磨き始めた。

 きれいになった窓を見て頷くと、掃除機を掛け直す。

 隅々まで掃除機を掛け終わった香織は廊下を見ると、晶子は雑誌を読んでいた。

「ねぇ。予想はしてたけど、ちゃんとやってよ」

「あぁ、ごめんごめん」

 雑誌を閉じると、他の雑誌に手を伸ばし表紙を見て仕分けする。

 香織が部屋の中に戻ろうとした時、

「あった。あった」

 と、晶子が言う。

 香織は頭だけ部屋の外に出す。

 晶子は古そうな本を掲げている。

「それが探し物?」

「まぁ、これも探してたけど」

 言って、本を開き始める晶子。

「ちょっと、今読まないでよ」

 香織は本を取り上げると、部屋の中に入った。

「丁寧に扱ってよ。それないと書けない札とかあるから」

「そんな大事なものを、なんで紛失するかなぁ」

 本の表紙の端は崩れていて、乱暴に扱うと壊れてしまいそうだった。

「気がついたら、どっかに行っちゃうのよね」

 雑誌を投げ分けながら言う晶子。

「そんな訳ないじゃん」

「見つかってよかったわ。母さんが生きてたら殴られる所だったわ」

 と、笑う晶子。

「そう思うなら、ちゃんと管理しないとね」

 香織は晶子の机の上に、そっと本を置いた。

 部屋の中を見渡して、やり残しがない事を確認すると、香織は廊下に出て選別を手伝う。

 物も多いが雑誌の種類も多く、家具の雑誌から服の雑誌、化粧の仕方などの雑誌と、女子力は現役高校生の香織より高い。

 香織はなぜ結婚しないのかと、口に出かかったものを飲み下し作業を続けた。

 服や下着を畳み直して箪笥にしまい終えた頃、下の階から声が掛かる。

「お昼出来たわよ」

 その母の声を聞いて、晶子は未だに選別していた雑誌を置くと立ち上がる。

「さ、休憩休憩」

「休憩って、殆ど進んでないじゃん」

 二人は階段を降りて、洗面で手を洗ってからリビングに入る。

 昼食は具沢山の、塩焼きそばだった。

 晶子は冷蔵庫からビールを取り出し、喉を鳴らして飲んだ。

 昼食を食べ終えた香織はリビングに置いてあった携帯にメールが来ている事に気が付くと、ソファーに座りそれを確認する。

 メールは真琴からで内容は、近々今度こそ懐中電灯を買いに行こうと書いてあった。

 真面目な性格の真琴が日時を指定できないのは、忙しいからだろうと思った香織は、一人で買いに行くから気にしなくて良いよ。と、だけ返信した。

 香織は晶子の部屋の片付けがある程度終わっている事もあり、今から買いに行こうと決めると、

「この後。出かけるね」

 と、食卓にいる晶子とキッチンにいる母に声を掛ける。

「えぇ~」

 と、晶子はビール片手に言う。

「あとは、一人で出来るでしょ」

 キッチンから言われ、晶子は口を尖らせる。

「出来ますよ~。つまんないの」

 香織はそんな晶子に手を差し出す。

 晶子は、そっと手を載せ、

「お手?」

 と、首を傾げる。

「違うよ。ケーキ代」

 手を跳ね除けると、再度手を突き出す香織。

「あっはっは。ケーキね。ケーキ」

 晶子は笑って、席を立つ。

 香織は部屋で着替えると、晶子からお金を受け取り財布にしまう。

「ホールで、買ってきて良いわよ」

 気分良く晶子は言うと、リビングに戻っていった。

 香織はガッツポーズをすると、玄関を出て行く。

 まず最初に向かったのは商店街の電気屋だったが、懐中電灯の数はあまり多くなく香織は町まで出ることにした。

 真琴から、絶対一緒に行く! と、メールが着たが、すでに買いに出かけてると返信して商店街を後にした。



 町に着くと折角ここまで来たのだからと、この前回った服屋を一人で回る香織。

 店員に声を掛けられないようにしながら、服を眺めた後に電気屋に入った。

 香織は懐中電灯が何個必要なのかを知らなかったので、真琴にメールで聞こうとしたが、町に着いた頃には謝罪文と共に予備を含む必要な数がメールが既に届いていた。

 香織は了解。と、だけ書いたメールを返信した後に、必要な数の懐中電灯を買って、領収証を受け取り店を出る。

 そのまま、帰宅しようと歩いていると新しく出来たカフェが見えてくる。

 女の子たちが店前で行列を作り、入店を心待ちにしている。

 店の売りは厚みがあるパンケーキで、その食感はモチモチで上に載っている生クリームは程よく甘くさっぱりしていて、掛かっているカラメルソースはコクと香りが強いと評判だった。

 香織も真琴達と今度行こう。と、話題に上がっていた店だった。

 ガラス越しに店の中を覗くと、雰囲気は先日真琴と行った店とは違って落ち着いた雰囲気ではなく、店内が全体的に明るくポップな印象がある。

 客層も若い女の子が多くを占めていて、所々にカップルが混じっていた。

 あまり長く覗いていると不審に思われると思った香織は、店から出てこようとする客に合わせて背中を向ける。

「マジおいしかったね」

「そうだな。おいしかったな」

 と、会話しながら出てきた二人は、香織がいる方向とは反対に歩き始めた。

 聞き覚えのある声に香織は振り返ると後姿ではあるが、仲良さそうに手をつないで歩く裕也と、真琴の友達と同じ制服を着ている女の子だった。

 香織は声を掛ける事も出来ず、二人の背中を見つめる。

 女の子は裕也の腕に抱きつくようにして、裕也は笑顔でそれを受け止めていた。

 二人はそのまま人込みの多い方へ進んでいく。

 香織は見えなくなりそうになると、自然と二人の方へ足を進めた。

 腕を絡めて密着して歩く二人の速度はあまり速くなく、香織はすぐに視界に捕らえ直した。

「なんで、追いかけてるんだろう」

 つぶやきながらも、香織は二人の後を離れて歩く。

 人込みが落ち着くと、二人は公園に入りベンチに腰掛けた。

 香織は公園に入る事無く、離れた所から二人を眺める。

 密着したままの二人は会話をしながらも、少しずつ顔が近づいていく。

 香織はこれ以上盗み見るのが怖くなり、思わずその場から走って離れた。

 しばらく、走って学校近くで息が切れ走るのをやめる。

 二人が話していた光景が頭を過ぎる。

 デートできると、浮かれていた自分は何だったのだろうと、真琴の友達から話を聞いていた時点で、何故もっと不思議に思わなかったのか、香織の頭の中は裕也に対する気持ちで一杯になっていた。

 裕也の彼女だったのだろうか、近づいた顔の距離をみてキスをしたのか考えると目が潤む。

 香織は目元を拭う。

「あれ?」

 目元を両手で拭うと、

「あ、ライト」

 と、自分の手に何も持っていないことに気が付く香織。

 深くため息を付くと、来た道を戻るために振り返り顔を上げる。

 そこには、懐中電灯が入った袋を持った八代が立っていた。

「これ」

 そう言って、袋を持ち上げてみせる八代。

 香織は一度下を向き、目元を確認してから八代に近づく。

「ありがとう。でも、良くわかったね」

 何も無かったかのように、不器用な笑顔を作ると香織は礼を言った。

「落としたところを見たので」

「どこで落としたか、覚えてないんだけど」

 香織が言うと、

「すぐそこでしたよ」

 と、八代は答えながら懐中電灯の箱を取り出すとパッケージを眺める。

「本当に? ごめんね。助かったよ」

 香織は袋を受け取ろうと、手を差し出したが八代は、

「運びますよ」

 と、袋に懐中電灯を戻してその袋を持ち直した。

「えっと、じゃあ、お願いね」

 香織が言うと、八代は頷いて歩き始めた。

 二人並んで商店街を通る。

 空気を読んでか、黙って歩く二人に声を掛ける商店街の人はいなかった。

 途中、話しかけようとした焼き鳥屋のおじさんが、奥さんに引っ張られて奥に消えていくのを八代だけが見ていた。

「あ、ケーキ!」

 ケーキ屋を通り越すタイミングで、香織は晶子との約束を思い出して足を止める。

「ごめん。ちょっと待ってて」

 言うと、香織はケーキ屋に入っていく。

 八代は店前で、呆然と立っていた。

「おや、香織ちゃん。今日は何買うんだ?」

 店主のおじさんが笑顔で迎えてくれる。

「切り株……」

 と、言いながらショーケースを眺める香織。

 切り株スペシャルは既に売り切れになっていた。

 ホールで買ってきていい。と、言われた事を思い出した香織の目に映ったのは、別のチョコレートケーキだった。

 森の倒木と書かれたそれは、名前のように森の中にある倒れた木を連想させる物だった。

「じゃあ、森の倒木で」

 ショーケースから顔を上げて、店主に言う。

「倒木ね。一応、保冷剤入れとくね」

 手早く取り出して、長いロールケーキを箱に詰める店主。

 お金を払って、ケーキを受け取ると香織は笑顔で店を出る。

「また、よろしく」

 と、閉まるドアから店主の声が聞こえた。

「ごめんね。待たせて」

「いいえ」

 と、八代は答えた。

 香織は申し分けなさを感じて、隣の惣菜屋を指差して、

「何か食べる?」

 と、聞くが、

「いえ、何もいりませんから」

 八代は丁寧に、それを断った。

 香織は商店街を抜けるまで、八代に何か奢ろうとしたが、八代はすべて断り続けた。

 商店街を抜けると、直ぐに香織の家が見えてくる。

 神社の門の前で懐中電灯を受け取った香織は、

「ありがとうね。じゃあ、また明日ね」

 と、言って八代の背中を見送った。

 香織が家に入ると、リビングから顔を出す晶子。

「おかえり」

「ただいま」

「ライト買ってきたんだ」

 と、晶子は玄関まで来ると、懐中電灯の入った袋を持つ。

「お、ケーキ」

 と、晶子はケーキの箱に気が付くと、口元を緩ませて手を伸ばす。

「これ、私の報酬として買ってきたんだよね」

「もちろん。さ、早く食べよう」

 言って、晶子は懐中電灯の入った袋とケーキの箱を持ってリビングに戻っていく。

 香織は洗面に向かい手を洗った後にリビングに入った。



 翌日。

 晶子に揺すり起こされた香織は時計を確認する。

「え、なに」

 寝ぼけながらも、返事をする香織に対し、

「今日の放課後、保健室に来てね。それと、遅刻しないでね。私が何か言われるから」

 言い終わると、晶子は香織の部屋から出ていた。

 香織は体を起き上がらせると伸びをして、時計をもう一度確認する。

 いつもより早く起きた香織は、二度寝する事無くカーテンを開けた。

 天気はあまり良くはなく、午後には雨が降りそうな雲行きだった。

 香織は目を擦りながらも、洗面所に行って寝ぼけながら歯を磨き顔を洗う。

 目が覚め始め鏡で寝癖に気が付き、櫛で整えてからリビングに入った。

「あら、早いわね」

 と、キッチンから母に言われる香織。

 香織は食卓の椅子に座り母に用意される朝食を食べると、制服に着替えて登校した。

 学校の門の前では、真琴が登校する生徒の服装などをチェックしていた。

「あれ? 今日は早いね」

 香織に気が付くと、真琴が声を掛けた。

「晶姉に起こされてね。二度寝しなかっただけ」

「珍しい事もあるものね」

「たまには、ちゃんと起きてるから」

「そうかなぁ。あ、そこ! ネクタイちゃんと締めて下さい」

 登校する生徒の身だしなみを、指摘する忙しそうな真琴を見た香織は、

「じゃあ、後でね」

 と、真琴に手を振った。

「うん」

 返事を聞くと、香織は一人下駄箱に向かった。

 夏休みまで残り数日。今日から授業は午前中に終わる。

 小テストは控えているが、皆夏休みの事ばかり考えているのか、教室だけでなく学校全体が賑やかさを増していく。

 例に漏れず、香織も夏休みに心躍りつつあった。

 香織は教室に入り自分の席に着くと、小テストの予習を始める。

 小テストに対し数日前から対策をする生徒は殆どいない。夏休みの予定を決める事で頭が一杯な者いるが、テスト自体が基本的に難しい問題が出るわけではないからだ。

 ここ数日の授業を聞いていれば普通は解ける筈の問題が多いが、香織は勉強が苦手でクラスの中でも成績は低い方だった。

 いつも通り登校してきた裕也は、香織を見つけると叩く事無く軽く挨拶した。香織の勉強を邪魔しないためか、裕也はそのまま静かに席に着くと机に突っ伏した。

 香織は顔を上げ、裕也の背中を見つめる。

「おっはよー。めずらしいじゃん」

 クラスメイトに声を掛けられ、香織は振り返って挨拶を返し、時計を見た。

 いつもより二十分も早く登校していた香織は気を取り直して予習に取り組んだ。

 突然、隣の席の女の子に肩を揺すられた香織は顔を上げた。

 教卓には先生が既に立っていて、

「きりーつ」

 と、聞こえた香織は慌てて立ち上がる。

「れーい」

 やる気のない号令に合わせて頭を下げると席に着き、隣の子に礼を言う香織。

 担任は、今日から授業が午前で終わるからといって浮かれるな等の御達しをすると教室を出て行った。

 数分後。教室に入ってきたのは、体育教師だった。

「あと三分したら、テスト始まるから教科書しまえ」

 言われた生徒達は慌ててトイレに行ったり、一心不乱に教科書を見るなど、各々行動する。

「時間だな」

 時計を見て言う体育教師は、

「教科書しまえ、鞄に入れろよ。机の中は空にしろ。カンニングとみなすぞ」

 教卓から指示を出し、教室を見渡す。

 教室から物音がなくなったのを確認してからテスト用紙を配り始めた。

 香織は前の席の子から回ってきたテスト用紙を受け取ると、一枚だけ自分の机に置いて残りのテスト用紙を後ろの席に渡す。

 受け取った用紙は、問題が見えないように裏返しで置いて、テスト開始のチャイムを待つ。

 全学年同時に行われるテストは、用紙が配られ終わったクラスから静かになっていった。

 学校全体が静寂に包まれる。

 チャイムの音と同時に、一斉に用紙を反す音が教室を占める。

 香織は意気込んでシャーペンを掴むと用紙に芯を走らせた。

 頭を悩ませながらも集中して問題を解いた香織がペンを置くのと同時に、一教科目の小テストが終わるチャイムが鳴った。

 香織は深く息を吐き出すと、背もたれに体を預ける。

 後ろから用紙を受け取り、自分のテスト用紙を重ねて前の席に渡す。

 体育教師は用紙を回収し終えると、教室を出て行った。

 真琴が香織に話しかけようかと目を向けると、次の教科の勉強を開始していたので、自分の席に座り直した。

 二教科目が終わっても、香織は教科書にかぶりついていた。

 三教科目が終わり、真琴は席を立つと香織の席に向かう。

「終わった……終わった……」

 虚ろな目で唱える香織の額を叩き、

「おーい」

 と、声を掛ける真琴。

「うぅ~」

 目だけを真琴に向ける香織。

「大丈夫?」

 聞かれた香織は、真琴にしがみ付く。

「大丈夫じゃない。終わった。私の夏休み終わった……いろんな意味で」

「そう。残念ね。そうそう、ライトありがとうね」

 真琴は軽くあしらいながらも、昨日の礼を言う。

「いいよ。あれくらい。あ、この後時間ある?」

 香織に聞かれて、真琴は答える。

「少しなら、平気だけど」

 香織はそれを聞いて頷くと、

「じゃあ、後で」

 と、言った。

 頷いた真琴が香織の席を離れると、直ぐに担任が教室に入ってきた。

 ホームルームが終わり、香織は足早に教室を出て行く。

 出て行った香織を見て、裕也が真琴に聞く。

「なんだ、あいつ?」

「さぁ?」

 真琴は返事をしながら、鞄から手帳を取り出し今日の予定を確認する。

 手帳には学校行事から習い事、休日に友達と遊ぶ予定まで全てが記されている。

 予定を確認し終えて鞄に手帳をしまう際に、中で携帯が光っている事に気が付いた真琴は鞄から出さずにメールを読む。

 香織から送られてきたそのメールの内容は、トイレに来て欲しい。と、いうものだった

 真琴は鞄を閉じて肩に掛けると、クラスメイトに挨拶してからトイレに向かった。



 トイレの奥。薄暗い光が差し込む窓際で香織は待っていた。

 真琴はトイレに入ると、香織に声を掛ける。

「なに? こんな所に呼び出して」

「うん。ちょっと相談したくてね」

「ここじゃないと駄目なの?」

 真琴はトイレ内を見回して言ったが、何も言わない香織の顔を見て口調を慎重に変えた。

「どうしたの?」

「その……」

「あ、この前の事? 裕也が付き合ってるとか」

 学校に着てから、香織が裕也と一言も交わしていない事に気が付いていた真琴は聞いた。

 真琴の問いに、香織は黙って頷く。

「メールとはいえ、告白してきたんだから、それはないんじゃないの?」

「でもね……」

 口ごもる香織は、しばらく俯いたままだった。

 真琴は黙って香織が話し始めるのを心配そうな目をしながら待った。

 しばらくして、香織は口を開く。

「なんか、デートしてたっぽい」

 真琴の顔を窺うようにする香織。

 呆けた顔をする真琴は一言。

「マジ?」

 香織は頷く。

「見間違えとかじゃなくて?」

「少しだけ、様子見てたから」

「近くで見てたの?」

「うん」

 真琴は少し考えた素振りをみせた後に、

「じゃあ、デートしてたんじゃないかな」

 と、目をそらした。

「どうしよう」

 香織は真琴の肩を掴み聞く。

「どうしようって……」

 頬を指先でかきながら、天井を見る真琴。

 香織は真琴の肩を揺すってから目を見据える。

「か、香織はさ。なんで、好きになったの?」

「え?」

 香織は予想しなかった質問に目を丸くする。

「いや、ほら。元々好きだったのかなって。プラシーボ効果っていうの? 告白されてから好きになるのもいいと思うけどさ。」

 香織は真琴の肩から手を離し、顎に当てると考え始める。

「その辺り、ちゃんと考えてからでもいいんじゃないの?」

 真琴は香織の頭を撫でて優しく言った。

 静かになった部屋の中に細かい振動音がなる。

「あれ? 携帯鳴ってない?」

 真琴に言われて、香織は自分のポケットで携帯が振動している事に気が付いた。

 香織は真琴に背を向けて携帯を取り出し確認する。真琴は肩越しに携帯を覗き込む。

「誰から?」

 香織は真琴に見えるようにメールを表示する。

 メールは晶子からで、忘れてないよね? と、書いてあった。

「あ、忘れてた」

 つぶやく香織に、

「何か約束してたの?」

 と、聞く真琴。

「保健室に、行かないといけないんだった」

「そう。じゃあ、私も生徒会あるから」

 真琴は香織の肩を押してトイレから出てると、頭を軽く叩いて、

「しっかりね」

 と、言ってから生徒会室に歩いていった。

 香織は真琴の背中を見送ってから、一人保健室に向かった。



 保健室の戸をノックしても、中から返事はなく香織は戸を開く。

「失礼します」

 一応声を出して中に入ったが保健室には誰もいなかった。

 窓は開け放たれていて、エアコンは故障中の札が貼られ未だ直されていない。

 香織は晶子の椅子に座って、窓の外を眺める。

 今にも雨が降り出しそうな空色は、香織の心を暗くする。

 体を木々にあわせて左右に揺らし、先ほどの事を思い出す。

 真琴に言われた事。

 裕也の事を考える。

 いつから好きになったのか。なぜ好きになったのか。

 一年の時に同じクラスになり会話も多くはなかった。今までどこかに一緒に遊びに言ったことも無く、去年のきもだめしも一緒に行ったわけではない。

 プラシーボ効果。好きだって言われて、思い込みで好きになっただけなのだろうか。と、香織は携帯を取り出して、裕也からのメールを見返す。

 そこには、デートしよう。と書かれているだけで、付き合おうでもなければ、好きである事なんて一欠けらも含まれてはいなかった。

 画面が霞んで見える。

 たった一文のメールで、何故ここまで舞い上がったのだろうか。と、香織の気持ちは先ほどにも増して暗くなっていく。

 急に、ガラガラ。と、保健室の戸が開く音がして、香織は目元を拭う。

「あ、遅いわよ」

 と、香織の背中に声を掛けたのは晶子だった。

 晶子は戸を閉めると、机に書類を置き香織の顔を覗き込んだ。

「あんた、何で泣いてんの?」

 香織は目を擦り、少しだけ上ずった声で言う。

「ゴミが入って」

「あっそ」

 晶子は近くの丸椅子に座り、

「ここは、生徒の悩みとかも聞くのよ。相談室兼、保健室だから、何かあったらいつでも言いなさい」

 と、やさしい声音で言った。

 香織は目元を再度擦ると笑顔で、

「しょうねえには、言わない」

 と、言った。

 その顔をみて晶子はふっと息を吐いた後に立ち上がり、香織の頭を掴むとグシャグシャに撫でる。

「なんだと~」

「何でも」

 香織は内心感謝しつつも、恋愛とかしてなさそう。と、失礼なことを思った。

 晶子は手を離して、椅子に座り直すと天井を見ながら右へ左へ回転する。

「それで?」

 晶子は床に足をつけて、ぴたりと止まると香織に向かって聞く。

「それでって?」

 香織は携帯で目元を確認しながら聞き返す。

「え~」

 晶子は体を椅子ごと左右に揺らす。

「呼んだのは、そっちでしょ」

 香織が言うと、

「まぁ、いいや。大丈夫なら。よし、じゃあ、これ」

 立ち上がると、晶子は机の引き出しから札を取り出すと香織に突き出す。

「え、何」

「森のやつ張り終わってないんでしょ?」

「これここで渡す必要あったの?」

 受け取りつつも聞き返す香織。

「昨日の夜に、書き直したのよ」

「この前と何が違うの?」

 札を見直す香織。

「全然違うから。この前より力は強いのよ」

 胸を張って言う晶子。

「それで? また私が貼りに行くの?」

 嫌そうな顔をして、晶子を見る香織。

「せいかーい。よくできました」

 パチパチパチ。と、適当に手を叩く晶子は決して香織の顔を見ようとはしない。

「自分で行ってよ~」

「大人は忙しいのよ」

 窓辺に行き淵に手を掛けると、山の方を見て遠い目をする晶子。

「じきに夏休みじゃん」

 と、香織は指摘するも、

「大人に夏休み何てないのよ」

 と、哀愁を纏った雰囲気で、香織に振り返る晶子。

「お母さんに聞いたよ」

「何を?」

「晶姉は夏休みあるって」

 香織に言われた晶子は先ほどの雰囲気が崩れて、ゆっくりと目をそらす。

「こ、子供に比べたら、短いものよ」

「生徒と殆ど変わらない。って、喜んでたって聞いてるけど?」

 笑顔で晶子の肩を掴む香織。

「怖いって、その笑顔。そ、それに、大事な仕事があるのよ。夏休み初日はエアコンの修理に立ち会わないといけないし」

「何もしないで見てるだけでしょ」

「け、ケーキ買うから。ね?」

 香織の手を剥がし苦笑いする晶子。

「……アイスがいい」

「あ、アイスね。わかったわ。買っておくから」

「ハーゲ○ダッツね」

 香織は手を引っ込めると、札を再度見直す。

「これ貼るの、今日じゃないと駄目?」

「まぁ、出来ることなら早目がいいかもだけど、今日は雨降りそうだし。きもだめしまでに貼っておけばいいよ」

「わかった」

「じゃあ、よろしくね。私は職員室でやることあるから」

 そう言うと、保健室と書かれたタグのついた鍵を指で回す晶子。

 香織は札をポケットに入れて晶子と一緒に保健室を出る。

 晶子は鍵を閉めると鼻歌交じりに職員室へ入っていった。

 残された香織は鞄を教室に置いてきた鞄を取りに向かう。



 午前授業のみなので、部活がある生徒以外は殆ど帰っており、校内に朝のような活気はない。廊下が薄暗く重苦しく見える。

 廊下を歩いていると、香織の教室の中から話し声が聞こえてくる。

 帰らずに、教室に残っている生徒がいるようだった。

「そういえば、裕也。アレどうなったのよ?」

 聞こえた来た声は裕也といつも一緒のいる男子生徒の声だった。

 香織は教室前で立ち止まる。

「何のことだ?」

 と、裕也の声が廊下に漏れる。

「何って、賭けの事に決まってるだろ」

 先ほどとは、別の男子生徒の声だった。

「あぁ、橘の事か?」

 自分の名前が出た香織は驚き、隠れるように壁に付くと聞き耳を立てた。

「そうそう。それだよ。いけんの?」

「お前がいけなかったら、俺がいくわ」

 と、笑いを含んだ声で言う男子生徒。

「お前ら俺を馬鹿にしすぎ。あんなのちょろいから。今度のデートで告れば一発。て言うか、デートすらいらねえわ」

 裕也は笑いながら言った。

「また、裕也の女が一人増えんのかよ。しかも、俺の財布からは札が減るしよ」

「てか、オッケーされたら実際どうすんの?」

「そりゃあ適当に、振っておしまい決まってんだろ」

 裕也は当たり前のように答える。

「うわぁー。最低だよコイツ」

 教室から一斉に下卑た笑い声が廊下に流れ出る。

 香織は耳を塞いで、教室から逃げるように走り去る。

 下駄箱まで走り、急いで靴に履き替えると走って外に出た。

 外はもう雨が降り出していた。

 立ち止まり、雨に打たれながら香織は空を見上げる。

「何してんだろう」

 つぶやく香織の薄暗い視界が赤色に変わる。

「濡れますよ」

 後ろから掛けられた声の主は、八代だった。

 番傘を傾け、香織が濡れないように立っている。

「どうしたんですか?」

 香織は足元の水溜りを見て、

「か、傘忘れちゃって。走って帰ろうかなって」

 と、詰まりながらも、平静を装って答える香織。

「送りますよ」

 香織の隣に並び、傘を持つ手を変える八代。

「悪いからいいよ」

 顔を上げずに言う香織。

「すぐそこじゃないですか。気にしないでください」

「ごめんね。ありがとう」

「行きますよ」

 ゆっくりと歩き出す八代に合わせ歩く香織。

 傘の中に居ても、香織の頬は小さな雫が流れ続けた。

 八代はゆっくり歩く、香織に何も聞かずにゆっくりと。

 家の門まで送り届けたもらった香織は礼を言う。

 八代は何も言わずに、片手を振ると背中を向けて遠ざかっていった。

 香織はそれを見送ってから、玄関に向かう。

 戸を開けて家の中に入ると、ニヤついた顔をした晶子がいた。

「おかえり~」

 口元に手を当て、何か言いたそうにする晶子。

「ただいま」

 香織は、淡々と返事をして靴を脱ぐ。

「あっついわね~。アイス買ってきたわよ」

 含み笑いをしながら言う晶子を退けるようにして、横を通り脱衣所に向かう香織。

「あれ? 怒らしたかな」

 首を傾げながら晶子は二階に上がって自室に雑誌を取りに行く。

 香織は靴下を脱ぎ、洗濯物籠に投げつける。

 自室に戻る際、階段下で晶子とすれ違う香織。

「ごめん」

 香織が言うと、晶子は、

「アイス、冷凍庫に入ってるからね」

 と、だけ言ってリビングに入っていった。

 香織は自室に戻り少し湿った制服のまま、ベッドに倒れ込む。

 頭の中では、教室前で聞こえた会話が繰り返し流れる。



 遊ばれていたとわかった。

 賭けの対象でしかなかった。

 遊びでしかなかったとわかった。

 裕也とは、学校で会話しかした事がなかった。

 男子と付き合うのはおろか、恋愛について考えた事は今までなかった。

 誰かを好きになった事なんてなかった。

 誤魔化すための言葉が思いつく。

 気が付けば、涙が頬をつたう。

 枕に顔を埋める。

 真琴の言うとおり思い込みだったのだろう。

 デートに行こうとメールを貰い。舞い上がっただけ。

 勝手に私の事を好きなのだと思ってしまった。

 告白されるのだと思ってしまった。



 枕を強く抱きしめる。

 

それでも、

 ――私は裕也が好きだった。

 思い込みでも、遊ばれていたとしても、私は裕也を好きだと思っていた

 好きだと思ってしまったんだ――



 森の中。祖母と一緒に緩やかな坂道を降りて行く幼い香織。

 香織は両手で大事そうにみたらし団子の入った箱を持ち、祖母は花束を持って香織を心配そうに観ている。

 坂を降りると見えてくるのは、風化していないきれいな祠。

 おばあさんは祠の前まで来ると巾着から布を取り出し祠に付いた砂埃を掃除して、水筒を取り出すと花瓶の水を入れ変えてから、持って来た花と取り替えた。

 一連の工程が終わるのを見てから、香織はそっと抱えていた箱を手渡すと祖母は笑顔で受け取り祠にみたらし団子を御供えする。

 二人は手を合わせて目を瞑る。

 香織は何を考えて目を瞑っていたのか、もう思い出せない。

 目を開けて隣にいる祖母を見る香織。

 祖母はゆっくりと目を開けて香織の頭に手を乗せる。

「一人でも平気でありますように」



 部屋の戸をノックする音で香織は目が覚めた。

 寝てしまっていた香織は音のする戸に顔を向ける。

 晶子が戸を開けて隙間から部屋の中を覗き込んでいた。

「ご飯だよ」

 晶子に言われた香織は目元を拭ってから返事をして、二人でリビングへと降りていった。

 夕食中。晶子は何事もなかったように香織に接した。香織もそれに合わせて過ごす。

 夕食を食べ終わり、ソファーでテレビを見ながら二人はいつも通り会話する。

 晶子が買ってきた少し高いアイスを食べながら。

「お風呂沸いたわよ」

 母に言われて香織は脱衣所に行く。

 制服を脱いで畳んで洗濯機の上置き、全て脱いで洗濯物籠に投げ込み風呂場に入る。

 掛け湯をして、頭から順番に体を洗って浴槽に入る。

 香織は一度寝てしまったからか、それとも、寝てしまえる程度の事だったかと思うと不思議と笑えた。

 あんなにも悲しく感じたはずなのに、裕也の事は完全に吹っ切れていた。



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