おっさんは、ぼうっとしていた。
俺はぼうっとしていた。
具体的には、青い空に所々斑点みたいな綺麗な赤色と紫色が浮かんでいたり、角が生えた鳥がおそらく一キロくらい遠くを飛んでいて、それを何故かくっきりと見ることが出来たり、見ている方向の先にはおそらく海があるんだろうな、と風と微かに混じる潮の匂いがわかったり、明らかに地球の二倍くらい大きいが少し赤みがかった太陽が真上に近い空に浮かんでいるので今お昼くらいなんだろうな、とか考えたりしていた。
あれ、俺ってば、商談先での一時間に渡る値下げ交渉を、上司と一緒になんとか躱して、疲れ切った上司に気を遣ってタクシーで徒歩三十分かかる駅まで向かう途中じゃなかったっけ。疲れすぎて交わす言葉もなく、上司が軽く目を瞑ったを見て俺も窓の景色を眺めながら居眠りした、筈だ。
確かに背広を着ているんだが、鞄も無ければ一緒に居たはずの上司も居ない。どういうこと?
ふと、音が聞こえたので振り返る。後ろの森、森だよな、からガサガサと音がするのだ。おっさんは特に危機管理能力が高いわけではないし、いきなり森と崖に囲まれた草むらに放り出されている状況に理解が追いつかないので、ガサガサする音の方向を眺める事しかできない。
そこからにょきっと顔を出したのは、これまた見知らぬおっさん、いや違うな、この人はタクシーの運転手さんだ、はタクシー会社の制服とネクタイが血まみれ、顔が土気色で白目を剥いていて、おでこ、額にぶっといナイフが突き刺さっていた。
死んでる。え、駅まで、くらいしか会話してないおっさんだけど、死んじゃったの?
運転手さんの死体がそのままポイッと飛んできて俺の足元に落ちた。投げ捨てられた、と思う間もなく、なんだか二メートルくらいありそうな大男というか。
豚人間がおっさんの投げられた辺りからノシノシと歩いてきた。犯人だなこれ。
豚人間とは、豚みたいな頭に体は人間のことである。ムカデ人間だったらよかったかなあ、うーん、嫌だなそっちの方が。そいつは上半身は裸で下には腰蓑を纏い、右手には大きな鉈を持ち、左手は血にまみれている。ああ、左手で運転手さんを投げたのかな。裸足で、筋肉質。ハンマー投げの選手みたいなゴツい体をしていて、百七十センチ程度のもやしである俺とはまるで大人と子供くらいの違いがある。
「ウゴオオオオオ」
その豚人間に吠えられた。そいつは右手の大きな鉈を振りかぶって襲いかかってきた。
え、俺、死ぬ。