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自分がこれから死ぬって時に、被害者は犯人の名前なんて書き遺すものかしら?

作者: てこ/ひかり

 いつもの見慣れたはずの景色も、たかが提灯や(のぼり)が飾られているだけで、まるで異なる世界に迷い込んだかのように感じる。普段は軽トラックのエンジン音がけたたましく鳴り響くあぜ道に、今夜だけは太鼓や笛の音が村人達と一緒になって踊っていた。人口が少なくなり、4年に一度となった小さな村の、小さな秋祭り。


「本当に残念ですよ……こんな夜に、殺人事件だなんて」


 祭りの中心部の灯りからは少し離れた田んぼ道を歩きながら、一人の男が恨めしげにため息を漏らした。男の名は、平等院鳳凰堂。明らかに偽名である。人を信用してなさそうな腫れぼったい目つき。パーマ頭に、無精髭。今夜は祭りだからだろうか。いつものヨレヨレのTシャツに破けたジーンズという、明らかに安っぽい怪しげな服装……ではなく、何処かの旅館から借りてきたであろう紺の浴衣を着こなしていた。平等院は事も無げに尋ねた。


「それで、被害者は?」

此方(こちら)です……この先の、農家で」


 滅多に起きない殺人事件を目の当たりにしてか、緊張気味の町内会長を名乗るご老人に促され、平等院は村の外れのあぜ道を歩いて行った。道先には、街灯の一つも見当たらない。大量の白い砂粒を夜空にバケツごとひっくり返したかのように広がる、満天の星の光だけが頼りだった。姿の見えない虫達や蛙の鳴き声が、あちらこちらで湧き上がっている。これで殺人事件など起きなければ、よっぽど風情があるというものだが……一緒に歩いていた中年男性が、ハンカチで脂汗を拭いながら平等院に愛想笑いを浮かべた。


「助かりました。まさか偶然、都会で活躍中の探偵さんが近くの旅館に泊まっていただなんて……」

「着手金で、500万ほど頂きましょう。正式な依頼料は後日メールでお教えします。勿論別途で」

「ごひゃ……!?」


 毒虫を踏み潰したような悲痛な声が、暗闇に包まれた田んぼの中に響き渡った。思わず立ち止まってしまった村人達を置いて、探偵は何食わぬ表情で歩みを進めていく。やがて平等院達は、村の外れの年季の入った一軒家に辿り着いた。村人の一人が、脂汗を浮かべて恐る恐る平等院の顔を覗き込んだ。


「あの……探偵さん。さっきの数字は、何かの聞き間違いでしょうか……?」

「何、安いもんでしょう。I.Q3800万の私を、たかだか500枚の紙切れで駆り出せるんですから」

「I.Q3800万!?」

「I.Q180程度だったら、いつでも貸し出しますよ。気軽に言ってください。ハッハッハッハ……!」

「うーむ。良く分からんが凄い自信だ……」

「知能指数って、レンタルできるものなの?」


 村人達は顔を見合わせた。たじろぐ彼らを意に介さず、探偵はずかずかと家の中へと入っていく。不安げな空気を家の外に残し、集まった人々は慌てて探偵を追って殺害現場へと急いだ。


□□□


「これは……」


 現場に到着するなり、平等院は顔に手をやり顔を(しか)めた。狭い廊下の途中に、力尽きたように一人の男がうつ伏せに倒れている。家の中に入った者は、誰も倒れた男を助けようとしたり、近づこうともしない。それもそのはず、背中に刺さった出刃包丁を見れば、誰が見ても被害者が最早事切れていることは明らかだった。


「凶器は残されている……。なるほど、死亡推定時刻は……」

「平等院さん、実は……」

「ん?」


 早速被害者に近づき、かがみ込んで詳しく状況を調べようとした平等院に、村人の一人がおずおずと声をかけてきた。


「どうかしましたか?」

「実は被害者の手の中に、血文字で書かれた手紙があったんです」

「!」


 平等院が目を見開いた。

「ダイイング・メッセージか!」

「ダイイング・メッセージ?」

「ええ。被害者が死に際、最後の力を振り絞って遺す伝言です。やった! 楽が出来る! もしかしたらその手紙に、犯人の名前が載っているかもしれません。早速そのダイイング・メッセージを見てみましょう!」


 すると村人は一枚のしわくちゃになった手紙を取り出した。集まった全員が、輪になってその紙を覗き込む。そこには黒ずんだ血の色で、こう書かれてあった。


『平等院鳳凰堂』


「…………」

「…………」

「…………」

「びょ、平等院さん。これは……?」


 開け放った玄関の向こうから、遠くの方で小さいながらも祭囃子が聞こえる。現場の沈黙を破って、村人の一人が恐る恐る顰め面を浮かべる探偵に尋ねた。


「これはですね……。非常に、珍しいパターンというか……」

「お前の名前が書いてあるぞ」

「皆さん。これは明らかな罠です。落ち着いて、よく考えて見てください。この『鳳凰』って漢字。こんな難しい字を、これから自分が死ぬって時に書けますか?」

「だが、メッセージには確かに……」

「恐らく犯人が、私を陥れるために偽のダイイング・メッセージを遺したんですよ。そうに違いない。畜生、犯人め。許さないぞ! さあ皆さん、ご一緒に!」

「そんな台詞、わざわざ合唱なんてしないよ」

「お前が犯人だな、平等院」


 大げさに両手を広げ天井を仰ぐ平等院を、村人達が冷たい目で眺めた。


「よし、事件解決だな」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! いくら何でも早すぎる……」

「楽が出来て良かったじゃないか。おい、誰か此奴を縛り上げろ」

「いくら何でも、こんなバカな話ってあり得ないでしょう」

「事実は小説よりも奇なり、って奴だな」

「え? 本当にもう終わりですか? あっ……やめて、やめ」

「でも皆……ちょっと待って」


 その時だった。犯人を目の前に暴徒と化した村人達を止めたのは、同じくこの村に住む女性の一言だった。皆が立ち止まり、その声の主を振り返った。


「早苗さん?」

「早苗?」

「どうした、早苗。何か気になることでもあるのか?」


 家の中に、次々と訝しがる声が上がる。村の皆から早苗と呼ばれた若い女性は、玄関に立ったまましきりに首を傾げていた。


「自分がこれから死ぬって時に、本当に、被害者は犯人の名前なんて書き遺すものかしら?」

「どういう意味ですか? 早苗さん! その話、もっと詳しく!!」

 図らずも女性に助けてもらった形になった平等院が、半ば食い気味に尋ねた。


「だってダイイング・メッセージって、いわば辞世の句みたいなものでしょう?」

「辞世の句!」

「余裕だってないでしょうに……。私だったら、最後の最後なんだから、きっと『一度はイギリスに行ってみたかった』とか、『お母さん、今までありがとう』とか書くと思うわ」

「うーん。何かいい話ですが……。ダイイング・メッセージって、そういうことでは……」


 縛られた平等院が困った顔を浮かべた。どうやら望んでいた答えとは違ったようだ。なおもその女性は納得いかない顔で続けた。


「でも、例えば途中で力尽きて、『お母さん』……とだけ書いて、それが遺ったらどうなるの?」

「そうですね……その時は、きっとメッセージの意向に沿って、お母さんが逮捕されると思います」

「でしょう? そういう危険性が過ぎって、私ならきっと書けないと思うの。だから、その手紙に書かれてあることが、真実なのかどうか確かめようが無いわ」

「皆さん! お聞きになりましたか!?」


 皆に囲まれた平等院が、勝ち誇ったように大きな声を上げた。


「この可憐なる女性の真の声を! ダイイング・メッセージは、それが本当かどうか分からない。本当に思っていることを書いているとは限らないんです。たとえ名前が書いてあったとしても、嗚呼、それは犯人が用意した、偽情報(ブラフ)かもしれませんから!」

「煩いな。お前が言い出したんだろ、ダイイング・メッセージ云々は」


 一々耳障りな声で叫ぶ平等院に、村人達は耳を塞ぎ彼を足蹴にした。


「痛い! 蹴るのは止めてください」

「確かめる方法が、一つある」

「え?」

「今からお前が最後の最後、書いてみればいいじゃないか。ダイイング・メッセージを」

「はい?」


 頭の上に疑問符を浮かべる平等院に、村人達は顔を近づけて満面の笑みを浮かべた。


「これからお前が死に際に、本当に自分を殺した相手の名前を書けるのかどうか、確かめてみよう。もし書けたら、今回の殺人事件の犯人もお前だったということになる」

 村人達が廊下で倒れている被害者を指差し、頷いた。平等院は毒虫を踏み潰したかのような、悲痛な声を上げた。

「そんな! もし私が名前を書けなかったら、どうするんですか!?」

「その時は、お前に罪を被せて、やっぱり犯人はお前だったということになるだろうな」

「ひどい! さ、早苗さん……!」

「なるほど。それは名案ね!」


 青ざめた顔をした平等院に、早苗がようやく納得した面持ちで微笑んだ。小さいながらも、祭囃子はまだ続いている。やがて村人達は、(くわ)や斧を振り被った。


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― 新着の感想 ―
[一言] これってもう、いつものパターンを村人のほうが横着しているよね! よほどの恨みを買っていた…しねぇ。 あと、平等院鳳凰堂の知能指数をレンタルしたからかも? でも、レンタルしないほうが良いか…
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