08 家族になるということ
「ところでリリーナ、シルヴィア。脱いだ服はまだ洗っていないな?」
ナマココのパスタを食べ終わった後で、ドクターがそんなことを尋ねてくる。
見上げた変態だなと、リリーナとシルヴィアはクズを見る目を向けた。
「ちょ、違うからな! 我輩はそういう下心で聞いたわけではない! ナマココの増やし方を教えてやろうと思っただけだ!」
「ナマココの増やし方? それと脱いだ服に何の関係があるのですか」
眉をひそめたリリーナに、ドクターはごほんと咳払いした。
「ナマココは死にたがりの魔物として気持ち悪がられているが、実はそうでもないのだ。自らの体の中身と一緒に、卵をばらまいているのだよ」
ドクターによれば、あの白い糸の中にはナマココの体の中身だけでなく、卵が植え付けられているらしい。
海でしか生息できないナマココは、誰かによって捕食される前に自爆し、種を残そうとしているのだとドクターは言う。
糸の1本につき1つの卵。
親の体で作られた栄養を食べて、またナマココが生まれる。
ちなみに外気にさらすと糸がカピカピになるのは、中の卵を守るためであり、しばらくの間なら卵も生きているようだ。
「こうなるだろうと思って、培養液を用意しておいたのだ。ナマココの白い液体がついたその服を浸しておけば、すぐにナマココが生まれてくる」
「その気遣いよりも、先に捕獲の仕方を教えてほしかったですわ」
ドクターにツッコミながらも、リリーナは好意をありがたく受け取っておくことにする。
卵を剥がすのは難しそうだったので、アンデット達に持ってこさせた服を、培養液の中へとそのまま放りこんだ。
「ナマココは攻撃手段を持たない。だからこそ、自らを犠牲にし、こうやって種を残そうとするんだ。何の理由もなく死にたがる生き物など、いないのだよ」
ドクターの言葉には含みがある。
きっと後半は魔王様のことを指しているのだろう。
「魔王様が死にたがることにも……理由はあると?」
「逆に問うが、リリーナは魔王様の死にたがりに理由がないと思っていたのか。違うだろう? 理由があるのには気づいていたが、そこに踏み込めなかっただけだ」
呟いたリリーナに、ドクターが笑う。
悔しいけれど、図星だった。
魔王様はリリーナの主であり、今この場にはいなくても魔王様をしてくれている。
死にたいなんて口癖のように言うけれど、今の魔王様は出会った頃とは違い、本気で今すぐ死のうとは思っていない。
けれど、リリーナが死にたがっていた理由を尋ねて、魔王様が本来の目的を思い出してしまったら?
それを想像すれば、恐ろしくて聞けなかった。
「魔王様の死にたがる理由も、まだ死なずに生きている理由も、端から見ればわかりやすい。若いとはよいことだな。なぁ、リリーナ?」
「なぜワタクシに同意を求めるのです?」
首を傾げれば、ドクターが呆れたように肩をすくめる。
「魔王様と出会ったときのことを思い出してみろ。魔王様は何を望んだ?」
それがヒントだと言って、ドクターはリリーナ達を部屋から追い出した。
◆◇◆
夜、ベッドに横になりながら、リリーナは魔王様との出会いを思い出す。
「三食昼寝付き、何もしなくていいですから、魔王になってください!」
条件を提示したリリーナに背を向け、夕闇の森を魔王様は歩いていた。
振り向いてさえくれなかった。
「ワタクシにはあなたが必要なんです! 何でも欲しいものを捧げますわ!」
リリーナがさらなる条件を口にしたところで、やっと魔王様は立ち止まってくれたのだ。
「……何でもっていうけどさ。じゃあ、あんたがほしいって言ったらくれるの? 俺がどんなやつかも知らないくせにさ」
振り返った魔王様の表情は冷ややかで、黒い瞳はどこか濁っているように見えた。
魔王様は距離を詰め、わりと大きなリリーナの胸を揉みしだいてきた。
しかし、その行為はどこか投げやりで、いやらしささえ感じなかった。
追い返そうとしているなと、リリーナにはありありとわかってしまった。
「ワタクシはすでに魔王様のものです。魔王様が望むなら、なんでもいたしましょう」
真っ直ぐ目を見て答えれば、魔王様はここにきてはじめて動揺を見せた。
「なんで……そこまで言える?」
「あなたが私の望んでいた、魔王様だからです」
どうしてそこまで言い切れるのか、リリーナ自身も不思議に思っていた。
普段なら有り得ない、短絡的な行動だ。
けれど、何度思い返しても、あのときの行動が間違っていたとは思えないし、時が戻せるとしても同じことを言っただろう。
理屈じゃなかった。
きっと、一目見たときから、魔王様の資質に惹かれていたのだとリリーナは思う。
「あんたは、ずっと俺と一緒に……いてくれるのか?」
リリーナの思いが伝わったのか、小さな声で魔王様は呟いた。
それはすがるようだった。
リリーナは、自然と魔王様を抱きしめていた。
「もちろん。嫌だと魔王様が言いましても、側に居続けます」
「……本当に? 裏切ったりはしないんだな?」
「もちろんですわ! 魔王様に忠誠を誓います。信じられないのでしたら、裏切ったときには殺してくれてもかまいません」
(あのときの魔王様は、とてもかわいらしかったですわ)
そのときのことを思い出せば、リリーナの顔にほんのりと笑みがこぼれる。
手負いの獣が自分にだけ心を開いてくれたように、優越感にも似た気持ちが胸にあった。
部屋に差し込む月光に、手を翳す。
ほっそりとした指には魔王様からもらった指輪があった。
はじめて出会った日に、契約の証としてもらったものだ。
「魔王になってやってもいい。その代わり……俺の家族になってほしい。こんな条件でも、あんたは受けるか?」
「魔王様、それは願うまでもないことです。ワタクシをはじめ他の補佐も、城にいるものは皆、魔王様の家族ですわ!」
躊躇いがちに尋ねてきた魔王様に、当時のリリーナは元気よく答えた。
あれから、関係は良好で、うまくやってきたはずだった。
(ここ最近は、魔王様が不機嫌になることが増えていましたわ。本当に魔王様は食べ物が原因で、城を出て行ったのでしょうか。3年もここで暮らしてきたというのに、今更……?)
最初はよそよそしかった魔王様が、時折リリーナに笑顔を見せてくれるようになって。
一緒に遊びへでかけたり、2人でいることも増えていき、親しくなったなとリリーナは感じていたのだ。
自分が誰よりも魔王様のことを知っていると、自負していた。
(やはり、半年前にドラゴンが飛べるようになって、人間の国へ行くようになってから、魔王様の態度が変わった気がします)
それまでリリーナは、魔王様を人間の国と関わらせないようにしていた。
魔王様が人間の国を恋しく思わないように、自分の元から消えてしまわないように、手を尽くしてきたのだ。
(……人間に魔王様を取られてなるものですか。やはり、魔王様には結婚してもらって、ずっとこの国にいてもらわないと)
焦ったリリーナが、魔王様に結婚話を持ち込むようになったのは、そのすぐ後のことだ。
魔王様にずっとこの国にいてほしい一心だった。
なのに、魔王様は見向きもしてくれず、逃げるように人間の国へ出かける回数が増えた。
――魔王様の心を惹きつける人間の国など、滅んでしまえばいい。
リリーナが人間の国を早く滅ぼしてしまいたいと願うのは、実をいうとその理由のほうが大きい。
(いっそ、ワタクシが主導して人間の国を滅ぼしてしまいましょうか。そうすれば、魔王様はここにいるしかなくなる……)
そんなことを、半ば本気で思う。
いつも考えていることへと、思考がシフトしていくのを感じ、リリーナは頭を切り替えることにした。
魔王様が死にたがる理由、そして死なない理由。
それを知りたいのなら、魔王様の望みを思い出せとドクターは言っていた。
魔王様が望んだのは、家族だ。
それでいて、魔王家族は、魔族の国で最強の組織であり、これ以上の家族はない。
家族の一員として、リリーナも誠心誠意お仕えしているし、癖の強い奴らが多いものの、魔王様の望みは最高の形で叶えられているはずだ。
(ドクターは何を伝えたかったのでしょう?)
考えてみても、リリーナにはさっぱりわからなかった。
「魔王様、ずっとリリーナの側にいてください」
願うように指輪に口づけを落とすのは、もうずっと前からリリーナの習慣だ。
寝る前にこうすると、少しだけ気分が落ち着く。
次の日、目が覚めて、魔王様がいなくなっていたらどうしようと不安な夜には、指輪をぎゅっと握りしめてばかりいた。
(大丈夫、魔王様は……きっと帰ってきてくれますわ)
自分を慰めるように言い聞かせ、リリーナは眠りへと落ちていった。
◆◇◆
実は最初の時点から、2人には大きな認識の違いがあった。
リリーナの思い描いていた家族と、魔王様のいう家族は別のものだったのだ。
魔族は親と子の繋がりが薄いことも多い。
保護者のいない子は群れて身を守るのが、生き残る手段だった。
そのため、血の繋がらない者同士で助け合うことも多く、それを家族と呼んでいた。
リリーナは親の顔を知らない。
気づいたときには1人で生きていて、幼い頃に魔王補佐として選ばれ、城で育てられた。
彼女にとって、家族とは同じ魔王補佐の仲間達を指す言葉だった。
しかし、魔王様にとっては違った。
魔王様にとって家族とは、優しかった両親とすごした、幸せな日々を象徴する言葉だった。
両親の愛情を一身にうけて、幸福な子供時代を送っていた魔王様だったが、10歳のときにそれは一変した。
魔王様達は旅先で大きな事故にあい、両親は帰らぬ人となった。
奇跡的に助かったのは、魔王様だけだった。
失意の中、魔王様は母方の祖父に引き取られた。
そこで魔王様は、母親が金持ちの一人娘であり、駆け落ちしてできた子が自分だということを知った。
祖父は、母親と父親の結婚を認めなかった。
2人はそれでも愛し合い、母親は魔王様を身ごもった。
魔王様の両親は、もう一度祖父に結婚を許すようお願いした。
しかし、子供は堕して別れろと迫られたため、駆け落ちしたのだ。
魔王様が生まれなければ、娘はどこにもいかなかった。
そんな思いから、祖父は毎日魔王様を責めた。
何かできないことがあれば、父親の血のせいにし、跡取りだからと厳しくしつけた。
魔王様は、心を殺すことにした。
完璧な外面を作り上げることで、祖父の要望に応えたのだ。
両親が死んだ今、魔王様の家族は祖父しかいなかった。
(あのとき、父さんや母さんと一緒に、俺も死ねばよかったんだ)
そう思いながら、魔王様は苦しい毎日を生きていた。
そして、魔王様が16歳になる少し前のこと。
両親が死んだ事故は、仕組まれたものだったという事実を、魔王様は知ってしまった。
――孫を探しだして引き取り、全財産を与える。
祖父がそう言ったことがきっかけとなり、魔王様の一家は探し出されたらしい。
財産を独り占めされてはたまらないと、親族達が魔王様一家を殺害しようとして、計画された事故だったのだ。
真実を知った魔王様は、やるせない気持ちになり、ますます心を閉ざすようになった。
その後、魔王様が正式に家を継ぐことが決まった。
命を狙われる回数が増え、とうとう魔王様は追い詰められた。
別に死んでもいいと思っていたはずなのに、いざ死を目の前にすると心残りがあった。
母親の作ってくれたオムライスが、魔王様の好物だった。
それを家族で食べる時間が、魔王様にとっては幸せな時間で。
死ぬ前に、あの味をもう一度食べたいなと思ったのだ。
気づけば次の瞬間、魔王様は不思議な空間にいた。
変な男から力を押し付けられたあげく、森に置き去りにされた。
そしてそこで、魔王様はリリーナに出会ったのだ。
「ワタクシはすでに魔王様のものです。魔王様が望むなら、なんでもいたしましょう」
どうしても自分でなければダメだとリリーナにうったえられ、魔王様は戸惑った。
それは魔王様が、両親以外の他人から、はじめて自分自身を必要とされた瞬間だった。
その揺るぎない声と、まっすぐな瞳に射貫かれた。
魔王様はその瞬間まで、リリーナのことをあまりよく見てはいなかった。
くるりと巻かれた金色の髪に、少しつり上がった目元。
新緑の緑のようで、海の青も混じるような、光の加減で変わる瞳。
そのどれもが鮮やかで、魔王様の目に焼き付くようだった。
血のつながりがある親族達は、魔王様を大切にはしてくれなかった。
ようやく両親のところへ行けるんだなと思いながらも、どこかで魔王様はまだ、生きていたかった。
「魔王になってやってもいい。その代わり……俺の家族になってほしい。こんな条件でも、あんたは受けるか?」
魔王様を支えていたのは、家族との優しい思い出だ。
自分がいてもいい、必要とされる場所が欲しかった。
リリーナの美しい瞳に、自分が映っていることに酷く安堵した。
(あの温かくて、幸せだった時間を――この子となら作れるだろうか?)
焦がれるように、助けを求めるように。
魔王様は、手をのばしたのだった。