05 美味しいは作れる
「ワタクシとしたことが、一生の不覚ですわっ!」
リリーナは自室で嘆いていた。
家出した魔王様を見つけたというのに、つい人間の食事に夢中になり、みすみす取り逃がしてしまったのだ。
リリーナとシルヴィアをクッキーで足止めし、魔王様は裏口から逃げてしまっていた。
しかし、今回のことで魔王様が出ていった理由は、はっきりとわかった。
無駄足ではなかったと、リリーナは思う。
(人間の食べ物は、悔しいですが……美味しかったですわ。ただ魔力摂取のために食べる魔物とは、全然別のものでしたの)
人間を侮っていた。
魔物を捕らえることもできない貧弱な生き物だから、魔力のない無価値のものを食べて生きているのだと、そう信じていた。
(一度あれを食べてしまったら、魔物肉が栄養だけしか取り柄のない食べ物に思えてしまいます……!)
そんなことを考えてしまう自分を、リリーナは認めたくなかった。
毎日の習慣だったから、当たり前のように魔物をそのまま食べていた。
まずいとかまずくないとか、問題にしたこともなかったのだ。
なぜなら、その食事しか知らなかったから。
なのに今は……毎日の食事が苦痛で仕方ない。
魔王様の決めたルール通り、城では夕飯を皆で食べるのだが、同様の症状はリリーナだけでなくシルヴィアにも見られた。
(お腹は空くんですけどね……)
どうにも食欲がわかない。
ぐぅとなるお腹を押さえ、両側に書類が積み上がる机の上に、リリーナは顔を突っ伏した。
臭みのある魔物の肉より、あのトマトソースのパスタがまた食べたい。
そんなことを考えて……ふと、リリーナはよいことを思いついた。
「そうですわ! 作ってしまえばいいんですのよ!」
ガタリと立ち上がり、リリーナは叫ぶ。
なぜそれをもっと早くに思いつかなかったのか。
自分でも疑問に思うくらいの、素晴らしいアイディアだった。
人間共にできることは、上位種族である魔族にも出来て当然。
材料は違っても、似たようなものを作り出すことくらい、造作もないはずだ。
(いえむしろ、魔族のエリートであるワタクシなら、人間の食べ物を超えるものを作り出せるはず。そしたら……魔王様が人間の国へ行く理由はなくなりますわ!!)
そう思えば、希望がむくむくと胸に湧いてくる。
善は急げだと、リリーナはすぐに部屋を飛び出した。
◆◇◆
まずはトマトソースのパスタを作ろうと、リリーナは考えた。
けれど、人間の国へ行って作り方を習うなんてことは、プライドが許さない。
(それに、人間の国で手に入る食材を使って作ったところで意味はありませんわ。それなら人間の国へ行って食べればいいとなってしまう。あくまで魔族の国の食材を使わなくては!)
あてもなく城の廊下を歩きながら、記憶の中にあるパスタを思い描く。
アレに似た食感のものは……何があっただろうか。
考えても頭に浮かんでこない。
リリーナがよく食べる魔物は偏っていて、知識がなかったのだ。
(そうだわ。わからないなら、他の者に聞けばいいのです! 魔物の生態に詳しい者が、城にはいたではありませんか!)
彼は魔王様にプレゼントする食べ物の相談を、毎度引き受けてくれていた。
きっといいアドバイスをくれるに違いない。
そう思えば、気持ちが急いて、歩くスピードが上がった。
◆◇◆
渡り廊下で繋がれた、城の離れ。
補修を繰り返した結果、廊下の色や壁の色が一部違う、つぎはぎだらけの空間がそこにあった。
ドアを閉ざしていてもツンとした薬草の香りが外まで漂ってきており、滅多に誰も近づくことがない。
この離れに住んでいるのは、『ドクター』と名乗る、魔族の国ではとても珍しい医者だ。
魔王を補佐するために、リリーナと同じく選ばれた存在だった。
ドクターは、デフォルメされたライオンの被り物を常にしており、白衣を羽織っている。
声は二十代後半から三十代前半といった感じで、ムダによい声をしていた。
ちなみに、種族は本人曰くアンデット系らしい。
しかし、リリーナはこれをあまり信じていなかった。
アンデット系の魔族は、一度死んで蘇った死者だ。
この世に未練を残して死んだ者が、アンデットとなる。
魔物や動物に植物、特に多いのは生前が人間の者。
しかし、彼らは生前のことを断片的にしか覚えていない。
そして大抵がバカであり、難しいことを考えることができなかった。
自分で考えることが苦手な彼らは、主の命令に従うことに喜びを感じる。
だから、従属させて、手駒にする分には扱いやすくていい。
しかし、複雑な命令や会話をするのはムリだった。
昔、どうしても人手が足りなくて、リリーナはアンデット系の魔物に書類仕事を命じたことがある。
――難しくてわかんないから、できなかったことがバレないようにしちゃおう!
そうして、彼らは……リリーナの書類を全て燃やし尽くした。
以後、奴らには掃除や食料採取、城の見張りなど、あまり頭を考えなくてもいいような仕事を割り振り、重要な仕事は絶対に任せたりしない。
それに対して、ドクターは変態ではあるものの、知性がある。
趣味は魔物を組み合わせて、新しい魔物を作ったり、迷惑な薬をつくること。
他人で遊んだり、周りをひっかきまわすことに興奮を覚える悪癖に目をつぶれば、もの知りであり、頼れる存在だった。
「ドクター、ご相談があるのですが」
「くくっ……なんだなんだ? またこの天才である我輩に、魔王様への貢ぎ物の相談か?」
ドアをノックすれば、ドクターが部屋へと招き入れてくれた。
薄暗い部屋は、妙なもやのような煙が足下に漂っている。
壁には本と小瓶が並べられ、テーブルには用途のわからない器具の数々。
部屋にいくつかある大きな筒は、発光する液体で満たされ、中にはつぎはぎだらけの魔物が眠っていた。
(相変わらず趣味の悪い部屋ですわ)
そう思ったが、口には出さない。
ドクターの機嫌を損ねるからではなく、彼の長い話がはじまってしまうからだ。
「そうかそうか、君にはこの部屋の良さがわからないか! しかたない、凡人には到底理解できないであろうからな! だが落ち込むことはない。この天才であるこの我輩が! その素晴らしさを! 凡人である君にもわかるように説明してあげよう!」
うっかり口にしてしまえば、バサァっとトレードマークの白衣をなびかせ、意気揚々とドクターは語り出すのだ。
魔族らしく非人道的な研究の数々に、えげつない実験論。
ドクターは性格こそアレだが、研究者にありがちな難しい言葉を並べるようなことはしない。
わかりやすく教え上手なため、知りたくもないことがすんなりと頭に入ってくる。
想像もしたくないのに、延々と聞かせられるのは地獄だ。
雑然とした部屋の中、ドクターはリリーナのために椅子を用意してくれた。
そこに腰掛け、事情を説明すれば、面白いとドクターは乗り気だ。
「なるほどな、人間の国のような美味しい料理を、魔族の国でも作るか。パスタは確かにうまいし、我が輩も魔族の国の料理……というか食べ物には、飽き飽きしていたのだ」
「ドクターはパスタを食べたことがあるのですか!?」
驚くリリーナに、ドクターは肩をすくめる。
「当然だ。昔は人間であったからな。パスタを食べたこともあれば、作ったこともある」
ドクターが元人間であったという事実に、リリーナは驚く。
「人間として生きていたのは遙か昔の話だがな。我輩は自ら人間であることをやめ、魔をこの身に取り入れた。まぁ、そんなことはどうでもいいがな。それよりも、リリーナはパスタを作りたいのだろう?」
だからドクターは他のアンデット共とは違っていたのかと、リリーナは納得する。
人間であることをやめたというだけで、ドクターは死者ではなかったのだ。
何か事情があるのだろう。
人であったときのことを、ドクターはあまり掘り返されたくないようで、あからさまに話を変えてきた。
「パスタの材料として、どのような魔物を望んでいる? それにあった魔物をこちらで教えようではないか」
気を取り直すように、ドクターが尋ねてくる。
足を組んで、楽しそうにリリーナを見つめていた。
「パスタを知っているのなら、ドクターの方でそれにあった魔物を見繕ってほしいのですが」
「断る。それだと、我輩が考え、作ったことになってしまうだろう。それではつまらないし、何より無意味だ」
協力してくれると思ったのに、ドクターはリリーナをバカにしたように笑った。
「無意味とはどういうことです。魔王様がこのまま帰ってこないのは、あなたも困るでしょう。この国の食材で美味しい料理を作れれば、魔王様が帰ってきてくれるんですよ? 天才であるドクターなら、たやすいはずです!」
必死にリリーナは説得を試みたが、チッチッチッとドクターは指を横に振る。
「確かにそれは天才である我輩とって、新しい魔物を生み出すくらいに簡単なことだ。だが、魔王様が所望しているのは、我輩の料理ではないのだよ。最高のスパイスを添えて、自分のためだけに作られたものだ。くくっ……いじらしいじゃないか」
くつくつとドクターは楽しそうに笑う。
何もかもを知っているというようなその態度が、リリーナの勘に触った。
「おっしゃっている意味がわからないのですが」
「だろうな。だから魔王様も出ていった」
髪の蛇と共に睨み付けてやったのに、ドクターは飄々と答える。
魔王様が出ていったのはリリーナのせいだと、ドクターは言いたいらしい。
「まぁ落ち着け。協力しないとはいっていない。お前が欲しい魔物の特徴を言えば、見合ったものを教えてやるし、ヒントもやると言っているんだ」
ドクターに石化の魔法をかけてやろうか。
そんな物騒なことをリリーナが考えていたら、ドクターが本棚のほうへと歩いていく。
相変わらず協力的なのか、意地悪なのかよくわからない人だとリリーナは思う。
「……パスタになるような、細くてぷりぷりとした、食べられる糸を出す魔物が欲しいです。あとはトマトソースになるような、赤色や酸味のある味の魔物も」
「あぁ、了解した。それなら丁度いい魔物がいる。本当は候補がいろいろあるのだが、今回は特別だ。ソースはともかく、パスタもどきの材料と調理法だけは、我輩が教えてやろう」
リリーナの言葉に、ドクターは本棚から何冊か本を取り出して、魔物を見繕ってくれた。
――全ては魔王様のために。
こうして、リリーナの奮闘が始まったのだった。