04 トマトソースのパスタ
しかし、この『トマトソースのパスタ』は、黄色の糸を巻き取るのが難しい。
リリーナが苦戦していたら、魔王様が手本を見せてやると言い出した。
「パスタはこうやって巻くんだ。ほら、くるくるってな。それでこのトマトソースを絡める」
魔王様は器用に、フォークで黄色の糸を巻き取る。
どうやらこの黄色の糸のようなものは『パスタ』。
赤い液体は、『トマトソース』というようだ。
合わせてトマトソースのパスタという名前なんだなと、リリーナは理解する。
「ほら、口開けろ。あーん」
「あ、あーんって……魔王様、そのようなことをなさっては!!」
下位の者から上位の者へ食べ物を貢ぐ行為は、「私を取りなして下さい」という下心がある。
しかし、その逆である上位の者から下位の者へ食べ物を与えるという行為は……魔族にとって求愛でしかない。
「なんだ、俺が食べろって言ってるのに、食えないとでも?」
「そ、そうじゃなくてですね!!」
魔王様は、魔族の常識を知らないところがある。
自分の行動の意味に気づいていないのだろう。
(シルヴィアもいるのに、大胆すぎます……!)
リリーナは顔を真っ赤にして焦った。
「リリーナ」
それでも魔王様に名前を呼ばれ、見つめられれば、リリーナに逆らうことなどできない。
おずおずと口を開ければ、魔王様のフォークが近づいてくる――しかし、そのパスタがリリーナの唇に触れることはなかった。
「おい! 何をするんだ、シルヴィア!」
「……お嬢様の前に、私が毒味します!」
むっとした顔のシルヴィアが、魔王様の手をとって、パスタを横取りしようとしたのだ。
「はぁ!? 毒味も何も、そんなもの入ってない! それに、毒が入ってたってリリーナは死なないだろうが。そもそも、髪に毒蛇ついてる女なんだぞ?」
「貴方の存在そのものが、お嬢様にとっては猛毒なんですっ!!」
魔王様はフォークを庇ったが、シルヴィアが身をのりだし、パスタを食べてしまった。
「これは……!」
パスタを口に入れたシルヴィアは、目を見開く。
ごくんと飲み込んで、それから放心したように固まっていた。
「どうだ? 美味しいだろ?」
さっきまでシルヴィアと争っていた魔王様が、にやにやとしながら言う。
シルヴィアは悔しそうな顔をしていた。
「次はお前の番だ。別にくるくるって巻かなくていいから、食べてみろよ」
魔王様に促され、リリーナはフォークでパスタをすくって口にした。
つるつるとした舌触りと、歯ごたえ。
絡んでくるソースは旨味が詰まっているが、酸味がきいてさっぱりしており、すぐに口の中で味が消えてしまう。
(もっと、この味を味わっていたい)
リリーナの舌が、脳が……それを求めていた。
もう一度、フォークですくって、リリーナはパスタを口に入れた。
あとは、とまらなかった。
味を確かめている間に、皿は気づけば空になっていたのだ。
「美味しかっただろ? 夢中になってたな」
顔をあげれば、魔王様が嬉しそうな顔をしてこっちを見ていた。
(ずっと食べる姿を観察されていた……!? 私としたことが、食べることに夢中になるなんて。魔王様の前ではしたない!!)
リリーナはいつだって、魔王様のことを考えていたはずだ。
なのに、食べている瞬間は、トマトソースのパスタのこと以外考えられなくなっていた。
「ま、魔王様、ワタクシは……!」
「リリーナ、口にソースがついてる。しかたないな」
言い訳しようとしたリリーナの口を、魔王様がナプキンで拭いてくれる。
今まで見たことがない優しい顔をしていて、リリーナは戸惑った。
心臓がどくどくと早鐘を打ち、いまにも口から飛び出してしまいそうだ。
「美味しいものを食べると、幸せな気持ちになれるんだ。悪くないだろ?」
「あっ、はい……」
思わず素直に答えれば、魔王様は屈託なく笑った。
かなりレアなその笑顔を見れば、きゅっと胸の奥が締め付けられる感覚がする。
(この心臓がうるさい感じが、幸せということなのでしょうか。人間の料理を食べた副作用なのかもしれません。少々苦しくも思えますのに、悪い気分ではありませんわ……)
きっとこのドキドキも、さっき食べた料理同様、魔族には必要のないものだ。
けれど、不思議と……癖になる感覚でもある。
そんなことを考えていたら、魔王様が席を立った。
「おまけにクッキーもつけてやるよ。少し待ってろ、持ってこさせるから。さっきのやつより気に入ると思う。俺は仕事に戻るから」
魔王様が奥に引っ込めば、少年が小さな皿を持ってくる。
その上には手のひらに乗るサイズの、丸く平たい茶色の固まりがあった。
「なんですかこれは……硬いですが、口に入れていいものなのでしょうか。土を焼いた何かではありませんか?」
シルヴィアは『クッキー』を手に取って、上から下からと眺めている。
バカにするような口ぶりとは裏腹に、そわそわした様子を隠しきれていない。
どんな味か知りたくて、仕方ないのだろう。
クッキーからは、ほんのりと甘い香りがする。
魔王様が勧めるくらいだ、きっとこれも物凄く『美味しい』のだろう。
そう期待すれば、リリーナの口の中に涎がじわりと出てきた。
「シルヴィア、一緒にいただきましょうか?」
「……そうですね、お嬢様」
二人の我慢よりも、好奇心が勝った。
クッキーを口元へと持っていく。
歯を立てて力を加えれば、ざくりとした感触と共にクッキーが割れる。
そのままボリボリと噛み砕けば、甘さが口の中に広がった。
(噛むたびに鳴る音と、このなんとも言えない甘さ……これが、美味しいということなのね!)
先ほどのものとは、まるで味が違う。
それでも、もっと欲しいと願う気持ちは一緒だった。
リリーナの胸に広がるのは、なんとも言えない満たされた気持ちだ。
生きていくのに必要がない食事は、全て不必要。
そう考えていたリリーナの常識が――覆された瞬間だった。