03 魔王様の求めるものは
上空から、人の国を見下ろす。
ごちゃごちゃとしているなという感想を、リリーナは持った。
「ここが魔王様の訪れた国で間違いないのですね、シルヴィア」
「はい。この国にドラゴンが現れたという噂を耳にしております」
リリーナの問いかけに頷いたのは、その執事であるシルヴィアだ。
シルヴィアは白馬の姿をしており、その背には白い翼、そして額には宝石でできたような綺麗な角があった。
シルヴィアは、ユニコーンとペガサスの一族の間に産まれた子だ。
両親のどちらも高い魔力を持つ、馬に似た高位の魔族。
リリーナの生活をサポートするだけでなく、移動時の手段としても活躍してくれていた。
対して、魔王様の移動手段はドラゴンだ。
そのドラゴンは、魔王様に食べてもらおうと、リリーナが苦労して手に入れたドラゴンの卵から生まれたものだ。
ドラゴンの卵は、魔族の国において最高ランクの食べ物。
魔物とは思えない知能を持っていて賢く、かなり強い生き物だった。
――ドラゴンは魔族の言語は話せないだけで、本来は魔物じゃなく魔族に分類するべきじゃないか?
そういう議論が、魔族国内で展開されることもある。
しかし、得られる肉や卵が強い魔力を秘めており、魔族としてしまうと狩り辛いので魔物ということになっていた。
倫理的なことよりも、欲を取るのが魔族という生き物だ。
まぁいざとなれば、それに同じ魔族だろうと殺し合うのだから、ドラゴンが魔物だろうと魔族だろうとどっちでもいいのである。
これなら魔王様に喜んでもらえるに違いない。
そう考えて、当時のリリーナは、わざわざ手にれたドラゴンの卵を差し出した。
しかし、魔王様はドラゴンの卵を食べてくれなかった。
それどころか、卵を親元から奪ってきたことを散々批難された。
感情を表に出さない魔王様が、珍しく本気で怒っていて。
しばらく口も聞いてもらえず、リリーナは相当落ち込んだ。
結局、卵は魔王様によって大切に育てられた。
そして、巣立ちの時期がきても、魔王様にべったりのファザコンドラゴンへと成長を遂げてしまった。
魔王様のために頑張っているリリーナより、魔王様はドラゴンを可愛がる。
魔王様も魔王様で、ドラゴンを甘やかす。
それでいてあの性悪ドラゴンときたら、リリーナがいるとわざとらしく魔王様にくっついたりするのだ。
……いつか魔王様がいないときに焼き肉にしてやる。
そう、何度思ったかわからない。
ここ最近は、魔王様がドラゴンに乗って外出することが多く、遅くまで帰ってこないことも多かった。
そして、この魔王様の家出である。
こうなるんじゃないかと、リリーナは薄々思っていたのだ。
(だから反対だったんです。ドラゴンを育てるなんて。やっぱり早めに焼き肉にしておくべきでしたわ!)
今そんなことを言ったところで、どうにもならないことはリリーナにもわかっている。
まずは魔王様の足取りを調べようと、聞き込みをすることにした。
◆◇◆
リリーナを地面に下ろし、シルヴィアが姿を変える。
シルヴィアの人型は、歳は二十代後半くらいで、銀髪に青の瞳。
中性的な顔立ちとストイックな雰囲気で、女性でありながら女の魔族にもてていた。
その美貌は人間の女にも通じるらしい。
シルヴィアが手当たり次第に尋ねれば、街の女達は頬を赤らめて答えてくれた。
「そこの女。黒髪に黒の瞳で、赤いトカゲを連れた少年をみなかったか?」
「あっ……それなら、あの道の突き当たりにある食堂で働いている子が、黒髪に黒目です……」
魔王様の目撃情報は、案外容易く手に入った。
この国の人間は、金髪に青や緑の瞳をした者が多い。
魔王様のような黒髪に黒い瞳の人間はいないため、かなり目立つのだ。
肩を寄せ合うように店が並ぶ下町を、教えてもらった店を目指して歩く。
細い路地の横には屋台もあり、甘く不思議な香りが漂っていた。
お昼すぎではあったが、人で溢れており、活気がある。
「ここがその店のはずですが……本当に店ですの?」
リリーナがそう思うのもムリはない。
その建物の外壁はあちこち剥がれ、コケや蔦で半分ほど覆われていた。
店の看板は傾き、文字が掠れて読み取れないありさまだ。
「とりあえず、入ってみましょう」
シルヴィアがドアを開ければ、カランコロンと音が鳴る。
店の中には、たくさんのお客さんがいて、賑わっていた。
外側の寂れ具合からは想像できなかった事態に、思わずリリーナは面食らう。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
出迎えの声に目をやれば、頭巾で頭を覆った魔王様がそこにいた。
その元気のいい営業スマイルに、リリーナは固まる。
こんな魔王様、見たことがなかった。
「ま、魔王様……ですわよね? 人間の店で働いているというのは本当でしたの?」
「リリーナ……しかもシルヴィアまで」
戸惑うリリーナが声をかければ、すっと魔王様の顔から笑顔が消える。
見られたくないものを見られてしまったというような顔だ。
「帰りましょう、今すぐに!」
「いやだ。俺、飯のまずい国だけは住みたくないし」
腕を掴むリリーナを、魔王様が振り払う。
その態度に、シルヴィアが怒りを露わにした。
「お嬢様がお前のために用意した食事を、まずいだと!? 貴様、そこに直れ! 魔王という立場にあるから我慢してやっていたが、貴様だけは気に食わん!」
「あぁ? まずいものはまずいんだよ。それに、リリーナが食事を取ってくるのは、俺のためじゃないだろ。俺に……魔王でいてもらいたいからだ」
立ち上がり睨み付けてくるシルヴィアに向けて、魔王様が苛立ったように答えた。
瞬間、魔王様の体から、密度の濃い魔力が放たれる。
その圧倒的な力に、魔力を直接向けられているわけじゃないリリーナも恐怖を覚えた。
「席に座れ、シルヴィア、リリーナ。お客様に迷惑だから」
静かな声で、魔王様が空いている席を指さす。
頭を下げてその場でひれ伏して――楽になりたい。
そう思わせる力が、そこにはあった。
弱い魔族なら、気絶していてもおかしくない。
この殺気と魔力の中で平然とできるのは、魔力の感知に疎い人間くらいのものだ。
「ぐっ……くそっ!」
脂汗をたらして耐えていたシルヴィアだが、観念して席に座る。
リリーナも同じテーブルに着けば、魔王様が二人の目の前に、コップに入った水を置く。
「いい機会だから食べていけ」
続けて魔王様が持ってきたのは、つやつやとした糸状の黄色い何かに、赤い汁をかけたものだった。
(これは食べ物……なんですの?)
リリーナは困惑した。
魔族の主食は、血のしたたる魔物の肉だ。
焼くこともあるが、ほとんどは生で食す。
後は時々、植物系の魔族をそのまま丸かじりするくらいで、ソースなんてものをかける発想はなかった。
リリーナの目の前に座るシルヴィアも、同じことを考えているのだろう。
食べろと言われても、どうしたらいいのかわからないようだった。
「今日の日替わりランチの、トマトソースのパスタだ。ちょうど休憩時間だし、一緒に食べるぞ」
魔王様が椅子を持ってきて、自らも同じテーブルに座る。
平皿に盛られた糸の山に、そっとフォークの先を差し込み、縦にしてクルクルと巻き取っていく。
リリーナにとって、フォークとはナイフで肉を切り落とす際に固定するためのものだ。
だから、その使い方は思いつきもしなかった。
赤い汁をまとわりつかせた黄色の糸を、そのまま魔王様は口に含んでしまう。
「ほら、リリーナも食べてみろ」
魔王様はそう言うが、やはり人間の食べ物だと思うと気は乗らない。
「この食べ物からは、魔力を全く感じません。人間には栄養があるのかもしれませんが、我々魔族には無価値だ。食べる意味がどこにあるんです?」
リリーナが思っていたことをシルヴィアが口にすれば、魔王様が肩をすくめる。
「食べるのは栄養を摂取するだけの行為じゃないんだ。お前達魔族は、日々の楽しみってやつを知らなさすぎる。皆でこうやって食卓を囲んで、話して……美味しいものを共有して。仲間とか家族なら……そういう時間が大切で幸せなんだってことを、俺はずっと言いたかった」
この思いが伝わらないことが、悲しいというように、魔王様は溜息を吐く。
諦めたような雰囲気が、そこにはあった。
魔王様の考えることの全てを、リリーナは理解したいと思っている。
そんな顔をしてほしくなかった。
夕食は皆でというルールを、魔王様は魔王城に住んでいる者達に設けていた。
食事は好きなときに、好きなように。
それが基本の魔族にとって、かなり異質な命令だ。
城にいる魔族は、魔王様の意図が理解できないまま、それにただ従っていた。
(魔王様は、私達に――何を求めていらっしゃるのでしょう?)
知りたいと、リリーナは思う。
けれど、わからないから、もどかしくてしかたない。
(この『トマトソースのパスタ』を食べれば、魔王様の考えていることが、少しはわかるのでしょうか)
リリーナは勇気を出して、目の前のそれを食べてみることにした。