9.嵐の後
翌朝は酷い日曜日となった。
森山町に住む住人全員が黒染めとなり死者を悼んだ。
父親の死を知った麻由子は喪に服しており、自室に籠もっていた。
そんな姉の様子に亮は心配そうに見守っていたが、麻由子は視線に気がつき笑顔になる。
「家で無理することないんじゃないの?」姉を想う少年に麻由子は涙を流した。
「楽しかった夏休みがこんな終わりになるなんて」
泣き崩れる姉に亮も耐えきれず泣いた。
その頃、災害に遭った被害者たちの為にチャリティイベントを市長は企画していた。
「こんな時だから」と口が酸っぱくなるほど言う市長にリナは嫌気を射していた。カントリークラブで集会していた街の人々だれもが思っていたことだ。
「チャリティよりもやることあるでしょ」
「こういう時しか街を愛してるアピールが出来ないんだろ」
レイが答えると隣に座っていた大樹も頷いていた。
「姉貴の結婚式が潰れてひと安心だけどさ、普通自粛しようって思わないのかな」
「だから昨日あいつの顔に落書きしてやったんだよ」
リナはサングラスを掛けながら話す。するとカントリークラブの扉が開かれ一斉に目を向けるとそこには田平家が集っていた。
帽子で顔を隠しながらも由紀は必死に悲しみを耐えている様子に市長は声を掛けた。
「これはこれは、大変な時に足を運んでくださるとは」
「この会を開いてくださって嬉しく思います」
ハンカチで目元を抑える由紀に市長は続ける。
「しかし東京へ戻る道が土砂崩れで通行止めになった今、この町でしばらく身を置いてください。我々は支援致します」
「ありがとうございます」
2人のやり取りに呆れている麻由子の元に大樹は駆け寄った。
「皆集まってるからこっちおいでよ」
麻由子の手を取りながら仲間のいるところまで案内すると麻由子は安心感に包まれ微笑んだ。
「あんな停電の中で運転するなんて無謀だよね」
肩を竦める麻由子を見てそこにいた誰もが目配せする。
「誰も予想しなかった災害だったんだ。誰のせいでもないさ」レイは優しく麻由子の肩に手を置くと麻由子は彼の手に触れた。
「きっとさ腹が減ってないかもしれないけど何か胃に入れたほうがいい」
リナは席を離れると大樹も笑いながら後を追った。
「俺たちも行くか」
レイにエスコートされながら集会を後にすると、ジープに乗り込む。
「夏休みの延長を楽しむでしょ?」
リナのミステリアスな笑みに麻由子は元気を取り戻していった。
あのファミレスに腰を落ち着かせながら麻由子はバニラシェイクを飲んでいた。その光景を大樹は安心したように見守っているとそこに慌てた様子で翼が駆けつける。
「この町どこも封鎖されてて脱出できないって噂だよ!」
ゼーハーと肩で息をする翼にリナは不敵に笑っていた。
「脱出不可能の町、映画が出来そう」
「また呑気な事を…、昨日の今日だってことを忘れてるでしょ」
叱る大樹を面倒だと言わんばかりにリナは肩を竦めた。
湿気った空気の匂いを感じながらリナはため息を零していた。
「愛梨の死も受け止められないでしょ?」
大樹の問いにレイは思い出したかのように複雑に頷いた。
「でも私たちは家に引きこもる気はないよ」
「今夜、映画館を貸し切ってレイトショーを開くんだ」リナに合わせて答えるレイに麻由子は耳を疑う。
「でも今夜はチャリティイベントがあるでしょ?」
「あの市長よりも人気のある僕たちを見せつけようってこと」翼が答えると麻由子は何が起きるのか想像つかなかった。
それからテキトーに書いたポスターを町中に貼り付けに回った。
大樹とポスターを貼り回っていると麻由子は少しでも寂しさを忘れられた。これは彼らが考えた自分のためのイベントでもあると感じた。
「お姉さんの結婚式潰れちゃったね」
残念そうに話す麻由子に大樹は苦笑いを浮かべる。
「こう言ったら不謹慎だけどさ、実は結婚式が潰れて安心してるんだ」
「なんで?」
「唯のフィアンセはどうも好きになれなくて」そう話す大樹に麻由子は頷いた。
「大樹くんって優しいから言えないんだよね。でももし本当に思っていることならお姉さんに気持ち伝えるのも優しさだよ」
「そんな勇気俺には持ち合わせていなくてね」
鳥の真似をする大樹に麻由子は思わず笑う。
夕方になると映画館の控え室で若者は準備をしていた。
ゴテゴテのメイクをする翼はブラジャーを付けスカート姿になる。その隣でリナも厚化粧を施していた。
「最高のショーにしよう」
麻由子は席に座りながら何が起きるのかドキドキとしていた。席はほぼ満員で彼らの人気がどれほどか思い知った。
すると会場は暗くなりブザーが鳴ると麻由子の胸も騒ぎ始めた。
そしてスクリーンに映し出される下着姿の翼が可憐に踊り始めるとその隣で同じような格好で踊るリナとレイそして大樹の姿に観客たちはワッと笑いを起こす。
ゆっくりと舞台に上がる彼らは腕を組み足を上げて踊る光景が羨ましく思っていると大樹が手招きしているのが見え麻由子は思わず駆け寄った。
服を脱ぎ捨て下着姿になると一気に映画館は歓声で包み込まれた。絶えない笑いに麻由子は幸せを感じていた。
△
ショーは無事に終わり控え室でメイクを落とす皆に麻由子は礼を告げた。
「父が死んで落ち込むべきだろうけど、今は皆と笑いあっていたい」
ボソっと呟く麻由子に翼は優しく手を取った。
「だろうと思ったんだ、孤立した町で皆が陰気臭くなるなんて辛いだけだもん」
「そうだよね」
涙が頬を伝う麻由子は咄嗟に拭うと翼は微笑んだ。
「まだ今夜は終わってないよ、これから皆で旧森山公園へ向かうんだ」
レイは車の鍵をチラつかせるとリナは口笛を吹いた。
「鬱憤を晴らそう」
兄妹はハイタッチしながらとっとと外へ出ると麻由子たちも後を追った。
レイの運転で公園へ向かう途中、大きく立派なトンネルが見えてきた。
そこを渡る瞬間、リナは荷台に立ち風を切るように両手を広げると同じように翼も立ち上がった。
「何してんの!?」
大声で尋ねる麻由子にリナは微笑む。
「アドレナリン補給中」
「あいつら本気で狂ってるよな」
笑う大樹に麻由子は首を横に振ると同じように荷台へ向かった。
「ほらアンタもやりな」
麻由子と入れ替わるように車に戻るリナは満足そうに彼らを見つめる。トンネルを渡りきる空間はまさに彼らだけのものだった。
暫くして公園に着くと、町全体を見渡せる高山になっていると気がつく。眩い光に包まれた町に麻由子は息を飲んでいた。
そんな事にお構いなしにリナとレイは何か分からない言葉で叫びまくる。
そして大樹も続いて叫んでいた。
「ほら麻由子も叫ぼう」
アー!!!と叫ぶ翼に釣られ麻由子も叫び倒す。
声が枯れるまで叫ぶと悲しみも一瞬にして飛び去るようだった。
それから3時間後のこと。
市長に捕まった麻由子たちはイベントに来ていた大人たちの目の前でこっ酷く叱られることになった。
「君達は不謹慎にも下着姿で踊るなんて何を考えているんだ!」
怒り狂う市長の唾がリナの顔に掛かると彼女は不服そうに顔を拭った。
すると事を聞きつけた翼の父親が大慌てでやって来る。
「これはこれは市長、私の息子が無礼なことをしたとか」
慌てる父親の姿はいつになく哀れだと感じ翼は目を閉ざしたくなった。
「ほら翼!帰るぞ!」
強引に腕を掴む父親に翼は振り払おうとするも父親の力は増した。
「まぁまぁ、如月さんの息子さんはまだいい方ですから。それよりも貴女は喪に服すべきですぞ!」
麻由子を叱る市長の前に大樹が立ちはだかった。
「人にはそれぞれ悲しみ方がある!アンタが決めつけることじゃない!」
怒りに任せ反撃する大樹に麻由子は目を丸くさせた。そして大樹は続ける。
「アンタだって町のためにチャリティイベントを企画してただろ?悲しむ人の為ならもっと自粛しろよ」
「荒川如きのガキが市長に楯突くとは」
嘲笑う父親に翼は唾を吹きかける。
「大樹のことを悪く言うのは許さない!」
顔に掛かった唾をゆっくりと拭く父親だったが、拳を握り息子の頬を思っきし殴りつけた。
その勢いで床に倒れ伏す翼に思わずリナと大樹は駆け寄った。
「息子に手を挙げるなんて」
麻由子は口を抑えながら涙を耐えていると翼は諦めずに立ち上がった。
「あんな馬鹿げた騒ぎを起こすとは、しかも下着姿で踊るとは男がすることじゃない。娼婦がすることだ!」
リナを指差す父親にレイが立ち上がるが先に翼が殴りかかる。
「これ以上僕の友達を侮辱しないでよ」
涙を流す翼は父親にこれ以上になく呆れていた。そして涙と鼻水を拭いながら続けた。
「それに僕は貴方の為に愚痴も零さず頑張ってきた!ガッカリされないように本当の自分を押し殺してきた!でももう限界だよ!」
「……」
頬を抑えながら父親は息子を睨みつけていたが、言葉を待っていた。
「本当の僕は男が好きなんだ!これはどんなに頑張っても変えることはできない!」
「誰がこんな化け物に育てたんだ…」
言葉が見つからない父親に翼はショックを隠せなかった。
「化け物を育てたのはアンタだ!大人たちは口揃えて言う“個性は大切だ”って!でも実際に本当の息子の姿を見たらこうやって化け物扱いするんだ!」
今まで我慢していた翼は全てを吐き捨てると吹っ切れたように肩を竦めた。
「決めたよ、僕は歌舞伎役者になる気はない。早くこの家と縁を切る」
カントリークラブを出て行く翼の背中を唖然と見つめていたのは父親だけでなかった。友人たちも一体何が起きたのか理解できずにいた。
しかし慌てて大樹やリナ、レイそして麻由子は後を追った。
カントリークラブの外で地面に膝を付きながら泣き崩れる翼の背中をリナはそっと抱きしめた。
「アンタかっこ良すぎだよ」
優しく声を掛けるリナに翼は頷きながらも泣いていた。
「これからどうしよ…」
「家においでよ、余るほど部屋があるから」
「でも…」
気まずそうにレイを見つめる翼だったが、レイは彼の頭を優しく摩った。
「お前が来てくれればリナも喜ぶだろ?」
「ありがとう」
彼らの友情を目の当たりにした麻由子は嫉妬は抱かなかった。何よりも彼らを親友と呼べる誇りが勝った。