5.革命者
翼の実家はこの町の中でももっとも価値のある建物であった。日本の伝統を代表するような建築に雑誌にまで表彰されている。
翼自身も実家を誇りに思っていたものの、両親を慕ってはいなかった。
あの晩、翼は家に着くなり荷物をすぐに片した。そして浴衣に着替えると、長廊下を速足で歩いていく。
「大分、遅かったな」
「遅くなりまして申し訳ございません」
落ち着いた声音ではあったものの翼は緊張していた。目の前に座る父親の威厳には昔から叶わなかった。
「遅れた分を取り戻すのは容易いことではない。さぁ、早く始めるぞ」
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キャンプを終えた後、麻由子は大樹を誘いしばらく森を歩いていた。
ようやく雨は上がったものの地面は湿気っており歩き辛かった。しかし麻由子にはそれよりも緊張の方が勝っていたのだ。
「こうしてゆっくり歩くの初めてかもね」
麻由子の台詞に大樹も頷いた。
「全くだよ。栗栖兄妹に関わると毎日が忙しいよね」
笑う大樹の横顔を見つめ麻由子は決心していた。もし気持ちを告げるとしたら今がいい。
だが、もし彼に拒絶でもされたら?
自問自答を繰り返し麻由子の思考は鈍り出した。そんな彼女の気持ちに気付かずに大樹は続けた。
「それにしても翼の奴、大丈夫だったかな」
「あの子に何かあったの?」
「そうじゃないんだ。ただああいう家系だからさ」
「そう言えば翼の家系って知らないかも」
麻由子は自分が翼を気にかけてこなかったことを知り自分が恥ずかしくなるようだった。
しかし、大樹は笑って答える。
「あいつ、代々伝わる歌舞伎役者の跡取りだよ」
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手拭いで汗を拭う翼は深いため息を零し目の前の父親の姿を見つめた。
家族らしい会話はもう何年もしていない。話す内容となれば後継ぎの話だけである。妙な家族関係には苦労はしてきたものの、翼にとっては長すぎた。
「本日もありがとうございました」
深々と頭を下げ翼はさっさと部屋を後にした。そんな息子の背中を父親は不満げに睨む。
「あんなに女々しく育ったとは」
「そう言ってあげないでください」
淹れたてのお茶を運ぶ母親は優しげな笑みを浮かべながら告げる。その表情は翼にそっくりだと父親は感じ思わず笑みが零れるも必死に堪えた。
「だがこのままでは私が先祖に笑われる」
威厳を保とうと心掛ける夫の姿は頼もしいものだと妻の百合子は自分に言い聞かせた。
自室へ戻った翼はケータイを取り、すぐさま電話を掛ける。
『何かあったのか?』
レイの存在に翼は幾度となく救われてきた。
「別に?レイの声が聞きたくなって」
弄ぶような翼の口ぶりにレイのため息が電話越しから伝わってくる。
『用がないなら切るぞ』
いつになく冷たい彼の声に翼は眉を寄せたが、すぐに口角を上げた。
「今夜はどう?」その問いにレイはしばらく黙りになるも、彼の冷たさを帯びた声が返ってくる。
『もう電話してくんな』
そして電話を切られ翼はしばらく固まっていた。初めて拒絶をされ、どうすればいいのか分からなくなったのだ。
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「ねぇ誰からの電話?」
レイの腕に抱かれなら寄りかかる愛梨は眠たそうに問いかけた。
「間違い電話だった」
優しげな笑みを浮かべレイは答えると愛梨は微笑み返す。
「邪魔されるのって嫌い」
ジープの車の中で愛梨はレイの頬に軽くキスを始めると舐め回すように顔を近づけていく。そんな彼女にされるがままのレイは持っていたケータイを見つめていた。
人は二手に分かれる生き物だ。
変化を好む者
そして
変化を拒む物だ。
そう、どうすれば自分が幸せになれるのか知っている。そして変化がもたらすものがどんなに残酷なものなのか。