第7話 見慣れぬ町並み
目の前に広がる、真っ直ぐな路。
広く、平たく整備されたそれを見て、翠はこの国の豊かさを初めて実感した。
主要な通りが整備されている事は多々あれど、左右に走る細い路地にさえ平らな石畳で覆われ、石が剥げていたりしている様子は少ない。
町並みにも統一感があった。頂に赤い煉瓦。窓にはめ込まれた装飾は艶やかな黒。細工は精緻なものから簡易なものまで幅広くあれど、遠くから見て受ける印象は似通っていた。
その国の文化や好みもあるだろうか、見事なまでに整然とした町並みは数十年で作りあげられたものでは無い事くらい、翠にも理解できる。
「豊かね……」
周りを飛び交う活気溢れる声には暗さがなく、弾けるような明るさを持っていた。その声に背を押されるように呟く翠に、光珠は嬉しそうに跳ねる。
≪よその国みたいに、争いなんてないから、皆元気なんだ!≫
「争いがないってどういうこと?」
≪だって、竜王も竜も、他にはいないから、争っていちばんを奪いあう必要なんてないんだよ≫
「ああ……そういうことね」
身内同士の争い。他国からの干渉を除けば一番の敵は身内だろう。だけど、竜王となれる存在が1人しかいないのなら……それが血縁を必要としないのなら、争いは格段に減るだろう。
さらに、この世界において竜を超える生物など、居ないのではないだろうか───逆らう者など無いほどに。
≪スイ、スイ!いっぱい人いるところに着いたよ≫
町並みを眺めながら歩を進めていた翠は、光珠の声に意識を引き戻される。はっとしたように辺りを見渡すと、一際賑わう一角に辿り着いていた。
自分が求めていた場所だと、翠は小さく頷き近くの路地を奥へ奥へと進んで行く。大通りの喧騒は届くものの、一目が途絶えた瞬間に、翠は身に馴染んでいた光珠の覆いを散らす。
人目を引くのは避けたいけれど、姿を現さなければ何一つ出来はしない。人目につく衣服を早々に処分したいものの、それには先立つ物が必要だ。
(まずは……職)
出来れば知識があまり必要でない所。この世界での人間社会の常識など皆無なのだ。これに関しては竜も光珠も頼りにできない。さらには……住み込み可能な所。
そこまで考えてあまりの無謀さに頭痛がしてきた。誰が見慣れぬ衣服を纏い、どう見ても事情がありそうな人間を容易く雇い入れる訳が無い。人の良さそうなタイプに切々と頼み込むしか術は無いのだ。
ここまで歩きながら多くの人々を見てきたが、色彩は問題ないようだった。金髪や赤毛などの異なる色も多いが、黒髪の者もそれなりにいた。ただ、幾分顔立ちは異なっていた。僅かにこちらの人々の方が彫りが深い。翠は幸い日本人にしてははっきりとした目鼻立ちをしていた為、少々の違和感はあるだろうが奇異にうつるほどではないだろう。
(一番の問題は……表情)
光珠と共にいたおかげで、強張りきった頬も柔らかさを思い出し、自然な笑みを浮かべる事ができてはいるが……ヒトの前で、上手く表情を作れるか。
失う事を恐れるばかりに、他人に近寄ることも───近寄ってこられることも、避けるのが常だった。無意識に壁を築きあげ、感情を浮かべる事ができないのだ。
(あれは───受けが悪いのよね)
そんな自分が唯一できた表情は、営業スマイル。社会人になってしまえば、円滑に業務を行うために無理やりにでも笑顔を浮かべなければならなかった。
仕事だと思えば自然と笑顔が浮かび上がる───それが、形ばかりを取り繕った、上辺ばかりのものでしかなくとも。
目を細め、口元をきゅっと引き上げる。そうすればぱっと見は笑顔に見えるのだ。だけど、やはりそれは自然なものではないのだろう。自然と皆一線を画して翠と接してきた。
だが、そんな笑顔でも無いよりはマシだろう。能面のように無表情を張り付けた怪しい女と、営業スマイルで固めている怪しい女。どちらも怪しいことには限りないが、無表情よりは笑顔のほうがまだ良い気がする。
「さ、行こう」
パシリと両手で顔を軽く叩き、気合を居れ笑顔をその上に乗せる。不自然だと翠が思っているその笑顔は、元来の顔立ちもあり、美しいものだった。だが、それ故に他者には近寄りがたい気持ちを与えていた。
けれど、そんなものは時間と共に慣れてしまう。周りが近寄ってこなかったのは───その近寄り難さ以上に、翠の拒む空気にあったのだと、未だ翠は気付こうともしない。
今もまた他人と関わろうとしているのにも関わらず、自然と他者を拒む空気を放ちながら、翠は喧騒に紛れるように一歩足を踏み出した───