第5話 竜珠と光珠
「まずは……衣食住よね」
あの城の中に居れば、どれ一つ困る事は無いだろうけど、翠にその選択肢は無かった。
光珠を身に纏い、姿を隠したままに扉から出た翠は、長い回廊の先から響く足音に、反射的に背を背け、回廊に取り付けられている窓から身を翻しその姿を眩ませた。
見知らぬ形でありながらも、美しい様式をみせる庭園に時折見蕩れながら、どれくらい続くのかわからないほど広大な庭をすり抜けて行く。本当なら、この世界の衣服をこっそり借りてしまおうかと思いはしたものの、断りも無く借りる事への抵抗感と。何より───置いてある場所がわからなかったのだ。
言葉が通じるようになったとはいえ、精霊のような存在の光珠にとって、城事情など興味も無いわけで。かといってそこらを歩いている人を昏倒させて服を奪うには翠の良識が邪魔をする。
諦めて城の外へと出ようとしてみれば……今度は光珠は良い水先案内となった。方向もわからない翠の前を、もはや役割となってしまったのか見慣れた大きさの光珠がほわほわと楽しそうに漂う。
「あなた達に名前は無いの?」
可愛らしい姿に微笑みながら、人気が無くなったのを見て、翠は問いかける。
≪ないよ。僕達は僕達だよ。光珠っていうのも、いつの間にか呼ばれてたんだ≫
当たり前のように、くるくると翠の周りで戯れながら告げる光を、翠は指先でつん、とつつく。
「なら、私がつけてもいい?」
≪スイが名前つけてくれるの?僕達に?≫
驚いたのか、翠の周囲に張り付いていた光の一部までもが離れ、ぴょこぴょこと慌しく光リはじめる。
「そう、これからもずっと傍にいるんだから、やっぱり名前を呼びたいし……駄目かな?」
光珠、そう呼ぶのはまるでバルドルだったら竜。翠だったら人間。そう呼んでいるようで嫌だったのだ。
首を傾げて問いかけながらも、どこか不安そうな翠に、光珠が慌ててわらわらと翠に纏わり付く。
≪違う、驚いただけ!嬉しい、嬉しい、嬉しい≫
誤解されたくなくて、必死に喜びを表しながらも、光珠は忙しなくその色を薄紅と銀色、交互に変えてゆく。名前もだが、何より翠がこれからもずっと傍にいてくれると言ってくれたのが嬉しい光珠だった。
竜珠の傍にはいつでも光珠があった。数だけはいるものの、一つ一つは小さく、その力は寄り集まっても大して強くない。竜珠の姿を隠したり、その身をほんのちょっとだけ移動させたり。竜珠が居ないときはただ辺りを彷徨うだけの存在でしかない光珠にとって、精一杯頑張っても、ほんの一瞬痺れさせるくらいの力しか持たないのだ。
だけど、光珠は竜珠に惹かれる存在。性格や姿は様々でも、どの竜珠も、その魂だけは澄みきっていた。人の入れぬ光珠の世界。その中心に位置する泉。その泉の水のようにどこまでも透明な魂。その心地よさに自然と引き寄せられてしまうのだ。
今までの竜珠は、幼い頃から光珠がいるのが当たり前で、その存在があるのは息をするのと同じ、当たり前のものだった。そして……空気のように、語りかけてくる者は少なかった。ただ傍で、いつも楽しそうに光っている存在とでも理解していたのだろう。
翠は、声を掛けてくれた。ずっと傍にいようと言ってくれた。自分達を望んでくれた。まるで、竜に与えた時のように───名前を、くれると言ってくれた。
嬉しくて、嬉しくて。光珠は幸せに全身を染めながら翠を取り巻く。
「コウ───って、どう?」
私のいた世界で、光ってコウとも読むのよ。安直だけどね、とそう言ってまた微笑む翠に、光珠は、また薄紅に染まる。
そんな会話を繰り広げているうちに、庭園にも終わりがやってきた。少しずつ感じる人の気配。口を噤み、今まで以上に人で賑わう回廊沿いに進むと、巨大な壁が立ち塞がる。ぐるりと周囲を囲む壁の一部に取り付けられた扉には、銀色の甲冑を身に纏い、扉を護る者たちと、通行証らしきものを確認してもらい、城へ出入りする人々の姿があった。
今まで以上に慎重に、人に触れないように注意しながら、翠はその城門を潜り抜ける。
『我が半身を厭うのか』───その言葉を否定できなかった、重い心と共に───