幕間 重き扉 Sideジーク
「……我が竜の許へ向かう」
魂を同じくする半身と言えど、全てが伝わるわけではない。だが、今こうしている間にも沸々と湧き上がる歓喜の念。己が心と相反するその感情は、竜の身を持つ半身の感情が自然と伝わってきているものだ。ならば───竜の傍には翠の姿が必ず在る。
立ち上がりその見事な体躯を現し、ジークハルトは重厚な扉を潜る。するとすぐに、扉脇に控えていた護衛が背後に付き従う。全身を漆黒の装束に包み、見目より実を取った無骨な剣を携えた男に、ジークハルトは先を見据えたまま指示を飛ばす。
「ガイ……先の回廊の件、調査は不要だ」
「はい」
ジークハルトの言葉に何一つ言及せず、頷く。ガイと呼ばれた男は主の後を追いながら、近場にいた部下へと調査の中止を端的に伝える。これで要所に控える者たちにより、素早く末端まで意は伝わる。
剣呑な気配を放つ竜王は、常の諦観をどこかへ置き忘れた風情で、足早に求める場所へと向かってゆく。長い回廊を抜け、城の北端に存在するはただ一つ。───竜癒の間。
今となっては狂った竜を捕らえる檻と変わり果ててはいるが、そこは元来、怪我を負った竜が癒しを得るための場所だった。竜が入る事を考えて作られた他の場所よりも高い天井、厚い壁。その扉は部屋の主たる竜と、その半身たる竜王……そして、竜珠にのみ許された場所。それ以外の者が扉を開こうとすれば、大の男が数人がかりで行わねばならないほどであった。
怪我の痛みに竜が暴れても問題のないように、人気のない場所へと置かれたその部屋への唯一の回廊をジークハルトは進み続ける。
しだいに警邏する者の姿も消え、回廊にはジークハルトとガイの靴音のみがやけに大きく響き渡る。
「…………」
人のために誂えられた物ではない事が一目で判る扉の前に、言葉に出来ぬ思いを抱えジークハルトは立つ。
この扉の中には、長い年月希求していた我が竜珠が在るのだろう。未だその姿さえ掴めぬその存在。だが姿などジークハルトの前では意味を持たない。
竜珠の姫を求めるは竜王と竜の本能。この世界の誰一人代わりのいない存在。魂がこの者でなければ駄目なのだと咆哮をあげる。
(この中に……)
半身と竜珠が真名を交わし契約を成した瞬間、浮かびあがった名。涼やかな異国の響きを帯びたその名の主が、今この扉の向こうにいる。名付けだけではなく、婚姻の儀を行った半身───バルドルと名づけられた竜には、翠の存在がどれほど離れていようとも理解できるだろうに、ジークハルトにはそれが適わない。その現実に歯噛みする。
(召喚が成功すれば、誰よりも先に見え───我が真名を与え、竜珠の姫が竜にするように、異界生まれ故に一つの名しか持たぬであろう姫に新たな名を与え……二度とその存在を失わぬよう、互いの真名を交わすはずであったのに───)
幼き頃より傍近くあれば、親愛や友愛。他の形の情を築きあげることもできたはずだが、此度の竜珠の不在。
歴代の竜王とは違い、不安と焦燥、自身と竜を苛み続けた孤独に、尋常ではなく竜珠を渇望したジークハルトにとって……穏やかな情愛。その程度のものでは飢えは満たせなかった。
恋人として、伴侶として。魂だけではなくその身をも深く繋ぎ、誰よりも己の傍近く在る存在としなければ、耐えられそうになかった。
(だからこそ、この世に竜珠の姫が現れたら、誰よりも先に抱き締め、これは現実なのだと……これよりこの腕の中が其方の居場所なのだと、告げようと……)
生涯に一度だけ使える術。己の魂を賭けて求めるものをその者の許へと誘う術。求める心に僅かにも乱れがあれば、世界をも渡る力が術者に襲い掛かる。それほどの危険を冒してまでも焦がれ、求めた存在。それが遂に今、すぐ手の届く場所に在る。
彼の者はどの様な姿なのだろうか……我が姿を見て、どのような表情を浮かべるのか……そして、何故、我が前に姿を見せなかったのか。何故……我では無く、竜身たる半身と婚姻の儀を交わしたのか───。
何故、何故、何故。
翠に問いかけたい言葉が胸で渦を巻く。交わしたい言葉が尽きることなく湧き出てくる。逸る心を微かな理性で抑え付け、ジークハルトは扉に手をかけた───