第34話 情勢
話の内容を鑑みた結果、話し合いの場はジークハルトの執務室へと変わった。
「…………」
何だろう。楽観視などはしていなかったが、この雰囲気はいたたまれない。
翠は無言のままの面々をぐるりと見渡す。
ジークハルトは眉根を寄せるだけでなく、その瞳は剣呑な光を湛えていて。ガイは先程と変わらず鋭い瞳をしたままで。セルジオは───相変わらずの笑顔なのに薄ら寒いものを感じさせる。
「え~っと……発言、良いでしょうか」
まるで学生のように挙手までしてしまう翠はこの雰囲気に完全に食われていた。
「何でしょう、スイ様」
きらっきらな笑顔を向けてこないで下さい……切実にそう思いながらも翠は続ける。
「こちらの状況はほとんど知らないので、教えて頂いて宜しいですか?そうでなければ私はどう判断して良いか判らないので……」
「───そうですね。では、簡単に」
リィンデイルでの常識は、竜とその半身、竜珠に関して。あとは日常生活に必要な範囲という翠に、セルジオはこの国の状況を噛み砕いて教える。
首都はヒース。この城を基として拓かれた都市だ。近隣諸国は竜という存在を持つこの国に無駄なちょっかいを掛けては来ないようだ。
───遥か古に竜が辺り一帯の土地を焼き払ったという。それが理性を失った竜の成れの果てだという言い伝えは、リィンデイルだけではなく他国も知っている為に、豊かな土地を有するリィンデイルは魅力的であるものの、武力で制する事には二の足を踏んでいるらしい。
そうとなれば次に行われるものは……婚姻による同盟。
過去に幾度かそれは行われているものの───今代のジークハルトへの縁談など絶えて久しい。
その理由は竜珠を欠くが故。
いつ理性を失うやもしれぬ竜の許へ嫁がせた所で、永の時を待たずして次代へとその地位が譲り渡されるのなら意味が無い。
血縁が大きな意味を持たぬこの国で、伴侶を失って後も優遇される存在はそうは居ない。
本人が優れた資質を持っていれば話は別だが、そうで無ければ他国の姫という立場で賓客扱いはされるものの、ただそれだけの存在に成り果てるからだ。
国内でも竜を得る事で他国より抜きん出ているという現状は理解して居り、竜の不在を恐れる事はあれど、排除する動きは無い。
半身である竜王や、安寧の源となる竜珠もまた、丁寧に遇される事はあれど、厭われる事はない。───はずだった。
「ですから、目的が見えないのですよ。スイ様がご覧になっただけの人数を動かせる人物となれば、ある程度の財を持つ者が糸を引いているのでしょうが……中枢に近づけば近づくほどに竜珠の必要性は常識となっている為、我々もスイ様が市井で生活される事に異を唱えなかったのです」
相手が判らなければ、取るべき手段も講じかねる。
セルジオが笑みに陰りを見せ、大きく息を吐き出す。
「……スイ様、暫く城内で生活して頂けませんか?警護の問題もありますし」
「さらに───周囲の動きを見張れるから、でしょうか」
「本当に貴女は……。囮にされるとお怒りにはならないのですか?」
口には出さなかった部分をあっさりと告げる翠に、セルジオは苦笑しか浮かばない。苦いものを含みながらも、セルジオの瞳は幾分楽しそうに翠を見詰める。
「結局のところ私自身の為ですから。自分でどうこう出来る程度なら、この場に足を運ぶ事も無かったですし……。解決法はやはり、大元を見つけて叩くのが一番ですしね」
愉快そうに翠の発言を聞いていたセルジオは、ならば遠慮なく。そう言い切ると、柔らかく笑む。
「話が早くて何よりです。スイ様、いっその事お相手には陛下など選ばず、私など如何でしょう?」
気分を変えるように告げられた言葉は誰が聞いても冗談だと判るのに、この場で噛み付く大人気ない人物が一人。
「許さん!!」
先程まで黙り込んで思案してていたジークハルトが即座に顔を上げ叫ぶ。
「ジーク……」
こんな丸判りの冗談にまで反応する姿に……翠の目が生温いものになり、ガイは隠しもせず溜息を吐く。止めにセルジオは呆れた眼差しを隠しもせず主君へと向ける。
三者三様の反応に即座に頭が冷えたのか、ジークハルトが気まずそうに視線を逸らす。
「陛下は……とりあえず、スイ様関連の事ですぐに視野が狭くなるのを直して下さいね」
輝く笑顔でにべもなく告げると、セルジオは翠を促し、用意した客室へと促す。
完全に緊張が解けた翠が部屋を出ようとしたその時、耳許にセルジオが小さく囁いた。
「後ほどお部屋に伺います。その際に───もう一つの懸念をお伝えします……」
その言葉に翠が振り返るが、既に眼前で重厚な扉は閉じられてしまっていた。
何故ここで話さなかったのかと疑問に思う心を抑え、護衛と案内の為に数歩先で待つガイへ心配をかけぬよう、何事も無かったような足取りで向かった。