第4話 リィンデイル
リィンデイル……そこは、竜が統べし国。国を治めるは、竜と共に生まれし者。竜を得る者はただ一人。その資格は血筋ではなく純粋なる力。竜王の力弱まりし時、次代の竜王が竜の卵を抱き生まれてくる。貴族も平民もそこには無く、生まれし竜王に皆跪く。それが唯一の王故に。
竜王とその竜は二つで一つ。魂を人と獣の姿に分かたれし存在。人でいながら空を駆ける感覚を知り、竜でいながら大地を踏みしめる感覚を知る。だからこそ、不安定な存在でもあるのだ。
竜王が自我を持つ頃には、先の竜王の姿は無く。この世に己と同じ存在は誰一人居ない。傅かれ、崇められようとも、その孤独を理解できるものは無く、竜王と竜───二人は孤独に縛られる。
その唯一の救いが竜の掌中の珠、竜珠。二人の孤独を癒す唯一の存在。竜王には人が与えた名が。だが竜に名を与えることの適う同属は存在せず、その竜珠のみが名付けを行える。名を持たぬ竜はただの獣。成長するにつれ身の内より溢れ出る力の制御適わず、しだいに理性を本能に食い破られてゆく。
名を与えられる事叶えば、理性を取り戻し竜王の半身としてその力を振るう。
竜珠は、竜王と竜に分かたれている魂とただ一つ寄り添える存在。触れ合ってしまえば自然と惹かれ合う存在。二人の孤独を受け止め、癒し、幸福を与える存在。その形は問わない。母のように包み込む愛を与える者、恋人のように添い遂げる者、幼子のように慕う者、常に傍に控え護る者。
唯一変わらぬ事は、竜に名を与え、その魂を救いし事。
「その竜珠が…私?」
≪是≫
一つ一つ、己の理解の及ばない物語のような説明に質問を投げてゆく。そうして知識を得てもなお、理解できないことがあった。
「何故、私なの」
≪其方が其方であるから。それ以外に無い。その姿も、その魂も。其方の存在全てが【そう】なのだと、我には理解る≫
「間違いなんてことは……」
≪有り得ぬ。竜珠以外が名付ける事は不可能。さらにその身に寄り添う小さき物───大地の心。其方に判りやすい言葉に例えれば精霊のようなものだろう。それらが寄り添うは竜珠以外には無い≫
間違いだったら良いな~なんて、もう受け入れる他無いと知りつつ足掻いてみても、バルドルに一蹴されてしまう。翠が一気に詰め込んだ知識とその内容に疲れ果てたように溜息を吐くと、途端に焦ったようにバルドルの尻尾が左右に揺れる。
≪長く語りすぎて疲れてしもうたか≫
言葉と声は重々しいのに、その姿はあまりにも愛らしい。言葉で表すなら、あわあわとしか言いようのないバルドルに、翠は大丈夫だとそっとその鼻先に触れる。当たり前のようにざらりとした舌で舐めてくるバルドルに今度は鼻先を押し退けながら自然と笑いが込み上げてくる。
(バルドルの支えになるのなら───良いか)
竜にとって唯一の存在であるのなら、手放されることはない。その約束が嬉しい。何一つ足場のないこの世界で、頼れるものは光……精霊たちだけだった翠にとって、揺るがない存在ほど有難いものはなかった。だが、そこまで考え───矛盾していることがあるのに気付く。
「あれ?でも竜珠って……恋人でなくても良さそうなのに、何で花嫁?」
≪…………≫
「………バルドル?」
途端に黙り込んだバルドルに、言い逃れは許さないとばかりに翠は語尾を強める。
≪我に名を、与えるだけで竜珠としては良いのだ。だが……≫
そこで言い渋るバルドルに、にっこりと満面の笑みを向けると、判り難いはずの竜の表情が引き攣る。
「バ・ル・ド・ル?」
≪……名を、ただの名ではなく、真名を相手に捧げ合うという行為が、婚姻の儀となるのだ≫
「真名……?」
≪我の声が聞こえるのは、其方と我が半身のみ。それ故に我が真名を知る者はいない。だが人間にとっては生まれし時に与えられた真の名……真名と、名乗るための名とがある。そして、その互いの真名を交換することで、真名を縛り契約と成すのだ。例えば……ジークハルトの名を知るものは我と其方のみ。皆はそう、ジークと呼んでいたはずだ≫
「その契約って、他者から教えられた場合には成立するの?」
先ほど、バルドルはジークハルトと己は同一の存在だと言っていた。ならばジークハルトはすでに己の名を知っていて、翠もまたジークハルトの名バルドルより知っていることになる。これは互いの名を交わしたことになるのではないだろうか。
≪否。契約は互いの口から名乗ることにより成される。ジークハルトはすでに其方の名を我を通して知っている。其方もまた我を通してジークハルトの名を知っている。だがこれでは契約にはならぬ≫
「よかった……」
安堵のあまり、バルドルの手の平に座り込んでしまう。どこか困惑したように翠を見下ろしながらバルドルはおずおずと口を開く。
≪其方は……我が半身を厭うのか……?≫