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召喚されてみたものの  作者: 紫堂 涼
不穏な気配
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第31話 居場所

 古びた扉の前に立ち、翠は迷う前に手を伸ばし、音を立てて叩く。

「はいよ!……どうしたんだい、スイ」

 普段こうして部屋を訪ねて来ない翠だ。しかも月の神がその優美な姿を空に浮かべるこんな遅くにやってくるなど、何かがあったに違いないと思われたのだろう。ハンナは促すように翠に問いかけてくる。

「あの、相談がありまして……」

 意を決してそう告げたものの、翠はどうしても言い淀む。


「入りな、立ち話も何だろう」

 背を押され、促されるまま二人の寝室に上がりこむ。見慣れない部屋の内部に視線を向ける余裕も無く、翠は誘導されるままに鏡台の前の椅子に腰掛けた。

 夫婦水いらずで寛いでいたのだろう。長椅子にのんびりとその身を横たえていた亭主も翠の様子に起き上がり、その横へと妻のハンナがどさりと座る。

「で?話って何だい」

 翠が話し易いようにか、促してくるハンナが有難い。

 話そうと決意して扉を叩いたものの、いざこうして目の前に二人揃ってしまえば翠は最初の一言を口にするのに躊躇っていたのだ。

 ぺろりと緊張に乾いた唇を無意識に舐め、翠は腹を据える。

「長い話ですが、聞いて貰えますか……?」

 二人がゆっくりと頷くと、翠は長い、長いこれまでの話を出来るだけ淡々と話していた───。



「…………」

 時折ハンナが問いかける以外は、翠の声だけが響く部屋いていた部屋に、今では重苦しい沈黙が落ちていた。

 感情的なものは出来るだけ廃し、こちらの世界に来てからの出来事を思い返しながら告げていた翠は、沈黙の重さに伏せた瞳をなかなか上げられない。

「それで───アンタはどうしたいんだい」

 ハンナもまた、雰囲気と同じように重々しい声で翠に問いかける。

「私は───」

 告げても良いのだろうか。思いのままに。

 閉じてしまいたい唇を震わせながら、翠はそれでも言葉を続ける。

「我儘だとわかっていても、この問題を片付けた後は、またここで働かせてもらいたいです……」

 迷惑ばかり掛けている。それは痛いほど判っている。自然と翠の語尾が掠れ小さくなる。

「我儘だと知っていてそう望むのか」

 あまり口を開く事の無い亭主の低くしゃがれた声が翠に突き刺さる。

「…………はい」

 さらに俯きそうになる顔を思い切って上げ、鋭さを帯びた瞳と視線を交わす。

「ジーク陛下にもお話をして、身の振り方を考える事になるでしょう。だけど本当は……ここに居たい」

 緊張に血の気の引いた顔でありながら、翠は視線を揺らす事なくその言葉をはっきりと口に乗せる。

「スイ。お前が竜珠の姫なら城で守られるのが一番だと解らないか」

 普段口を開く事のない亭主が重い口を開き問いかける間、傍らのハンナはただ静かに二人を見守っていた。

「……こちらに迷惑を掛けるのは本意ではありません。ただ……叶うなら、全ての問題が落ち着いてからでもいい。ここに───帰りたいです」

 『帰る』そんな言葉がするりと翠の口を()く。


(ああ───)

 こんな時だというのに、自然と漏れ出したその言葉に翠は感慨深く瞳を閉じる。

 こんなにも、この場所に馴染んでいたのだ。帰るという言葉を無意識に選んでしまうまでに。

 さすがに翠も理解しているのだ。城へと相談に向かえば何らかの対策を取られるだろうと。

 いくらコウがいるとはいえ、大した力もない女一人をこの状況で放置しては貰えないと。

 けれど帰りたいのだ此処へ。何も持たぬどころか、厄介ごとばかりを抱えた翠を暖かく受けいれてくれただけでなく、この地での生き方を教えてくれた、この場所へ。


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