幕間 興味 Sideセルジオ
「こちらに署名を……」
セルジオは、手にしていた書類の束をジークハルトに差し出す。
先程、翠がジークハルトを残し去った後、酷く憔悴した様子の主に容赦なく執務の続きを促した。
あの様な主の姿を見るのは久々だった。
代々の竜王は次代の側近を早くに指名する。それは後に産まれて来る次代を教育する役目がある為、あらゆる知識を与えなければならないからだった。
そんな重大な役目だというのに、まだ年若いものや、場合によれば城で勤めてさえ居ない者が選ばれた事もある。
だが野生の勘とでも言うのだろうか……そうして選ばれた者が己の私欲を満たそうとする事は無く、二心無く仕えるものばかりであった。
セルジオも例に漏れず、見習いとして城に上がったばかりの頃、突然に前の竜王より次代を支えよとの命を受けたのだった。
幼い頃には、何度もあんな憔悴した顔をしていた。幼くとも、次代が産まれれば今代の竜王は急激に力を失う。そうなれば次代が執務を執り行えるようになるまで支えるのは周りの者だ。セルジオ自身、傍に仕える事が決まってからというもの、夥しい量の知識を与えられてきた。
同じ様にジークハルトにも、傍で支えつつ、容赦無い教育を施してきた。
……幼い体と心に膨大な知識を与えられ、いつも憔悴しきっていた。体力だけは人並み外れてあるものだからセルジオは手心を加える事は無かった。
そのうち、竜珠の姫が見つかれば、その者が主の心は癒してくれる。だから私は、力を与えよう。そんな思いで仕えていて……竜珠の姫が存在しない事に気付いたのは何時の日か。
次第に狂い始める竜身の感情が流れ込み、主はいつも険しい顔をするようになった。
憔悴ではなく、焦りと……諦めを浮かべ始めたのはそれから暫くしてからだった。
どうせ眠れぬと、執務を終えた後にあらゆる文献を調べ……一冊の古びた本を見つけ出した時の、全てを覚悟した顔は未だ忘れられない。
命を掛け、呼び出したはずの存在が……現れなかった瞬間の、叫びを今も覚えている。
召喚が成功したと知ってからは、その存在を求め、深夜に忍んで出掛けていたのをガイに後を追わせる事で黙認していたのはつい先日の事。
出逢いを果たしてからは、まるで幼い頃から抑えつけた感情を解き放ったかのように、次々と表情を変える。その姿が教育を施し始めたばかりの幼い頃のようだった。
行き過ぎた言動に、反射的に手が出てしまったが、こんなやり取りは幼い主に知識を与えていた頃以来だった。
「……予算が多い。内容には問題が無いが───監視を付けろ。この機に乗じて私腹を肥やす者が現れぬ様、目を配らせよ」
「畏まりました」
次々と書類を裁いて行く間に、時折問題がありそうな物を抜き出して行く。
「これは……調べなおせ」
「……?これといって問題は無いように感じたのですが……」
灌漑施設の工事は、該当の地区は未だに整備が行き届いていない場所で、セルジオとしては納得の行く要望であったが……。
「確かに。ただ何か……裏がありそうだ」
「直ちに調査致します」
ジークハルト本人は、こうして大きな問題無く政務を行えるのはセルジオの存在が大きいと思っているようだが……こうした、ジークハルトが異を唱えたものに限って何らかの大きな問題を抱えている事が多かった。
歴代の竜王もそういった勘が冴えていたのだろう。この国が豊かになった理由は、後継間の争いが無かっただけではない。皆が認めている王とはいえ……欲を持つものや、治世に不満を抱くものが消える事など無い。今の平穏は歴代の竜王がそれらの火種が大きくなる前に潰してきたからだった。
「……どうして、その冷静さや勘がスイ様相手には発揮されないのかが不思議でなりません」
不意のセルジオの言葉に、ジークハルトが手にしていた書類を落とす。
「また、何か失言でもされたのですか?」
執務が一段落した事もあり、セルジオは今まで放置していた主の憔悴の原因を問う。
「…………」
無表情に執務をこなしていたはずのジークハルトの顔が面白いほどに歪む。
(───本当に、感情を隠しきれない)
余程の事が無い限り、大きく表情を変えなくなっていた主が、竜珠の姫が関わると些細な事でも表情を変える。
その姿に、にやりと不穏な笑みを浮かべたセルジオは、黙り込んだ主を更に問い詰める。
「それとも、またもや大人げ無い態度を?ガイが迎えに行った時から不機嫌でしたよね?……それとも、私がこの部屋では一切口を開くなと言ったのが不服でしたか?」
苦労をかけたであろう相手に正式に謝罪をしようとしていた為、セルジオはガイが出迎える事で機嫌を損ねているジークハルトに無言を強いたのであった。案の定、嫉妬に駆られていた所に、他人行儀に呼ばれた事でまたもや失言をしていた。
「いや……あれは、お前が正しい。己の勘違いを思い知らされたからな」
素直に己の非を認める姿に、セルジオが柔らかな笑みを浮かべる。───本当に、この柔軟さや素直さ。せっかく持っている美徳どころか、普段ならありえない失態ばかり見せる主の姿が可愛らしいやら情けないやら。
「だが……言われてしまった。『私』を見ていないと」
「それは……?」
「竜珠としてしか見ていないと、言われてしまった」
苦い顔をするジークハルトの説明に、セルジオは理解すると共に……翠のその発言に感心する。
「思ったよりも冷静ですね……スイ様は」
ジークハルトにあれほど執着されながらも、そこに気付くとは。竜王と竜珠は互いに惹かれあう存在であるから、問題は無いだろうと構えていたセルジオにしてみれば誤算であった。
「それで……どう思われました?」
あれほど憔悴していたのだ。今までの思いを否定されて、どう感じたのか。さり気無く目を細め、ジークハルトの様子を伺う。
苦々しい顔をしていたジークハルトの口元が不意に緩む。
「余計に興味を持った。これは、あれが竜珠だからでは無い。翠だからだ───」
やられた、と呟くジークハルトの表情に、セルジオは内心呟いた。
(これは、本当に惚れられましたね、スイ様───)