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第28話 嫉妬



 バルドルの手が突然伸ばされ、その鋭い鉤爪の印象とは違い翠をそっとその手の中に収める。

 どうしたのかと見上げようとすると、その長い舌でぺろりと翠の頬を舐めあげてくる。いつもと同じ動作のはずなのに……手の上に乗せるのではなく、捕らえるかのように翠の身体を包んでいるバルドルの手だけが違う。

 見下ろしてくるその瞳に浮かぶ光も、ほわほわとした幸せそうなものではなく、どこか突き刺さるようで───不安になる。


 ぐる……と低い唸り声を発したバルドルが、その鼻先を翠の首筋に埋めると……恐ろしい言葉を発する。

≪其方を喰らうことが出来れば良いのに……≫

 そんな言葉を言いながらも、寂しげにその尻尾はへたりと落ちている。

≪喰ろうてしまえば、其方は我の物になる≫

「どうしたの……?」

 普通であれば、怖いと思うかもしれない。こうして話している間も、目の前では真っ赤な口を開き、鋭い牙が列をなしているのだから。

 けれど、翠は逆に切なくなってくる。傍に居るバルドルからは、ただ、悲しみが感じられるのだから。

≪…………≫

 黙り込んだまま、翠に何度も擦り寄ってくるバルドルの鼻先に、翠は自分からも頬を寄せる。そうしてしばらく身を寄せ合っていたら……バルドルが悲しげな声で呟いた。

≪あの男と大層仲が良いのだな≫

「あの男……?」

 バルドルが現れた時共にいたのはガイだった。けれど、そこまで仲が良さそうに見えるだろうか。店の馴染みではあるが、翠と個人的に親しいとかそういった訳でもないのに……とそこまで考え、ふと思い出す。

 逢引きかと問いかけたハンナ。もしや……(はた)から見るとそう見えるのだろうか。

「も、もしかして……ガイさん?」

 そういえば、先程もバルドルはガイの名を出した途端、機嫌を損ねたのではなかったか。

≪是≫

 やはりか……翠が想像通りの答えに肩を落とす。

 確かに、好意は抱いているが。助けてもくれたし、いつも見守ってくれている。その瞳は優しくて……どこか頼っている部分もあったかもしれない。けれど、バルドルにこうして嫉妬されるような関係では決してない。ない……はずだ。

 考えれば考えるほど、優しいその黒い瞳を思い出し、翠の脈が僅かに速くなる。

 ぐるぐると思考の渦に巻き込まれている翠の姿に、バルドルがまた唸り声を上げる。

「ち、違うから!!ガイさんとはそういった関係じゃないから!!」

 必死に動かせる首を左右に振る翠に、バルドルは懇願するように擦り寄る。

≪其方は我が伴侶だ……≫

 消沈し、今にも捨てられそうな雰囲気を放つバルドルに、ただ違うとしか返せない翠は次の言葉に呆然とする。

≪その心の内に、他の者を住まわせるのか……?≫

 翠の感情から何が伝わっていたのかは解らない。バルドルのその言葉には……嫉妬や怒り。悲しみ以上に……恐怖が滲んでいたから。

 困惑する翠の頬をそっと舐め上げると、バルドルは自嘲するように瞳を伏せた。

≪其方を困らせたいわけではないのだ……すまぬ≫

「……大丈夫だよ」

 手を緩めて。そう告げると翠は素直に開かれたバルドルの掌の上に立ち、その頭を胸に抱え込む。

「まだ、ね。まだ、私は人を愛するには早いと思う」

 ガイの事も好きだ。だがその好意はバルドルやコウに対する物と違うのかと考えても……答えが出ない。ジークハルトの事さえ、先程好意を抱いたのだ。以前惹かれていた相手でさえ、自分の事を解ってくれるかもしれないから。そんな思いが根底にあった。けれど、それは……きっと違う。

「バルドルには失礼な話だよね……」

 婚姻までしている相手に、こんな事を言われれば、バルドルとしては立つ瀬が無いだろう。

「でも、嘘は吐きたくない……」

 伴侶だからじゃなく、自分を大切に思ってくれている皆には素直であろうと思う。それくらいしか、今の自分にはできないのだから。

 翠は悲しげに笑むと、目を閉じたままのバルドルの目蓋にそっと口付ける。

「ごめんなさい……」

≪…………≫


 ざわり、ざわりと木の葉が風に吹かれる音だけが辺りを包む。

 どちらも身動きしないまま、ゆっくりと陽だけが傾いて行く。それでも翠はバルドルを抱き締めたまま、バルドルが抱くであろう怒りを受け止めようとしていた。

 遠くで八つの鐘が鳴り響く。風に乗って聞こえるその音は寂しげで、翠の腕に力が篭る。

≪……解って居る。其方の心がまだ我等に無い事は。だが……我は其方が愛しい。出逢った時よりもその思いは強くなるばかり。知識の無い其方と儀を交わしたものの、其方の心がまだ幼き事も気付いて居った。なれど……あの様に、他の雄と共に在る姿は、我慢ならなかった≫

 その腕に促されるように、バルドルが重い口を開いた。

≪我等は、其方の心を未だ得ては居らぬというのに……≫

「……私も。前よりバルドルの事が大切になってる。バルドルがくれた優しさも、思いも、私の中にしっかり伝わってる」

 そう告げる翠に、バルドルは漸く甘えるように喉を鳴らす。

≪ならば……今以上に、其方の心を我等に向けてみせようぞ≫

「怖いなあ……なら、私も……自分の思いを隠す事だけはしない。そう約束する」

 もしも何らかの気持ちを自分が誰かに抱いたのなら、その後どうなってしまおうと素直に告げよう。バルドルにも───ジークハルトにも。



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