第27話 影
小さな音を立てて扉を閉じる。
閉じた扉にそっと触れ、翠は小さく溜息を吐く。
(……言い過ぎちゃったかな)
翠が最後に言い放った言葉に、凍りついたジークハルトの表情を思い出すと胸が痛む。
けれど、どうしても伝えたい事だった。
「……ごめんなさい」
言った事に後悔は無い。けれど、傷つけたい訳では無いのだ。
衝撃を受けたように言葉を失った後、考え込み始めたジークハルトをその場に残し、翠はそっと部屋から出たのだった。
「お話は終わられたのですか?」
すぐ傍から掛けられた言葉に、ガイが扉の前に居たことを思い出す。
「……ええ、今日はもう帰ります」
ジークハルトにも考える時間が必要だろう。
今まで言葉や行動で伝えられてきていた、重すぎるほどの好意。それを翠は根底から否定したのだから。
「門までお送り致します」
元よりそのつもりだったのだろう。ガイの近くにもう一人同じ様な服装の男が居た。
扉の前に男が立つのを確認した後、翠を促し歩き出した。
「……帰りは、こちらを通りましょうか」
沈んでいた翠への思い遣りなのか、ガイは花の咲き乱れる庭へと誘う。
色鮮やかな花々を見ていると、やはり自然と心が穏やかになる。心遣いに礼を言おうとガイを振り向こうとした時……突然鮮やかな色彩を帯びていた花々の色が暗く沈む。辺り一面も陰っているのに、少し先は彩り豊かだった。
雲が掛かったのかと顔を上げようとすると、今度は強い風が巻き起こり、花弁が空へと巻き上がる。
赤や薄紅、黄色や白。舞い上がる花吹雪に翠が見蕩れていると……すぐ傍で大きな羽音が聞こえた。
それが何かを悟り、羽音がした方向へと顔を向けると、そこには陽の光に鱗を輝かせたバルドルの姿があった。
≪……我が送ろう≫
今まで見たことが無いほど、不機嫌そうなバルドルの姿に無意識に翠の足が一歩引く。それで余計に機嫌を損ねたのか、バルドルが低く唸りを上げる。
威嚇するバルドルの視線の先には、戸惑うガイの姿があった。
≪翠よ、先日の森まで連れて行く≫
いつも以上に低い声でそう告げると、バルドルは翠の返事も待たず優しい手付きで翠を掬い上げると、その強靭な翼を羽ばたかせ上空に舞い上がる。
強い風と、遠くなる地面。
凄い勢いで小さくなるガイの姿を目の端に捉えながら、翠はバルドルと共に青い世界を翔る。
「スイ様!!」
遠くでガイが呼びかける声に、翠も聞こえるよう大きな声で心配無い事を伝える。更にガイが何事か叫んでいるが、最早バルドルの羽ばたきでその声は聞こえない。
翠の静止を求める声を黙殺し、バルドルはさらに高みへ向けて舞い上がる。
急激な気圧の変化に耳鳴りがして、翠は己を掴んでいるバルドルの指を叩き、意識を向けさせようとする。だが様子の違うバルドルは中々気付いてくれず、とうとう頭痛がしてきた翠がぐったりとして漸く気付き、慌てて少しずつ高度を下げていった。
≪すまぬ……≫
まだぐらぐらする頭に手を当てている翠の前で、森に辿り着いたバルドルは長い首をしょんぼりと落とす。
その長い尻尾も今はへたりと力無く落ちていて、さすがに文句を言おうとしていた翠だったが、深い溜息を吐くだけしか出来なかった。
「どうしたの、急に」
ガイさんにもちゃんとお礼できなかったじゃない……と翠が呟くと、それまでしおらしかったバルドルの目が鈍く光った───。