第23話 扉の向こう
ハンナから貰った服の中でも上等の服を選び身に纏う。
「何だい、スイ。ガイさんと逢引きかい?」
「……はい?」
髪も普段より丁寧に梳り、出かける旨を告げた翠に、ハンナがそう揶揄う。
余りにも予想外のその言葉に、翠が呆然とハンナを見ている姿に今度はハンナが意外そうな顔をする。
「何だ、違うのかい? てっきりそうかと……」
周りから見るとそう見えるのか。必死に首を振る翠の姿に残念だとばかりのハンナに、戸惑う事しかできない。
「ああ、引き止めて悪かったね、ほら、もう出るんだろう」
行って来な、とハンナに背を押される間も呆然としていた翠は、しばらく閉じられた扉を見上げていたが、約束の時間に遅れてはいけないと混乱したまま、足を走らせた。
約束の時刻に間に合ったのだろう。まだ鐘は鳴らない。
門が見える場所で足を止め、早くなった呼吸を整えていた翠が、漆黒の服を身に着けたガイの姿を見つける。
「ガイさん!」
声を掛けながら、門の方へと歩いて行くと、厳しい視線を辺りに投げかけていたガイが、目元を緩める。
「姫様……お待ち申し上げておりました」
「え……?」
丁寧すぎる口調に、翠が戸惑ったようにガイと視線を合わせる。
「陛下がお待ちです、こちらに……ああ、こちらの方は、ジーク陛下の竜珠の姫、スイ様だ。セルジオより聞いているとは思うが、失礼の無いように」
門の内側に誘いながら、ガイは左右に控えていた門番へと翠を紹介する。
「はっ!!」
深々と礼をする二人に、翠が困惑も露にガイを見上げるが、先ほど遠目で見かけた時と同じような厳しい瞳をしているガイに声を掛けることができない。
「この回廊を真っ直ぐに進むと、陛下の御座す建物に向かいます。執務を行う室へ今回はご案内致します」
以前は中庭らしき場所を通り抜けたせいで、細かく見ることの出来なかった城内を、ガイの説明を受けながら進む。
「少々遠いですが……やはり危険を考慮した場合、陛下の姿が在る場所は奥まった部分になってしまいますので……姫様?」
大まかな間取りを説明しながら進んでいたガイが、黙り込んでいる翠に声を掛けると、その表情は強張っていた。
慣れぬ場所に緊張しているのだろうかと、労わるように再度呼びかけると、翠がゆっくりと顔を上げる。
「どうなされました……?」
「どうして───そんなに、他人行儀なんですか……」
途方に暮れた顔で見上げる翠に、ようやく理由を知ったガイが僅かに表情を緩める。
「今は、私は勤務中ですので。言葉遣いが変わっていようとも、私は姫の良く知るガイに変わりはありません」
宥めるように目元を細めたガイに、翠も緊張に強張っていた肩の力を抜く。
「……わかりました。でも、あの……その「姫」というのはやめてもらえませんか?」
「ですが、スイ様は陛下の竜珠の姫です」
「私みたいな年の人間には見合わない呼称に感じるんですが……」
「姫という言葉に、年齢は関係ないはずですが……」
実際、高齢の女性でもその身分に応じて姫と呼ぶ事は多々あるため、何故翠が年齢を気にしているのかがガイには解らない。
「そうなんですか? ……でも、出来たら避けて欲しいです。我儘かもしれないんですが……どうも、年若い少女や、幼い子に対する言葉って印象があって……」
先日の食材の色とは違い、イメージの問題であって、上手く説明できない翠が言い澱んでいると、しばらく考え込んでいたガイが、頷く。
「わかりました。違和感を感じられるようでしたら、失礼ではありますが名前で御呼び致します。……スイ様、でしたら宜しいでしょうか」
「はい、それでお願いします。……有難う」
「いえ……」
ようやく笑みを浮かべた翠に、ガイもまた一瞬だけ柔らかな笑みを向ける。
「陛下、スイ様をお連れ致しました」
重厚な扉の前で足を止め、ガイが一声掛けて扉を開く。
少しずつ開かれる扉の間から光が差込む。
一歩退き、室内へと促すガイの横を通り過ぎた翠は───逆光でその表情は見えないものの、ジークハルトの姿を見た。