第3話 竜と花嫁
「花……嫁……?」
≪是≫
耳にした言葉を理解できない。聞き間違えかと問いかけると肯定される。呆然としたまま目の前の巨大な竜を見詰めていると、取り巻く光たちが喜びの気配を放つ。
「私が、バルドルの、花嫁?」
どうか否定してと懇願じみた声で今度は光に問いかけるも、腹立たしいほどに元気にひょこひょこと飛び跳ねる。頭痛を堪えるように、険しい顔で黙り込んでいると、不意に目の前の竜がしおしおと項垂れる。
≪嫌か……?≫
あまりの消沈振りにすぐさま頷くことなどできず、口元が引き攣る。嫌だ。素直にそう告げてしまえばこの竜はどうなってしまうのだろうか。
≪だが、すでに其方は我が竜珠だ……≫
「竜珠?」
聞きなれない単語に、翠が問いかけると、項垂れたまま、小さく頷く。
≪我に名を与え、そなたの真名を告げた。これにて契約は完遂される≫
「知らなかった……」
呆然と呟く翠に、逆に不思議そうにバルドルが問いかける。
≪聞いて居らなんだか?ジークハルトより≫
「それ、誰?」
≪…………≫
「…………」
沈黙が重い。心なしか回りの光たちが今度は元気が無い。
≪何故、ジークハルトを知らぬのだ。我が竜珠だというに≫
≪ごめんなさい、スイが会いたくなさそうだったから。それに、僕達とだけずっと居たいって言ってもらえて嬉しくて……つい隠しちゃった≫
低く重々しいバルドルの声とは違い、幼く高い声が答える。他にも誰かこの空間に居たのかと辺りを見回すが、ほかに影は無く……だが、バルドルの鼻先に光が一つ謝罪するようにしょんぼりと光っていた。
≪なら、スイは我が半身と出会わぬままにここに辿り着けたというのか?≫
≪僕らが連れて来たんだ。ジークハルト様とは途中出会ったけど…隠してた時だったから……≫
さらに光が小さくなる。このまま消えてしまうんじゃないかとばかりに小さくなり、ただ二人?の話を聞いていただけの翠が慌てて間に入る。
「バルドル、この子達は悪くないの。私が他の人に会いたくないって望んだから、隠してくれてただけ。ちゃんとジークハルトさん達にだと思うけど、私を会わせようとしてたのに、それを嫌がったのは私のほうなの」
光を両手で掬い上げ、翠はじっとバルドルと瞳を合わせる。嘘偽りなど無いことを伝えるように。
「私が現れた泉の向こうでの会話を聞いてたから、貴方に会わないといけない事だけは判っていたから、すぐここに来たの」
≪泉……?泉の向こうということは、其方は召喚されし者なのか?≫
「たぶん、そう。ここは私の生きていた世界じゃないから……」
小さな声でそう告げると、慰めるようにバルドルが鼻先を寄せてくる。その心遣いが伝わり、翠がくすぐったそうに笑むと、さらにぺろりと長い舌を伸ばし、翠の頬を舐める。
「くすぐったい…っ……ん、大丈夫だよ。この子達も、貴方も優しいから、寂しく感じる暇もないよ。……残してきた人がいたら、違ったんだろうけどね」
くすくすと笑っていた翠が、どこか遠い目をして告げると、バルドルが翠の頬からそっと離れる。
≪其方はこの世界が娘。故に彼の世界では縁を繋ぐ事が出来なかったのだろうよ≫
「え……?」
≪ジークハルトと出会ってないのであれば、何も聞いては居らぬのだろう。我と契約するまではその小さき物達の声も聞こえなんだろうしな≫
困惑したように見上げる翠を落ち着かせるように、その柔らかな頬を再び舐め上げ、バルドルは手のひらに翠を乗せたままに、居住まいを整える。
≪ならば、我から話そう。この世界と、我と、其方について───≫