第19話 赦し
ジークハルトの言葉に、その場が静まり返る。
ガイは体勢一つ変えず、その場に跪いていた───。
何一つ語らぬその姿をただ眺めることしか出来ない翠は、瞳を合わせてくれないガイに戸惑いを感じる。
言葉少ないこの人は、何よりもその瞳でその感情を伝えてくれていたというのに───
ただ一度だけ助けてくれただけの存在。
けれど、その行為以上に日常でガイが与えてくれていたものは大きかった。視線が合う度に心配そうな視線を向けてくれていた。そんなガイが……。
翠も自分の事は何一つ話してはいないのだ。憤る事など出来はしない。
……それに、自分の弱さに立ち向かうと決めたばかりだ。丁度良い機会だ。そう頭では思うものの───微かに感じる胸の痛みは誤魔化せない。
自然と俯いた翠の目に映りこむガイの姿。逸らしてしまいそうになった視線を過ぎったものに、波立っていた心が次第に落ち着いて行く……。
「そう、なの……」
硬い翠の声にも、ガイの姿は微動だにしない。けれど───
翠の瞳に映る、ガイの手は真っ白になるまで力を込められていた。顔も上げず、何一つ弁解しないけれど、一度気付いてしまえばその姿さえガイの心を伝えるようだった。
「ガイさん、顔を上げてくれませんか?」
いつもの、ぎこちない笑みを浮かべながら翠はガイの目の前に己もまた跪く。その行為に驚いたのか顔を上げたガイの顔をみて、予想は確信へ変わる。
「……そんなに、責任を感じないでください。貴方は貴方の仕事を全うしただけじゃないですか」
表情は変わらなくとも、いつもこの瞳でガイと会話していた翠には、この瞳を見てもなおガイを責めることなど出来はしない。
「そんな顔、しないで下さい……ガイさん」
こんな、己を責めるような瞳を見ていられない。今こうしてガイの気持ちが伝わるように、この下手な笑顔に籠めた思いを汲み取ってもらえるだろうか。
翠は精一杯の笑みを浮かべたまま、ガイとしっかりと視線を合わせる。
戸惑ったように、僅かに揺れたガイの瞳が……一瞬の間を置いて、見慣れた穏やかなものに変わる。その事が嬉しくて、翠はさらに笑みを深めた。
「───こちらを見ろ、翠」
その穏やかな雰囲気を破るように、ジークハルトの険しい声が翠の背に掛けられる。
ガイを促しながら、ゆっくりと立ち上がった翠が振り返ると、声と同じ様に険しい表情のジークハルトがこちらを見据えていた。
「その者を赦せるのか?」
そんな事をわざわざ問いかけるジークハルトに、笑顔の名残を残していた翠から、すぅ、と表情が抜け落ちる。
「赦すも赦さないも、私はそんなお偉い立場じゃない。それに……そのどちらかで言うのなら、赦すとしか言えない」
「……貴女は、どう見ても我が許から逃げようとしていた!……裏切られたとは思わぬのか!」
苛立ったように告げるジークハルトに、翠が言い返そうと口を開いた途端───
「何を仰ってるんですか、陛下」
今まで一切口を開かなかったセルジオが、冷ややかな声を放つ。
「セルジオ……」
その口調に何かを感じたのか、ジークハルトの勢いが衰える。
「ジーク陛下、貴方は何をしたいんですか?何の話もせず、突然に儀を交わそうとするわ、ガイを貶めようとするわ───スイ様に嫌われたいんですか?」
声とは裏腹の満面の笑みを浮かべる姿に、つい一歩下がった翠にセルジオの視線が向けられる。びくりと身を竦める翠に、セルジオが歩み寄る。
「……」
笑顔なのに、何だか怖い。翠がじりじりと後ずさろうとするより早く、目の前に立った男は優雅に一礼する。
ガイのように跪かれなかったことに安堵した翠もつられるように頭を下げる。その姿に目元を緩めたセルジオは、ジークハルトへ向けたものとは違い、穏やかな声で自己紹介を始める。
「初めまして、スイ様、私はジーク陛下のお傍で仕えて居ります、セルジオと申します。この度はこのバ……いえ、陛下が失礼な事を」
「い、いえ……。こちらこそ初めまして、スイと申します」
謝罪しながらさり気無くジークハルトを貶しているセルジオに、翠は顔を引き攣らせながらも丁寧に返す。
「ご丁寧にどうも。───ガイは、陛下の命により、竜珠の姫を探していたまでの事。彼に責は有りません。……解って頂き、有難う御座います」
「いえ……探させてしまった私も悪いんです……」
首を振りながら、答える翠に、セルジオは相変わらずの満面の笑みで、一刀両断する。
「左様でございますね」