第18話 困惑
バルドルの言葉に、深呼吸すると───意を決して、身に纏っていた光珠を解き放つ。
ふわりと光が小さな塊に分かれたのと同時に……背後で小さく枝を踏む音が聞こえる。
「…………」
翠がゆっくりと振り返ると、そこには何度か目にしたジークハルトの姿が映った───。
無言のまま、お互いに相手の姿を見詰める。
(……これは、けっこうクルわね)
今までは互いの間に必ず何かを介していた。泉や光珠……けれど、こうして直に向き合うと、初めてバルドルと出逢った時と同じ様に、自然と惹かれる感覚が沸き起こる。そっと抱き締め、貴方は独りでは無いのだと、私が傍にいるのだと伝えたい衝動。
自分の意思では儘ならないその感情こそが、自分が竜珠と呼ばれる所以だと理解する。
ジークハルトもまたそうなのか、鋭かった眼光が次第に柔らかなものに変わってゆく。愛おしそうに目を細め、翠に手を伸ばし……告げる。
「我が名はジークハルト、我が竜珠よ、貴女も名告ってはくれないか」
熱を帯びた声、翠ただ一人を見詰める瞳。僅かに擦れた声は低く、心地良い。
伸ばされた手は男性らしく筋ばっていて、指先は剣を扱うせいか、僅かに節くれ立っていた。
均整のとれた体躯はよく鍛えられ引き締まっていて、その顔は滴るような色気を放っていた……。
そんなジークハルトの、焦がれ、熱に浮かされたような声音に翠は───
(ない、これはない)
無情にもそう思う。
惹かれる感覚はある、けれどそれはこうも情熱的なものではない。
と、いうか……まず出逢ったその瞬間、プロポーズとは如何なものだろう。バルドルと婚姻してしまったのは、翠に知識が無かったからだ。解った上で、相手の性格も何もかも知らないというのに───結婚しろと?
そもそも、バルドルと婚姻を交わすのとは訳が違う。
人同士で結婚しておいて、何事も無く済ませる訳にもいかないだろう。
惹かれ、大切に思う気持ちは翠にもあるが───どうにも互いの間には大きな温度差があるようだ。バルドルと契約を交わした以上、翠に選択肢など無いのかもしれないが……すぐに受け入れられる話ではない。
翠にしても、漸く人と接触を持とうと決めた事で精一杯なのだ。そこへこんな重い感情を受け入れる余裕は流石に無い。
「スイと申します。───ジーク」
「…………」
真名で名乗らず、呼ぼうとしない翠に、ジークハルトの表情が険しさを帯びる。
「違う、翠。真の名を───」
「物事には順序があるとは思いませんか?ジーク」
真名で呼ぶつもりは無いのだと、はっきりと意思を示す翠に、和やかだった空間が一気に張り詰める。ジークハルトが伸ばしていた手を下ろし、何事か口に乗せようとした瞬間───その場の空気を壊すように、駆け込んできた人物を見て、翠が目を見開く。
「ガイさん!?何でここに……」
「……スイ……」
驚きに目を見張る翠に、ガイが一瞬苦しそうに目を伏せるが、すぐに居住まいを正し、跪く。
「───長き時、お待ち申し上げて居りました、竜珠の姫」
地に膝を付くその姿と、その言葉に翠は一瞬言葉を失う。戸惑ったように視線を泳がせる翠に、ジークハルトが険しい表情のまま答える。
「その者は、我が臣下。そして───翠、貴女の居場所を伝えし者」