第14話 優しい戒め
「アンタも大変だったねぇ……ここは良いから、今日はもう部屋に帰りな」
ガイが妙な沈黙を最後に落とし立ち去った後、翠とハンナは倒れた椅子や卓を元に戻していった。
さすがに皿の幾つかは駄目だったが、家具が壊れて無かった事に安堵しながら、一つ一つ位置を直し終えると、翠はハンナに促されながら部屋へと戻る。
少しばかり店を亭主に任せたハンナも、汚れてしまった服を着替えようと自室のある二階へと翠と共に向かう。
その間に、巻き込んでしまったハンナへと、翠は先ほどの男との一件を説明していった。
「ごめんなさい、私の事情に巻き込んでしまって……」
「アンタが悪いわけじゃないだろう?気にしなさんなって。女性に乱暴を働くような男は肘鉄くらって当然だ」
ちょっとばかし、やりすぎだったかもしれないけどね。などと、すまなさそうに項垂れる翠を笑い飛ばしながらハンナは告げる。
でも……と僅かに硬い顔をして、ハンナは後ろを歩いていた翠を振り返る。
「まあ、余計なお世話かもしれないけどさ……。スイ、アンタはもうちょっと人を頼った方が良いんじゃないかい?」
「え……」
「前の時は仕方なかったのかもしれない。けどここには、いっぱい人が居た。うちの旦那も、アタシもいた。それに、お客さんにも腕に覚えがありそうなのが多いだろう?───自分で何とかしようと頑張るのもいいけど、助けを求めることも、大切なんじゃないかい?」
「…………は、い」
瞳を伏せ沈んだ雰囲気の翠の肩を、ハンナはそっと撫でる。
「いいかい、一人で出来る事には限りがある」
「はい……」
神妙に頷く翠に、ハンナはぽつりと呟いた。
「それにね。───助けてと言ってもらえないのも、寂しいもんなんだよ」
「……っ」
俯いていた翠が、その言葉に顔を上げると、そこには言葉通り切なそうな顔をしたハンナの姿があった───。
こんな顔をさせるつもりじゃなかった。
ただ、思いつかなくて。……誰かに助けてもらおうなんて、考えられなくて。遠慮や、都合の良い時だけ頼る事への自己嫌悪でもなく。本当に翠は助けを求めるなど、思いもしなかったのだ。
───ましてやその行為が、人を傷つけてしまうなんて、思いもしなかったのだ。
目の前にいるハンナも、今もまた翠の右手にそっと絡む光珠も。こんなにも優しくしてくれる存在を、自分は傷つけてしまうことしかできないのか。
「ごめん、なさい……」
やはり、自分が大切に何かを思ってはいけないのだと、大切にして貰ってはいけないのだと。
そっと身を引こうとする翠に、ハンナは肩から手を離し大きく溜息を吐く。
「スイ、あんたは何が悪いのかわかっちゃいないね」
ハンナの言葉に、翠が小さく首を振る。わかっている、こんなに甘えてしまったのがいけないのだ。自戒していたつもりなのに、温もりを求めてしまったから……。
「いや、わかってない!」
ぐい、と一歩身を引いた翠の両肩を掴んで引き寄せると、ハンナは伏せようとする翠の目を見据える。
「いいかい、スイ。アンタが何を怖がっているのかなんて、あたしゃ知らないけど。そうやってあたしらからも逃げて、そうして……一人になって、何が残るんだい」
「………」
一人だけど、独りじゃない。コウも、バルドルもいる。そう思うのに、翠はハンナの顔を真っ直ぐ見返すことが出来なかった。
「……言いすぎちまったかね。……でもね、スイ。これだけは約束しな。また今度、自分ではどうしようも無いような事があったら、ちゃんとアタシらを思い出しとくれ。そりゃまあ、長い付き合いって訳じゃないけど、縁あってこうして一緒に暮らしているんだ。───もう、他人じゃないんだよ」