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第13話 一瞬の攻防

※この回には軽くとはいえ暴力描写がありますので、ご注意下さい。

 先日と同じ様に何とか逃れようとしても、今度は男も警戒しているのか、翠の動きから目を離さない。

 習い覚えた訳ではないため、警戒している相手には打つ手が無い。男女の力の差は歴然としていて、翠は痛む腕に歯を食いしばる事しかできない。

「会いたかったぜぇ……?あの時は舐めた真似をしてくれたな」

 怒りにギラギラとした目で見下ろされ、掴まれた腕が痛みだけではなく、小さく震える。


「何やってんだいアンタ!その手を放しな!!」

 厨房から出てきたハンナが間に入ろうとするが、容易く押し退けられ、すぐ傍の(テーブル)に叩きつけられる。

「ハンナさん!!」

 駆けつけようにも、身動きがままならない。恐怖より怒りが込み上げ、翠は力いっぱい男の(すね)を蹴り上げる。

「……っ」

 痛みに呻いた男が、さらに掴む手に力を込めてくるが……泣いてなどやるものか。翠は滲みかける視界で、精一杯目を見開き男を睨みつける。

 それがさらに癇に障ったのか、そのまま店の外へと翠を引き摺り出そうと歩き出す。逆らうように全力で留まろうとしても、容易く引き寄せられてしまう。

 ───光珠に願おうにも、ここは余りに人目がありすぎた。


(───悔しい!!)

 力で無理やり従わされる事、そして何より……ハンナに手を上げた事。沸々と湧き上がる怒りに、翠は思い切り目の前の腕に噛み付く。

 驚いた男に乱暴に振り解かれ、翠は幾つかの椅子を巻き込みながら床に倒れる。痛みに閉じた瞳を開くと───再び男の手が目の前に迫る。

 ひゅう、と翠が息を呑む音と、その声は同時だった。


「……大人しくしろ」

 聞きなれた声が、耳を打つ。

 いつもは穏やかに響く声が、今は険しいものを孕んでいた。

「関係ない野郎ははすっこんでろ!!」

 先程と逆に腕を掴まれた男が、怒鳴り振り解こうとするが、拘束する腕は微動だにしない。こうして立ち上がっていればかなりの上背があるが、細身に見える身体の何処にそれほどの力があるのだろう。

 傍目にも逞しい暴漢と並ぶと、一見相手にもならなさそうなのに、微塵の揺るぎもない。


「警告する。今すぐこの場を出て行くのならば、これ以上の事はしない。だが───」

 続けようとした言葉が宙に消える。残った方の腕を大きく振り被り、男が殴り掛かろうとした瞬間、その姿は地に沈んだ。


「え……?」

 一瞬の攻防を目で追う事が出来ず、ただ呆然とした声を上げる翠は、目の前に差し出された手を眺めるしかできない。

「……怪我は無いか?」

 動こうとしない翠を支え、立ち上がらせると、そう問いかけてくる。

「……はい」

「───無茶をする」

 翠の行動を嗜めるその行動も、こうしてすぐ傍で見詰める漆黒の瞳も、見知ったものだった。

「すみません……助かりました」

 項垂れながらも、続けて感謝の言葉を告げた翠は───はっとして後ろを振り返る。


「ハンナさんは!!」

 慌ててハンナの方を見ると、憤慨して未だに倒れている男に掴みかかろうと息巻くハンナの姿と、それを押える亭主の姿があった。ほっとして一気に力が抜けた翠は、右手にたくさんの光珠が纏わりついているのに気付く。

≪いたそう、いたそう≫

 泣き出しそうな声で、少しでも癒せないかと赤黒くなった手首を覆う光珠に、また心配を掛けてしまったと悲しくなる。


 項垂れる翠の腕をそっと掴む手があった。

「……見せてみろ」

 そのまますぐ傍の椅子に翠を腰掛けさせると、ごそごそと荷物の中を探り、小さな容器を取り出す。

「大人しくしていろ」

 さっと退いた光珠が覆っていた部分に、深い緑色をした薬を塗りこみ始めた。ひやりとした感触に翠が身を竦めると、勘違いしたのか、薬を塗る手付きがさらに優しいものになる。

「有難うございました。えっと……」

 馴染んだ顔とはいえ、その名を知らない事に翠が言い淀んでいると。ああ、とばかりに常連の男は頷く。

「ガイと言う」

「ガイさん。……本当に有難うございました。私はスイって言います」


 互いに今更ながらの自己紹介を行うと、先程まで心配そうだった瞳が、今度は咎めるように翠を射抜く。

「あれは、無謀というものだ」

「はい……」

 反論の(すべ)もなく、翠がさらに項垂れていると、ガイの大きな手が頭の上に乗せられる。

「だが……頑張ったな」

 俺も助けに入るのが遅くなって悪かったと続けるガイに、翠は必死に首を振る。

「遅くなんて!!それに、治療までして頂いて……」

 くるり、と丁寧に巻かれる包帯に翠が感心していると、ガイは手早く処置を終え、何事もなかったかのように立ち上がる。


「──こいつは連れてゆく」

 まだ昏倒したままの男を軽く担ぎ上げ、ガイはそのままハンナの元へ向かい、勘定を求める。

「何言ってんだい!お礼くらいさせとくれよ。……今度は、良い酒もつけてやるよ」

「……酒は、苦手なんだが」

 いくらでも飲めそうな顔をしているのに、そう呟いた男に周りの常連も笑い声を上げる。

「あんなに強いのに、酒には弱いのかいアンタ」

 ハンナもまた、大笑いしながら馴染みの男の背中をバンバンと遠慮も無く叩く。それにやや憮然としながら返した男の言葉に、その場が一気に静まり返る。

「………記憶にはないが、笑い続けるらしい」

「………………」

 無駄口一つ叩かない、無口、無表情が代名詞のこの男が笑い続ける姿───。

 ひくり、と皆顔を強張らせ、その恐ろしい光景を目にしたい勇者はいないのか、それ以上揶揄(からか)う声は上がらなかった。



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